ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』国書刊行会

The Mystery of the Sardine,1986(大久保譲訳)

装画(コラージュ):M!DOR!

 国書刊行会《ドーキー・アーカイヴ》の最新刊。ステファン・テメルソン(1910-88)は亡命ポーランド人の作家である。ポーランド時代は妻のフランチェスカと共に「ザ・テメルソンズ」と呼ばれるコンビで絵本や前衛映画などを制作したという。1942年から英国に移り、小説は英語で書いた(その半世紀前のジョゼフ・コンラッドとよく似た経歴)。著作には多くの児童書や絵本、評論などがあるが本書が日本での初紹介となる。本叢書のパンフレットの中で「SFでもあり幻想小説でもありユーモア小説でもあり……とにかく変な小説です」(若島正)と紹介されたもの。

 ロンドンの仕事場と田舎の自宅を往復していた作家が亡くなる。すると作家の妻と秘書は恋人同士になりスペインのマヨルカ島に旅立つ。島には哲学者の親子が住んでいる。新聞配達をする少年はラブレターを入れる。哲学者のもとにジャーナリストの青年が訪ね、死んだ作家の瞳の色を質問する。そこに、黒いプードルが現れ突然爆発する。

 以上で全体の1割あまり。登場人物が次々と現れ、お話は容赦なく進んでいく。難解な文章はないし、それぞれのエピソードも分かりやすいが、事件と事件の関連性に起伏がなく、人間のつながりがとてもドライだ。冒頭の作家は、憎悪こそが創作を盛り立てると言う。ところが、本書の中にそういう激しい感情は(単語としてあっても)ほとんど描かれない。リアルさは重要視されず、登場人物が唐突に持論を開陳したりする。それも、台詞を棒読みするように。

 さてしかし、物語が支離滅裂なのかというとそんなことはない。登場人物たちの複雑な関係が明らかになり、缶詰サーディンの(驚くべき)解決もなされるからだ。プロットは計算されている。東欧革命以前のポーランドは皮肉っぽく描かれるし、ここは別の地球なのかと匂わせる章があり、村上春樹がSFなら本書もSFといえる部分はあるだろう。とはいえ、いったい何を読まされたのかは、最後まで目を通しても分からない。

 米国では書評家から「タイトルを(内容が)超えない」とされ不評だったようだ。しかし、『銃、ときどき音楽』のジョナサン・レセムが夏休みの読書に推奨し、日本でも『アマチャズルチャ 柴刈天神前風土記』深掘骨が評価するなど、変わった作品を書いている人/読みたい人には刺さるのである。少なくとも、他では読めない小説だ。