小田雅久仁『禍』新潮社

装画+ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

 前作の連作中編集『残月記』で、第43回吉川英治文学新人賞第43回日本SF大賞を受賞した著者による短編集である。小説新潮に掲載された7編からなるが、中・長編を得意とする著者らしく発表年には10年以上の幅がある。それぞれ日常ホラー的な導入部ながら、その後の展開は著者独特の超常的な幻想世界につながっていく。

 食書(2013)離婚し次作を書きあぐねる作家が、ショッピングモールの多目的トイレで本のページを食べている女を目撃する。
 耳もぐり(2011)非常勤講師を掛け持ちする男の恋人が失踪する。恋人の隣室に住む男は、その行方を知っていると仄めかす。
 喪色記(2022)主人公は人の視線が苦手でうつ状態に陥ることもあった。やがて、意識の彼方から「ざわめき」を頻繁に感じ「滅びの夢」を見るようになる。
 柔らかなところへ帰る(2014)小柄で生真面目な男は、バスで乗り合わせた豊満な女性に異様に惹かれるようになる。同席は偶然のはずだったが。
 農場(2014)転落する人生に暗澹としていた青年は、誘いを受けて田舎の農場での住込み仕事にありつく。そこには巨大な培養タンクがあった。
 髪禍(2017)過酷な仕事に耐え兼ね休職していた主人公に、昔知り合った男から電話がある。頭髪にまつわる新興宗教の儀式でサクラになれというのだ。
 裸婦と裸夫(2021)美術館で開かれる裸婦展を見に行こうとした男は、電車の中で突然裸になる中年の男性を目撃する。その現象は伝染するように広がっていく。

 主人公は孤独だ。少なくとも人生の成功者ではない。ダーク・ホラーならば、そうした脱落者たちが落ち込む先は底の底、より深い煉獄であったり出口なしの迷宮になるだろう。つまり、絶望しかない。だが、本書で描かれる世界はちょっと違う。物語や脳内に潜り込み、灰色の異形から逃れ、ふくよかな肉欲にはまり、奇怪な閉鎖農場で暮らし、髪が神となり、着物を脱ぎ捨てた人々は、最終的にある種のユートピアに至るのだ。発端(現実)と結末(超常世界)には大きな落差がある。一見救いがないように見えても、何らかの光がさしているところが、小田雅久仁流の異世界なのである。

 全7作品、ほとんどは100枚以内の短編で「農場」だけが中編になる。ただ、著者の持ち味を十分引き出すには、やはり中編以上が必要と思われる。読者として、あの執拗な文体で描かれる見知らぬ世界に浸りきりたいからだ。