カリベユウキ『マイ・ゴーストリー・フレンド』早川書房

装幀:坂野公一(welle design)
写真:(C)Adobe Stock

 第12回ハヤカワSFコンテストの優秀賞受賞作。この回では、カスガ(大賞)、犬怪寅日子(大賞)、カリベユウキと3人の受賞者が出たことになる。著者は1971年生まれ、10年ほど前の文学フリマ出品リストに名前が見つかるが、プロ出版はこれが初めてのようだ。最終候補に残った6人の中で、唯一の(他ジャンルを含むプロ経験のない)アマチュア作家である。

 主人公は売れない女優、紹介を受けた怪しい仕事を受けざるを得ない立場にあった。それは、都内の巨大団地にまつわる怪奇現象を追うドキュメンタリーで、スタッフがレポーターと学生バイトのカメラマンだけというチープな陣容だった。だが、用意された団地の部屋に泊まり聞き込みを始めると、奇妙な人物が次々と現れてくる。楽器で殴られた老人、激情に襲われる管理人、男を棒で叩きのめす女、望遠鏡でこちらを観察するウェイトレス、屋上で踊る女子高生たち。

 物語は都市伝説(人が消える団地)、怪談風に始まる。そこに不条理ホラー要素が加わり、伝奇小説の彩りが添えられ、最後はSFになって終幕する。背景にある「ギリシャ神話」との暗合が、徐々に明らかになっていく展開だ。どちらかといえば、下記リンクにある上條一輝や西式豊のジャンル・ミックス小説を思わせる。アガサ賞ならともかく、これまでのハヤカワSFコンテスト中ではかなりの異色作である。

 選考委員の評価(抜粋)は以下の通り。東浩紀:日常ホラーとして始まりつつ、徐々に話が大きくなり壮大な世界観につながる。(略)いささか中途半端な印象も残すが、複数ジャンルを横断しようとした意欲は評価したい。小川一水:(略)怪物が遠近にちらつき、次第に近づいてくる描写が秀逸だった。(略)神話のエピソードに則った儀式的な行動で怪異を鎮める流れが、コズミックホラーとして面白い。神林長平:現実的な導入部から、すっと異世界の存在が身近になる書き方がいい。だがラスト(略)が、ほとんど夢落ちに等しく不満だった。菅浩江:前半はホラーで描写に凄みがあります。(略)後半はアクション主体で一気に安っぽくなっています。(略)70年代の新書ノベルのように、とにかく活力で引きこまれる作品。塩澤快浩:安定感のある語りとシュアな描写が素晴らしい。(略)小泉八雲まわりのプロットが弱い点だけが惜しかった。

 さて、本作品はSFに収束する。ただ、述べられる理屈は科学的というより(コズミックホラーという評言もあったが)オカルトに近いものだろう。これはこれで面白みがあるものの、最近のSFではあまり見かけない大胆なスタイルと言える。

R・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史(上下)』東京創元社

Babel Or the Necessity of Violence: An Arcane History of the Oxford Translators’Revolution,2022(古沢嘉通訳)

装画:影山徹
装丁:岩郷重力+W.I

 著者は1996年に中国で生まれたアメリカ作家。中国研究や東アジア言語学のエキスパートだが、本書には、英国のケンブリッジやオックスフォード(ユニヴァーシティ・カレッジ)で修士号を得た際の経験が加味されている(学士はジョージタウン大学、博士号はイェール大学)。余計な忖度でヒューゴー賞は逃したものの、2023年のネビュラ賞ローカス賞を受賞、他にもブリティッシュ・ブック・アワードや中国の第15回華語科幻星雲賞を受賞、ニューヨークタイムズ・ベストセラー・リストに挙がるなど、幅広い支持を集めた作品だ。翻訳も刊行後忽ち重版と好評。

 1829年、清朝末期の広東の下町で、母を喪った身寄りのない少年のもとに教授が訪れ、英国本土に連れ出そうとする。慈善などではない。それには功利的な意図があった。オックスフォードに設けられた王立翻訳研究所のためなのだった。

 翻訳研究所は、オックスフォード(大学は町中に点在する複数のカレッジ=コレッジの集合体)のバベルと呼ばれる8階建ての塔にある(実在はしない)。19世紀の大英帝国は、銀の力により覇権を唱えていた。銀の棒はパワーの源だった。取り付ければ船足が上がり砲弾の飛距離を増す。棒には2種類の文字が刻み込み込まれる。この2つ(ひとつは原語、もうひとつはそれを翻訳した英語)の差異の大きさによって棒のパワーが決まる。つまり大きく異なる言語、中国語の遣い手には価値があった。翻訳研究所は有力な文字の組み合わせを研究開発する。さまざまな言語の翻訳に関する蘊蓄が一つの読みどころとなる。

 少年は名前を英語名のロビンと改め、厳しい語学の勉強を経てオックスフォードに入学する。同期にはインド人男性、ハイチ出身の黒人女性、学びを疎んじられた白人女性がいた。この目的がなければありえない仲間だった(白人男性以外は、学問に適さないとみなされていた)。研究に従事する限り十分な生活が保障される。しかし、この研究所の真の意味が分かるようになったとき、4人の運命は大きく変わっていく。

 解説にもあるが、本書は《ハリー・ポッター》風の魔法学園ものでもある。はじめ打ち解けなかった4人の仲間が、友情を深め力を合わせる展開は既存の学園ファンタジイを思わせる。やがて、出自に伴う差別や偏見が生まれ、学園にまつわる暗黒面、教授たちの政治的な策謀が明らかになっていく。ここで《ハリー・ポッター》などと異なるのが、リアルな英国を舞台に設定したことだろう。

 この時代の大英帝国は、まさに「悪の帝国」だった。銀の棒は蒸気による産業革命のアナロジーである。そこで生まれた生産性は善に結びつかず、極端な貧富の差と富者の強欲を産み出した。麻薬流通の自由化を名目に戦争を仕掛けたアヘン戦争(1840~42)、飢餓のアイルランド(当時は英国領)にろくな援助もせず人口を半減させた大飢饉(1845~49)、何より生産革命で生じた自国の余剰労働者(女性や子どもを含む)を過酷な仕事に従事させ、マルクスが『資本論』(イギリスの工場労働者の状況を詳しく分析)を書く動機となったことなど、世界紛争の火種が19世紀英国にはある。そういうダークな背景は、本書の物語に深い陰影与えている。作者が付ける原註が、客観的というよりかなり主観的なのも、著者の考えが分かって面白い。

A・J・ライアン『レッドリバー・セブン:ワン・ミッション』早川書房

Red River Seven,2023(古沢嘉通訳)

カバービジュアル+デザイン:岩郷重力+M.U

 著者は1970年生まれの英国作家。10年ほど前にアンソニー・ライアン名義で『ブラッド・ソング』(3部作の第1部)が紹介されている。著作の大半はファンタジイだが、その執筆の合間にあえてペンネームを変えて出したSF長編が本書。

 ふと目覚めると、主人公たちは船の上にいる。しかし断片的な記憶はあるものの、自分の名前すら思い出せない。剃られた頭には覚えのない手術痕があり、そして、デッキには死亡後間もない死体がある。ここは一体どこなのか。

 レッドリバーとは文字通りの赤い川のこと。セブンとは主人公たち7人を指し、なぜか著名な作家名(ハクスリー、コンラッド、ジーン・リース、ゴールディング、シルヴィア・プラス、ディキンスン、ピンチョン)がコードネームのように割り当てられている(作家名と登場人物の役割には、深い関係はないようだ)。男女7人(冒頭で1人は亡くなっている)が、一つの使命を担って赤い川を遡っていく物語なのだ。

 一見デスゲームを思わせる滑り出しで、帯にはサバイバル×ディストピアとあり、両方の要素は確かにあるが、どちらともちょっと異なる展開になる。『最後の宇宙飛行士』や、《サザーン・リーチ》に近いお話だろう。得体の知れない異形の世界を、限られた情報だけを頼りに手探りで進んでいくところが似ている。しかも、この謎のチームには(終幕であきらかになる)重大なミッションが与えられている。2023年に読んだ中では一番と訳者が推奨する、一気読みエンタメ作品である。

マンガ 森泉岳士/原作 スタニスワフ・レム『ソラリス(上下)』早川書房

SOLARIS,1961(森泉岳士 マンガ、スタニスワフ・レム 原作、沼野充義 監修)

扉デザイン:鈴木成一デザイン室

 森泉岳士によってハヤコミに連載され(現在、冒頭の3話までは無料で読める)、ハヤカワコミックスから刊行されたマンガ版『ソラリス』である。底本はハヤカワ文庫SFに入っている同題のポーランド語版による。

 惑星ソラリスにある観測ステーションに心理学者のケルヴィンが到着する。しかし、内部は装備が散乱する状態で、先任の科学者たちは姿を見せない。ここでは一体何が起こっているのか。やがて、ケルヴィンの前に一人の女性が現れる。それは19歳で自殺したかつての恋人ハリーだった(この物語の詳細については下記コラムを参照)。

 原著発表から64年、初翻訳(ロシア語からの重訳)が出てから60年を経て、いまだにオールタイムベストの1位に選ばれる傑作である。タルコフスキーによる映像化も有名で(その解釈についてレムは不満だったようだが)これを越えるのは困難と思われてきた。森泉岳士は、ビジュアルを意識しないレムの描写を絵にするには、漫画家なりの読解力が必要だとインタビューで述べている。丁寧な読み込みの結果、ソラリスの海で起こる現象が、オリジナルの絵として細密に表現された。映画では表面的な「ソラリス学」の部分も省略されておらず、この出来ならレムも納得するだろう。

 一番印象に残ったのは、「残酷な奇跡の時代はまだ過ぎ去ったわけではない」という巻末の有名なフレーズが、本書では違った意味に感じられたことだ。小説版の持つ「人類の叡智」のようなニュアンスが薄れ、もっと個人の感性に近い感慨のように読めた。

デュナ『カウンターウェイト』早川書房

평형추,2021(吉良佳奈江訳)

カバーイラスト:Rey.Hori
カバーデザイン:岩郷重力+S.I

 著者は1994年から活動を続ける韓国の作家、映画評論家。顔や経歴などを一切出さない覆面作家でもある。これまで短編の翻訳はあったが、本書は長編初紹介となる(最初から文庫SFで出る韓国作家としても初)。軌道エレベータを巡る巨大企業内の暗闘を描きながら、200ページ余(400枚)とコンパクトにまとまった作品だ。

 インドネシアに近い島国パトゥサンに、韓国のLKグループが軌道エレベータを建設する。主人公はグループ会社の対外業務部長だが、実際の仕事は事業の妨げとなる人物を排除する汚れ仕事だった。先住民のパトゥサン解放戦線が活動しているのだ。そんな中、目立たない経歴の一人の新入社員が気になる動きをする。

 カウンターウェイトとは、軌道エレベータの(地上側とは)反対に置かれたバランス錘のこと。エレベータ側のワイヤ重量を支えるため、それなりの質量を要する。本書では文字通りの意味と、暗喩が込められている。主役は実は軌道エレベータではなく(という点では、十三不塔『ラブ・アセンション』と同じ)、それを取り巻くLKグループのキーマンたちなのである。

 対外業務部は、同じ荒事が仕事の保安部と仲が悪い。逆に社外のセキュリティ会社とは相互依存の関係にある。そこに現会長や社長、研究所所長、故人となった会長やその娘が絡み、やがて過去の事件の真相が明らかになっていく。この時代(150年後?)では、社員は〈ワーム〉と呼ばれるナノボットを脳内に保持していて、業務の補助とセキュリティ保持に使っている(会社に操られている)。創業者一族の権力が強い韓国の財閥でのパワーゲームと、こういうガジェットの組み合わせが面白い。ソフトさが特徴だった既訳の韓国SFとはひと味違う、韓流エンタメドラマの雰囲気がある。