海猫沢メロン『ディスクロニアの鳩時計』泡影社

人物画:東山翔
背景画:富田童子
装丁:川名潤

 2012年4月のゲンロンエトセトラ#2から始まり、ゲンロン通信を経て2021年9月のゲンロン#12まで連載された千枚越えの長編小説である。しかし単行本にはならず、2024年5月にまず私家版を作成し頒布、好評を受けて自ら「泡影社」を興し1年後に一般書籍として出版するに至る。それでも扱う書店は限られるので、入手はBOOTHの直売が早道だろう(Amazonでは転売品しか買えない)。

 3.11を連想させる異変を経て、日本はARデバイス・カクリヨが普及し、AI〈IXANAMI〉によりコントロールされる国になる。そのカクリヨを開発した〈AIR〉が所有する復興特区で、奇怪なバラバラ殺人事件が発生する。犯人を追ううちに、時間収集家である大富豪時彫家にまつわる大きな謎が浮かび上がる。

 頭に鳩時計を被った17才のハッカー少年、同様にアナログTVを被る富豪当主、ゾンビ人形を持ち歩く女性警部、隻眼隻足で中性的な容姿の探偵、エプロンドレスで小学生くらいの姿をしている現場分析ロボット、などなど。登場人物に「ふつう」の人間は(ほとんど)見当たらない。エロゲー、ラノベ、ノワール、犯人捜しのミステリに、オナニー、快楽殺人やロリコン(ペドフィリア)といった危険な因子が混じり合う。しかし、最大の特徴は物語の骨格が時間SFである点だろう。

 購入者向けの動画チャンネル(youtube)によると、著者は青山拓央の『タイムトラベルの哲学』(2002、新版2011)からインスピレーションを受けたようだ。参考文献にも、マクタガートの時間(下記リンク参照)や、中島義道、木村敏、ハイデッカーら哲学者の論考、ロヴェッリやホーキングら物理学者の時間論の名前が挙がる(といっても、読者に予備知識は必要ない)。また、影響を受けたフィクションとして、京極夏彦、森博嗣、竹本健治、村上春樹らの他に、ベイリー『時間衝突』、テッド・チャン「商人と錬金術師の門」、観念的な時間SFでもある神林長平『猶予の月』、ウェルズ「タイム・マシン」のリニューアル版スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』、結末と直接関係するある短編(ネタバレ注意)を挙げる。いまやSFプロパーの作家でも、複雑な(既知のアイデアの使い回しではない)タイムパラドクスに挑む作家は少ないので、そこだけでも注目に値する。