小田雅久仁『残月記』双葉社

装画:釘町彰「snowscape 蒼茫」
ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

 小田雅久仁9年ぶりの単行本かつ中編集。本書に収録された3作の中編(400枚を超える長編クラスを含む)は、2016年から19年にかけて小説推理に掲載(分載)されたものだ。アンソロジイ『万象』『Genesis 時間飼ってみた』を含めると、5年前から毎年インパクトのある中~長編を発表してきたことになる。

 そして月がふりかえる(2016)苦労したあげく大学に職を得、それなりの有名人ともなった主人公は、ファミリーレストランで家族と食事をする。だが、窓から見えた満月から得体の知れない違和感を覚える。
 月景石(2017)主人公は、断面が月面の風景に見える石を持っている。月面のようなのに、大樹が生えている不思議な模様だった。それは20代で亡くなった叔母の形見なのだ。枕に挟むと夢を見るというのだが、もらったまま実家の引き出しの奥で忘れられていた。
 残月記(2019)月昂症と呼ばれる感染症がある。満月が近づくと発症者は興奮し、衝動を抑えられなくなる。その反面、常人には真似の出来ない芸術的直感、肉体的な異能が表われることもある。治療法がないという理由で、独裁体制を敷く政府は非人道的な隔離政策を施行する。しかし体力に秀でた者だけは、密かに選別され異様な仕事が与えられるのだ。

 本書の3作品には、設定などに明確な共通点はない。ただ一点「月」が異世界とつながるキーワードになる。「そして月がふりかえる」は『夢の木坂分岐点』や『夕焼けの回転木馬』を思わせる作品だが、月の記憶を契機に入れ替わりが発生する。「月景石」では、月世界を夢見るたびに現実が際限なく変容していく。「残月記」の月昂症は、狼憑き(満月の夜に狼男に変容する)そのものだろう。

 各作のアイデア部分に新規性はそれほどない。月世界もリアルというより象徴的な存在だ。本書で注目すべきなのは長編相当の「残月記」のように、狼男+パンデミック(コロナ前の2019年に書かれた)+全体主義的ディストピア+古代ローマ+一途なラブロマンスなどなどの相容れない要素を、破綻なくまとめあげる小田雅久仁の筆力にある。

 とても緻密な文体である。省略のない明晰な文章で、登場人物たちの半生/一生がきわめて丹念に描き出されている。どこに生まれ/どんな親に育てられ/だれと出会い/どんな生活をしているのか、それらが有機的に結びつき、それぞれが生き生きとした物語になっている。容赦のない筆致は、9年前の『本にだって雄と雌があります』の軽快さとは対照的に重量感を有するものだ。ディストピアと化した日本で、古典的な恋愛譚を描くのによく似合っている。

『Voyage 想像見聞録』講談社/集英社文庫編集部編『短編宇宙』集英社

装画:嶽まいこ
装幀:長﨑稜(next door design)
カバーデザイン:高橋健二(テラエンジン)
イラストレーション:岩岡ヒサエ

 6月に出た『Voyage 想像見聞録』は、小説現代2021年1月号~4月号に掲載された「旅」をテーマとする連作6編を収めたもの。もう一冊の『短編宇宙』は1月に出た《集英社文庫短編アンソロジイ》の一冊で、7編中5作は書下ろしである。新作のSF短編が読める媒体というと、いまや隔月刊のSFマガジンと不定期刊のアンソロジイGenesisやNOVAしかない。しかし、ジャンルにこだわらずに探せば、アンソロジイなら他社からも複数出ている。特にこの2冊ではSFが過半を占めている。遅ればせながら読んでみた。

Voyage 想像見聞録
 宮内悠介「国境の子」
少し未来のいつか。対馬出身の主人公は、故郷を離れ東京でデザイナーとして働くようになった。ただ、自分が韓国人とのハーフであることを、どこかネガティブに感じている。
 藤井太洋「月の高さ」小劇団の舞台装置を運搬するベテランは、若いスタッフに対する急な変更要請に翻弄されながら、台湾で見た月の高さを思い出す。
 小川哲「ちょっとした奇跡」もう一つの月が軌道に進入し、自転と公転とが一致するなど大変貌した地球。トワイライトゾーンに留まるように地表を動く2隻の船だけが、人類に残された最後の居住スペースだった。
 深緑野分「水星号は移動する」高級ホテルが立ち並ぶ宇宙空港の町では、無許可の宿は禁止されている。しかし、トレーラー式の水星号は移動する宿なのだ。
 森晶麿「グレーテルの帰還」めったに旅行などしない家族だったが、ある夏休みに急に祖母の家に旅行することになる。祖母は父の子である兄を可愛がるのに、再婚した母の連れ子である自分には冷たい。
 石川宗生「シャカシャカ」世界中が、小さな区画単位に「シャカシャカ」という現象でばらばらにシャッフルされてしまう。姉弟の兄弟は、不定期に起こる超常現象により世界を漂流する。

短編宇宙
 加納朋子「南の十字に会いに行く」
* 突然、父が石垣島への旅行を決める。あまり気乗りしない娘は、訝りながらも観光を愉しもうとするが、父には別の目的があるようだった
 寺地はるな「惑星マスコ」わたしは異星人と呼ばれていた。他人に理解してもらえないことが多かったからだ。そんなわたしは田舎に転居した姉夫婦のところで、一人の小学生と知り合う。
 深緑野分「空へ昇る」土塊昇天現象とは、地面に突然穴があき土壌が宇宙に舞い上がっていくこと。土は軌道上に広がり輪を構成していく。地表には無数の穴が穿たれる。
 酉島伝法「惑い星」宇宙に生まれた新星児は、やがて親星の軌道を離れ、後に旺星と呼ばれるようになる。生まれてから消滅するまでの星の一生。
 雪舟えま「アンテュルディエン?」予備校生である主人公は、高校時代から人気者だった友人にひそかに心を寄せる。それから、街中で有名人との意外な出会いがある。
 宮澤伊織「キリング・ベクトル」* 目覚めたばかりの主人公は、いきなり異星人との戦闘に巻き込まれる。その結果、自分が殺し屋のスキルを有していると分かるのだが、過去の記憶は一切なかった。
 川端裕人「小さな家と生きものの木」主人公は電波望遠鏡を使う国際研究チームのリーダーだ。出張がままならないため、チームのメンバーはリモートで勤務している。主人公も自宅だが、娘の幼稚園児と話す中で生命と宇宙進化に思いを馳せる。
 *:小説すばる2017年6月号 特集「宇宙と星空と小説と」に掲載

 『Voyage 想像見聞録』の宮内悠介、藤井太洋は自身の体験から生まれた(と思われる)リアルなお話。森晶麿はミステリ色が濃く、深緑野分は近未来を舞台にした新しい生き方を描く。完全にSFといえるのは、小川哲のめずらしくハードな設定(『逆転世界』や『移動都市』風)の作品と、世界が空間的にばらけてしまう(『10月1日では遅すぎる』や『時の眼』風)石川宗生によるユーモラスな作品だ。

 一方の『短編宇宙』の加納朋子、寺地はるなの作品は、日常描写からちょっとだけ宇宙に近いものが顔を覗かせる。雪舟えまも、結末付近で日常を越えたものが姿を見せる。深緑野分(超常的な物理現象)、酉島伝法(惑星の擬人化)はかなり抽象度の高いSF、逆に宮澤伊織はストレートなアクションSFだろう。川端裕人は科学と日常とをシームレスにつなぐ、自身のノンフィクションをイメージしたソフトな作品。

 一般小説誌が、SFやファンタジイを意図した特集をよく組んでいたのが数年前、今ではノンジャンルの作品と入り交じって載っている。結果としてSFは拡散していくのだが、昔あった読みやすい中間小説誌向けSFではなく、コアが溶けずにそのまま残る濃厚なSFが多くなった(上記でいえば、小川哲、石川宗生、深緑野分、酉島伝法、宮澤伊織らの諸作)。半世紀を経た「浸透と拡散」が熟成化(熟成肉化?)する時代なのだろう。

『Genesis 時間飼ってみた』東京創元社

装画:カシワイ
装幀:小柳萌加(next door design)

 《Genesis 創元日本SFアンソロジー》は1年2ヶ月ぶりの出版、これで第4集目となる。前号と同様、創元SF短編賞(第12回)の受賞作が掲載されている。

 小川一水「未明のシンビオシス」中央構造線一帯で発生した「大分割」により、日本の東海地方より西は壊滅する。主人公は、たまたま出会った技師と共に北をめざす旅に出るが、その目的は判然としない。
 川野芽生「いつか明ける夜を」太陽のない世界、野に放たれた馬が連れ帰ったのは、言い伝え通りの救世主とは思えない一人の少女だった。
 宮内悠介「1ヘクタールのフェイク・ファー」高円寺にいたはずの主人公は、気がつくと地球の裏側のブエノスアイレスにいる。テレポーテーションしたのか。しかし言葉も通じず、金もない。
 宮澤伊織「時間飼ってみた」同居人の天才科学者が、何やら得体の知れない生き物らしきものを飼っている。それは「時間」なのだというが。
 小田雅久仁「ラムディアンズ・キューブ」世界中で不特定の都市が、内部から不可視の巨大キューブに飲み込まれる。閉じ込められた人々は、方舟から放たれた巨人や出現する異形の兵士によって次々と殺される。
 高山羽根子「ほんとうの旅」ガラガラの列車の旅と思っていた路線は意外な混みようだった。主人公は閉口するが、見知らぬ同乗者から意外な話を聞く。
 鈴木力「SFの新時代へ」創元SF短編賞のこれまでの沿革と、歴代受賞作、賞の意義についての解説記事。
 溝渕久美子「神の豚」創元SF短編賞優秀賞。疫病の蔓延を阻止するために、家畜が消えてしまった近未来の台湾。主人公は田舎の兄から、長兄が豚になったと連絡を受ける。
 松樹凛「射手座の香る夏」同受賞作。意識転送技術によりオルタナと呼ばれるロボットに憑依することで、自在な遠隔作業が出来るようになった未来。マグマ発電施設で働く憑依中の作業員が、休眠する肉体を奪われる事件が発生する。

 今回も創元SF短編賞絡みの執筆者が多い。サバイバル小説かと思わせて一段シフトする「未明のシンビオシス」、『指輪物語』と「夢十夜」を組み合わせたという「いつか明ける夜を」、おかしな不条理を段落なしに描く「1ヘクタールのフェイク・ファー」、シリーズ2作目となる軽快な作品「時間飼ってみた」、「ほんとうの旅」はフィクションと現実の狭間を旅するお話だ。異色なのは「ラムディアンズ・キューブ」で、小田雅久仁は『万象』に中編を発表して以来の作品となる。一見SFに見えるものの中味は「霊界小説」(のようなもの)。18億年に及ぶ真世界・疑似世界が描かれているのである。

 優秀賞 溝渕久美子「神の豚」は、大きな社会的事件をあえて物語の背景に遠ざけ、兄弟(仲の良かった長兄と、そうでもない次男)や台湾の田舎町、伝統行事(神猪祭)など、主人公が距離を置きたかったものとの関係修復がうまく表現されている。選考委員からは次のような講評が出ている。堀晃「現代SFの道具立てを意識的に使わず、まことに型破りな小説を作り出した」、酉島伝法「ガジェット的なSF要素は薄いが(中略)食肉という行い自体を顧みさせるSF的思弁性があり(中略)ジャンルを超えた書き手となる可能性も感じさせる」、小浜徹也(編集部)「新鮮な個性で、ほんのりした「IFの世界」性がうまく生かされた、愛される作品だ」

 受賞作 松樹凛「射手座の香る夏」はサイコダイバー的な憑依もの。ホラーやファンタジーに陥ち入らず、SFで押し通した筆力に感心する。堀晃「寒冷地の描写、動物の疾駆など、いくつもの見せ場を経て、謎は次第に絞られていく。見事な語り口である」、酉島伝法「筆致は的確でリズムがあるし、構成は巧みで緩急があり(中略)SF的な仕掛けも豊富で、物語としては申し分がない」、小浜徹也「昨年の応募作が大人しい話だったのに比べ、今回は読後に若者らしい閉塞感と喪失感を残す印象的な作品である」

 ちなみに溝渕久美子さんからは、評者の作品「豚の絶滅と復活について」についてコメントをいただいている。方向性が全く違う2作品ながら、前提となる設定がよく似ているからだろう。

チョン・ソンラン『千個の青』早川書房

천 개의 파랑,2020(カン・バンファ訳)

装画:坂内拓
装幀:早川書房デザイン室

 第4回韓国科学文学賞(公募形式)で大賞を受賞した作品である。この賞は新人に贈られるもので、オンライン小説サイトから長編『崩れた橋』を2019年に出版したばかりのチョン(천=天)・ソンランにも資格があった。第2回の同賞では、キム・チョヨプが中編「館内紛失」(『わたしたちが光の速さで進めないなら』収録)で受賞している。

 チョン(정=鄭)・セラン『声をあげます』、チョン(정=鄭)・ソヨン『となりのヨンヒさん』とこれまで短編集の紹介が多かった韓国SFだが、本書は長編である。(カタカナだとすべてチョンさんになるので、ハングル、漢字でも表記した)。

 2035年、競馬は人間の騎手ではなくロボットが馬に乗る。人間よりも軽く作られたロボットは、競馬に最適化され、馬はずっと速いスピードで走ることができるのだ。だが、一台のロボットには誤ったチップが搭載されていた。本来認識しない空の青さに気を取られ、レースの途中で落馬事故を起こしてしまう。

 物語には複数の登場人物が出てくる。主人公は進路選択を控えた高校生。車椅子を使う姉がいる。母親はシングルマザー、競馬場近くの飲食店で2人を育てた。姉は生き物としての馬が好きで、競馬場の厩舎に入り浸っている。そこで、主人公と共に廃棄寸前のロボットを見つける。主人公にはロボット技術に関する才能があるが、学校に馴染めず友人もいない。厩舎の管理人と交渉して、スクラップとなるロボットを買い取る。しかし、修理するためには高価な専用部品を入手する必要がある。なけなしのバイト代はロボット本体だけで消えた。どうしたらいいのか。

 本書ではさまざまな人が登場する。かつて俳優だった母、費用さえ払えば人工的な下肢が手に入る姉、進学校で裕福な家との格差に絶望する主人公、なぜか力を合わせたいと申し出る級友。一方、トゥディと呼ばれる馬がいる。走ることだけを目的に作られた競走馬だが、それでも走っているときが一番幸せだ。そして、人のありさまと馬の求めるものを客観的に見つめる、狂言回しの役割をロボットが務める。ロボットにも、ほのかな幸福感を感じる瞬間がある。それは、青い空を見るときだった。

 著者は賞への応募作品を、最初はスペースオペラで書いたという(途中までできていた)。しかし、自分自身と物語との距離(本当らしくない)に悩みいったん破棄された。もっと自分の心情に近いものに改めたものが本書だ。各章ごとに登場人物を変え(三人称ではあるが一人称寄りの)視点を多角化する手法により、各人物の生きざまが浮かび上がる構成になっている。

 これまで紹介された韓国SFは短いものが多く、キャラクタの個性に踏み込んだ作品としてはやや物足りなかった。ちょっとアニメ的な主人公と級友の関係、過去を悔いながらも懸命な母と姉妹との関係、状況に流される大人たちと主人公たち。本書の人々は複雑に関係し合っており、多彩で飽きさせない。