エリザベス・ハンド『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで エリザベス・ハンド傑作選』東京創元社

Last Summer at Mars Hill and Other Stories,2021(市田泉訳)

装画:最上さちこ
装幀:岩郷重力+W.I

 エリザベス・ハンドは1957年生まれのベテラン作家だが、これまで6冊出た翻訳書のうち『冬長のまつり』(1990)を除く5作品は、映画のノヴェライズや企画絡みのシリーズの一部など、本格的な紹介からほど遠いものが多かった。本書は代表作といえる中短編4作をまとめた傑作選である。アメリカでも17編を収める大部の傑作選は編まれているが、それよりコンパクトで読みやすくなっている。

 過ぎにし夏、マーズ・ヒルで(1994)メイン州の沿岸にあるマーズ・ヒルには超常的な現象を信じる人々が集うコミュニティがあった。お互い病に冒されている父と母を持つ少年少女は、丘で不思議な現象を見る。
 イリリア(2007)ニューヨーク州の郊外に住む一族に、かつて演劇で身を立てた曾祖母がいたが、子供たちは同じ道を歩まなかった。そんな中で、ひ孫の世代である少年と少女は、ハイスクールでのシェイクスピア劇から意外な才能を芽吹かせる。
 エコー(2005)犬と離島で暮らす女は、外の世界で何か良くないことが起こっていると気がつく。とぎれとぎれのラジオ電波、数週間に一度くらいつながるインターネットに届くメッセージ。
 マコーリーのベレロフォンの初飛行(2010)かつて博物館に勤めていた男たちに、昔上司だった女性が重い病にかかっていることが伝えられる。その上司のために、失われた記録フィルムを再現しようというアイデアが生まれるのだが。

 「過ぎにし夏、マーズ・ヒルで」では、かつてヒッピーだった両親を持つ少年少女と、スピリチュアルな存在との関係が描かれる。1995年の世界幻想文学大賞(中編部門)と96年のネビュラ賞を受賞。「イリリア」の少女と少年は、お互い(誕生日が同じ)いとこ同士なのに惹かれ合い、意外な形で才能の開花を迎える。2008年の世界幻想文学大賞(中編部門)を受賞。この2つのお話では、家族に根ざす複雑な関係と、シェイクスピアの古典劇が物語を支える大きな枠組みになっている。かつて役者だったライバーの小説より、むしろリアルな形だろう。

 「エコー」の孤島の女は遠く離れた恋人との手紙(メール)をプリントする。2007年ネビュラ賞(短編部門)を受賞。「マコーリーのベレロフォンの初飛行」では、博物館の男たちは冴えない中年おやじだが、何十年も前の青春時代を蘇らせようと奮闘する。2011年の世界幻想文学大賞(中編部門)受賞作。どちらも失われた過去を(不格好でもいいから)取り戻そうとする物語だ。

 4作とも、SFというよりファンタジイ寄りの作品だろう。「エコー」だけはアポカリプスを暗示させていて、そこがネビュラ賞の理由かもしれない。ただ、ファンタジイといっても異世界要素は象徴にすぎず、描きたかったのは現実寄りの青春小説なのではないかと感じさせる。どの物語も悲劇では終わらない。登場人物たちはそれなりの達成感を味わうが、かつて夢見たものとはどこか違っていて、ほろ苦い後味を残すのだ。