伊藤典夫編訳『海の鎖』国書刊行会

Chains of the Sea,2021(伊藤典夫編訳)

装幀:下田法晴+大西裕二

 国書刊行会の叢書《未来の文学》最後の一冊。最初の作品『ケルベロス第五の首』が出たのが2004年なので17年ぶりの完結である。河出の《奇想コレクション》のときも『たんぽぽ娘』が最後だった。とはいえ、叢書の1つ前『愛なんてセックスの書き間違い』が2019年に出ているので、それほど間が空いたようには感じない(と思うのは、老齢による時間感覚遅延のせいかも)。本書は、過去に伊藤典夫自身が翻訳してきた作品(原著1952~85/翻訳68~96)を、自らが選んだ自選傑作選である。

 アラン・E・ナース「偽態」(1952)金星の探査を終え、地球を目前とした宇宙船内で、明らかに人間と異なる血液を持つ乗組員がみつかる。異星人が潜入したのか。
 レイモンド・F・ジョーンズ「神々の贈り物」(1955)異星の宇宙船が着陸、国連は東西陣営と中立国を交えた使節団を送り込むが、人類側には政治的な思惑があった。
 ブライアン・オールディス「リトルボーイ再び」(1966)2045年8月6日、その日に大きなイベントが行われる。しかし、何の記念日なのかは誰も知らなかった。
 フィリップ・ホセ・ファーマー「キング・コング堕ちてのち」(1973)キング・コングの墜落死を目撃した少年は、いま孫娘にそのときの記憶を語っている。
 M・ジョン・ハリスン「地を統べるもの」(1975)アポロ計画により月の裏側で発見された神が降臨する。主人公は〈神の高速道〉を調査するように指令を受ける。
 ジョン・モレッシイ「最後のジェリー・フェイギン・ショウ」(1980)TVやラジオ放送で地球人を学んだ異星人が、お下劣な話術で人気のTVショーに出演する。
 フレデリック・ポール「フェルミと冬」(1985)戦争が起こり、核の冬により地上の人々も生き物も死滅していく。アイスランドに逃れた人々は必死に生き延びようと戦う。
 ガードナー・R・ドゾワ「海の鎖」(1973)異星人の宇宙船が地上に忽然と現われたが、かれらは人類側のあらゆる試みを無視して反応しない。一方、田舎町に暮らす少年は、家庭的な問題を抱え、大人には見えない存在と会話することができた。

 全部で8編あるうちの5作品に異星人(神を含む)が出てくる。「擬態」はかなりストレートなボディ・スナッチャー(体から心まで人に化ける)もの。「神々の贈り物」は映画「地球が静止する日」ふうで、異星人は使節としてやってくるが、その中で主人公の心理に人間的なひねりがある。70年代になると、異星人そのものは物語の正面から後退する。答えのない謎に満ちた「地を統べるもの」や、ばかげたTV業界を皮肉っぽく描く「最後のジェリー・フェイギン・ショウ」に変わっていくのが面白い。中編「海の鎖」では、異星人は人類にまったく興味を示さない。これは大人が見えないもの、見失ったものと交感できる少年の物語なのだ。

 「リトルボーイ再び」は翻訳された当時(1970年)、むしろプロの間で騒ぎになった。世代的にまだ生々しい戦争の記憶が残っていたからだ。だがそれから半世紀が経ったいま、われわれはまだ当事者意識を持っているだろうか。歴史的悲劇は個人の体験でしかない(体験者が亡くなれば失われる)という、この小説の描いている世界に近づきつつあるように思える。