
カバーイラスト:八木宇気
カバーデザイン:岩郷重力+S.K
エドワード・ブライアントを知る人は少ないだろう。もともと(競作の《ワイルドカード》を除けば)短編が中心の作家だったので、日本では雑誌やアンソロジーでの断片的な紹介が多く、単著翻訳は本書が初めてとなるからだ。ディッシュによって勝手にLDG(レイバー・デイ・グループ。マーチン、ヴァーリイ、ビショップ、マッキンタイヤら、SF大会で群れるエンタメ志向の作家たちを揶揄した言葉)に分類されたあげく、辛辣な評価を受けたことで話題を呼んだりもした。《シナバー》は架空の都市を舞台とする連作短編集である。いわゆる「名のみ高い幻の本」の一つで、半世紀を経て翻訳が出るとはまったく思われていなかった。
シナバーへの道(1971)砂漠を越えて1人の流れ者がシナバーの外れにあるバーにやってくる。そこで奇妙な撮影クルーを連れたTVディレクターと出会う。
ジェイド・ブルー(1971)時間編集機械を開発中の発明家と、乳母を勤めるキャットマザーが会話し、いつ戻るのか分からない研究者両親の帰りを待つ。
灰白色の問題(1972)セックススターは、パーティの席で関係を持とうとする男たちと、とりとめのない駆け引きを続ける。
クーガー・ルー・ランディスの伝説(1973)庭師が死んで、警察署長は記憶を失う。その事件には3人の夫を持つひとりの女が関係していた。
ヘイズとヘテロ型女性(1974)タイム・トローリング装置がタイムトラベラーを捕まえる。それは少年でデンバーから来たと言うのだが、時間旅行のことは何も知らない。
何年ものちに(1976)かつて役者だった父親も今は老いている。そして、毎日妻を相手にさまざまな行為を試しているが。
シャーキング・ダウン(1975)海洋科学者が海底で作業中、ありえないほど巨大なサメに殺されそうになる。そのサメの正体とは。
ブレイン・ターミナル(1975)終末に向かうピクニックが試みられる。目的地は町の中心だったが、どのルートを通っても近づけない。コンピュータが妨害しているのか。
いつともしれない未来(数十年のようでも数万年のようでもある)、シナバーは海に面した孤立都市で、隣接する町とは砂漠に隔てられ交流もない。町の中心部と周辺では、時間の経過速度が違っているらしい。奴隷以下のシミュラクラたち、そしてまた、ネットワークのセックススター、キャットマザー、問題を抱える番組ディレクター、好事家の科学者、時代錯誤のネオ・クリーリストと頽廃的な人物たちが登場する。政府はなく、町をコントロールするコンピュータがその代わりを務めている。
全部で8つの中短編から成る。バラードの《ヴァーミリオン・サンズ》(1971年刊、9編を収録)にインスパイアされていて、確かにあの砂漠の架空リゾートをイメージさせる設定にはなっている。ただ、ヴァーミリオン・サンズと比べると、シナバーの世界は人物の奥行きが浅いという印象だ。「ヘイズとヘテロ型女性」とか「シャーキング・ダウン」など楽しい作品はあるものの、「コーラルDの雲の彫刻師」のような際立った作品がない。逆にバラードになかった「何年ものちに」などのホラー/スプラッタ的な要素が本書の方にはある。
冒頭にタオイズムからの引用があり、人々はフリーセックス、ヴァーリイ的なカジュアルな性転換や、縛られない奔放な生き方を実践する。これは、60~70年代に提唱されたフラワーチルドレンの思想に近いのではないか。また、ニューサイエンス(疑似科学)とまではいえないが、それらを許容する時代を反映している部分はある。(対象は本書ではないけれど)ディッシュに酷評されたのは、そういう時代性もあるかもしれない。
- 『J・G・バラード短編全集1 時の声』評者のレビュー