昨年出た長編『ねじまき少女』(2009)は、「SFが読みたい!2012」で僅差の海外編2位を獲得している。常連で人気のあるイーガンとの競り合いだったのだから、先々ファンも増えていくだろう。本書は、そんなバチガルピの初期短編集である。デビューから2008年まで、ほぼすべての短編10編を網羅したもの。著者の原点が良く分かる内容だ。
「ポケットの中の法」(1999)*:成都の貧民街で、浮浪児が偶然入手したデータキューブの中身
「フルーテッド・ガールズ」(2003):人体改変され、文字通り生体フルートとされた姉妹
「砂と灰の人々」(2004):未来、生身の生物はほぼ絶滅し人類もバイオ化された。そこに一匹の犬が迷い込む
「パショ」(2004)*:文明に感化されて帰ってきた孫息子と、砂漠の戦士/略奪者だった祖父
「カロリーマン」(2005):ミシシッピーを下る舟で違法種子を作るリッパーを運ぶ(「ねじまき少女」前日譚)
「タマリスク・ハンター」(2006)*:地下水を吸い上げ渇水の元凶となる木、タマリスクを刈るハンター
「ポップ隊」(2006)*:不老化が一般的となった未来、出産は重罪となり摘発のための特殊部隊が編成される
「イエローカードマン」(2006):タイで難民に落ちぶれた、元富豪の生きざま(「ねじまき少女」の原型)
「やわらかく」(2007)*:衝動的に妻を窒息死させた男が、罪悪感を日常に紛れさせていく奇妙な心理
「第六ポンプ」(2008):食品汚染により住民の痴呆化が進んだ未来、下水ポンプのメンテに明け暮れる主人公
*初訳
登場人物たちは、改革者や科学者といった、リーダー型人間ではない。大半は、状況に流されるままの小心な一般人だ。唯一「第六ポンプ」の主人公だけは、事態を食い止めようと苦闘するが、無力な一市民の域を出ることができない。バイオ化が暴走した未来は、大きな貧富の差と疫病の混乱に沈んでいる。そこには、今我々の知るような社会的秩序はない――という、デストピア的な世界観が著者の特徴だろう。ハッピーエンドのない、突き放された結末は読後に強い印象を残す。しかし、もう一ひねりが欲しい作品も多い。お話の展開が、あまりにストレートすぎるので、ちょっと食い足りないのだ(例えば、かつて衝撃的と話題を呼んだ1969年のハーラン・エリスン「少年と犬」と対比できる、「砂と灰の人々」の結末なのだが、あまりに淡泊すぎる)。受賞作が「第六ポンプ」(2009年ローカス賞、ちなみに本短編集自体も同年のローカス賞を受賞)と「カロリーマン」(2006年スタージョン記念賞)に留まるのは、その所為もあるだろう。
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