1978年生まれの韓国SF作家ペ・ミョンフンの代表作。2009年に書かれ、長らく絶版状態だったが2020年に全面改訂版が出た。本書はその最新版を底本としている。674階建て(高さは2キロを超え、各フロアも数百メートル幅)の超高層ビルであり国家でもある「ビーンスターク」(「ジャックと豆の木」に出てくる天に届く豆の木)を舞台とした連作短編集である。
東方の三博士――犬入りバージョン:タワーは階層社会である。縦方向は輸送力の限られるエレベータしか移動手段がないからだ。そこでの権力構造を明らかにするため、研究所の3人の博士がある方法で社会実験を行う。
自然礼賛:作家Kは政治批判をやめ、自然礼賛ばかりを主張するようになる。だが、作家はタワーの外に出たことがない。あるとき、遠隔ロボット付きのリゾートという奇妙な贈り物をもらう。
タクラマカン配達事故:ビーンスタークの市民になるため、民間警備(軍事)会社のパイロットとなった元恋人が砂漠で行方不明になる。政府は関与を否定し捜索に乗り気ではない。どうすれば広大な砂漠で墜落機を見つけ出せるのか。
エレベーター機動演習:交通公務員は、あり得ない想定の演習で無理難題の解決に苦しんでいた。エレベータを制御して、いかに短時間で軍隊を目的地に展開するかを訓練するのだ。しかし、演習中に爆弾テロ事件が発生したことで事態は大きく変わってしまう。
広場の阿弥陀仏:タワーの騎馬隊に入隊した義兄は、なぜか象の担当にされてしまう。象を使ってデモ隊の鎮圧に乗り出すのだという。騙されているんじゃないの、と義妹は心配するが。
シャリーアにかなうもの:情報局は不穏な情報を察知する。テロ組織がタワーを狙ってICBMを打ち込もうとしているらしい。ビーンスタークはその組織に対し死傷者を伴う攻撃を仕掛けてきたから、報復される危険性はあった。
付録
作家Kの「熊神の午後」より:「自然礼賛」に出てくる作家Kが書いた作中作。温暖化する氷原に棲む白熊の困惑を描く。
カフェ・ビーンス・トーキング:タワーでは口コミが大衆を誘導する。水平派の動向を探るため、520階のカフェに潜入した研究員の話。
内面表出演技にたけた俳優Pのいかれたインタビュー:人間のタレントより多く稼ぐ犬の俳優が、その成功の秘訣を語るインタビュー記事。
タワーがどこにあるのかは書かれていない。50万人の人口があり、厳格な入管と軍隊組織の警備室を備えた事実上の都市国家である。現代社会のデフォルメでもあり、直截的な政治批判はあまり感じないが、もちろん無関係ではない。
今はだいぶ廃れたとはいえ、東アジアに旧来からある贈答文化は、良くいえばコミュニケーションツール悪くいえば賄賂=収賄の温床である(「東方の三博士」)。タワーは法の支配で成り立つが、法を厳密に適用すれば誰でも検挙されうる。執行は恣意的なのだ(「自然礼賛」)。タワー社会にはエレベータを支配する垂直派と、各階の水平方向を支配する水平派がいる。垂直派はインフラを持っていて強力だが人数的には少数だ。そこに対立の芽が生じる(「エレベーター機動演習」「カフェ・ビーンス・トーキング」)。こういう、文化や社会(政治的な)パワーゲームに対する批評も大きなファクターとして入っている。政治への関心が薄い日本では見当たらないタイプのSFだろう。風刺/諧謔/アイロニーのバランスが良く、重すぎず軽すぎず軽快に読めて楽しめる。
- 『最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集』評者のレビュー