おもちゃがあふれる書斎、永遠の子ども レイ・ブラッドベリ

 今回のシミルボン転載コラムはブラッドベリです。アメリカではもはや国民作家、日本でもSFが一般化する前から紹介され(SFマガジン創刊以前、江戸川乱歩編集の旧宝石誌に翻訳されました)、新刊(新訳や新版)が途切れないロングセラーの作家ですね。最近では『猫のパジャマ』が新装版となって再刊されました。

 ブラッドベリは2012年、誕生日の2か月前に91歳で亡くなった。同世代である英米SF第1世代の作家たち、アイザック・アシモフ(1920~92)、アーサー・C・クラーク(1917~2008)、ロバート・A・ハインライン(1907~88)、親友だったフォレスト・J・アッカーマン(1916~2008)らが次々と世を去る中で、脳梗塞を患うなど苦しみながらも最後まで文筆活動を続けた。ブラッドベリは、2004年にナショナル・メダル・オブ・アーツ(米国政府が選定する文化功労賞、大統領から直接授与される)を得たアメリカの国民作家でもある。

 サム・ウェラーによる伝記『ブラッドベリ年代記』(2005)に詳しいが、レイ・ブラッドベリはアメリカの典型的な田舎町である、シカゴにほど近いイリノイ州ウォーキガンに生まれる。この街こそ、無数の作品の原風景/メタファーを育んだところだ(墓地、おおきな湖、怪しい魔術師、ただ広い平原、巡回するカーニバル、屋台のアイスクリーム)。大恐慌下、定職が得られなかったブラッドベリ家は貧く、一家は仕事を求めてアリゾナ、そしてロサンゼルスへ転々とする。ハイスクールに入ると本格的な創作意欲に駆られ、週に1作の短編を書くようになる。これは生涯の日課になった。大学には行かず、図書館を情報インプットの場に使う一方、街頭で新聞を売って生計を立てた。アッカーマンらSFファンたちの仲間にも恵まれ、最初の短編がパルプ雑誌に売れたのが1941年、一般誌にも載るようになる。ラジオドラマ向けの台本も書いた。

 1950年『火星年代記』、翌年『刺青の男』が出ると、多くの読者からの注目を浴びる。1953年、当時の赤狩りと検閲を批判した『華氏451度』を出版、これは30年間に450万部が売れるロングセラーに成長する。そのころ、敬愛する監督ジョン・ヒューストンから映画『白鯨』の脚本執筆依頼を受ける(92年に書かれた自伝的長編『緑の影、白い鯨』に詳しい)。ブラッドベリのイメージを決定づけたホラーテイストのファンタジイ『10月はたそがれの国』が55年、『たんぽぽのお酒』が57年、ロッド・サーリングに反感を抱きながらも有名なTVシリーズ《トワイライト・ゾーン》の脚本に協力、62年にはニューヨーク万博(1964-65)アメリカ館のプログラム脚本作成と、その地位を確立していく。

 この『火星年代記』『華氏451度』が代表作とされる。ブラッドベリが本書を書いた当時、もう火星に運河があり火星人がいると信じる人は少なかった。ここに描き出された火星は、ブラッドベリが育ったアメリカ中西部のメタファー、幻想的な再現でもある。本書は1997年に著者自ら改訂した新版。

 『刺青の男』は全身を刺青で埋めた男が語る、刺青一つ一つにまつわる物語。「草原」「万華鏡」などを含む、SFテイストが強い初期の傑作短編集である。なお、現行本で新装版とあるものは(一部の修正を除けば)翻訳は昔からのバージョンと同じもの、新訳版は翻訳者も変わった文字通りの新版になる。

 『華氏451度』は文字で書かれた書物が一切禁止され、ファイアマン(本来なら消防士)の職務が本を燃やすことになったディストピア世界を描く。1966年フランソワ・トリュフォー監督によって映画化もされた作品。ブラッドベリの作品は何度も映画化されているが、この作品は時代を越えて残っている。

 初期作では『メランコリイの妙薬』もある。本書は1950年代末期に出た代表的な短編集。有名な作品「イカルス・モンゴルフィエ・ライト」や「すべての夏をこの一日に」などが含まれている。

 もっと新しいものとしてなら『瞬きよりも速く』が、1990年代の作品を収めた作品集だ。後期のブラッドベリは作風こそ円熟するが、書いた内容自体は初期から育んできたテーマを踏襲している。上記作品と読み比べれば、その変化を楽しむことができる。

 他でも、ブラッドベリを敬愛する萩尾望都によるコミック集『ウは宇宙船のウ』は、同題の原作短編集(創元SF文庫)にとらわれず「みずうみ」「ぼくの地下室においで」など8作品をえらび、忠実にコミック化したものだ。

 こうして改めてブラッドベリの生涯を振りかえってみると、30歳代半ばで映画『白鯨』(1956)の脚本を書くなど、早い時期からジャンルSF以外で大きな実績を上げていたことが分かる。それで直ちに裕福になれたわけではないが、安い原稿料に苦しんでいたSF専業作家たちとは一線を画していた。ラジオ、映画、万博、演劇と手がけるありさまは、マスメディアが急拡大した戦後の日本で、小松左京や筒井康隆らが体験したことを先取りしているかのようだ。著作はアメリカの青少年に広く読まれ、後の宇宙開発、コミックや映画など文化創造を促すきっかけになった。

 インタビュー集『ブラッドベリ、自作を語る』(2010)のなかで、ブラッドベリは、生まれた瞬間を覚えている! 3、5歳で見た映画の鮮明な記憶がある、サーカスの魔術師との出会いは忘れない、などとなかば真剣に語っている。

 映画全盛期のハリウッドで、スターたちを追いかけた少年時代。特定の信仰は持たず、あらゆる宗教に興味をいだいた。マッカーシズムやベトナム戦争に反対し、政治家に肩入れしたこともある。ただ、保守派のレーガンを支持するなど、固定的な政治信条は持たない。結婚は1度きり、2度の浮気体験もある、しかし即物的なセックスを好むわけではない。深く考えるより、まず行動してから考える。未来の予言者と言われるが、自分の書くSFほど非科学的なものはない。62歳まで飛行機に乗らず、車も運転しない。もちろんPCは持っておらず、脳卒中で倒れてからは、遠方の娘との電話での口述筆記に頼る。

 SF作家の部屋は、一般の作家と特に変わらない場合が多い。資料関係の本や、関係する文芸書の種類くらいの違いで、内容に意味はあっても見た目に大差はない。しかしブラッドベリは違う。部屋にさまざまなおもちゃが溢れているのだ。ティラノサウルスや、ノーチラス号、得体のしれない怪物やファンタスティックな絵画などなど。大人になっても、おもちゃ屋に強く惹かれ、おもちゃのプレゼントが最高だという。誰の心の奥底にも生き続ける、子供の心を表現する根源的な作家。まさにその点で、ブラッドベリは世界の人々から愛されたのだ。

(シミルボンに2017年2月20日掲載)

 アメリカの第1世代作家となると、日本の第1世代よりさらに10~20年遡ることになります。生きていれば100歳超ですが、さすがにもはや歴史となっています。そんな中で、今でも親しまれている作家は数少ない。ブラッドベリは稀有な存在と言えますね。