パトリシア・ハイスミス『サスペンス小説の書き方』フィルムアート社

Plotting and Writing Suspense Fiction,1966/1981(坪野圭介訳)

装画:桑原紗織
装幀:仁木順平

 パトリシア・ハイスミス(1921ー95)は『太陽がいっぱい』などで知られる米国作家である。人物の深層に焦点を当てる作風で、欧州ではサスペンスというより文学として評価されてきた。本書は、経験の浅い初心作家向けの書きかた読本だ。初版から半世紀を経て未だに読まれ続けている。ただし、テクニカルな(技巧的な)ハウツーものではない。多くの事例を自作から引いているが(主に河出文庫から新訳で入手可能)、著者の良い読み手とは言えない評者でも十分に理解できる内容である。

 アイディアの芽:はじめ小さなアイディアでも、作家の想像力によって物語になる。それに気づかないと意味がないので、ノートを常備して書き留めておく。主に経験を用いることについて:本を書くのにルールはない。しかし、人工的なギミックに頼るのではなく、経験で得られる感受性に自覚的であることが重要だ。サスペンス短編小説:短編は小さなアイディアから生まれる。マーケットの要求もさまざまなので、ギミックやあらすじを含め常にストックしておくと良い。発展させること:発展とは熟成のこと。登場人物やプロットに厚みをつけ、物語の雰囲気を決め、アイディアを発展させる。プロットを立てる:章ごとにアウトラインを書いてポイントを決め、物語のテンポを考える。自由に動き出す登場人物を放置することが良いとは限らない。第一稿:第一稿では書きすぎるケースが多い。全体の進捗とバランスに考慮する。執筆する環境も習慣化するなどで安定させる。行き詰まり:さまざまな行き詰まりがある。次の章を思い浮かべながら見通しを持つ、正しい視点なのか見直す、匂い色や音などの感覚を取り入れるなどを試みる。第二稿:第一稿を通して、弛緩したり不明瞭なところ、人物の変化と感情の隔たりがないかを確認する。それらに短いメモを付ける。登場人物が気にかかる存在になってるかを注意する。退屈なシーンなど、重要な問題は優先的に片付けていく。改稿:編集者から求められた改稿には対応する。特定の登場人物を除くよう求められることもある。長編小説の事例──『ガラスの独房』:自著を具体例にして上記の各ポイントを検証する。サスペンスについての一般的なことがら:サスペンスというラベル付けは障害でしかない。作家は残虐さや暴力以上のことを書くことで、その評価を上げることができるだろう。

 著者には(少なくともアメリカでは)サスペンス作家というレッテルが貼られてきた。SF/ミステリ/ホラーなど、これらは売りやすさを意図した商業的なジャンル別けに過ぎない。著者はそれを逆手にとって「あらゆる物語にはサスペンスがある」「いま出たのなら、ドストエフスキーの作品の大半もサスペンス小説と呼ばれる」と、印象的な人間ドラマ全般をサスペンス小説に再定義してみせる。確かに読者の記憶に深い印象を刻むためには、本書で述べられた方法が有益になるだろう。ただし、技能(テクニック)と才能(人を物語で面白がらせる能力/意欲)は両立すべきもので、どちらか片方だけでは作家になれないのだ。