眉村卓『仕事ください』竹書房

イラスト:まめふく
デザイン:坂野公一(welle design)

 『静かな終末』に続く、日下三蔵編の眉村卓初期作品集である。ショートショート集『奇妙な妻』(1975)に1編を加え、さらに未収録3短編と同書あとがき、エッセイ1編を収録したもの。

第Ⅰ部
 奇妙な妻(1965)妻の行動は予測できない。今日も失業した夫にある仕事を勧めるのだが。ピーや(1963)事故のあと性格が変わった男は、一匹の猫を溺愛していた。人類が大変(1967)ぼくには五万年の歴史を誇る人類を守るという崇高な使命があった。さむい(1970)不思議な人々の集う団地、主人公の部屋はいつも火の気がない。針(1968)面会を待たされる男の首筋に痛みが走る。そこには細い針が刺さっている。セールスマン(1967)なんだか体がだるい。セールスマン・トーナメントに出場する日だというのに。サルがいる(1969)来るはずの補給が途絶えていた。山奥の観測小屋周辺は、やたら野猿が多いのだ。犬(1969)電車に乗っていると服を着た犬が隣に座る。しかし、誰も反応を示さない。隣りの子(1970)団地の隣に越してきた夫婦は小さなロボットを連れていた。世界は生きているの?(1962)宇宙人と過ごす、すばらしき日のできごと。くり返し(1961)林道で出会った見知らぬ青年は、なぜかなれなれしく話しかけてくる。ふくれてくる(1968)男は都会では見かけない雨蛙を目にする。それは男の手のひらに飛び込んで消えてしまう。機械(1969)レンガ屑を引き取りに行くと、その屑の山の中から得体の知れない機械が現われる。やめたくなった(1969)いつもの会社生活を続ける中で、なぜか「やめたくなった」という声を聞くようになる。蝶(1969)きまじめだが、周りから疎んじられる無能な社員の上に、きれいな蝶が舞う。できすぎた子(1969)寄り合い所帯の事務所で雇った女の子は、もったいないほど有能だった。むかで(1969)傲慢な購買課長が話をすると、袖口からむかでが這い出してくる。酔えば戦場(1970)うだつの上がらない先輩と、酔いつぶれるまでハシゴした先にあるものは。風が吹きます(1969)入居した団地にはなぜか既視感があった。さまざまな人々に出会うのだが、その人々に共通点があった。交替の季節(1963)いつもの生活のはずなのに、小さな記憶違い、思い違いが生じるようになる。仕事ください(1966)酔った主人公が無意識に念じると、あなたの奴隷だと称する貧相な男が出現する。信じていたい(1969)田舎の工場に赴任したぼくは、離れた彼女と連絡を取ろうとするのだが。

第Ⅱ部
 その夜(1960)*すべてが終わる夜、主人公は田舎の実家で過ごすことにした。歴史函数(1961)*占領からようやく解放された人類だったが自由はつかの間だった。文明考(1961)*休暇で空間転送された主人公は、そこで銀河の覇権を賭けた星間戦争の実態を知る。『燃える傾斜』(1963)の原型となった中編小説。『奇妙な妻』あとがき(1975)同短編集の著者自身による解題。変化楽しや?(1977)*「仕事ください」の2つのラジオドラマにはじまり、サラリーマン意識の変化に関する考察。
 *:単行本未収録

 ほとんどの作品は、専門誌ではなく中間小説誌(単行本未収録作は宇宙塵)に掲載されたものである。そのため、SF的な説明のないオープンエンド型が多く、奇妙な味の小説=今日的な奇想小説集になっている。ただ、SFマガジン掲載の「犬」などは当時のSFファンには不評だったようだし、一方ミステリ系中間小説誌に載った「針」はわけが分らないとの評価が多かったらしい。読者の許容範囲の狭さが災いし、あまり理解されなかったのだ。また「その夜」は眉村版「無常の月」で、解説にもあるとおり「静かな終末」のお話である。同じ観点ながらニーヴンよりも10年先行していた。

 「変化楽しや?」では、「仕事ください」の昭和30-40年代から10年以上が過ぎ、組織の中で個性を保つ苦悩は薄まったが、それは自らの個性を棄て無機質化したからではないかとする。以下のような予見的な見方も述べられている。

自分の望ましい生活を確保するためとあれば、おのれの能力や性格はもとより、プライバシーや過去の些末事を登録し記録されていても、いっこうに誰も気にせず、 愉快にやって行くという日は、意外に近いのではあるまいか?

 個人情報を組織や企業に委ね、個の秘密を無くしてしまう世界とは、現代そのもの。星新一の最初期作がドラマ化されたが、そこでも強調されていたのは、個を棄て透明人間と化した主人公たちの底知れぬ孤独感だった。本書の中にも同様のテーマを見つけ出せるだろう。

劉慈欣『流浪地球』/『老神介護』KADOKAWA

The Wondering Earth,2013(大森望、古市雅子訳)

装丁:須田杏菜
装画:Amir Zand

 2013年に出た劉慈欣の海外読者向け自選傑作選を、中国語の原典(複数の短編集に分かれている)から翻訳した作品集で、もともとの1冊本を2分割し並べ替えたものだ。2冊併せて600ページに及び、11編の中編級作品が並ぶ。短いものが多かった作品集『円』とはその点が異なる。

流浪地球
 流浪地球(2000)太陽に異変の兆候が観測される。ヘリウムフラッシュを起こし、地球を焼き尽くす恐れがあるのだ。そこで人類は惑星丸ごとの太陽系脱出を決意する。
 ミクロ紀元(1999)相対論的時間経過により膨大な年月が経過した未来、最後の恒星間探査機が還ってくる。しかし帰還した地球は荒廃し、誰もいないように思われた。
 呑食者(2002)呑食者が来る! 資源を何もかもむさぼり尽くす巨大宇宙船が地球にやってくる。警告を受けた人類はある秘策に打って出るが。(「詩雲」の前日譚)
 呪い5.0(2009)個人的な怨恨から始まったコンピュータ・ウイルス「呪い」は、あるときそのパラメータを書き換えられ、恐るべき存在ヘと変貌する。
 中国太陽(2001)中国寒村の貧農だった主人公は、出稼ぎ先の都会で知り合ったある男との縁で、静止軌道に浮かぶ「中国太陽」で働くようになる。
 山(2005)突如現われた月サイズの異星船の重力で、海面は9100メートルも持ち上がる。チョモランマで友を失った主人公は、海山の頂を目指して単独登頂を試みるが。

老神介護
 老神介護(2004)空を埋め尽くす巨大宇宙船から降りてきたのは、人そっくりの老人大集団だった。しかも、彼らは自分たちが人類にとって「神」だと自称するのだ。
 扶養人類(2005)殺し屋が請け負った仕事は何とも奇妙だった。ターゲットは、極貧の浮浪者なのだ。それには「神」に続けてやってくる「兄」たちが関係していた。
 白亜紀往事(2004)白亜紀に文明化した恐竜たちは、その文明を支えるために、蟻たちとの共存が欠かせなかった。しかし、2つの文明は深刻な対立に至る。
 彼女の眼を連れて(1999)宇宙勤務が明け、地上休暇を取るときは他人の「眼」を連れていく。経費を節約するためだ。だが、今回の「眼」の持ち主はどこか変わっていた。
 地球大砲(2003)不治の病を治療するため長い人工冬眠から目覚めた主人公は、環境の激変に驚く。しかも、自分までが理不尽なリンチに晒される。一体何が起こったのか。

 前半の標題作「流浪地球」は、中国初のブロックバスター映画「流転の地球」の原作である(ただし、小説と映画は筋書きが大きく違う)。「白亜紀往事」「呑食者」(「詩雲」)、「彼女の眼を連れて」「地球大砲」「山」、「老神介護」「扶養人類」と設定を共通化した作品が多い。とはいえ、単純な続編やシリーズものではない。ユーモラスな「老神介護」とハードボイルドな「扶養人類」のように、作風をがらりと変えて読者を飽きさせない。登場する敵にも一工夫あって、たとえば呑食者は(人類からみて)最凶の天敵ではあるが、どこか憎めない弱さも併せ持つ。

 「中国太陽」は田舎の無学な農夫が、ついに宇宙(鏡面)農夫となる出世物語だが、(社会的な地位や財産など)ゼロからでもチャンスは掴めるという、本来の意味での中国の夢(チャイナ・ドリーム)ものといえる。「地球大砲」や「山」の主人公も、絶望に沈むのではなく同様の希望を抱いている。劉慈欣の魅力は、設定やアイデアの壮大さばかりではなく、その大きさに負けない未来への展望にあると再認識できる。

小川哲『地図と拳』集英社

装丁:川名潤

 2018年に現地取材から取りかかり、「小説すばる」で22回にわたって連載された大作。600ページ1200枚弱に及ぶ分量はあるが、リーダビリティーはとても高く快調に読み進められる。満州にある架空の都市、李家鎮=仙桃城のおよそ半世紀が物語の舞台となる。

 1899年、松花江からロシアが勢力を伸ばす満州へと船旅をする2人の日本人がいた。彼らは商人を装い、南進するロシアの動静を探ろうとしていたのだ。一方、ロシア人の神父は、教会を建てた李家鎮で未来を見通す千里眼を有する異能者と知り合う。やがて、日露戦争が始まるが……。

 日露戦争、満州国建国、日中戦争、そして敗戦までは45年余しかない。だが、清朝から中華民国に移る間も、常に何らかの紛争が続いていた。ロシアが退場した後は、日本が中国東北部侵攻の主役だった。李家鎮はそんな満州の中央に位置しており、日本人や特権階級のために仙桃城と名前を変える。

 クロニクルにつきものの、奇妙な(個性的な)人々が登場する。牧師は元地図測量者という設定だし、肌で感じる風と湿度から天気を正確に予測する男や、抗日ゲリラで異能者の娘、地下で活動する党の活動家や指導者たち(肯定的には描かれない)などなど、裏切りを企む卑怯者や、現地人を人と思わぬ非道な憲兵、事務的で冷徹な満鉄社員までが描かれる。

 (物語の大小を問わず)プロットをあらかじめ立てないで書くと称する作者らしく、最初に想定したマルケスのマコンド(『百年の孤独』)からは外れ、莫言的な(マジックリアリズム風の)作品になったという。純粋な架空都市ものではないので、その点は読者の期待と異なるかも知れない。もともと、満州で計画された人工都市「大同都邑計画」(→仙桃城都邑計画)の小説化を編集者側から持ちかけられ、日中戦争の史実や開戦前に敗戦をシミュレーションした「総力戦研究所」(→戦争構造学研究所)などを取り込み、奔放に膨らませたものなのだ。

 本書では、都市計画や日中戦争に限らず、戦争の意味が論じられる。一方、満州が舞台であるが、異能者や現地人は端役だ。あくまでも、異国の架空都市で活動した建築家や学者、官僚、軍人、憲兵、満鉄職員(国策会社なので一種の公務員)ら、日本人の物語となっている。「地図と拳」の意味は、物語の中ほどで語られる。地図とは抽象的な国家を具現化するものであり、拳とはわずかな面積に過ぎない地図を奪い取るための暴力なのである。

井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』社会評論社

装画・装幀:谷脇栗太

 SF専門のウェブメディアVG+(バゴプラ)が主催する第一回かぐやSFコンテスト(2020)、第二回かぐやSFコンテスト(2021)の受賞者、最終候補者、選外佳作となったメンバーからなる書下ろしアンソロジイである。全部で26作家/作品(掌編から短編まで)を収録する。社会評論社から発売されているが、レーベルはKaguya Booksで、今後もオリジナルの長編や短編集、アンソロジイを刊行していくという。

第一章 時を超えていく
 三方行成*「詐欺と免疫」詐欺で儲けた男の前に、未来からきたと称する時間泡が現われる。一階堂洋「偉業」説明癖のある彼女は、あるとき珊瑚の遺骸で画期的な発見をする。千葉集「擬狐偽故」トランスカルヴァニアのホテルで、わたしは希少なエリマキキツネと遭遇する。佐伯真洋*「かいじゅうたちのゆくところ」二ヶ月前に亡くなった祖母の遺品が、ひょろりとした怪獣によって届けられる。葦沢かもめ*「心、ガラス壜の中の君へ」オレンジ畑で働くロボットは、ある日ニンゲンの幼体と遭遇する。勝山海百合*「その笛みだりに吹くべからず」ロボットが見つけた箱の中から、滅んだ文明の笛が見つかる。

第二章 日常の向こう側
 原里実*「バベル」突然言語が散り散りになる。〈バベル〉が異常になったのだ。吉美駿一郎「盗まれた七五」川柳の趣味を持つ清掃員の主人公は、上の句より先が出ず苦しむ。佐々木倫「きつねのこんびに」コンビニのレジスタに、なぜか枯れ葉が混じるようになる。白川小六*「湿地」沼の周辺には半鳥人の巣があるが密猟が絶えなかった。宗方涼「声に乗せて」声を良くするという装置には謳い文句通りの性能があったが。大竹竜平*「キョムくんと一緒」買ったばかりのマンションの一室には、透明な虚無が存在する。赤坂パトリシア「くいのないくに」白金に輝く杭は子育てをするため動かないという。

第三章 どこまでも加速する
 淡中圏「冬の朝、出かける前に急いでセーターを着る話」セーターを着ようと頭を突っ込むと、中には得体の知れない生き物が住んでいて。もといもと「静かな隣人」ネルグイ星人が地球に来訪してから30年が経った。苦草堅一「握り八光年」ミシュラン2つ星の鮨屋の技は目にも停まらない。水町綜「星を打つ」はるかガニメデから投げられた星を反射塔が打つ。枯木枕*「私はあなたの光の馬」太陽の光を避けるために、息子の服も部屋も遮光されている。十三不塔*「火と火と火」特定計算機マルワーンによりすべての言葉が自動検閲される。

第四章 物語ることをやめない
 正井「朧木果樹園の軌跡」さかなは大きく育つとこの世界から旅立つのだという。武藤八葉「星はまだ旅の途中」主人公はイベントで演者オブジェクトに介入する役割だった。巨大健造「新しいタロット」洞窟の奥でタロットカードで占われる運命とは。坂崎かおる*「リトル・アーカイブス」二足歩行ロボットバイペッドによる戦闘で亡くなった兵士の母はその真相を探ろうとする。稲田一声*「人間が小説を書かなくなって」冒頭一文を書いただけで、AIは小説にしてしまう。泡國桂*「月の塔から飛び降りる」ぼくは月と地球とを結ぶ連絡トンネルを保守している。
*:ハヤカワSFコンテスト、創元SF短編賞、日経星新一賞など、かぐやSFコンテスト以外の小説に関する賞の受賞者・入賞者

 作品、作家数的には日本SF作家クラブ編のアンソロジイに匹敵する(共通する作家もいる)。三方行成や勝山海百合、十三不塔、赤坂パトリシアらはプロ出版の著作があるが、他でも賞の最終候補クラスが並んでいるので、そういった新人作家の受け皿になっているようだ。

 編者が述べているように、掌編小説はオンライン時代に求められている長さである。オンラインマガジンで、ちょうど一画面に収まる長さだからだ。スクロールしなくても読める。そこで起承転結が収まるのかだが、必ずしもそういったレギュレーションも必要条件ではない。

 本書では、全体的にフラットで静的な作品が多い。何か事件が起こり新規アイデアが提示され、しかし派手なアクションなどは伴わず、諦観を絡めたオープンエンドで終わる。破滅(人類の滅亡後とかはある)も虐殺もないというのは、ある意味一つの見識なのだろう。もしかすると、今の読者が求める基本要素なのかも知れない。