中野善夫『積読の流儀』国書刊行会

装丁:岡本洋平(岡本デザイン室)

 著者は1963年生まれの翻訳家で、これまでにヴァーノン・リー、フィォナ・マクラウド、ロード・ダンセイニら19世紀末に活動したニッチな作家たちの翻訳紹介で知られている。もちろん、マイナーであってもすぐれた作品はあり、埋もれた宝を掘り起こす面白さはあるのだ。本書は初のエッセイ集で、65編(内48編は書下ろし)を収録する。翻訳に関わる硬派の話題もあるが、著者のちょっと変わった日常、読んだ本についての独特の解釈、溢れる蔵書に対する対処法など多彩な内容になっている。

 積読と片づけ(こんまり)との対比、パンを焼く、朝顔を育てる、骸骨堂、本の虫、蔵書の電子化(PHP/SQLite/Python/PDF)、片づけと自己啓発、本の匂い、池袋の(行きつけの)書店、初めて手に取った外国語の本、英語は嫌いだった、金魚の出てくるマイクロノベル群(全5部/123編)、三博士と博士号、第2段階の目覚め、黄色の朝顔、集中力がない、頭痛と閃輝暗点、毎日曜にパンを焼く、混合水栓の交換、空き地の箱、憧れた知的生活、実は苦手な図書館、液体水素と金魚、本の検索方法、PDFの検索、本と引越し、バスは嫌い、覚えのない手紙、車に足を踏まれる、決まった時間に決まったことをする、テクノ・リバタリアンの好む本、西崎さんからの電話、初めて買ったSFやファンタジー、読書と身体、音読と黙読、漱石とホジスン、犬ガムと牛皮紙、読書で心の中に浮かぶもの、『阿房列車』と噛まないこと、金魚の鳴き声から連想する断片、食事に欲望はないが料理は作る、水耕栽培をする、闇(思い出したくないこと)がよみがえるとき、白い部屋に住みたい、文章を書くツール、電子書籍のマーク、語学学習アプリ、クロフォードとアラビアン・ナイト、サクラに憑く毛虫と朝顔の芋虫、リー/ウォートン/マクラウド(作品集の訳者あとがき)、時計から聞こえた声、まどろみの中で出てきたマドローミ嬢、つぶやきは波であると同時に粒子である、思い出の煌めきを盗む烏、駅で会った見知らぬ人、外を覗く小窓、機織りと金魚の刺繍、古い本の香、夜に聞く電線が鳴る音、影が流れていくところ、緑の箱を開けると。
 以上はエッセイの表題ではなく簡易な紹介です。末尾の11編は書肆侃侃房PR誌に載った掌編風エッセイ。

 著者は一般的な蔵書家/読書家とは違って、自己啓発書も(蔵書の敵、片づけ派の本さえ)ちゃんと読んでいる。本書の惹句にある〈愛書家7つの習慣〉はそこでよく見られるスローガン(高邁な理想)のパロディなのだ。集中力も記憶力もないといいながら、1つのテーマについては体系的/執拗に追求しやりとげる。蔵書の収納が物理的に不可能になるとPDF化で切り抜ける。趣味がないと自称するのにパンを焼き朝顔を育てマイクロノベルを書く。共感と不思議が同時に渦巻く、中野善夫という人物の個性を感じ取れるエッセイ集である。

 まず表題になっている積読(つんどく)の論理はどうか。愛書家が自身の(溢れる)蔵書に意味を与える言説(ビオトープ説、インデックス説など)が出てくる。ただ、そういう議論は、読んでいない(積読)本が多いことを事後に正当化しているだけに聞こえる。最初からそんな信念で集めたわけではないだろう(おそらく)。リスが木の実を洞に貯めるように蒐集した結果、蔵書の総体はできあがるのではないか。動物と同じでは沽券に関わるので、なんとか理屈を考え出すのだ。プロの論理は哲学的で奥深くはあるが、いくら素晴らしくても後付けには違いない。本を集めるのは各人の「本能」、役に立つ立たないは結果論に過ぎない。しかしながら、本書はそういう本能を満たすための、物理的制約(本棚が置けない/スペースがない)を克服する具体的なノウハウをともなっている点で、理念だけの類書との違いを際立たせている(ただし、誰でもできることではない)。

 本書を読むと、中野善夫は人付き合いが嫌いでパラノイアックな偏屈者に違いない、と思うかもしれない。しかし、もともとは翻訳SF(「ぱらんてぃあ」編集人)や幻想文学系のファン活動(「白の乗手」他)に絡むなど、さまざまなファンジンに寄稿する活動的なファンだった。本を(背が傷むから)45度以上開かないコレクター、というのは当時の評判である。なかでも、エッセイには人気があった。本書も(転載エッセイと書下ろしの内容重複が気になるものの)通奏するユーモアと、引用(このためには蘊蓄が必要)やフィクションのバランスが絶妙で愉しめる。翻訳とエッセイを両立させ、第2の岸本佐知子を目指していただきたい。