野田昌宏『山猫サリーの歌』扶桑社

表紙イラストレーション:加藤直之
表紙デザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 野田昌宏は2008年に亡くなっている。13年後になって、その遺作がオンデマンド書籍+電子版の形で出版された(扶桑社PODのレーベル)。編集部のまえがきによると本書が書かれたのは1995年、一部未完成のまま埋もれていたものである。どういう経緯でお蔵入りになったのかは分からない。

 昭和40年、主人公がフジテレビの〈日清ちびっこのどじまん〉ディレクターを務めていたころのこと。番組はまだブレークする前で視聴率も伸びず、公開放送での観客集めやPTAからの俗悪番組批判に苦しんでいた。そんなある日、宣伝に回る車の前に1人の少女が飛び出してくる。飛び入りで番組出演を要求するのだが、ただ者とは思えない歌唱力にスタッフ一同は驚愕する。けれど、サリーと名乗る少女が何ものなのか、どこに住んでいるのか親がいるのかさえ不明なのだった。

 野田昌宏のSF関係での代表的な仕事には《キャプテン・フューチャー》などの翻訳やスペースオペラの紹介、オリジナルのスペオペ小説《銀河乞食軍団》などの人気シリーズ執筆の他に、『レモン月夜の宇宙船』に代表されるノンフィクションめいたフィクション群がある。主人公は作者本人、担当した番組名や登場人物の多くは実在するが、そこに大きなフィクションが挟み込まれるスタイルである。昭和40-50年代(1965-75年代)が舞台となり、当時の雰囲気や社会的な状況が色濃く表われていた。本書はそういう一連の作品の総決算、唯一の長編として書かれたものだろう。

 本書には結末があり(サリーの正体が明らかになる)、あとがきまで用意されている。しかしメモ書きのみの章(【断片】とある)や、後で書き直すはずだったと思われる部分も多数ある。原稿としては、ブラッシュアップ前の草稿版/第1版なのだ(いったん最後まで書き上げてから直しを入れる作家は多い)。では、なぜ完成させなかったのか。

 本書は1995年に書かれた。当時でも『レモン月夜の宇宙船』(ハヤカワ版)から20年が経過していた。同書の作品群は、時事風俗描写に同時制=リアルタイム性があるから読者に歓迎された。同じ設定で、本書のように過去(30年前)を描く作品が受け入れられるだろうか。著者にはそんな迷いがあったように思われる。

 とはいえ、現在ならば不完全であっても世に出すべき、という考え方もできる。『山猫サリーの歌』が遺稿であることは間違いないし、もう帰っては来ない(体験として書けない)半世紀以上前を象徴する内容であるからだ。