日本人にとって、ほぼ未知の国といえるイスラエルで書かれたSFの傑作選。ユダヤ系アメリカ人なら、SF関係でも著名人が多数いる。序文を書いたシルヴァーバーグをはじめ、アイザック・アシモフ、アルフレッド・ベスター、ハーラン・エリスン、ロバート・シェクリイらがそうだし、ヒューゴー賞で知られるアメリカSFの創始者ヒューゴー・ガーンズバックもユダヤ系だ。
それなら、戦後に建てられた新興国イスラエルはどうだろう。中東の紛争地にある強権軍事国家で、男女共に兵役があり、隠れた核保有国らしいなど、非文化的なイメージしか伝わってこない。しかし、それは一面に過ぎるのだ。本書はアメリカで出版された英訳版の傑作選である(国語であるヘブライ語が多いが、ロシア移民の多くが使うロシア語、海外での英語発表作を含む)。ケン・リュウが中国SFを英訳して紹介したスタイルと同じといえる。
ラヴィ・ティドハー(1976-)「オレンジ畑の香り」(2011)かつてオレンジ畑だった宇宙港の見える旧市街で、主人公は中国移民だった父親や先祖の記憶を反芻する。
ガイル・ハエヴェン(1959-)「スロー族」(1999)成長が遅いことを特徴とするスロー族の保護区が廃止されることになった。その研究をテーマとしてきた主人公はうろたえる。
ケレン・ランズマン「アレキサンドリアを焼く」(2015)出現した異形の施設を、主人公たちはエイリアンの侵略とみなし破壊しようとしている。しかし姿をみせたのは人間で、ここは時間を超えた図書館なのだという。
ガイ・ハソン(1971-)「完璧な娘」(2005)アカデミーに新入生が入学する。厳しいカリキュラムがあり、6人のうち卒業まで残れるのは1人のみ。ここには、他人の心が読める生徒だけが集められるのだ。
ナヴァ・セメル(1954-2017)「星々の狩人」(2009)地上から星々の輝く夜空が失われる。主人公は夜が真っ暗になった後の世代で、かつての宇宙の写真を見て想像するだけだ。
ニル・ヤニヴ「信心者たち」(2007)神が出現したあと、戒律に反した人々は苛烈な罰を受けるようになった。主人公はそこから逃れ出ようあがき、不信心者たちと画策する。
エヤル・テレル(1968-)「可能性世界」(2003)ある作家が占い師のところにやってくる。自分が忌避した戦争にもし従軍していたら、どうなったかを占ってもらおうというのだ。
ロテム・バルヒン「鏡」(2007)友人の猫が死ぬ。どちらといえない事故の責任をなじる友人が煩わしく、主人公はもう一人の自分と入れ替わる。
モルデハイ・サソン(1953-2012)「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」(1984)エルサレムの古い保存地区を、知能化したネズミたちが占拠する。やがて、ネズミは主人公の祖母の家に現われ、ロボットを巻き込んで争いが始まる。
サヴィヨン・リーブレヒト(1948-)「夜の似合う場所」(2002)破滅が訪れてほとんどの人々は死んでしまう。局地的なものではなく、救助される兆しはない。親子でも夫婦でもない何人かは、辛うじて生活を維持していた。
エレナ・ゴメル「エルサレムの死神」(2017)主人公は奇妙な男と付き合うようになる。中東の熱気にさらされていない、体の冷たさが魅力だった。やがて男は自分の正体を明かすが。
ペサハ(パヴェル)・エマヌエル(1944-)「白いカーテン」(2007)妻を亡くした主人公が、一人の友人を訪ねる。友人は分岐した世界を継合する術をもっているからだ。
ヤエル・フルマン(1973-)「男の夢」(2006)男が誰かを夢に見ると、夢見られた女は強制的に部屋に引き寄せられる。たとえ起きて仕事中、運転中であったとしても。
グル・ショムロン「二分早く」(2003)立体ジグソーパズルを組み上げる世界パズル選手権に、少年たち3人組が挑戦する。しかし梱包されたパズルの箱は、ルールより二分早く届いてしまう。
ニタイ・ペレツ(1974-)「ろくでもない秋」(2005)サッカーの試合を見ていた主人公は、恋人から急に別れ話を切り出され動揺する。そのまま出勤もせず、銃砲店で拳銃を入手する。
シモン・アダフ(1972-)「立ち去らなくては」(2008)父親を亡くした母と、その子ども姉弟が叔母の家に住むことになった。そこには男の名前が書かれた箱がたくさんあり、さまざまなものが詰まっている。
編者による詳細な「イスラエルSFの歴史について」によると、イスラエルにおけるSFは、戦争に明け暮れた1970年代以前(第4次中東戦争が終わるまで)には、翻訳を含めてほとんど存在しなかった。社会的風潮として、存在が許されなかったのだ。
しかし、70年代半ばから翻訳SFが大量に紹介されはじめ、初のSF雑誌ファンタジア2000(1978-84)が誕生し、90年代にはファンダムが生まれた。イスラエルの人口は、2020年発表値でも900万人ほどしかない。読者が少なくマイナーな環境では、固定ファンの存在は大きな助けになる。収録作の発表年を見ても分かるが、作品の大半は21世紀になってから書かれたものだ。ヘブライ語のオリジナルSFの書き手が現われるには、それだけの時間が必要だったのである(SF先進国のソビエト/ロシア系移民作家は、ロシア語で書いた)。
現在のイスラエルは、軍事・民生にかかわらずハイテク国家だ。過去から欧米メーカの開発拠点や研究所があったし、今では自前のベンチャー企業が増えてきた。中国でもそうだが、科学技術の広がりとSFの一般化とは相性が良い。加えて、イスラエルの背景には、ホロコーストの巨大な影がある。既に実体験者は減っているものの、その復活を予見・警戒する(宗教的なものを含む)ディストピアもの、黙示録的な終末もの、歴史改変ものを受け入れる素地があるという。本書の中短編でストレートにテーマが見えるものは少ないが、「夜の似合う場所」やテッド・チャン的な「信心者たち」などに特有の雰囲気がうかがえる。一方、「エルサレムの死神」「ろくでもない秋」「立ち去らなくては」は現代的なアーバンファンタジーであり、背景を知らなくても楽しめるだろう。