矢野アロウ『ホライズン・ゲート 事象の狩人』/間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」早川書房

装画:たけもとあかる
装幀:坂野公一(welle design)

 第11回ハヤカワSFコンテストの大賞と特別賞受賞作である。著者の矢野アロウは1973年生まれ、間宮改衣(まみや・かい)は1992年生まれ。どちらも例年と比べれば短い作品になった。大賞作『ホライズン・ゲート』が360枚で短い長編、こちらは同じ宇宙SFの第7回優秀賞の『オーラリメイカー』300枚より少し長いくらい。特別賞作「ここはすべての夜明けまえ」は180枚、歴代の大賞/優秀賞/特別賞の中では、もっとも短い作品と思われる。これだけでは単行本にならないので、SFマガジン2024年2月号の巻頭に一挙掲載されている(書籍化は24年3月を予定)。

ホライズン・ゲート
 主人公は砂漠の狩猟の民ヒルギス人で、生来の銃の才能を見込まれホライズン・スケープの狙撃手となった。そこは、何ものかによって人工的に作られた巨大なブラックホール「ダーク・エイジ」を探査するための前哨基地だった。パメラ人のパートナーとペアになってそこに潜るのだ。だが、ダイブには危険が伴う。ネズミと呼ばれる未知の存在が干渉してくる。

 左右の脳を分離した狩猟民ヒルギス(祖神が宿る脳が独立している)や、前後に脳を分離し未来予知が可能な民パメラが登場する(テッド・チャン「あなたの人生の物語」の異星人のようでもある)。ただ意識のデジタル化とか脳内に別の人格が宿るとかの類型パターンには陥らず、あるいは(一部見られるものの)時間が混淆する映画「インターステラー」(ブラックホールの権威キップ・ソーンが監修)的な展開にもならない。むしろ宇宙のネズミを狩る猫「鼠と竜のゲーム」や、恋人との時間差が著しく開く「星の海に魂の帆をかけた女」といった、コードウェイナー・スミスの詩情(ロマン)を感じさせる。

ブラックホール周辺での特異な暮らしの様相がうまく描かれている。おぼろげに現れる謎の影の正体を解き明かし、人類の来歴との結びつきまで匂わせる匙加減がうまい。

小川一水

まず文章の、描写部分に詩的な表現があって、そこに惹かれた。(中略)文体や表現力など総合点で、大賞授与に異存はない。

神林長平

ラブロマンスで、ハードSFで、脳科学で、と、私の好きなものがたくさん入っていました。(中略)甘いだけではなく、最後まで主人公がちゃんと自立している点も素晴らしかった。

菅浩江

小林泰三「海を見る人」のスペースオペラ版ともいえるアイデアの豊富さと、後半の意外な展開の連打が素晴らしかった。

塩澤快浩(編集部)

 一方、昨年のような異論もあり、

超技術によるポストヒューマンな設定とあまりにも人間的な物語がバランスを欠いているように見えて、筆者は評価できなかった。

東浩紀

ここはすべての夜明けまえ
 22世紀、九州の田舎に住む主人公が自分の家族について語る。4人の兄弟だったが、最後は父親と自分だけが家に残る。その中で自身が融合手術を受ける理由が明らかになり、家族がばらばらになっていく過程が、甥との関係の顛末が、そしてまたこの世界がどうなっているのかが徐々に明らかになっていく。

 物語はひらがなを多用するモノローグ(語りではなく、ひらがなを多用した手書きの体裁をとる)に始まり、一人称ながらふつうの小説になる章を挟んで、再びモノローグに戻る。最初の章では家族の罪、2章目では社会の罪、最後は自身の罪が語られていると読める。ここで描かれるのは現在の風俗(ボーカロイドとかYouTubeとか将棋AIとか)、(肉体的精神的)DV、倫理感を欠いた自死の風潮、生身を棄てる融合手術、地球環境汚染といくつもあるが、あくまで個人の視点に絞られる点が今風だろう。

筆者が最高点をつけたのは、本作がジェンダーや性暴力の問題に向かい合った作品であり、今回の候補作のなかでもっとも心に響いたからである。

東浩紀

この人は科学についてあまり関心がない。(中略)その辺りの吞み込めなさを感じさせつつも、ひたすら主人公の語りで話を引きずっていく力がある。

小川一水

内容と表現方法が見事に一致している作品として高く評価する。(中略)旧態依然としたSF界を刷新していく作品になればいいと思い、推した。期待の度合いは大賞と遜色ない。

神林長平

文芸としての端正さと真摯さに圧倒された。ただ、なぜか漂う「物足りなさ」がSFとしての弱さなのか、私の読み手としての感性の鈍さなのか、最後まで判断がつかなかった。

塩澤快浩(編集部)

こちらも異論がある。

他の選考委員の方々と、一番評価が異なる作品でした。一人称饒舌体ともいえる文章で、しかも時系列が混乱していて、読むのが苦しかったです。

菅浩江

 図らずも、恋人が老化していくのに自分は変化しない(その裏返し)、という設定で2作品は共通する。しかし、似ていると思う人は少ないだろう。『ホライズン・ゲート』の舞台が日常から隔絶した遠い宇宙、もう一方の「ここはすべての夜明けまえ」はデフォルメされた現在の日本だからである。主人公も対照的で、前者は故郷を失った少数民族でありながら未来志向を忘れず、後者は内省的で自己の闇に沈み込んでいく(菅浩江は「自分の中に似たようなものがあるゆえに、新味が感じられない」とするが、例えば「夜陰譚」などを読むと分かる)。そこに共感を抱けるかが評価の分かれ目となる。とはいえ、両作とも簡潔さは良いとしても、語りつくされたと言えず短かすぎる。それぞれの世界をもう少し読みたいものだ。