柴田勝家の11冊目の著作で初の短編集である。2016年からの雑誌、アンソロジイに掲載作に加え、書下ろし表題作を含めた全部で6作品を収める。
雲南省スー族におけるVR技術の使用例(2016)中国雲南省に住む少数民族スー族は、生まれた直後からVRヘッドセットを付け、仮想空間の中だけに存在する彼らの世界に浸っている。そこがどんな世界かは謎だった。
鏡石異譚(2017)東北の山奥で巨大な研究施設が建設されている。主人公は幼い頃に工事の縦坑に落ちて以来、不思議な体験をするようになる。それは幾度にもわたる、未来の自分との出会いなのだった。
邪義の壁(2017)古い実家の一室には、なんの飾りもない大きな白い壁があった。主人公は祖母とともに、壁に向かって祈りを捧げた記憶がある。だが、祖母が亡くなったあと壁の一部が崩れ落ち、中からは……。
一八九七年:龍動幕の内(2019)19世紀ロンドン、留学中だった南方熊楠と孫文たちは、ハイドパークに現われ託宣を下す「天使」の正体を見極めようとする。本物の天使であるはずはなかったが、巧妙な仕掛けが隠されていた。
検疫官(2018)その国では大統領の命令で、すべての物語が禁じられていた。小説だけではなく、音楽も伝承も絵画も、物語性を有しているものすべてが検疫され排除される。そこに一人の少年が現われるが。
アメリカン・ブッダ(書下ろし)アメリカ全土で災厄が発生し、脱出できる人々はすべて電脳世界に逃げ去ってしまう。地上にはインディアンのみが残った。その一人の青年は自らをブッダになぞらえ、仏教による救済を電脳世界に語りかける。
デジタル・ディバイド(情報格差)を逆手に取った「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」は、4つの単行本・雑誌に収録され、星雲賞短編部門も受賞するなど注目を浴びた作品である。もっとも辺境に住むもの(少数民族)がもっとも情報に依存しているという構図は、現代社会を暗示しているようで奥が深い。こういう現代の問題点を巧みに取込む作風は「アメリカン・ブッダ」にも生かされている。まあ、福音派が牛耳るアメリカが(陰謀論QAnonに陥ちることはあっても)仏教に帰依するなんてなさそうだけど。
異色作は「検疫官」で、人間から物語を完全になくすことが果たして可能なのかが「物語化」されている。ある意味矛盾しているところが面白い。