矢野アロウ『マイボディ・オン・ザ・ムーン(上下)』早川書房

Cover Illustration:緒賀岳志
Cover Design:岩郷重力+N.K

 2023年の第11回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞した著者の、上下巻2000枚(1000ページ)を超す書下ろし長編大作である。授賞当時は特別賞の間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」に注目が集まって目立たなかったが、受賞作はSFコンテストの本流を狙った意欲作だった。本書は、編集部からの依頼「『三体』『プロジェクト・へイル・メアリー』みたいなSFを書け」(著者インタビュー)を正面から受け止めた作品だ。デビュー後最初の長編とはいえ、相当な手練れ(書き慣れている)では、と思わせるできばえである。

 中国系のNASAエンジニアが、北京に帰国した際に国家安全部(MSS) の秘密基地に連行される。そこで月の裏側で発見された奇妙な物体「神秘小屋」の詳細を聞かされる。それは明らかに人工物だったのだが、内部に首のない胴体が数十体置かれていたのだ。これはアメリカの秘密兵器なのか、秘匿された意図はあるのかと問い詰められるのだが。

 本書には多数の人物が登場する。ただ、あまり群像劇という印象にはならない。複数の流れはあるものの早々に絡み合って1つとなるからだ。NASAのエンジニア(実は中国のスパイ)とその妻(実は夫を監視するCIAの職員。ちなみにこれは冒頭の人物紹介に書いてある)というコメディめいた関係がまずあり、タイ人の脳神経学者で日本の大学に勤める女性やその知人の少数民族の少年と障害を持ち車椅子に乗るVTuber少女、アメリカ人で貧困から成り上がった実業家と妻や息子らなど、これら国際的に配置された人物を中心に物語は進む(日本人も出てくるが端役的な存在感)。

 物語の前半では各登場人物たちの背景が語られる。時制は一致しておらず「現在」がばらついている(2024年だったり、あるいは1984年だったりする)。これらが首なし死体という共通項で結びつく。無数の伏線が仕掛けられるが、ねじ伏せるように(あるいは半ば強引に)物語は収束していく。これを破綻を感じさせずに書けるのだから、著者の腕力は相当なものだろう。月の死体から連想されるホーガンの『星を継ぐもの』との違いは政治や科学に対する姿勢にある。本書ではクライオニクスや、科学技術最優先の加速主義といった選民的な思想の是非が論じられるし、宇宙人の存在はかえって政治的な世界情勢を悪化させていく。

 一応の決着はつくが、結末は非常に哲学的というかとても思わせぶりな内容だ。これだけで「神秘小屋」の正体が明らかになったわけではない。続編が期待される。