山尾悠子『初夏ものがたり』筑摩書房

装画:酒井駒子
カバーデザイン:名久井直子

 1980年に出た著者の第2短編集『オットーと魔術師』の中から、後の全集にも収められていない中編「初夏ものがたり」(本の3分の2を占めていた)を切り出し、酒井駒子のカラー装画を多数はさんでコンパクトにまとめた瀟洒な一冊。加筆訂正個所もある。同年に出た初長編『仮面物語』国書刊行会から昨年復刊した。本書と初長編は長年封印されていたものである。しかし40年以上が過ぎ、かつてあった理由(『仮面物語』あとがきを参照)はもはや障害ではないと、著者自身が諦観したのだろう。

 第一部 オリーブ・トーマス:母親と二人暮らしの7歳の少女は、見知らぬ日本人に導かれ、山荘に待つ一人の若い男のところに行く。そこで男は父だと称するのだが。
 第二部 ワン・ペア:親が金持ちで権力もある18歳の少女でも、ルールに反する要望はなかなか実を結ばない。しかし、頑なだった日本人は意外な申し出をしてくる。
 第三部 通夜の客:通夜でごった返す一族の本家に、5月の日本は50年ぶりだと言う老婦人が欧州から帰ってくる。そこで黄色い着物を着た双子の子どもを見かける。
 第四部 夏への一日:父の留守宅に入った女は、自分は娘のいとこなのだと断りを入れた。娘はすでに亡くなっていたのだ。女の願いはルールの穴を突くものだった。

 初夏にちなんだ4つの連作短編から成る。共通の登場人物である日本人ビジネスマンは、屍者の願い(数時間だけ現世に帰れる)を聞く代理人である(1970~80年代頃、日本人は世界の誰とでも商売をするワーカホリックと皮肉られていた)。屍者の甦りというホラー風ながら、このお話には呪いや怨恨ではなく、ビジネスライクな原則や代理人システムなど、ロジカルな仕組みが取り込まれている。サイエンス・ファンタジイを意図したのかもしれない。そのため、過度な情感に流されず(ここは以降の山尾作品とも共通する)、ニール・ゲイマンが描きそうなアーバン・ファンタジイの(以降の作品にはあまり見られない)風合いが感じ取れる。

 もともとの集英社コバルト文庫(ソノラマ文庫と並び、ラノベ発祥の地とされる)版では「SFファンタジー」と称されていた(ちなみに新井素子は「SFコメディ」だった)。そこでは若い読者向けの明るい作品が求められていたが、本書は「暗い」仕上がりで編集者には不評だった(こちらのエッセイに顛末が書かれている)。ただ、内容はともかく本書はとても動的で軽快な文体で書かれている。このころ山尾悠子は一日20枚という多作期にあり、雑誌にも多くの短編を寄稿していた。本書は10日余りで書き上げられた。深慮/推敲より衝動/勢いに任せた(稀有な)時代の産物なのだ。

 山尾悠子は評者とほぼ同時代を生きた。大学は違うが、在学期も重なっている。しかし1975年にデビューし華々しく紹介されたけれど、ファン活動はせず(当時の同志社大学SF研究会とは趣味が合わなかったろう)、イベントは少し顔を出しただけで印象をほとんど残していない。とにかく謎の人だった。「夢の棲む街」京都にはよく行ったが、実在の山尾悠子は町屋の暗がりに隠れていた。意図しなかったにせよ、妖怪めいた神秘性が生まれ、熱心な読者を(後の時代を含めて)惹きつけたのは間違いない。