ローラン・ビネ『文明交錯』東京創元社

Civilizations,2019(橘明美訳)

カバー肖像画:カール五世(右 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画)/アタワルパ(中央 ブルックリン美術館蔵)/フランシスコ・ピサロ(左 アマブル=ポール・クータン画)写真提供:Bridgeman,Alamy/PPS通信社
装丁:柳川貴代

 3月に出た本。著者は1972年生まれのフランス作家。日本では『HHhH』(2010)が、2014年の本屋大賞Twitter文学賞に選ばれるなど人気がある。既訳の作品は歴史的/文学的な要素を満載した「衒学ミステリ」ともいうべき蘊蓄の塊だった。アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞した本書も、史実とフィクションが絶妙に入り混じるSF/歴史改変小説になっている。

 アイルランドを追われた人々がアイスランド、グリーンランドを経て西進し、やがて北米にたどり着く。雷神トールを信奉する一族は、現地人に鉄の製造法や馬などの家畜を教えたが、同時に病気も伝えることになる。彼らはさらに南下、キューバにたどり着き、そこで捕らえられ神殿のある都市に連れていかれる。何世紀か後、コロンブスが島に上陸する。一行はここが黄金の国と信じていたが……。

 半世紀が過ぎ、南米インカ帝国では皇帝が亡くなった。その息子の兄と弟アタワルパとの仲は悪くついに戦争となる。弟は敗れて北へと敗走する。しかも地峡の先にも強力な敵がおり、退路は東の島々からさらに東の海へと変わる。わずか200名に減った手勢と共に。

 そして、リスボンに上陸したアタワルパは、少数の部下だけでスペインと神聖ローマ帝国の皇帝カール五世の略取に成功する! ピサロのインカ帝国征服を裏返した設定だ。「インカがスペインを征服したら」というありえない系の奇想だけなら、弱小国がアメリカを征服してしまうウィバリー『子鼠ニューヨークを侵略』(1955)など先行作品がある。しかし、本書には有無を言わせぬだけの、膨大な歴史上の裏付けがある。

 16世紀初頭のヨーロッパといえば、大航海時代/ルネサンス期を迎え繁栄を極めている、というイメージはあるが実態は大乱の時代だった。英仏百年戦争こそ終わっているものの、神聖ローマ帝国(ドイツ)を巡る帝位争いや農民一揆の頻発、まだ勢力を保つオスマントルコを含む諸国との合従連衡、腐敗した宗教界は私権争いに忙しく、カトリックとプロテスタントはお互い大量殺戮を繰り返すなど、正義も秩序もない。宗教裁判や異端審問があり、ユダヤ人やムーア人(イスラム教徒)への迫害は深く、リスボンは大地震(1531年に発生した地震と津波)から立ち直っておらず、ペストも根絶には程遠い。つまり、うまく立ち回れば征服も不可能ではないほど不安定なのだ。

 ビネはそういった細々とした史実(文献)を組み合わせ、アタワルパによる征服戦をノンフィクションのように描き出す。しかも、最後にはセルバンテス(『ドン・キホーテ』の著者)とエル・グレコ(マニエリスムの代表画家、作中では頑迷なイエズス会士)、モンテーニュ(フランスの哲学者)まで登場させて論争をさせる。それが中世ヨーロッパの(現在まで引き継がれた)矛盾を、(プロパガンタや願望充足ではなく)冷静に批評する内容となっているのだ。

 なお本書の原題は、30年以上の歴史がある文明シミュレーションゲームのシヴィライゼーションに由来する。

キム・ボヨン『どれほど似ているか』河出書房新社

얼마나 닮았는가,2020(斎藤真理子訳)

装幀:青い装幀室
装画:Seyoung Kwon

 著者はチャン・ガンミョンと同じ1975年生まれの、韓国を代表するSF作家のひとりである。評者が3年前に『わたしたちが光の速さで進めないなら』を紹介した際に、

ジェンダーや人種・社会階層・民族差別、貧富の差、LGBTなどのマイノリティーへの共感など、社会問題が関わっている。アレゴリーというより、もっと直截的にメッセージを届ける道具としてSFが使われている

と書いたのだが、そういう韓国SFの原点となった作家が本書のキム・ボヨンなのだ。

 ママには超能力がある(2012):あなたは「超能力がない人なんて、この世にいない」と返してくる。わたしはあなたの実母ではないけれど、ふたりの話はかみ合わない。
 0と1の間(2009):タイムマシンなんてありえない。でも、受験戦争に明け暮れる子供の母親は、0と1の間の量子状態からタイムマシンを作ったと称する女と出会う。
 赤ずきんのお嬢さん(2017):スーパーに入ってきたお客を見て誰もが驚愕する。それだけではない。買い物を済ませ街を歩いても、タクシーに乗っても人だかりができる。
 静かな時代(2016):ふつうなら立候補もできなかった人物が大統領に当選する。マインドネットが要因だった。世論を誘導してきた認知言語学者は、その経緯を振り返る。
 ニエンの来る日(2018):家族に会うために、主人公はニエンが現れ騒々しい駅に赴いた。ここから出る列車は、堯舜時代の科学魔術師が創ったのだ。
 この世でいちばん速い人(2015):超人〈稲妻〉は、圧縮された時間の中で自在に動くことができる。現場で人命救助すると〈英雄〉になるが〈悪党〉とは紙一重だ。
 鍾路のログズギャラリー(2018):〈稲妻〉がテロ犯として悪党認定される。超人は社会的に差別を受ける。主人公は能力が分かっていない〈未定〉なのだった。
 歩く、止まる、戻っていく(2020):家族があちらこちらのタイル(時間)に散在する。時間は流れるものではない、広がるものなのだ。
 どれほど似ているか(2017)
:土星の衛星タイタンに救助に向かう宇宙船で、緊急用の人間型義体が覚醒する。しかし、目的としていた重要情報が欠落していた。
 同じ重さ(2012):農業日記に挟まれた主人公の独白。自分はあたり前なのか、そうではないのか。

 「ニエンの来る日」は、中国WEBジンでケン・リュウ「宇宙の春」と同じ号に載った、春節を扱った作品。「この世で一番速い人」「鍾路のログズギャラリー」はDCのフラッシュをイメージする、ちょっと哀しいヒーローもの。他の作品は、血のつながらない親と子、過酷な受験戦争、男女の格差、繰り返される政変と選挙、さらにはアスペルゲンガーと、最初に引用した「直截的にメッセージを届ける道具」を反映している。メッセージは強引ではないので、抵抗感なく腑に落ちる。

 冒頭で明らかになるのだが、表題作の中編「どれほど似ているか」はAIの一人称小説である。しかし、この「どれほど」は「どれほど(AIは人間と)似ているか」という意味ではないのだ。AIは肉体を得たことで、論理的ではない意識が目覚める。宇宙船内では救助の進め方について意見が分かれている。一部の乗組員は肉体を得たAIを拒否、船長とも対立する。いったい何を恐れているのか。やがて、AIと人間の間よりも、もっと深い谷が明らかになる。

シーラン・ジェイ・ジャオ『鋼鉄紅女』早川書房

Iron Widow,2021(中原尚哉訳)

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 著者は中国生まれのカナダ人作家、コロナ絡みで職を失い本書を書いた。そのデビュー作がいきなりベストセラー、同時に始めたユーチューバーも登録者数53万人を集める。たまたまではなく、何らかのカリスマがあるのだろう。著者近影が牛のコスプレ(岩井志麻子を思わせる)なのは友人との約束の結果、また霊蛹機はアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」から着想を得たものという。

 華夏(ホワシア)国は、渾沌(フンドゥン)と呼ばれる機械生物による侵攻にさらされている。対する人類側も、霊蛹機(れいようき)と呼ばれる巨大戦闘機械(九尾狐+朱雀+白虎+玄武)を主力に擁して対抗する。機械のパイロットは男女一組だった。英雄となる男と、妾女(しょうじょ)と呼ばれる使い捨ての女、機械はその「気」(生気)をエネルギーにして動くのだ。

 まず主人公は英雄をしのぐパワーを有し、武則天と呼ばれるようになる。他にも独狐伽羅、馬秀英ら中国の歴史上の皇女たちの名前が出てくる。李世民、諸葛孔明、安禄山、朱元璋などなど、秦から明、清時代まで、背景も立場も異なる歴史上の人物名が順不同で登場する。もちろん著者も、史実とは関係がないと断っている。

 日本でもそうだが、中国はハイテクから安保まで何かにつけ注目される。それに伴って、中国もののフィクションも、英語では耳慣れない中国語の固有名詞、日本なら見慣れない漢語の多用(翻訳者の工夫もある)による異化効果で読者を引き付ける。

 巨大機械=ロボットは3段階の形態に変身する。そこにダリフラ風男女一組のパイロットが搭乗するのだが、男が女の気力を吸い取るという死の格差がある。ジェンダーに絡む、今風のテーマが重ねられているのだ。華夏世界自体にも、抜きがたい男女差別がある。その障害は、誰をも凌駕する主人公のスーパーパワーと、やはり今風の悩みを持つ友人たちの協力によって打破される。とはいえ、渾沌の正体、この世界の秘密などは明らかにならない。2024年刊行予定の続編に続くようだ(おそらく出版社との3部作契約があるのだろう)。

エディ・ロブソン『人類の知らない言葉』東京創元社

Drunk on All Your Strange New Words,2022(茂木健訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1978年生まれの英国作家。主に《ドクター・フー》などのTVドラマシリーズで、シナリオやノヴェライゼーションを手掛けてきた。これまで受賞歴はなかったが、本書は2023年の全米図書館協会RUSA賞のSF部門(ジャンル小説に与えられる賞で8つの部門から成る)に選ばれている。

 主人公はイングランド北部出身の通訳。通訳といっても、異星人と思念言語(テレパシー)で会話するという特殊能力が要求される。近未来、人類は異星文明ロジア(ロジ人)と外交関係を築いていた。彼らは言葉を介さず、テレパシーでコミュニケーションを取るのだ。しかし、文化担当官専属の通訳に就いていた主人公は、担当官が殺されるという重大事件に巻き込まれる。

 長時間通訳をすると飲酒の酩酊と脳が錯覚し、文字通り酔っぱらってしまう(原題Drunkの意味)。赴任地のニューヨークは防潮堤に囲まれ、過去の面影だけが残るテーマパークになっている。ロジ人はテレパシーで会話するが、アナログな文字を重要視しアナログな紙書籍を好む。ロジ語に翻訳された本は、地球側の主要輸出品になっている……という、設定は何とも皮肉っぽい。

 何しろ主人公は酔ってしまって、殺人時に何が起こったのか覚えていない(酔っぱらい科学者のギャロウェイ・ギャラガーみたい)。ロジ人に反感を持つ勢力は存在するので、主人公も一味ではないかと疑われる。物語は、近未来のニューヨークやイングランド北部(ハリファックス)の風俗を点描しながら手探りで進む。

 タイトルから連想される「非人類とのコミュニケーション」は主題ではない。本書は犯人捜しの(特殊設定)ミステリなのである。探偵は太り気味(そういう副作用もある)の通訳だが、八方塞がりな状況ながらしだいに真相に近づいていく。SFとしてのスケール感はやや足りないものの、主人公のユーモラスな語り口でまずまず楽しめる。