河野裕『彗星を追うヴァンパイア』/穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』(KADOKAWA)

装画 syo5
装丁 川谷康久

 著者の河野裕には、新潮文庫nexの《階段島シリーズ》、《架見崎シリーズ》などの人気シリーズがあるが、『彗星を追うヴァンパイア』小説 野性時代に連載された「ファンタジーであり、科学小説であり、歴史小説でもある」とするノンジャンルの意欲作だ。

 17世紀のイングランド、数学に憑かれた一人の青年がいた。青年はデヴォン州トーキーの成上がり貴族の養子だったが、多勢に無勢の反乱軍との戦いを得意の計算で切り抜けようとする。そこで、一人の不死人ヴァンパイアに助けられるのだ。

 青年はケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのアイザック・ニュートンに師事している。当時ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』(プリンピキア)を執筆中だった。この時代のニュートンの来歴や、ジェームズ2世の王権を巡る権力闘争が物語の背景にある。一方、ニュートンは膨大な量の錬金術研究をしていたことが知られている。そこに天文学を研究する女性(当時のケンブリッジは女性科学者を認めていなかった)と、ヴァンパイアの秘密(不死性)を解き明かす物語が付け加わる。

 この小説の視点は面白い。なぜニュートンが錬金術を研究したのかというと、それが未知の「自然現象」と思われたからだろう(しかし、結局解明できなかったので、プリンピキアのような論文にはならなかった)。17世紀と現在とでは科学とオカルトの境界は異なるのだ。そこにオカルトの極みともいえるヴァンパイアを加味し、敵対者などの虚構キャラや政治的な史実を取り混ぜる。日本作家が書くテーマとしてはとてもユニークといえる。

 ただ、名誉革命につながるジェームズ2世や、個性の強い研究者ニュートン当人まで登場となると、本来の主役(虚構)のヴァンパイアや無名の主人公、初の女性科学者らの影が薄いと感じる。史実のキャラが強すぎるからだ。天文(彗星)から生物(ヴァンパイア)まで、対象となる学問領域も(科学が分化する前ではあるが)広すぎるように思う。題材的にやむを得ないとはいえ、バランスがちょっと気になった。

装画 K, Kanehira
装幀 原田郁麻

 穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』は、第7回アガサ・クリスティ賞を『月の落とし子』で受賞して以来、4年で6冊目の著作になる。受賞作と同様NASAの宇宙計画が発端となるが、本書は完全な宇宙ものだ。月に人間を送り込むアルテミス計画を舞台とした近未来サスペンスである。

 月周回軌道を回るゲートウェイ(宇宙ステーション)に搭乗する6人のクルーに、NASAから突然の指令が下る。人類初の有人月着陸は実は行われておらず、アームストロングの足跡はフェイクだった、そのため今回のミッションで秘密裏に足跡を付け直せというのだ。実施すべきか真相を公表するか、クルーの意見は割れる。

 といっても、本書は陰謀論もの(月着陸はなかったなど)ではない。思わぬ宇宙事故が発生し事態は二転三転、危機また危機が到来するというクリフハンガーからの脱出劇である。こんなメンバーに任せて良いミッションなのか、こんな事故を事前に仕組めるのかなど、展開は読者の想定を超える。もっとも、トランプ政権+ウクライナ侵攻のロシアをディストピア的に敷衍した近未来なのだから、どんな事でも起こりうるのかもしれない。

 それでも、今どきの救出ミッションを描くにしては、登場人物の価値観を含めクラシックな印象を受ける。民間人の女性キャスターや、JAXAの男女クルーが同乘するなどの新しさはあるものの、アポロ宇宙船が飛んでいた冷戦期の宇宙ものを思わせる。

円城塔『ムーンシャイン』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装幀:川名潤

 円城塔の最新短編集。前の短編集『文字渦』が出たのは2018年だったので6年ぶりとなるが、著者は多くの雑誌やアンソロジーの常連なので間が開いたようには感じさせない。その間に、自らシナリオも書いたアニメの小説版『ゴジラS.P』なども出た。本書は、デビューから現在まで13年間の円城塔を4つの中短編で概観できる作品集だ。

 パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語(2008)文字送りのないタイプライタで書かれたため■としか見えない重ね打ちされた物語、砂の中の都、涙性研究、2ビットの断章、紐虫の性質、数えられない数、ゴリアス、西進する波蘭。
 ムーンシャイン(2009)モジュラス側からムーンシャイン経由で、双子のいる百億基の塔の街、全異端論駁、怪物的戯言(モンスタラスムーンシャイン)、多重共感覚者。
 遍歴(2017)ライセンス型信仰集団のエルゴード教団は生まれ変わりを認める。生まれ変わりを無数に繰り返せるのなら、あらゆる人生を体験することができる。
 ローラのオリジナル(2023)故人が生成した莫大なデータ「わたしのローラ」はどのようにして生まれたのか。画像データに残されたテキストの断片から再現がなされる。

 著者による全作品の解題が付いている。最初期作と近作が同居する関係もあり、それぞれの作品が書かれた経緯や今日的な意味をふりかえるといった趣旨になる。

 「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」は群像新人文学賞の落選作、にもかかわらず『年刊日本SF傑作選』に採られたもの。表題作「ムーンシャイン」も、同じく傑作選収録作なのに書き下ろしだったという(当時は、編者が収録に値すると認めれば問題なかったようだ)。これらは、専門用語のフレーズやSF的なイメージが現れる一方、(断片的な説明はあるものの)全体として何が書いてあるのか分からないという、その迷宮感が高評価のポイントだった。頂点に立つのが5年後の「道化師と蝶」(下記リンク参照)である。

 芥川賞受賞のあと初長編『屍者の帝国』が出る。その後『プロローグ』や『エピローグ』(下記リンク参照)、『文字渦』などの連載を続ける途上で「遍歴」は書かれた。科学とも違う宗教哲学的な観点で読め、近刊予定の『コード・ブッダ』につながる作品だ。「ローラのオリジナル」のローラとは、LoRA(Low-Rank Adaptation)のことで、手軽に画像生成できるAI技術を指す(解題に指摘があるように、フェイクの蔓延や著作権の問題をはらむ)。こういう比較的ポピュラーなテーマと(抽象化されているとはいえ)存在感のある主人公を絡めたところに、円城塔の現在位置はある。

上條一輝『深淵のテレパス』東京創元社/西式 豊『鬼神の檻』早川書房

装画:POOL
装幀:岡本歌織(next door design)

 創元ホラー長編賞は「紙魚の手帖」創刊を記念して設けられた賞で、1回限りの実施とされる『深淵のテレパス』を書いた受賞者は1992年生まれ、加味條名義でオモコロなどでWebライターも務めているようだ。

 PR会社の若い営業部長が、部下の誘いを受けて怪談イベントに参加、風変わりな演者から奇妙な話を聞く。ところがその後、周辺で何かの気配がまとわりつくようになる。ぱしゃり、という水音が聞こえる。たまりかねた彼女は、超常現象調査を番組にするYouTubeチャンネルに相談を入れる。

 選考委員の講評は以下の通り。澤村伊智「些細な怪現象に次第に日常を脅かされ、超自然的恐怖を受け入れざるを得なくなるプロセスが丁寧かつ的確に書かれており、この箇所を読んだ時点で作者に拍手を送りたくなった」、東雅夫「物語全体の「謎」となる核心部分も、非常に考え抜かれており、「迷宮」めいた地下世界の忌まわしさ恐ろしさと相まって、読み手を充分に得心させるものだと思う」。

 超常現象調査といっても、実態は趣味で活動する男女2人組のチームだ。どちらも幽霊を見たことがない。しかし興味はあり、現象の解明にカメラやレコーダ、電磁測定器のデータを活用する。ただ、正体は簡単には明らかにできない。イベント主催の学生、謎めいた出演者や、裏社会に詳しい私立探偵、当てにならない超能力者(テレパス)と怪しい人物がどんどん増えていく。やがて、緑の水にまつわる大きな秘密が浮かび上ってくる。

 参考文献には、ノンフィクションに交じって鈴木光司の名前が挙がっている。呪いなど旧来のオカルトと、現代的なテクノロジー(『リング』のビデオテープとか)を交える手法に影響を受けたようだ。伝播する呪いや過去の怨念などホラーな要素が並ぶが、超常現象ありきの設定ではない(ただし、超能力はある)。強引な上司(女)と弱気の部下(男)のチームも面白く、著者の意図通りオカルト嫌いの読者にも受け入れられるエンタメ作品となっている。

扉デザイン:坂野公一(well design)
扉写真:Adobe Stock

 『鬼神の檻』は、第12回アガサ・クリスティー賞を『そして、よみがえる世界。』で受賞した西式豊の受賞後第1作にあたる。

 大正12年(1923年)、秋田の奥深くにある御荷守(おにもり)村では、江戸中期から続く50年に一度の祭礼が開かれようとしている。それは村にある4つの名家の〈姫〉から貴神に嫁ぐ〈御台〉を選び出すものだった。主人公は姉の不慮の死により、思いがけず〈姫〉となる。昭和48年(1973年)、東京で俳優を目指していた主人公は、母親の交通事故を契機に御荷守村に呼び戻される。自分が〈姫〉の血筋だからという。令和5年(2023年)、秋田市内で起こった凄惨な殺人事件を追う週刊誌の新人記者は、その背後に潜む御荷守村の秘密を探っていく。

 物語は3部に分かれ、ほぼ百年にわたって秋田に暮らす一族を追う。とはいえ、560ページ余の大作でも(『百年の孤独』ではないので)焦点が当たる人物(一族)は限られる。また、本書の解説にもあるように、第1部は(バイオレンス)ホラー、第2部は横溝ミステリ(『悪魔の手毬唄』など)、第3部に至るとSFサスペンスとなる。各部ごとに雰囲気は大きく変貌するのだ。

 面白いのは伝奇ホラー的な祭礼の理由、ミステリ的な殺人事件の謎解きときて、最後のSF的な壮大な結末と、それぞれに(各設定に応じた)理由がつけられている点だ。一つの物語の三様の楽しみ方ともいえる。女性が無力な犠牲者になりがちなホラー/ファンタジーを、行動する女性の視点で語り直したところは今風だ(3部とも主人公は女性)。伝奇小説に始まってSFに終わるのは、半村良(『妖星伝』では、異能者の鬼道衆が最後は宇宙に行く)の伝統を踏襲しているせいかもしれない。

 それにしても、第3部の怒濤の真相究明+カタストロフは読者を翻弄する。ホラー/ミステリだと思って読むとその飛躍に戸惑うだろう。もっとも「特殊設定ミステリ」と考えるのなら良いのかも。

春暮康一『一億年のテレスコープ』早川書房

Cover Illustration:加藤直之
Cover Design:岩郷重力+S.I

 著者が第7回ハヤカワSFコンテスト(2019)で優秀賞を受賞したのは、中編「オーラリメイカー」だった。近作の『法治の獣』(2022)も中編集である。本書は、構想から執筆までに1年半をかけた(SFマガジン2024年10月号「著者の言葉」)初長編になる。分量的に千枚に満たないが、一億年分が含まれるという驚異の長編である。

 主人公は望(のぞむ)その名の由来は「とおくをみること」だ。天文台の望遠鏡で球状星団に魅了され、高校では少人数ながら個性派ぞろいの天文部に入る。そこで、理論肌の友人新(あらた)を得る。大学では電波天文学を専攻、VLBI(Very Long Baseline Interferometer)の存在を知り、異星文明の微弱な信号も受信可能な太陽系サイズのVLBIを構想する。そして、縁(ゆかり)と知り合う。

 第3部で物語は大きく動き出す。21世紀末、百歳となった望は、精神スキャンにより肉体を棄ててアップローダーとなるのだ。生物的な寿命という制約から逃れ、再び巡りあった新・望・縁の3人(元ネタのありそうなネーミング)は、彗星、太陽系外縁、さらに他星系へと異星文明探索の網を広げていく。ただ、精神のアップロードには量子的な制約がある。自分を2人以上無限に増やすことはできないのである。

 物語は第1部から第9部まであり、各部に「遠未来」、現在(その時々の)、「遠過去」の断章が含まれる。「遠未来」では大始祖の足跡をたどる親子の物語、「遠過去」は異星の文明下で起こった重大事件が点描される。そのあたりは、後半の章で回収され壮大な伏線になる。

 グレッグ・イーガン『ディアスポラ』との関連を指摘する感想を見かける。電脳化された人類、異星の探訪など、共通点は確かにあるだろう。とはいえ、本書はイーガンのような「宇宙論」が主題ではない。スターゲートを抜けた先に現れる異星人たちを描くクラーク『失われた宇宙の旅2001』とか、宇宙の膨大な時間の流れを相対論的に描くアンダースン『タウ・ゼロ』、ブラックホールを見える化した小林泰三「海を見る人」などの要素もある。結末も、どこか小松左京『果しなき流れの果に』風である。時間・空間のスケール差が大きすぎるため、宇宙で起こる多くの事象は人類には不可視のものだ(抽象化や推測しかできない)。それでも、本書のように望む(=主人公の名前)ことにこそ、人類の好奇心を代弁するSFの醍醐味がある。

 なお、宮西建礼『銀河風帆走』と本書とは兄弟/姉妹のような関係といえる。どちらも天文部の末裔が主人公なのだから。

宮西建礼『銀河風帆走』東京創元社

Cover Illustration:鈴木康士
Cover Design:岩郷重力+W.I

 著者は1989年生まれ。2013年の第4回創元SF短編賞(同期に倉田タカシ高槻真樹、応募者の中には春暮康一らの名もある)を受賞してデビュー、以来11年が経った。本格SFの書き手として、待望久しい初短編集である。本書は、デビュー以降一貫して追求してきた「宇宙への憧憬」を直接/間接に凝集した作品集といえる。

 もしもぼくらが生まれていたら(2019)地球軌道と交叉する小惑星が発見され、衝突が避けられなくなる。高校男女3人組は、試行錯誤しながら回避策の提案を試みる。
 されど星は流れる(2020)主人公は高校の天文同好会会長だったが、パンデミックで休校になり機材は使えない。そこで、部員同士の離れた自宅で流星観測を始めてみる。
 冬にあらがう(2023)トバ火山噴火が再び起こり、成層圏に達した噴煙により深刻な食糧危機が発生する。食糧を作り出す方法はないのか、化学部の寮生2人は諦めない。
 星海に没す(書下し)人類初の恒星間宇宙船が他星系を目指して出発する。乗組員は人間ではなくAGI+AIだった。だが、それを姉妹船が追ってくる。捕捉し破壊するために。
 銀河風帆走(2013)人類が銀河に広がった未来、その存在を脅かす何ものかがいる。正体を確かめるため、ぼくらは「風」を帆にはらませて遠い宇宙へと飛ぶ。

 冒頭の3作はとてもよく似ている。登場人物は、コンテストのためチームを組んだ男子2人女子1人の高校生、天文同好会の先輩と後輩(どちらも女性の高校2年生と1年生)、高校部活である化学部の女子高生2人(ともに寮生)、とすべてマイナーな文化系部活(サークル/同好会)のメンバーである。少年少女たちは小惑星の軌道を変えるアイデアを議論し、流星の軌道を算出するネットワークのアイデアを出し合い、食糧を代替し栄養補給ができるアイデアを実証しようとする。何れも科学的な論理思考を駆使し、リアルな問題の解決に奮闘する。少年少女が大人も躊躇する難問に挑戦、という正攻法のジュヴナイルなのだ。

 紙魚の手帖VOL.18の著者インタビューによると、「冬にあらがう」の未来に「星海に没す」の設定はつながるらしい。後半2作には人間が出てこない。主人公は生物ではなく機械である。ただ、未来の人類の一形態(電脳化)であったり汎用知性のAGIだったりするので、人間そのものの思考をする。孤独な旅路だが「銀河風帆走」ではパートナー(僚船)が、「星海に没す」では大きな使命感がメンタルを支える。彼ら/彼女らの体は巨大な宇宙船だ。肉体的な束縛から解き放たれ、悠久の時間を越えていくのだ。

 世の中には理系で学ぶ人が3割いる。ただ、その誰もが「宇宙船になりたい」わけではないだろう。しかし、冒頭3作品に近い青春を送った人ならば(文理を問わず)、この新たな『歌う船』に共感を覚えるに違いない。

『紙魚の手帖 vol.18 Genesis 今年も!夏のSF特集』東京創元社

カバーイラストレーション:カシワイ
ブックデザイン:アルビレオ

 昨年から紙魚の手帖の「夏のSF特集号」となったGenesisの第2弾。紙魚の手帖は隔月刊で、今現在のSFマガジンと同じペースだが、こちらは雑誌(第3種郵便物)ではなく単行本扱いである。もともとのアンソロジー《Genesis》も雑誌風の単行本だったので、(風合いはともかく)形式は一致しているともいえる。連載やエッセイ、レビューを別にすると、第15回創元SF短編賞受賞作+中短編7作という構成。

 稲田一声「喪われた感情のしずく」商品開発に苦しむ新人の感情調合師は、伝説的なカリスマが十数年ぶりに新作のオーデモシオンを発表すると聞いて色めき立つ。 
 宮澤伊織「ときときチャンネル#8 【ない天気作ってみた】」人気シリーズの最新作。今回は天候制御をテーマに、インターネット3から出てきた怪しい発明品が登場する。
 阿部登龍「狼を装う」東京から実家のクリーニング店に戻ってきた主人公は、乾燥室に吊るされた見知らぬ毛皮のコートをまとってみる。第14回創元SF短編賞受賞後第一作。
 レイチェル・K・ジョーンズ「子どもたちの叫ぶ声」小学校には銃撃犯から逃れるためポータルが用意されている。その中にはマイルズ卿と称するネズミがいた。
 斧田小夜「ほいち」神社の駐車場に意識を持った車が放置されていた。その車内ネットワークには、車の理解できないメッセージがどこからかまぎれ込んでくる。
 赤野工作「これを呪いと呼ぶのなら」任意の言葉を「恐怖」に変えるその脳直接書き込み型ゲームには、「呪われる」という迷信めいたネットのウワサがあった。
 松崎有理「アルカディアまで何マイル」文明が滅んだ未来、過酷な労働に苦しむ少年は、たまたま巡り合った鵞鳥(ガチョウ)兵と共にアルカディアを目指す。
 飛浩隆「WET GALA」2083年、メトロポリタン美術館で大規模な回顧展が開催される。オートクチュールのようなロボットを手掛けてきた創始者にまつわる展覧会だった。

 まず受賞作「喪われた感情のしずく」では、各選考委員から、飛浩隆「感情を操作する薬、新技術で社会変革を画策する天才、平凡な主人公による抵抗。まさに王道であり、大枠から細部まで現代のSF短編として今回随一の仕上がりだ」、宮澤伊織「香水になぞらえたであろう人工感情というアイデアが、アイデアだけに終わらず、最後までストーリーを動かすエンジンになっているのがとてもよかった。文体も平易な中に必要な情報が織り込まれていて読みやすい」、小浜徹也(編集部)「感情のコントロールを人工物に頼るというアイデアが新鮮であり現代的である。人工感情の体験も、同業者の目を通すことで分析的に語れている。過去のいくつものオーデモシオンの商品名も気が利いていた」など、高評価を得ている。

 オーデモシオンがフランス語の eau de émotion だとすると「感情の水」の意味になる。人を操る香水が出てくるパトリック・ジュースキント『香水』を思い出した。本作の「調合師」も「調香師」とのアナロジーから出てきたものだろう。人の頭にレセプタ(受容器、形状は不明)があって(ケーブルをジャックインするとかではなく)そこにオーデモシオンを注入するアナログさがユニークだ。ただ、50年以上先でレセプタがデフォにある未来なら、現在の延長ではなくもっと異質な社会になるのでは。

 他では、松木凛を思わせる憑依もの「狼を装う」は、日常的な倦怠から超常世界への変転が面白い。「子どもたちの叫ぶ声」はシリアスな社会問題とファンタジイとが対比ではなく交錯する。「これを呪いと呼ぶのなら」は、かつて炎上事件でトラウマを負ったゲームライターが、次第に底なし穴に墜ちていく展開が怖い。「WET GALA」は(MET GALAの頭文字のみ裏返しているので)SCIENCE FASHIONに載るべき作品ではないかと思ったが、創始者とAIチップの開発会社との関係/さまざまな物語中(生成)物語/〈テホム〉による世界規模の災厄などなど、ファッションを超越しためまいを誘う中編だった。とはいえ、ちょっと詰め込み過ぎ。

不破有紀『はじめてのゾンビ生活』KADOKAWA/篠谷巧『夏を待つぼくらと、宇宙飛行士の白骨死体』小学館

 KADOKAWA電撃文庫と小学館ガガガ文庫から、最近話題になった2作品を取り上げた。前者は異色のゾンビ年代記、後者はロングセラーSFをキーワードとした学園ものである。

イラスト:雪下まゆ
デザイン:藤田峻矢(草野剛デザイン事務所)

 『はじめてのゾンビ生活』は、電撃ノベコミ+に掲載されたのち単行本となった不破有紀のデビュー長編だ。

 26世紀、女子高生がゾンビ検査で陽性となるところから物語は始まる。この時代ではゾンビ化が人類の4割まで進んでいるものの、親子間でも差別意識がまだ消えていない。月や火星の開発には、過酷な環境に耐えるゾンビが欠かせなかった。やがて、ゾンビたちは新人類と呼ばれるようになる。

 2151年から(3068年の人類滅亡を経て)3149年まで、千年を超える間のさまざまなエピソードが、地球、月、火星、新世界と地域ごとにシャッフルされて並ぶ。全編が50余の短い章に分かれ、関連のある物語もばらばらになっている(単独の章もある)。例えば、2519年の次が3068年、2315年、2445年と目まぐるしく入れ替わる。ただ、数百年~千年もの未来なのに社会やテクノロジー、人間(ゾンビ)関係に至るまで21世紀とあまり変わりがない。なので、読み手の混乱は最小限に抑えられる。

 腐ったものを好み、鉱物まで平気で食らうゾンビの生態は、一般の生物と相容れないと思えるが、本書の中では人種や民族、性差という今日的な差異と同等に表現されている。実際、そういう趣旨の啓蒙パンフレットが本書の巻頭に置かれている。ここだけならコメディに見える。後に行くほど、ゾンビ=新人類は、紅い目をしたふつうの人間と変わらなくなっていく。とはいえ、一般名詞化した(題材的にありふれた)ゾンビを描き出すためのユニークな切り口には違いないだろう。

イラスト:さけハラス

『夏を待つぼくらと、宇宙飛行士の白骨死体』は、2024年の第18回小学館ライトノベル大賞《優秀賞》作品である(『星を紡ぐエライザ』を改題)。篠谷巧は、エブリスタの2021年『この文庫がすごい!』大賞を受賞しデビュー、ゲーム翻訳者の経歴があり、本書でも英語慣用句を直訳(青天の霹靂を「青から突然」とか)でしゃべる母親が登場する。

 高校生活最後の夏、友人と共に夜の学校に忍び込んだ主人公は、中学生の頃に旧校舎にひそかに貼り付けた呪いのお札の様子を見にいこう誘われる。旧校舎はもう取り壊されるのだ。途中、そのとき仲間だった1人も加わり、離れた場所にある木造旧校舎に向かう。だが、隠し場所にあったのは、お札ではなく宇宙飛行士の白骨死体だった。

 宇宙飛行士はチャーリーと名付けられる引用したレビューは初紹介当時のもの)。はたしてこの人骨は本物なのか、宇宙服は実物なのか、なぜここにあるのか……中学生時代に仲間だったもう1人を加えたチームは謎の解明に奮闘する。その中で、メンバーの個人的な秘密や思いが次第に明らかになる。ホーガンなどのSFネタを程よくちりばめながらも、ファンタジーではなく王道の学園ドラマに着地しているのは良い。

安野貴博『松岡まどか、起業します』早川書房/柞刈湯葉『幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする』新潮社

 今週はSFコアではない(ほぼ現代小説である)ものの、共にとてもSF的でロジカルな書かれ方をしている2作品をとりあげる。AIが一つの要素を占めている点も(今どきの)共通点だろう。

扉イラスト:丹地陽子
扉デザイン:鈴木大輔・江崎輝海(ソウルデザイン)

 都知事選で一躍時の人となった著者だが、『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記』は、その本業の知見を凝集した「起業小説」である。デビュー作『サーキット・スイッチャー』と同様、本書中の起業もまたAIがらみだ。

 主人公は大学4年生、内定先の人材関連大手リクディード社でインターンとして働いていた。配属先は超多忙な事業企画室で、切れ者リーダーの指導を受けながら仕事を覚えていく。この会社はAIの利用規定がとても保守的だった。ところがある日、主人公まどかは事業部長に呼び出され、内定取り消しを告げられる。

 同じころ、起業するなら投資をするという甘い誘いがある。破れかぶれになった主人公は契約を結ぶが、契約書には1年以内に企業価値が10億円にならなければ、会社側が莫大なペナルティを負うという落とし穴条項が仕掛けられていた。目標達成の目途は全く立たない。それでも、あの厳しかったリーダーが(なぜか)離職してまで参画してくれる。

 リーダーのサポートを受け、資金を得るためのピッチをスタートアップと投資家のマッチングイベントで披露、頼りになる技術者も仲間になり、何よりまどかにはAIを使いこなすセンスがあった。しかし、最初の資金調達は何とか成功するも、競合するリクディードからのさまざまな妨害と、出資者からの突き上げがまどかを翻弄する。

 PDCAとかの会社用語だけでなく、スタートアップ特有のタームが飛び交う。スピードが重要なため、会社方針のピボットが行われたり、まずは資金を得るためのセル・ビフォア・ビルドをする、などなどだ。お金が必要なAIの技術開発最前線は(金融工学などと同様)アカデミアではなく企業で生まれる、とも書かれている。

 物語は、ITにまつわる世間を騒がせたトラブルも取り入れ、わずか1年のレンジで起こる危機また危機の連続や、一歩間違えば黒字でも倒産する紙一重の資金調達(時間勝負なので資金をストックする余裕がない)と、クリフハンガーな展開になる。とはいえ、結末はなかなかリアルである。決してありえないものではない。最後には(いまでもこのようなサービスはあるのだが)、ちょっとSF的でエモーショナルなシーンがある。

カバー装画:さけハラス   カバーデザイン:川谷康久(川谷デザイン)

 『幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする』は、新潮文庫nexから出た、柞刈湯葉の書下ろし長編である。nexはキャラ重視のレーベルなのでJKも出てくる。ラノベ風味をあまり感じないのは、他人の気持ちが分からない理系男子が主人公のせいもある。

 地方に住む大学生の主人公が、バイトで霊媒師の助手になる。真夏なのに黒紋付の和服を着こむその霊媒師は、百歳で亡くなった曾祖母(ひいばあちゃん)の学友だと称するのに、母親より若く中年女性としか見えない。

 バイト代の気前はよいが、仕事は不可解で不条理なものばかり。道路でエアバックを膨らませ、航空券のeチケットを燃やし、空き地で糸を焼き、増水した川に浮き輪を投げたりする。霊媒師が見えるという霊を、主人公はまったく見ることができないのだ。ただ、霊が残ることには何がしかの根拠があって、嘘ばかりだとは言えない。そのメカニズムの解明に興味が向く。

 主人公は中高と学年トップで勉強がよくできた。遠方の難関校に興味はなく、地元大学を選び自分で文献を調べ勉強する。舞台は地方都市、両親の家から通学し、曾祖母や祖母が暮らしていた古い本家もすぐ近所にある。曾祖父母はかつては町の名士だった。霊媒師も近くに住んでいる。おどろおどろしいというより、どこにでもある地方の町と思える。

 意図的に超常的なホラー臭を消した設定だ。そこに文学部の女性講師(この講師と、上記『松岡まどか』の冷静なリーダーは立ち位置が似ている)や女子高生が絡み、町の「埋蔵金」が明らかになるなどミステリぽくなっていく。物語は2019年に始まり、コロナ禍を経た2024年にエピローグとなる。結末にはちょっとだけAIが出てくる。続編があるのなら、生かされるのかもしれない。

えたいのしれない怖さ、3冊の絵本から

 1月から続けてきたシミルボン転載コラムですが、今回が最終回になります。まだ数編は残ってはいるものの、その時々の出来事に合わせて書いた記事もあり、おさまりが悪いのでまたの機会に。最後は、ちょうどいまのシーズンに合う、3冊のホラー絵本紹介で締めくくります。以下本文。

 世の中には「えたいのしれない怖さ」というものがあります。しっかりと見えたわけではないのに、けれど何かがいるような気がする。いつまでたっても正体がわからず、もやもやとしたままなので怖い。ひとめで化けものとわかる、怪物や妖怪がでてくるわけではありません。ただ、よく知っているものが不気味な形に見えたり、形のないものが無性に怖くなることがあります。そんな世界をのぞいてみたいのなら、この3冊の絵本がぴったりかもしれません。1つには見えないともだちが、1つには見えないものの正体が、さいごの1つには見えなかった本心があらわれてくるからです。

おともだち できた?
 おんだりく恩田陸)がかきおろしたえ本です。子どもむけの本で「こわいものはよくない」といううごきに、はんぱつしてかいたということです。それだけに、とてもこわい本になっています。

 小さな女の子が、あたらしいいえにひっこしてきます。そこはたくさんのうちがたちならぶ町ですが、女の子はひとりであそんでいます。しんぱいになったおとうさんやおかあさんは、女の子にきいてみます。

「おともだち できた?」

 人によってさまざまですが、小さなときにくうそうのともだちをつくる子どもはいます。それが「見えないともだち」です。子どもにとっては、ようせいやせいれい、ゆうれいやおばけ、うちゅうじんやかいじゅうだったりします。おともだちがやさしければよいのですが、生きものですらない「なにか」だと、ちゅういしないといけません。うっかりしりあったことで、そのせかいにさらわれてしまうかも。この本のいしいきよたか石井聖岳)のえは、あかるい町のけしきが、くらいどこか、うらがわのどこかにかわっていくようすをえがいています。

はこ
 『はこ』は、東雅夫の編集で10巻まで出た《怪談えほん》の1冊です(註:最終的に14巻まで出ています)。《十二国記》シリーズや『残穢』を書いた小野不由美の本です。

 ある日、女の子が小さな「はこ」を見つけます。何のはこか分かりません。あけることができず、中からコソコソ音がします。あめのふる日に、はこは開きますが、なかみはからっぽ。するとこんどは、メダカのえさが入っていたはこが開かなくなります。しかも、メダカがいなくなってしまいました。そのあとも、はこが開くと何かがなくなり、また次の少し大きなはこが閉じていくのです。

 「はこ」の中にはいったい何がいるのか。しだいに大きくなる(成長している)中身は、「えたいのしれない怖さ」そのもの。知りたいけれども、知ってしまうときっと不幸になるもの。正体がわからないものは、無用な想像をかきたてます。考えれば考えるほど、怖さは大きくなっていきます。たのしい想像ではなく、不安な思いをふくらませていくようです。どんな家にも、さがしてみれば開かない「はこ」が見つかるかもしれません。nakabanの描く絵は、クレヨン主体で、お話全体を夕暮れのようなくらさでおおっています。

駝鳥
 この絵本は、作者の筒井康隆がデビュー間もないころに書いた、『欠陥大百科』(1970)に収められたショート・ショートをもとにしています(のちに短編集『笑うな』にも収録されました)。動物園でよく見かける、飛べない大きな鳥、駝鳥(だちょう)が登場します。

 ひとりの旅行者が砂漠をさまよっています。旅行者の後ろには、なぜか大きな駝鳥がいて、あとをついてきます。最初のうちは食べものをわけ与えていた旅行者でしたが、いつまでたっても砂漠を出られないと分かると、ひとり占めしようとします。ある日、旅行者は自分が大事にしていた金時計が、なくなっていることに気がつきます。きっと駝鳥が飲み込んでしまったに違いない。そう思い込んだ旅行者は……。

 砂漠にまよい込んだ旅行者と駝鳥、ふだんの生活ではおそらくめぐり会うことのない、とてもおかしなコンビが描かれます。旅行者は、駝鳥と仲よくなります。ただ駝鳥の感情をあらわさないひとみを見ても、相手が何を考えているのかよく分かりません。何のためについてくるのか、駝鳥はもちろん説明してくれません。このお話で「えたいがしれないもの」は駝鳥です。

 ところが、旅行者はわがままに、駝鳥を利用するようになります。最初は旅のなかま、次に食べものをへらすやっかい者、その次は自分が生き残るための道具と、だんだんエスカレートしていきます。さいごになって「えたいがしれないもの」をもてあそんだ旅行者に罰がくだされるわけですが、それは自分のしでかしたことの裏がえしにすぎません。福井江太郎の絵は、駝鳥のコミカルなようす、反対側にあるぶきみさ、影と光を、とてもていねいに描きだしています。

(シミルボンに2017年7月4日掲載)

映画の原作を読んでみる、その3

 シミルボン転載コラムの映画原作シリーズも今回で3回目、これで最後になりますのでよろしく。大作というより、ちょっと渋めの3作品を紹介しています。作家も渋いですが、じっくり書き込まれた読み応えのある作品ばかりです。以下本文。

映画も公開、SNSの闇に迫る『ザ・サークル』
 トム・ハンクス、エマ・ワトソン主演で映画化され話題になりました。海外では公開済み、遅れていた日本でもようやく2017年11月に公開されます。IT社会を風刺した作品で、twitterやLINEなどのSNSを使っている人ならなるほどと思うエピソードの先に、全体主義社会の影が見えてくるという内容。とても怖いですね。特に今のSNS社会で困るのは、ほっといてくれないことです。黙っていれば発信しないやつだと怒られ、発言すると執拗につきまとわれ、善意であっても挙動を逐一見張られる。どうせ秘密が持てないのだから、世界中みんなが秘密を持たなければ良い、という発想の果てに本書があるわけです。

 著者は、1970年米国生まれの作家、編集者、出版業、脚本家、社会活動家(移民家族のために読み書き支援を行うなど)です。本書は、架空のインターネット企業「サークル」を扱った作品。リアルの世界で苦労の多かった著者の経歴もあってか、スマートなIT会社が暗く変貌していく様子を描かれています。本書の内容について、日本のITギーク系の雑誌WIREDは高評価でしたが、米国版WIREDは内容をやや批判的に紹介していました。

 「サークル」は巨大なIT企業です。主人公は旧態依然の地元に飽き飽きし、友人の紹介を伝手にサークルに入社します。そこには開放的なオフィス、先端的な仕事、自由な社風、厚い福利厚生制度があり、若い就職希望者が羨望する環境が用意されていました。彼女へは社内外SNSへの参加や、さまざまな情報発信が半ば義務付けられます。けれど、世界と繋がり合うほどに、自身のプライバシーは失われていきます……。

 本書中に「秘密は嘘、分かち合いは思いやり、プライバシーは盗み」というスローガンが出てきます。これは、オーウェルが書いた『一九八四年』の「戦争は平和、自由は隷属、無知は力」に対応するように置かれています。サークルのガラス張りのオープンなオフィスも、ザミャーチン『われら』に現われるプライバシーのないガラスの建物を思わせます。とすると、本書はITがもたらす全体主義を風刺する小説のようです。

 ただし、米国WIREDは、その批判は少し的外れではないかと指摘しています。SNSが持つ特性、秘密やプライバシーの排除は、裏で行われる不正や談合をなくし、過去の時代では知りえなかった真実を暴露する面もあるからです。とはいえ、見知らぬ他人からの干渉や、恣意的な誘導という暗黒面も存在します。

 本書は前半でポジティブな面を強調し、後半でネガティブさを曝け出すように書いています。確かにtwitterやLINE、facebookなどでは、成り立ちが善意であっても、悪意で運用することで、窮屈な社会ができてしまう可能性があります。現実に起こった政府機関による干渉疑惑などを見ると、SNSによる大衆扇動がありえないとは言えません。一方向だけの発言が称賛されて、異論が許されず、ただ同一化が求められるなら、それは全体主義そのものとなってしまうでしょう。

(シミルボンに2017年10月5日掲載)

映画「アナイアレイション―全滅領域―」に見る、彼岸世界は徒歩圏内?
 そのむかし、あの世とこの世は地続きであると考えられていました。つまり歩いてあの世に行けるわけですね。生と死が身近で、隣り合わせだった時代を反映しています。神話や伝承にある黄泉の国の入り口は、いまでは地名だけになって残されています。人が増え、宗教心が薄れ、世界が狭くなると、そういった地続きの異世界は顧みられなくなりましたが、物語の中では別のかたちで蘇っています。

 その一つが、今回紹介する三部作です。パラマウント版「アナイアレイション―全滅領域―」は、誰もが生還できず「全滅する」という、何だか怖い題名になっています。「エクス・マキナ」「わたしを離さないで」のアレックス・ガーランド監督、「ブラック・スワン」のナタリー・ポートマンの主演で、2018年2月下旬から3月にかけて世界21か国で公開される作品ですが、三部作はその原作にあたります。

 著者ジェフ・ヴァンダミアは1968年生まれの米国作家、アンソロジストで、チャイナ・ミエヴィルらが提唱する「ウィアード・フィクション」(気味の悪い小説)と同様の、「ニュー・ウィアード」と呼ばれる幻想ホラー小説の書き手であり編集者です。世界幻想文学大賞を3度受賞していますが、そのうち2度はアンソロジイの編者としての受賞でした。そういうジャンル小説をよく知る書き手が、今回は少し変わったアプローチで三部作を書いたのです。

『全滅領域』:自然豊かな海岸部のどこか、エリアXと呼ばれる領域に調査チームが入る。11回に及ぶ調査はことごとく失敗し、隊員は不可解な死を遂げたり正気を失っている。何が原因なのか、条件を変えるため12回目の探査では女性だけが選ばれる。メンバーはお互いを名前で呼ばず、職種名で呼ぶ。隊員は地下へと降りる〈塔〉の中で、壁面を覆いつくす文字を見つける。

『監視機構』:エリアに隣接して、〈サザーン・リーチ〉という監視研究機関が設けられている。前所長が行方不明となり、新任の所長が着任する。しかし、非協力的な副所長や言動が奇妙な科学部のメンバーなど、所内の様相は混沌としている。前所長は何をしようとしていたのか。新任所長に与えられた、本当の目的とは何か。

『世界受容』:エリアXが拡大を始める。エリアの中では、失われた隊員から変異した何者かが見え隠れる。新任所長はエリアへの潜入を試みるが、そこでは異形の生き物がうごめき、過去の記憶と偽りの未来が混交する。時間の流れさえ均一ではない。エリアの正体は、果たして明かされるのか。

 最初の『全滅領域』だけを読むと、エリック・マコーマック『ミステリウム』(1993)のような印象を受けます。固有名詞を持たない登場人物と正体不明の世界、解き明かされない謎など、ある意味典型的な幻想小説のスタイルともいえるでしょう。『監視機構』では、そこに〈サザーン・リーチ〉という外形が設けられ、(得体は知れないながら)組織的な背景や、人間関係が明らかにされます。『世界受容』に至っては、今度はエリアXという世界の本質にまで踏み込んでいます。語り手の視点には、いくつかの工夫があります。第1部は一人称、第2部は三人称、第3部は一人称、二人称、三人称をパートごとに交えているのです。個人の狭い視点による歪められた世界が、三人称で客観化されたかのように見えて、最後にまた混沌へと戻っていくわけですね。謎は解明されたともされていないとも取れます。

 ウェブ雑誌The Atlanticの長い記事の中で、著者はこの三部作の顛末について記しています。2012年に、まず『全滅領域』の草稿が書かれ、上記のような3つの視点から成る《サザーン・リーチ》三部作として売り込むと、SFやファンタジイなどのジャンル小説以外の出版社からオファーを得ます。文藝出版の老舗FSG社(大手出版社マクミラン・グループの一員)は、1年内で3作一挙刊行を提案してきました。条件は「読者は謎の解明を求めるだろうから、きっちりそこまで書くこと」。著者も、第1部(ある種の不条理小説)だけで終わるより、3部作を通して人智を超えるものを表現する方が重要と考えました。残りを書き上げるまで18か月、出版は2014年になってから、2月・5月・9月と連続して出ました。最近のメジャーな出版では、三部作を間髪を入れずに出せることが前提のようですね。

 物語の中には、著者の体験がさまざまに取り入れられています。車の中の潰された虫、家に忍び込む体験、フロリダ北部に似せたエリアXの自然、トレッキング中に膝をひどく痛めたことや、ミミズクの生態に触れたことなどなど。それらがない交ぜとなって、まるで超現実的な旅をしているようだったといいます。

 歩いて行ける異界を扱ったSFと言えば、ストルガツキー兄弟が書いた『ストーカー』が元祖でしょう。危険なものが潜む異界にはお宝もあり、密漁者(ストーカー)たちが命を懸けて忍び込みます。

 その『ストーカー』のオマージュともいえるのが宮澤伊織『裏世界ピクニック』です。異世界と実話系怪談を両立させた、新しい表現が注目を集めました。ご存じのように大人気となりシリーズ化、コミック化やアニメ化もされています。

(シミルボンに2018年2月20日掲載)

荒れ果てた未来の海で、なぜ都市は移動するのか
 2019年3月1日に日本公開された、クリスチャン・リヴァース監督、ピーター・ジャクスン製作・脚本の映画『移動都市/モータル・エンジン』は、未来の干上がった海の上を巨大都市がキャタピラで走り回るという迫力ある映像が話題になりました。本書はその原作です。

 原著者のフィリップ・リーヴは英国の作家です。《移動都市クロニクル》は、2001年から2006年にかけて出版され、第4部『廃墟都市の復活』がガーディアン児童文学賞を受賞しました(その後、短編集なども出ました)。そうか児童文学だったのかと納得する人、意外に思う人もいるでしょう。もともとファンタジイ小説は、児童文学やヤングアダルト文学での出版が多いのです。

 ただし、東京創元社などでは、大人でも問題なく読める作品として紹介されてきました。例えば、スーザン・プライス『500年のトンネル』や、パトリック・ネス《混沌の叫び三部作》などもそうです。他では、ハインラインの長編の多くも、もともとジュヴナイル(例えば、『ラモックス』、『銀河市民』、『宇宙の戦士』などなど)だったのですね。あえて区分けする必要はないのかもしれません。なお、シリーズ第1作の『移動都市』は、2007年の星雲賞海外長編部門を受賞しています。

 舞台は30世紀を過ぎたいつかの時代。60分戦争で世界は滅び、生き残った人類は巨大な移動都市の上で暮らしています。無数のキャタピラや車輪で、文字通り移動する都市ロンドンでは、科学ギルドが戦争前の失われた技術の修復に成功します。激しい生存競争を繰り広げ、都市同士が喰い合うことを認める移動派、そういう海賊的な移動都市と対立する反移動都市同盟、空を自由に飛ぶ飛行船乗りたち。陰謀と隠された過去の秘密を交えながら、物語は最後の対決シーンへと進んでいきます。

 発表当時から、どことなく初期の宮崎アニメを思わせる雰囲気がありました。とてもヴィジュアルな移動都市や兵器の描写、デフォルメされた小道具の数々と、戦いのむなしさに対する思想がそういう連想を誘うのでしょう。主人公は見習い士トム、悲惨な過去を背負った娘ヘスター、美貌のギルド長令嬢らを絡めた波乱万丈なお話です。戦闘シーンが豊富にあるのに、陰惨さはほとんどなく、明快な筋立てで分かりやすい。物語では主人公のトムや、対するヘスターはともに(児童文学なので)少年少女なのですが、映画ではもう少し年上の設定となっています。

 本シリーズは、2010年に第3部まで翻訳された後、長い間紹介が滞っていました。映画化を機に9年ぶりに第4部完結編まで出たのは喜ばしいことです。

(シミルボンに2019年3月6日掲載)