『[恋愛篇]死んだ恋人からの手紙』と『[怪奇篇]ちまみれ家族』の2冊からなるアンソロジイで、全20編を収める。アンソロジイの場合、何らかのテーマ(制約条件)が科されているのがふつうだ。年度別、年代別の傑作選とか、発表年ごとに一人(SF作家クラブ所属作家)一作品だけを集めた『日本SF短篇50』などもある。本書の方針については、編者があとがきでこう記している。
だからこそ、私は別の時代、たとえば八〇年代の半ばごろから二〇〇六年(《年刊日本SF傑作選》以前)までに多くの短篇を書いた作家の作品を少しでも再発掘したい。この時期は〈SFマガジン〉に何作も掲載されているのに本になっていないとか、〈SFアドベンチャー〉〈SFJapan〉に新人として登場し短篇を量産したのにそれきりというケースが多い。ラノベ誌や〈獅子王〉〈グリフォン〉なんて雑誌もあった。SFが今ほどには注目されていなかったタイミングゆえ正当な評価を浴びにくかった作品に、改めて光を当てたい。
[怪奇篇]編者あとがきより
中井紀夫(1952-)死んだ恋人からの手紙(1989)亜空間通信を経る兵士からの手紙は、時間順序が崩れシャッフルされて届く。
藤田雅矢(1961-)奇跡の石(1999)東欧のとある村に住む、超能力者の姉妹がくれた不思議な石の秘密とは。
和田毅(草上仁 1959-)生まれくる者、死にゆく者(1999)生まれてくる子どもが5年ほどかけて実在化する一方、老人はしだいに希薄化していく。
大樹連司(前島賢 1982-)劇画・セカイ系(2011)編集者からラブコメを要求されながらまったく書けない作家には、同棲する恋人にも明らかにできない秘密があった。
高野史緒(1966-)G線上のアリア(1996)電話が発展しつつある近世ヨーロッパで、一人のカストラートがその大きな可能性を予見する。
扇智史(1978-)アトラクタの奏でる音楽(2013)ストリートミュージシャンの主人公に、工学部の学生から研究テーマへの協力要請が持ちかけられる。二人は意気投合するが、研究は意外な波紋を引き起こしていく。
小田雅久仁(1974-)人生、信号待ち(2014)2つの交通信号の間に閉じ込められた主人公は、そこから抜け出せないまま、時間が変容していくことを知る。
円城塔(1972-)ムーンシャイン(2009)双子の少女と主人公が、百億基の塔の街に住む物語だが、数学の群論に始まり、数学的共感覚、そして数学的命題ムーンシャインに至る物語でもある。
新城カズマ(-)月を買った御婦人(2005)別の歴史が流れるメキシコ帝国では、莫大な財産を持つ侯爵令嬢の前に5人の求婚者が現われる。その条件は月を捧げることだった。
中島らも(1952-2004)DECO−CHIN(2004)自分の仕事に疑問を感じるサブカル雑誌の編集者は、ライブハウスに登場した異能のバンドに取り憑かれてしまう。
山本弘(1956-)怪奇フラクタル男(1996)かつての教え子から呼び出された数学教授は、奇怪な病に罹る父親の症状に驚く。
田中哲弥(1963-)大阪ヌル計画(1999)大阪ならではの事故を抑えるため開発された「ヌル」は、もともと想定していなかった恐るべき効果を生み出す。
岡崎弘明(1960-)ぎゅうぎゅう(1997)人がぎゅうぎゅうに立ち尽くすほど溢れた世界で、主人公ははるかな西に向かおうとするが。
中田永一(乙一、山白朝子などの別名義あり 1978-)地球に磔にされた男(2016)ある日自動車が空から落ちてくる。その事件を契機に、恩人である老人宅を訪れた男は、時間旅行ができる装置を偶然入手する。
光波耀子(1924-2008)黄金珊瑚(1961)治安維持局に奇妙な事件が持ち込まれる。高校の実験室で作られたケミカルガーデンで、黄金に輝く珊瑚状の物体が生まれたというのだ。
津原泰水(1964-)ちまみれ家族(2002)その家族は生理的に出血しやすく、家中が血と血痕にまみれていた。
中原涼(1957-2013)笑う宇宙(1980)宇宙船に乗り組む家族たちは、しかし旅の目的からお互いの関係まですべてを疑い合い、何が真実かを言い争っている。
森岡浩之(1962-)A Boy Meets A Girl(1999)羽根を広げ恒星間を渡っていく少年は、星間物質を食べながら成長していく。やがて、別の恒星系に住む少女の存在を知る。
谷口裕貴(1971-)貂の女伯爵、万年城を攻略す(2006)遠い未来、知能化された動物の奴隷となった人間たちは、亀と戦う最終決戦で状況を逆転させるため一計を案じる。
石黒達昌(1961-)雪女(2000)戦前の北海道で発見された少女は、極端な低体温症だった。その正体を探るべく、一人の軍医は詳細な調査を進める。
[恋愛篇]中井紀夫は、文字通りの内容で先行作品としても読ませる。扇智史や短編集の少ない新城カズマは、確かに本でまとめるべきだろう。[怪奇篇]では田中哲弥、岡崎弘明や谷口裕貴、故人となった光波耀子、中原涼らの再評価が望まれる。
現役で活躍中の作家も何人か含まれ、趣旨に反するように思えるが、あえて選ばれた理由はそれぞれの作品のまえがきに明記されている。長いまえがきが入っているのは、本書のもう一つの特徴である。評者の世代では、解説に作者の経歴と書誌の情報を記すことが当たり前だった。それを手がかりに次の作品を探せるからだ。今は確かにネットで何でも分かるし、情報部分のまったくない解説も多い。しかし、それで持続的な読書意欲が高まるかどうかは別だろう。次につながるように意図的に並べられた情報と、ネットにある不規則・羅列(でたらめ)では印象が大きく異なる。読者だけでなく、編集者宛の売り込みメッセージがあるのも、伴名練の尋常ではない熱意が感じられて面白い。