武甜静・橋本輝幸・大恵和実編『走る赤』中央公論新社

装画:西村ツチカ、装幀:岡本歌織(next door design)

 中国の未来事務管理局(SFに関するエージェント活動や出版企画、イベントなどを運営する民間会社。SF専門の会社は世界的にも珍しい)の武甜静(ウー・テンジン)と、日本の橋本輝幸、大恵和実らが作品選定に協力して出た中国女性SF作家のアンソロジイ(つまり底本のないオリジナル作品集)である。作家、翻訳者(掲載順:立原透耶/山河多々/大恵和実/浅田雅美/大久保洋子/櫻庭ゆみ子/上原かおり)、イラストレータなど、ほとんどは女性が担当している。

 夏笳(1984)「独り旅」(2009)老人一人の宇宙船が、荒涼とした惑星に降り立つ。そこは、これまで旅してきた無数の惑星と同じ通過点に過ぎないと思えた。
 靚霊(1992)「珞珈」(2019)事故で実験用ブラックホールが不安定化、鎮めるには人間一人分の質量が必要だった。それを聞いた研究所の用務員は、とっさにブラックホールの境界に飛び込むが。
 非淆(1988)「木魅」(2021?)並行世界の江戸末期、漆黒の宇宙船が来航、宇宙人の異形の姿は木魅(こだま)と呼ばれるようになる。
 程婧波(ー)「夢喰い貘少年の夏」(2016)三重県の温泉旅館に、東京の大学に進学した少年が戻ってくる。少年はなぜか大きなリュックを背負っていた。
 蘇莞雯(1989)「走る赤」(2018)少女はオンラインゲームの中で作業員として働いていた。ところが、システムのバグにより、時間制限のある紅いお年玉くじと誤認識されてしまう。
 顧適(1985)「メビウス時空」(2016)事故で下半身不随となった主人公は、脳にチップを埋込み自身の代わりに動く副体を使うようになる。
 noc(1989)「遥か彼方」(2017)仮想世界の中に住む住人との出会い、世界の色の中に溶け込み、変身について話をし、白鳥座X-1へと意識が伝送されるなど、4つの掌編からなる物語。
 郝景芳(1984)「祖母の家の夏」(2007)引退した科学者である祖母の家は、見た目と中味が違う奇妙な家だった。そこでは画期的な発明が行われようとしていた。
 昼温(ー)「完璧な破れ」(2020)言語によって思想が左右されるのなら、新たな人工言語を創ることで、社会的な問題を解決することができるのではないか。
 糖匪(ー)「無定西行記」(2018)熱力学第二法則が逆転した世界、北京からペテルブルクまでの道路建設を夢見る主人公たちの物語。
 双翅目(1987)「ヤマネコ学派」(2019)ガリレオも加盟していた(三毛猫と猛獣との中間である)ヤマネコ学派は連綿と続いて、21世紀の現在でもその影響力を科学界に及ぼしている。
 王侃瑜(1990)「語膜」(2019)失われゆく少数派の母語を守るため、国語教師だった母は語膜と呼ばれる自動翻訳のプロジェクトに関わる。ただ、息子である少年には母の行動は理解できない。
 蘇民(1991)「ポスト意識時代」(2019)カウセリングに訪れた男は、自分の言葉が何ものかにコントロールされているのだと主張する。相手構わず喋るのを抑えることができないという。
 慕明(1988)「世界に彩りを」(2019)誰もが眼球に網膜調整レンズを入れて、視覚を拡張している未来、主人公だけは母親の希望で長い間手術が許されない。
 *:著者の生年と作品発表年を括弧内に記載

 郝景芳ら一部の作家を除けば、本書収録の作家は大半が30代で初紹介の新鋭である。なるべく多様に選ばれた関係もあり、アンソロジー全体でのテーマは特にはないが、傾向の似た作品2~3編ごとにハッシュタグ(#宇宙#ノスタルジー、など)が付けられていて、おおまかな内容把握ができるように工夫されている。

 冒頭の「独り旅」は滅びゆく世界と自分とを重ねた叙情的なお話、「珞珈」は小林泰三の「海を見る人」を思わせるブラックホールの時間遅延を扱った作品。「木魅」、「夢喰い貘少年の夏」はアニメの影響を感じる和風ファンタジイ、表題作「走る赤」や「メビウス時空」はある種のメタバースものといえる。他でもユーモラスな「祖母の家の夏」、ネット小説的でミニマムなイメージが連鎖する「遥か彼方」、逆転する時間「無定西行記」、架空の秘密結社が出てくる「ヤマネコ学派」と実に多彩。

 面白いのは「完璧な破れ」や「語膜」「ポスト意識時代」など、読後感が重い作品がすべて言語に関する物語である点だ。哲学的な考察と登場人物の心の揺れが違和感なく結びついている。これらにはテッド・チャンの(おそらく著者自身も認識する)影響がある。「世界に彩りを」は視覚をテーマに現代的な切り口を加えた心に残る作品である。