塩崎ツトム『ダイダロス』早川書房

装幀:坂野公一(welle design)
装画:(c)Adobe Stock

 第10回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作。著者の塩崎ツトムは、第9回の最終候補に続き今回は特別賞を受賞した。

 1973年、ブラジル西部のマット・グロッソ州で、ユダヤ人の文化人類学者と医師が、ボリビア国境近くの密林へと分け入ろうとしている。奥地には未知のインディオ種族だけでなく、日系移民のカチグミ過激派(大日本帝国の敗戦を信じず、マケグミにテロ行為を企てる)も潜んでいるらしい。だが、彼らには新大陸に逃れたナチスの大物を狩るという別の目的もあった。

 文化人類学者はレヴィ・ストロースの弟子、医師はアル中で失敗を繰り返しており起死回生を図ろうとしている。そこにジャーナリスト志望の日系青年、ナチスやソ連で非人道的研究を続けていた科学者、カチグミの首魁と取り巻きたち、その娘と正体のしれない孫たちが絡む。

 選考委員の選評は以下のようである。

選考会ではSFとしての驚きにかけるとの指摘が相次ぎ、特別賞に甘んじたが、裏返せばSFの枠に収まらない魅力があるともいえよう。(中略)マジックリアリズムの秀作として幅広い読者に届くと期待したい。

東浩紀

見事な物語であり、広く読者に知らせないわけにはいかなかった。しかしながら、「SF」を賞する本コンテストが、この作品を適切に賞せられるかどうかの問題があり、特別賞とした。

小川一水

力強い作品。ぐいぐい読ませる。衒学的でもある。トカゲ肌の少女の湖上シーンなど、美しさもある。特別賞には納得です。

菅浩江

 この作品にも別の見解がある。

作者の創作動機は「面白いエンタメが書きたい」だろう。それは、実現されている。だが、新しさはない。(中略)しかしエンタメの書き手としての力量を否定してのことではないので、この作品を世に出すことには反対しない。

神林長平

 本書は、冗長すぎるとの編集者を含む各委員からの指摘に基づいて、大きく改稿が行われている(それでも750枚を超える)。物語では、探検に挑む二人のユダヤ人(三人称)、暴力的な本能に翻弄される異形の人物(一人称)、ナチス科学者が優生思想を語りカチグミの日系人首魁が心情を語る断章(それぞれの一人称)など、複数の視点が混ざり合っている。確かにマジックリアリズム的な混沌とした雰囲気は感じられる。著者の語りには、もともと饒舌さ(ラテン的?)があるのだと思われる。

 その一方、物語末尾(順序が逆転したプロローグとエピローグ)で提示される現代へとつながるテーマは、本文と乖離しているように見える。もともと本書は陰謀論=フェイクを描くものではなく、荒唐無稽ながらリアルな物語なのだが、マジックリアリズムをより現実的な舞台へと移行させるため、あえて置かれたものかもしれない。

田場狩『秘伝隠岐七番歌合』ゲンロン/河野咲子『水溶性のダンス』ゲンロン

表紙:山本和幸

 2021年9月に発表された第5回ゲンロンSF新人賞受賞作(第6回は半年遅れて2023年3月発表予定)である。単行本形式の雑誌ゲンロン13(2022年10月)に掲載後、電子書籍化されたものだ。これまで存在しなかったユニークな歌合(うたあわせ)SFと、多様な解釈が可能なファンタジイの2中編になる。

 13世紀、鎌倉時代の日本。京都の自邸にいたはずの藤原定家は、なぜか日本海の只中にある隠岐で目覚める。そこで流刑になった後鳥羽院と再会、しかも歌合の判者(判定者)になるよう要望される。相手はなんと天から来た灰人(はいんど)と呼ばれる異形の者だった。灰人が和歌に注目したのには理由があった。

 新古今和歌集の選者で知られる藤原定家が、後鳥羽院(出家後の後鳥羽上皇)とグレイタイプの宇宙人が和歌を競う歌合の審判員になる。しかも、歌合ではお互いの和歌がガチに披露される。エイリアン灰人の力で幻視した宇宙の光景を織り交ぜながら、お題(テーマ)ごと7組(14首)の和歌が吟じられるのである。宇宙人はともかく、後鳥羽院の和歌を新たに創作するとはなかなかに豪胆だろう。和歌は擬古文ながら、判定の説明は現代文なので読みやすい。

 あいにく評者には和歌の素養はないので出来は分からないが、後鳥羽院が詠んだかもしれないSF和歌、という奇想はなかなか出てこない(思ったところで書けない)。旧来あったSF短歌などとはまた違った新趣向を感じさせるものではある。しかし、円城塔の推薦文(表紙帯)もまた謎。

表紙:山本和幸

 対して河野咲子『水溶性のダンス』は、寓話なのか、風刺なのか、純粋なファンタジイなのか、選考委員を惑わせた作品である。

 主人公はアトリエを開く人体師である。アトリエと言っても芸術作品を作るわけではなく、訪れる客の傷んだ体をそぎ落とし、パーツを補修するのが仕事だった。その街に住む人々は人形のようだった。骨格にはばねや歯車があり、その上に鋳型をとったパテをはめ込むのだ。服はそのパテの上に直接彫り込まれている。あるとき人体師は、一人の踊り子に魅せられてしまう。

 人形は湿気に弱く(水溶性)、時間が経つと体が劣化していく。書割のような街は、ある部分は精細に作りこまれているけれど、大半は奥行きを持たない。この世界自体もまた閉ざされているようだった。主人公は行方不明となった踊り子を捜して彷徨うようになる。

 「夢の棲む街」を思わせる雰囲気「息吹」を思わせる機械的な人々と、設定が面白い。しかし、主人公がなぜこの街を「書割」だと知っているのか(最初からそこに住んでいるのなら、書割という概念自体がないのでは)、真っ白な空白の本が当たり前の世界なのになぜ主人公は文字に執着するのか、そういった理由は明らかにされない。背後の仕掛けをもう少し説明すべきだが、意図的にあいまいさを残したためとも解釈できる。酉島伝法のように世界を膨らませていけるのなら、やがてその答えも明らかになるのだろう。

キム・チョヨプ『地球の果ての温室で』早川書房

지구 끝의 온실,2021(カン・バンファ訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 キム・チョヨプの初長編である。最初の短編集『わたしたちが光の速さで進めないなら』は、2年前に翻訳されている。本書は、ちょうどコロナによるパンデミックのさなか、ロックダウンされたソウルの作家用レジデンス(小説家のためのアーティスト・イン・レジデンス)で書かれたものという。

 既存秩序を崩壊させたダストの災禍が収束して半世紀が過ぎた。22世紀、主人公はダスト生態研究センターに勤める研究者だった。そこでは、生物絶滅を招いたダストの研究と、災禍で失われた花卉や作物の復活などを試みている。そんな中、廃墟となっている地域で、ツル植物モスバナの異常繁茂が問題となる。災禍直後に発生したモスバナには、主人公の子供時代を呼び覚ます思い出があった。

 どこからともなく世界に広がったダストは、動植物を問わず大半の生き物にとっては毒物だった。一部の選ばれた者だけがドームに逃れる。一方ダスト耐性を持つ人々は、ドーム外で限られた資源を奪い合って放浪する。独自のコロニーで生活する小集団もいた。やがてダストを分解するディスアセンブラが開発される。しかし、ダストの減少には隠れていた大きな秘密があった。

 物語では、ダストが蔓延する混迷期と、混乱後60年を経た復興期という2つの時代が描かれる。さまざまな登場人物たちが出てくる。復興期の主人公と研究所の先輩たち、混迷期のマレーシアにあったコロニーに住む姉妹、同じく閉ざされた温室で研究に没頭するサイボーグ学者とロボット整備の技術者。それぞれの関係は物語の展開につれ、しだいに明らかになっていく。世界を救ったのは国家でもなく、名のある科学者でもない。主人公は、苦難を経た先人たち(その何れもが女性であるのは、ジェンダー的な課題を暗喩する)の生き方に思いをはせるのだ。

小川楽喜『標本作家』早川書房

装幀:坂野公一(welle design)
写真:(C)Adobe Stock

 第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。昨年に引き続き大賞(本書)が出て、優秀賞はなく特別賞(別途刊行)が選ばれた。小川楽喜は1978年生まれ。20年近く前になるが《ソード・ワールド短編集》や、紙版のTRPGシナリオでの著作がある。受賞作は他の新人賞へ3度(改稿なく)投稿された作品で、4回目にしてようやく日の目を見たものという(ただし、本書は応募時より加筆訂正されている)。

 また、今年から選考委員に菅浩江が加わっている。ハヤカワのSFコンテストでは(過去を含めて)初の女性選考委員である。近年の日本ファンタジーノベル大賞や創元SF短編賞などと比べても、女性が選ばれ難い(応募し難い?)特異な賞だったので今後の変化を期待したい。

 80万2700年の未来、人類はすでに絶滅している。だが、その世界を支配する知生体「玲伎種(れいきしゅ)」は、〈終古の人籃(しゅうこのじんらん)〉と呼ばれる閉鎖施設の中に、過去に存在した作家たちを復活させ、不死固定化処置を施し作品を執筆させようとする。〈異才混淆(いさいこんこう)〉(作家たちによる共著)を求めるのだ。しかし、無限に近い時間がありながら、出来上がった作品は支配者を満足させるに至らない。

 〈終古の人籃〉は国や地域別に作られていて、舞台はイギリス作家を集めたカントリーハウスが中心となる。そこで〈文人十傑〉というベストメンバーが順番に紹介されていく(ここを含む第2章まで読むことができる)。ほとんどの作家には明らかなモデルがある。

 19世紀の流行作家セルモス・ワイルド(→オスカー・ワイルド)、21世紀の恋愛小説家バーバラ・バートン(→ビバリー・バートン、アメリカのロマンス小説作家)、20世紀のファンタジー小説家ラダガスト・サフィールド(→J・R・R・トールキン、サフィールドは母方の姓)、18世紀のゴシック小説家ソフィー・ウルストン(→メアリ・シェリー、母方の姓がウルストンクラフト)、20世紀のSF小説家ウィラル・スティーヴン(→オラフ・ステープルドン)、22世紀のミステリ小説家ロバート・ノーマン(→不詳、ノーマン・ベロウ? 実体なしの虚構作家として登場)、24世紀のホラー小説家エド・ブラックウッド(→アルジャノン・ブラックウッド)、28世紀の児童文学者マーティン・バンダースナッチ(→ルイス・キャロル、バンダースナッチは詩に書かれた架空の生き物)、19世紀の国民作家チャールズ・ジョン・ボズ・ディケンズ(→チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ)、そのディケンズと途中入れ替わる20世紀の日本人作家辻島衆(→津島修治=太宰治)、31世紀以降のクレアラ・エミリー・ウッズ(→ヘレン・エミリー・ウッズ=アンナ・カヴァン)。そして、物語の語り手、狂言回しである巡稿者(作家から原稿を集める者)メアリ・カヴァンもまたアンナ・カヴァンなのだ。

 80万2700年というのは、ウェルズのタイムマシンがたどり着く遠未来である。そこでは労働者が地下に住む怪物と化し、地上の富裕層の成れの果てを食用にするのだが、本書では作家が仮想的な檻に強制収容され、上位知性の編集者から解のない小説の執筆を強いられる。そういう意味では、本書は文字通りのメタフィクション(フィクションついて書かれたフィクション、小説を書くということについて書かれた小説)であり、作家のディストピア(人によってはユートピア)小説ともいえる。

 選考委員の選評は以下のようである。

最初から最後まで、人間がなぜ小説を書くのか、何を書くのか、どう書くのかというのがこの話の主題だった。(中略)結末の美しさは他を圧していた。

小川一水

本作を推したのは、書くことの切実さとその限界というものをこの作者自身が身をもって知っていて、その思いを何としてでも書き表したいという強い意志を感じたからだ。

神林長平

『サロメ』はあまりに有名すぎるとは感じましたが、とにかくリーダビリティが高く、ずっと緊張の続く良い作品だったと思います。(中略)器用さと大胆さを兼ね備えた方だと感じ、推しました。

菅浩江

あらゆる設定と標本作家たちの個性が有機的に絡み、かつ語りに工夫を凝らしながら、壮大かつ私的なヴィジョンを紡ぎだすのには本当に感心した。

塩澤快浩(編集部)

 一方、別の見解もある。

モデルは容易に想像がつき、多くは英語圏の有名作家である。受賞作はそんな彼らの大作家としてのイメージを読み替えるのではなく、むしろステレオタイプをなぞるように展開していく。(中略)評者はその文学観に同意できないので評価は厳しくなった。

東浩紀

 この小説のベースとなった作品は多いが、中でも前半のオスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』『サロメ』と、後半のアンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』(表題作は8つの断章から成る中編)『氷』が大きい。カヴァンは特に作家本人と酷似するウッズと、語り手カヴァンという二重の表出が印象深い。ジャンル作家(に見立てた作家)の扱いや太宰のイメージの平板さという難点は評者も感じるものの、サロメをシリアルキラーにしたり、キャロルが反出生主義を唱え、ブラックウッドが全人類を再演し、ワイルドとカヴァンとがマッチングするなどのアイデアは大胆だろう。何れにしても、既存のフィクションをパロディではなく大真面目にコラージュし、創作の意義に新たな光を投げかけた点で、特に実作者に感慨深い作品といえる。