ケン・リュウ編『月の光 現代中国SFアンソロジー』早川書房

Broken Stars : Contemporary Chinese Science Fiction in Translation ,2019(大森望・中原尚哉・他訳)

カバーイラスト:牧野千穂
カバーデザイン:川名潤

 一昨年出た『折りたたみ北京』(2016)に続くケン・リュウ編の中国SFアンソロジイである。前作の倍(14人)の作家を集め、幅を広げたのが特徴となっている。それに伴い、作品数も13編から16編と読みごたえを増した。

 夏笳「おやすみなさい、メランコリー」(2015)アラン・チューリングは自作の機械クリストファーと紙テープを介して会話を行っていた。だが、死後見つかったテープは暗号化されており、何が書かれていたか分からない。
 張冉「晋陽の雪」(2014)十世紀の五代十国時代、北漢の都晋陽は宗の大軍に包囲されていた。だが都には奇妙な発明品を造り出す魯王爺がおり、その新兵器により辛うじて持ちこたえていた。
 糖匪「壊れた星」(2016)1998年、大学入試を控えた女子高生の主人公は一人の少年と出会う。彼女は父親と二人暮らしなのだが、青白い女が夢の中に現れ話しかけてくる。
 韓松「潜水艇」(2014)長江には大小さまざまな潜水艇が停泊している。そこには出稼ぎ農民たちが住んでいるのだ。「サリンジャーと朝鮮人」(2016)宇宙観測者の干渉により北朝鮮がアメリカを、世界を征服する。北朝鮮で尊敬される作家サリンジャーは隠棲していたが、その家の前に報道陣が押し寄せる。
 程婧波「さかさまの空」(2004)雨城はある種のドーム都市で水晶天に囲まれ、天まで届く巨大な噴水を擁する海もある。主人公は天の外へと至ろうとする。
 宝樹「金色昔日」(2015)主人公は幼いころにあったオリンピックの記憶を思い出す。成長とともに世界は変化する。SARSの蔓延やアメリカ軍の中東撤退があり、中国では土地が暴落して急激に貧しくなっていく。ただ、幼なじみの少女との関係は続いていく。
 郝景芳「正月列車」(2017)旧正月の帰省客を乗せた新型列車が行方不明になる。開発者はその原理を説明するのだが。
 飛氘「ほら吹きロボット」(2014)嘘つきの王様から自分を超える嘘つきになれと命じられたロボットは、世界を巡り史上最大のほら話を探す。
 劉慈欣「月の光」(2009)エネルギー政策に携わる主人公のもとに、ある夜、電話がかかってくる。それは未来の自分で、将来の地球の命運を左右する情報を与えてくれるというのだ。
 吴霜「宇宙の果てのレストラン――臘八粥」(2014)宇宙の果てにあるレストランでは、来客が語るさまざまなお話が代価となる。臘八節の夜、地球人の作家が訪れる。その男の才能には、奇妙な由来があるのだった。
 馬伯庸「始皇帝の休日」(2010)国家統一に疲れた始皇帝は、休日にゲームで気晴らしをしようとする。百家が拝謁し、自分のゲームこそ面白いと売り込みをかける。
 顧適「鏡」(2013)指導教官の科学者は、主人公を透視能力者だという一人の少女と引き合わせる。少女とは初めて会うのだが、なぜか自分を知っているそぶりを見せる。
 王侃瑜「ブレインボックス」(2019)死の寸前の5分間だけを記録するブレインボックスは、記録された記憶を他人に移植することを可能にする。男は死んだ恋人の記憶を再生する。
 陳楸帆「開光」(2015)仏僧に祝福された男は、冴えないスマホアプリのマーケティング職に就くが、あるきっかけから大ヒットを掴むことになる。「未来病史」(2012)これから未来に流行する奇怪なできごと、iPad依存、病気の美学、多重人格、時間感覚の乱れなどを次々と紹介する。
 この他に、王侃瑜、宋明煒、飛氘らによる中国SFに関するエッセイを収録する。

  「おやすみなさい、メランコリー」は、チューリングの謎とロボットに囲まれて生きる主人公とが並列に置かれたお話だ。夏笳は『折りたたみ北京』でも3作が紹介されているが、マイノリティ、弱者に対する共感がテーマとなる。「晋陽の雪」はある種の異世界転生もの、「壊れた星」は現代的な家族の抱える暴力の問題、「潜水艇」「サリンジャーと朝鮮人」は政治風刺に見えるが、幻想側に寄せた奇想小説でもある。「金色昔日」「鏡」はどちらも変格的な時間もの。アイデア自体のユニークさよりも、描く対象が独特だろう。表題作「月の光」は、劉慈欣らしいアイデアの畳みかけが面白い。「始皇帝の休日」はアメリカより日本の読者と相性がよさそうだ。巻末の『荒潮』陳楸帆の作品は恐ろしく皮肉が効いている。

 中国のなろう系/SNS系エンタメ作品から現代文学的な奇想小説まで、前作『折りたたみ北京』と比べてもより幅広い。現代中国文学の紹介では、体制批判を匂わせる作品が選好されやすいが、それが一般読者に好まれているわけではない。かといって、金庸のような武侠小説ばかりとなるとこれも偏っている。そういう点から、本書は中国におけるエンタメ小説の立ち位置が(すべてではないものの)うかがえて面白い。底本は英訳アンソロジイなので、アメリカの読者に受け入れやすいセレクトになっているとは思うが、英米SFを読みなれた日本読者向けでもある。

陳楸帆『荒潮』早川書房

荒潮 Waste Tide,2013(中原尚哉訳)

カバーイラスト:みっちぇ(亡霊工房)
カバーデザイン:川名潤

 チェン・チウファン(原音読みをするようだ)は1981年中国広東省生まれ、長編は本書だけだが、短編を含めて多くの賞を受賞している。深圳市などと同様、80年代に経済特区となった沿岸部の汕頭市出身で、本書の舞台となるシリコン島のモデル南澳島もすぐ目の前にある(この島がリサイクル業者の島だったのかどうかは、今となってはよく分からない)。

 近未来の中国南東部にあるシリコン島は、電子部品をリサイクルする出稼ぎ労働者ゴミ人たちと、彼らを配下に置く三つの一族により支配されている。そこに、アメリカ資本の大手リサイクル会社が投資を持ち掛け、勢力図に変化があらわれる。通訳で同行した同島に出自を持つ主人公は、ゴミ人のなかにいた一人の少女に魅かれていく。

 中国は2017年に外国からの廃棄物輸入を禁止したので、本書のような商売は難しくなったが、以前は違法な輸入と人手による有害なリサイクルが横行した。そういう背景と中国特有の血縁支配(長老を中心に、見知らぬ遠い血縁者同士でも助け合う)、価値観の異なるアメリカ人の視点を混淆し、さらにサイバーパンク的/ロボットアニメ的要素を絡めた作品となっている。

 環境問題と低賃金にあえぐ末端労働者の近未来は、パオロ・バチガルピの得意とするディストピアでもある。それに対して、陳楸帆はとてもリアルな「現場の空気」を描きだした。潮州という馴染みのない中国の地方と、いまやアメリカ人となった中華系主人公の心理などは、著者しか描けない組み合わせだ。閻連科も不思議な田舎の騒動を描くが、内陸部と沿岸部とでは違うのだろう。最後は疾走するドゥカティのバイクや、ロボットまで飛び出す迫力あるチェイスとなって、エンタメ要素も大きい。

 本書は『三体』や『折りたたみ北京』とも翻訳スタイルが異なり、ケン・リュウ版英訳をベースとするものの、(北京標準語と大きく異なる)潮州語の発音や、漢字表記名などは著者や中国語版に準拠するなど手がかかっている。

『文藝 2020年春季号 中国・SF・革命』河出書房新社

アートディレクション・デザイン:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
表紙イラスト:クイックオバケ

 クラシックな純文雑誌というデザインを、昨年夏季号からポップに一新した「文藝」(季刊)の春季号である。これまでも韓国・フェミニズム特集号などが売れ、本号も発売前から注目を集めていた。中国・SF・革命特集で全頁の4割を占める。ただし、特集自体は『三体』ヒットを契機にしているが、SFだけをフォーカスしたわけではない。

 宇宙をさまよう放浪者、人類の島船が迎える春とはケン・リュウ「宇宙の春」、中国の古代神話と主人公の100年前の曾祖父が経験する大水害樋口恭介「盤古」、台湾を含む中華圏のSF界についての概要を述べた立原透耶「『三体』以前と以後 中華圏SFとその周辺」、中国のSF大会にゲストとして招かれた経験から、世界SF大会を狙う中国の状況を記した藤井太洋「ルポ『三体』が変えた中国」

 創作では幻想色を感じさせる諸作が集められている。孫文が日本訪問時に出会う奇妙なアステカ人佐藤究「ツォンパントリ」、移民の子である主人公が故郷の味を守るために奮闘する王谷晶「移民の味」、記憶の中の留学生と自身の中国出張が交錯する上田岳弘「最初の恋」、村長の死のあとさまざまな騒動が村をかき乱す閻連科「村長が死んだ」。他にも、天安門事件の余波に揺れる時代に、自身が体験したことを書いたエッセイイーユン・リー「食う男」、アメリカの文学界におけるアジア系作家の扱いについて糾弾するジェニー・ザン「存在は無視するくせに、私たちのふりをする彼ら」、中国留学体験を書いた黒色中国「監視社会を生きる人々」、対談の閻連科×平野啓一郎「海を越え爆発するリアリズム」は、主に中国における日本現代文学の受け入れられ方が語られる。

 さて、読んで見ると、この特集は確かに中国が主題ではあるが、あくまでも「外から見た中国」になっている事が分かる。閻連科以外はすべて日本人か中国系アメリカ人の書き手で、当事者の中国人がほぼいない。中国生まれのイーユン・リー「食う男」は英語で書かれた作品だし、ジェニー・ザンが書いているのはアメリカ(人種差別)の問題なのである。中国の場合、独裁政権・言論弾圧・監視社会という(芳しからぬ)先入観があり、政府から国民、作家まで十把一絡げに見られがち/見下されがちだ。しかし、14億人一括りでは雑すぎる。一面だけではない、もう少し内部から見た全体像を知りたいものだ。

 評者は、中国人留学生が中国SFを語る中で「ケン・リュウは、チャイナ(中国系)であって中国人ではない」と言うのを聞いたことがある。ケン・リュウは中国に生まれ中国語を解するが、エスタブリッシュした(ハーバード・ロースクール出の弁護士)アメリカ人である。中国作家紹介で貢献があり、中国を舞台にした物語を書くといっても、外から見た立場なのには変わりがないのだ。留学生の発言は、中国のことは第3者ばかりではなく、もっと自国の作家が語るべきだと言いたかったのだろう。この気持ちはよくわかる。