エドゥアルド・ヴェルキン『サハリン島』河出書房新社

Остров Сахалин,2018(北川和美・毛利公美訳)
装画:杉野ギーノス
装丁:森敬太(合同会社 飛ぶ教室)

 エドゥアルド・ヴェルキンは1975年生まれのロシア作家。YA向けのSFを書いてきたが、本書で初めて一般読者向けSFを書いた。2019年のストルガツキー賞を受賞。サハリンとは樺太のこと。本書の設定では、復活した大日本帝国の領土となっている。ロシアの文豪チェーホフは、ロシア帝国末期の1893年に同じ題名の『サハリン島』(旅行記ではなく多分に政治的なルポルタージュ)を書いた。本書ではそういった過酷な流刑地だった過去と、作者自身が訪れた現在のサハリン、核戦争後の異様なサハリンが混淆しているのだ。

 北朝鮮の核攻撃を契機に全面核戦争が勃発、アメリカや中国、ロシアは崩壊し、さらに生き残った人々をゾンビ化させる、謎の疫病MOBが蔓延する。日本では自衛隊のクーデターで大日本帝国が復活、鎖国政策により押し寄せる難民を強制的に排除する。物語は東京帝国大学で応用未来学を専攻する主人公が、イトゥルプ島(択捉島)やサハリン島でフィールドワークを行うため、島に上陸する場面から始まる。島には難民の収容所、居住地があり、また日本人流刑囚を収監する刑務所が点在しているのだ。

 主人公はロシアの血を引く美少女、二丁拳銃で撃ちまくる。案内役のタフな銛族(銛を自在に操る)の青年と共に、列車やバギー、ボート、徒歩など移動手段を換えながらサハリン各地を転々とする。サハリンは北海道と同じくらいの広大な島で、交通手段や治安が乱れた状況での移動は極めて困難なのだ。

 と書くとラノベなのだが、ロシアSFはそうそう生易しいものではない。ロシア時代の地名がそのまま残る帝国領は異形の世界だ。本土に入れない中国人難民や、ロシア人、コリアンが溢れている。人の命には価値はなく、無造作に殺され死体は発電所の焚きつけになる。アメリカ人はというと人種を問わず「ニグロ」と呼ばれ、檻に吊されて石打ちの刑に処せられる。海は放射能で汚染されている。支配階級であるはずの日本人も、サハリンではどこか精神に異常をきたすのだ。

 著者は本書と関連ある作品として『宇宙戦争』『トリフィド時代』「少年と犬」『渚にて』「風の谷のナウシカ」などを挙げている。他にもヘンリー・カットナーの〈ホグベン一家〉もの(日本では単行本にまとまっていない)や芥川龍之介の影響を受けたという。そこにソローキンやエリザーロフ(下記リンク参照)の、エスカレーションする凄惨さを加えたカオスが本書になる。日本の読者からすれば、(アンモラルな)差別的描写はフィクションの一要素と割り切り、政治性を排した異世界ものとして解釈すべきだろう。エピローグはちょっと蛇足ぎみでは。