前作『四畳半タイムマシン・ブルース』から4年ぶりの長編である。中央公論新社の小説BOC(現在は文芸Webサイトとなっている)で、2016年から18年にかけて不定期に連載された作品を全面改稿したもの。一見シャーロック・ホームズもののパスティーシュのようで(もちろんそういう面もあるが)、本書のテーマは「スランプ」である。
僕の小説は「京都を書いている」のではなく、「京都というお皿に、自分の妄想を載せている」ということかもしれませんね。自分の妄想を「京都」に載せると、なんか様(さま)になる、と気づいただけであって、実際の京都とは距離があるんです。微妙なところですが、読者の皆さんにもぜひわかっていただきたい
2050MAGAZINEによるインタビュー記事より
ホームズは深刻なスランプに陥っていた。あれほど完ぺきだった推理力がすっかり衰え、簡単な事件の解決もままならない。「ストランド・マガジン」に連載していたワトソンのホームズ譚も休止となった。スランプの原因を探るうちに同じ下宿の住人、物理学者のモリアーティ教授を尾行することになるが。
舞台はヴィクトリア朝京都である。ホームズの下宿は寺町通221Bにあり、ワトソンは下鴨神社の近くにメアリと住んでいる。地名も神社仏閣も実在の京都と同じなのに、そこにロンドンを舞台としたフィクションが重なり合う。アイリーン・アドラーやハドソン夫人ら《シャーロック・ホームズ》の登場人物たちが、京都で生活しているのだ。まるでミエヴィルの『都市と都市』である。
しかし、昔の翻案(原典のプロットだけを生かし、主人公や舞台を日本に改変した2次創作のような翻訳)などとは違って、本書に京都人(日本人)は出てこない。著者の言う「京都というお皿」(入れ物、背景)に、異国の料理(虚構)を盛ったのである。これによってホームズの世界(19世紀ロンドン)が、森見登美彦の世界(近世の京都)に違和感なく融合している。
作家にスランプはつきものだ。著者も過去に大スランプに墜ち込み、すべての連載を投げ出し沈黙したことがある。スランプに苦しむ本書のホームズには、その体験が(脚色されながらも)反映されているのだろう。上記リンク先の『熱帯』(2018)は本書(の原型)と同時期に書かれたもので、第6回高校生直木賞を受賞した作品。これにもスランプが描かれていたが、中高生読者の共感を得た。
物語は後半、洛西にあるマスグレーヴ家で起こる心霊現象のような変異を起点に大きく動いていく。謎解きはホームズものほど明快ではないが、テーマに則した結末といえるだろう。『熱帯』の複雑な構造を語り直した、より虚構のモデルが分かりやすいバージョンともみなせる。コナン・ドイルと同じ登場人物を配しても「ぐーたらなホームズ」たちには独特の暖かみがある。本書はやはり森見流の京都(お皿)小説なのだ。
なお、本書のホームズ(固有名詞の表記など)は、東京創元社から出ている深町眞理子訳の新訳版に依っている。
- 『四畳半タイムマシン・ブルース』評者のレビュー