まず最初に書誌を記しておく(解説にも書かれているし、ネット検索の時代には不要かも知れないが、評者にはこういう流儀が染みついているのです)。
「鏖戦(おうせん)」(1983)はネビュラ賞ノヴェラ部門の受賞作、1990年10月号のSFマガジン(400号記念号)に一挙掲載され、さらに『80年代SF傑作選』(1992)にも収録された中編。一方の「凍月(いてづき)」(1990)は、1996年2月号(太陽系をテーマにした宇宙SFの一環として)SFマガジンに一挙掲載、1997年星雲賞海外短編部門受賞、1998年に(長い中編なので)同題の文庫として単独出版されている。よく似た経緯をたどった2作品といえる。両者とも文庫で入手が可能だったものの、すでに25年以上が過ぎている。今回は著者が昨年11月に亡くなったことを受け、2023年6月号のSFマガジン追悼特集に合わせる形で、ハードカバーによる復活を果たしたのだ。
鏖戦:いつともしれない超未来の宇宙、人類はメドゥーサ(美杜莎)と呼ばれる原始星系で、銀河の歴史ほども古い異形の宇宙種族セネクシ(施禰俱支)と戦っている。主人公は巡航艦メランジーに乗り組む戦闘だけを教え込まれた兵士で、敵の種子船をザップ(破摧)し蔵識嚢を奪取する使命がある。人類もまた姿を変容させている。主人公は妖精態のグラヴァーだった。
凍月:200万の人々が住む月世界は、独立したコロニーの緩い連合体で運営されている。有力コロニーの一つが運営する〈氷穴〉では絶対零度を作り出す実験が行われていたが、そこに地球で冷凍保存されていた100年前の人体頭部多数が運び込まれる。だが、創業家一族のきまぐれに過ぎないと思われていたそのプロジェクトは、やがて大変な騒動を巻き起こす。
どちらも宇宙SF、ただし傾向的には全く異なる。前者は、設定どころか個々の単語自体に高圧縮な創造力が詰め込まれた実験的なスペースオペラ。イメージを浮かべるのに難渋するが、酉島伝法的な異形キャラと美少女戦士風ヴィジュアル(容姿は意図的に具象化されていない)を混淆させた類を見ない作品で、ベア自身も自己ベストだとする。
後者は、月コロニーどうしの政治的な謀略を巡るサスペンスである。背景には著者が会長職を務めていた当時のSFWA内の、サイエントロジー派や子供じみたリバタリアン的風潮(ひたすら管理を嫌う)への反発が込められているという。ただ、そういう内幕を知らなくても面白く読めるだろう。
ベアの翻訳書は、著者の執筆ペースが落ちたこともあり、21世紀以降(文庫化を除けば)『ダーウィンの子供たち』のみにとどまる。これらを含め『ブラッド・ミュージック』以外は絶版だ。忘れられるには早すぎる作家である。20世紀に出た多くの主要作品が、今後電子書籍の形で復刊されるのは喜ばしい。
ところで、「鏖戦」は初紹介当時から、原文の造語に仏教用語の難読漢字を充てるなどの翻訳スタイルが話題になった。大森望は「原文をはるかにしのぐ神話性と「なんかすごそう」感を獲得した」(「SF翻訳講座」1993年5月)と評価し、また上記追悼特集でも、翻訳者の酒井昭伸がその際の苦闘を生々しく振り返っている。
- 『ダーウィンの使者』評者のコメント