郝景芳『流浪蒼穹』早川書房

流浪苍穹,2016(及川茜・大久保洋子訳)

 郝景芳による1300枚余に及ぶ長編大作。2009年に完成し、当初2分冊で出ていたものを2016年に1冊の合本版とした。本書の底本はその合本版である。

 22世紀後半、火星が独立してから40年が過ぎていた。戦火を交えた両者だったが、戦後十年たってから交易が再開される。いまもまた、学生からなる使節団と両惑星の展示会を主催する団体を乗せて、往還船が火星に帰ろうとしている。学生たちは5年間の地球滞在を終えたばかりだ。その中に18歳になった主人公の少女がいた。

 地球では仕事も住居も自由だったが、人々は金銭に明け暮れるばかりで自分たちの運命を左右する政治には興味がない。一方の火星は乏しい資源の中で、住居や仕事は固定的に定められている。仕事の成果に対して名誉だけが報酬であり、金銭は伴わない。そして、トップに立つ総督は独裁者だと地球では批判されている。総督は少女の祖父なのだった。

 物語は主人公の友人たち、独立を率いた祖父とその老いた盟友たち、野心的な兄や各組織のリーダーを交えた群像劇として描かれる。個々の人々は三人称で語られるのだが、基本は主人公の心理描写(一人称的な三人称)にある。地球での見聞から火星改革運動へと心が動くものの、少女はやがてその背後に隠されたさまざまな事実を知るようになっていく。

 本書を読んで思い浮かぶのは、まずル・グィンの『所有せざる人々』(1974)だろう。ル・グィンは荒涼とした惑星アナレスに集う政治亡命者たちと、豊かだが混沌と貧富の差が支配する惑星ウラスの対比を描き出した。また、キム・スタンリー・ロビンスン《火星3部作》(1992ー96)では、本書と同様に火星を舞台にした政治ドラマが書かれている。地球上で(制度的に)新規な国家をイメージするのは難しいが、環境の異なる異星/火星でなら思考実験のできる余地が大きいのだ。

 本書の場合、火星と地球との対比は、一見現在の中国とアメリカのようにも見えるが、中で論じられる制度やその成り立ちは同じではない。設定された世界観に則って、リアルかつ省略なく考察されている。そこには風刺や諧謔という一歩引いた要素は見られない。政治の中枢が舞台でもあるので、ストレートで重厚な物語となったのだ。とはいえ、読みにくさや生硬さは感じられない。少女の心理ドラマでもある1300枚なので、一気に読み通せるだろう。