
12月放送のNHKTVドラマと連動する書下ろし長編である。いわゆるノヴェライゼーションではなく、2022年から始まったプロジェクトの結果だと著者は書いている。『火星のプリンセス』を連想させる標題だが、バローズより東浩紀に近い人間の物語といえる。
22世紀、一人の学生が火星から地球へと向かう大型宇宙船に搭乗しようとしている。フォボスまで往還船で上がり、惑星間宇宙船に乗り換えるのだ。出発はなぜか遅れていた。その少し前、民間会社に所属する一人の生物学者は、火星の地底湖で奇妙な結晶構造物質スピラミンを発見していた。
火星植民が始まってから40年が経過、今ではコロニーも13に増え人口10万人を数えるまでになった。ただ、火星経済を支えてきたISDA(惑星間宇宙開発機関)による事業は採算が悪化、撤退を段階的に進めようとしていた。民間会社所属のコロニーを筆頭に、多くのコロニーは反対の立場を表明する。そこに戦略的な価値を秘めた結晶物質発見のニュースが飛び込む。思惑を抱えた地球と火星双方は、それぞれの立場で動き始める。
登場人物は、視力を失った大学生(女)、種子島で働くその友人のISDA職員(男)、非常勤で仕事を掛け持ちするコロニーの自治警察官(女)、過去にわだかまりを抱えた生物学者(男)、地球から移住してきた予測不能の大富豪(男)、さらにはISDAの官僚的な幹部たちなど多数。火星と地球の間には(最接近時でも)光で5分の距離がある。それは物理的な距離ばかりではない。現在のグローバルサウスとノース(G7)の国際関係の距離、民族差別など感情的な距離を象徴するものなのだ。物語では、弱者だった人物が「女王」と呼ばれて、混乱を収拾する象徴となる。脇役に憎めない個性的な人物を配し、殺伐となりそうな物語を和らげているのも面白い。
火星のコロニーは地下にある。『火星の人』のような地上大移動シーンはあまりなく(少しはある)、宇宙ものでも《エクスパンス・シリーズ》の密室(宇宙船とか小惑星)群像劇に近い。本書では、自治警察官が探偵役だ。スピラミンは量子的な性質を持つ架空の結晶なのだが、量子では生命と言えなくなるため、あえて分子と設定したのだろう。
- 『スメラミシング』評者のレビュー