シミルボン転載コラム、今週から3回分はレビュー記事です。評者が9年間(2007年から2015年)に選んだ作品を、順次紹介していくという趣旨でした。年1作づつ、長編や中短篇集など単行本を対象としていましたが、ここでは3年分を1回にまとめています。国内外作品を問わず、ノンフィクションが入ることもありました。以下本文。
2007年:最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』新潮社
本書は、第28回日本SF大賞、第39回星雲賞を受賞、他にもノンフィクション関連の賞を複数得るなど高い評価を受けたものだ。最相葉月は、主に科学技術やスポーツ関係の著作を得意としてきたノンフィクション・ライターである。
星新一の父は、星製薬の創設者でもあった星一である。戦前の星製薬は、現存する製薬会社のどれよりも巨大で先進的な企業だった。アメリカ仕込みの経営、例えば全国をチェーン店で結ぶなど斬新な戦略で発展してきた。しかし、星一は典型的なワンマンであり、自分以外を信じなかった。阿片製造(戦前は合法だった)に絡む政界の一部との交流が、逆に恨みを買う要因となって訴訟・倒産につながる。この騒動は破産から立ち直った後も尾を引き、戦後のごたごたの中で星一の急死(1951)、長男親一(本名)への相続へと続いていく。
SFとの出会いは、周り全てが悪意を持つ債権者たちの時代にあった。矢野徹や柴野拓美ら、宇宙塵とその同人たちとの出会いである。星はすべてを振り棄てて作家に転身する。SF黎明期に先頭を切ってデビューを果たしたのである(1957)。星が選んだショートショートという形式は、昭和30年代から40年代の高度成長期に伸びた企業のPR誌に最適だったこともあり、大きな需要があった。ショートショート集も売れ、流行作家の仲間に入ることになる。ただ、業界の評価は低く、読者の低年齢化が進む中、子供向けの小説とみられて文芸賞とは全く無縁だった。
星新一は新潮文庫(1971年から)だけで累計3千万部を売ったロングセラーの作家である。小学生から読める内容なので、一度は読んでみた人も多いだろう。しかし、誰もが知っている名前でありながら、多作かつ客観的な作風であることも災いして、明瞭な印象を残さない作家だった。それが結果的に晩年の著者を不幸にする要因でもあった。ピークを過ぎ、先が見えた時に誰でも自分の存在意義を気にする。誰もが知っているが誰も憶えていない作家、まさにその点にこそ本書の焦点がある。
星新一については、自身が書いた父親や祖父の伝記や、星製薬が解散する前後の事情もエッセイなどで断片的には知られていた。しかし、本書ではこれらの記述が、SF作家星新一デビューと有機的につなげられている。当時のSF界の記述、矢野・柴野・星の関係も正確で新しい視点がある。また、封印されてきた晩年(1983年の1001編達成以降、特にがん発症の前後)の星が何を考え何を行ってきたかが(一部推測を交えているとはいえ)明らかにされたのは初めてだろう。
2008年:クリストファー・プリースト『限りなき夏』国書刊行会
日本オリジナルに編まれた作品集。『奇術師』がクリストファー・ノーラン監督「プレステージ」(2006)として映画化されて以来、プリーストは再び注目を集めるようになった。年間ベストに顔を出すようになり、過去の埋もれた作品も再刊が進んだ。本書はその中で出たベスト版である。
限りなき夏(1976)テムズ川に架かる橋からは、時間凍結された19世紀初頭以来の“活人画”が見渡せる。青ざめた逍遙(1979)時間を超えられる公園を巡って、大人に成長する少年が見かけた少女の正体。逃走(1966)戦争の影が忍び寄る世界、上院議員の前に少年たちの集団が立ち塞がる。リアルタイム・ワールド(1972)隔絶された宇宙基地で、情報操作により隊員たちをモニターする主人公。赤道の時(1999)赤道上空にある時間の渦の中は、目的の時間をめざして無数の航空機が旋回している。火葬(1978)異文化を持つ島の弔問に訪れた男は、人妻からあからさまな誘いを受ける。奇跡の石塚(1980)10台の頃、島の叔母の家で受けた忌避すべき思い出を追体験する主人公の葛藤。ディスチャージ(2002)3000年に渡る戦争から逃れようとする兵士の体験した群島の出来事。
66年のデビュー作「逃走」から、主に70年代の作品を収めている。翻訳が2013年に出た《夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)シリーズ》に属する「ディスチャージ」や「赤道の時」が比較的新しいが、これはシリーズとしてまとめる際に書き下ろされたものなので、全体のバランスを崩すものではない。80年代以降の作者の活動が長編に移っていった関係で、もっとも作品数が多かった30年前に書かれたものが中心になる。
プリーストの日本での紹介は『スペース・マシン』(1976)→78年翻訳、『ドリーム・マシン』(1977)→79年、『伝授者』(1970)→80年、『逆転世界』(1974)→83年という順番だった。当時は、『逆転世界』の設定(巨大都市が“最適線”に沿って移動する)が強烈で、ハードSF/数学SFの一種と思われていた。しかし、実際のプリーストの関心は、むしろ「リアルタイム・ワールド」に見られる“現実と幻想の相関関係”を描くことにある。改めて本書を読むことで、作者の意図が分かるようになる。
それにしても、本書からは少し変わった印象を受ける。一つは、まるで自分の既刊本のように冷静に編集意図を述べる、プリースト自身が寄せた日本語版の序文。もう一つは、本書が安田チルドレン(安田均による海外SF紹介に影響を受けた世代を指す)の産物と説明する訳者あとがき。現実なのか虚構なのかを問う著者の作風から、本書がまるで架空のオリジナル作品集のように思えてくるから不思議だ。
2009年:長谷敏司『あなたのための物語』早川書房
2009年は伊藤計劃の『ハーモニー』が出て第30回日本SF大賞を獲った。同じ年に出た本書は、著者の原点ともいえる作品である。テーマを深化させ、5年後に第35回日本SF大賞を『My Humanity』で得ることになる。本作品は、今年映画公開も予定されている、テッド・チャンの作品の影響下に書かれた(註:映画は2016年に「メッセージ」として公開)。
表題が『あなたのための物語 A Story for You』となってることから分かるように、本書はテッド・チャン「あなたの人生の物語 Story of Your Life」(1998)に対するある種の返歌となっている。ここで、A Story であることに注目する必要がある。つまり、“あなたのために書かれた複数の物語”の中の1つなのだ、という意味になる。
21世紀後半の2083年。主人公は脳内に擬似神経を構築し、脳の損傷を改善できる技術によりベンチャーを成功させる。さらに彼女は、脳内の振る舞いを記述する言語ITPにより、物語を語る仮想人格《wanna be(なりたい)》を作り上げる。これで、人間の創造性さえ記述できることが証明できるのだ。しかし、成功の絶頂にいた彼女に、ある日余命半年であることが告げられる。
神秘的な人間の創造性も、実は脳内物質の多寡に過ぎない。グレッグ・イーガンやテッド・チャンが冷厳に述べてきたその事実を、長谷敏司は一冊の長編にまで敷衍している。死が迫った主人公は、禁じられた手法を用いて自身の脳内を書き直そうとする。「あなたのため」小説を書き続ける仮想人格(wanna be=want to be)は、主人公の死に向き合った怯えや諦観を見るうちに、全く新しい反応を返すようになる。
著者はライトノベルからスタートし、本書を書き上げるまでに、ほぼ5年を費やしている。アイデアの源泉は既存の作家に由来するが、詳細な伏線(なぜ主人公が孤独なのか)や掘り下げた知能に対する言及(なぜITPで記述された知能に感性の平板化が生じるか)など、既作品に対するアドバンテージは十分あるだろう。「あなたのための物語」とは結局なんだったのかを、最後に反芻してみるとさらに深みが増す。
(シミルボンに2016年8月10日~12日に掲載)