11月に出た『2000年代海外SF傑作選』に続く、橋本輝幸編の翻訳SFアンソロジイである。このくらいの時期になると、ケン・リュウやピーター・トライアスなど新刊でも入手容易な作家が多くなる。11作品を収める。
ピーター・トライアス:火炎病(2019)*兄は周りが青い炎に包まれるという病に犯される。主人公は、治療の手がかりを探すうちに、感覚操作並列SOPというARエンジンの存在を知る。
郝景芳:乾坤と亜力(2017)*社会全般を統括するAI乾坤(チェンクン)は、ある日、三歳半の子ども亜力(ヤーリー)から学ぶように命令される。亜力の言動は理解不能のものばかりだった。
アナリー・ニューイッツ:ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話(2018)*全米の医療が崩壊したアメリカで、ドローン型ロボットと一羽のカラスが協力することを学ぶ。
ピーター・ワッツ:内臓感覚(2018)*グーグルのデリバリーに暴行を働くというもめ事を起こした男は、パラメータ化の専門家と名乗る女の非公式訪問を受ける。
サム・J.ミラー:プログラム可能物質の時代における飢餓の未来(2017)*ソフトウェアで自在に変化する、形状記憶ポリマーが爆発的に普及する。しかし、ハッキングのために恐ろしい事態が生じるようになる。
チャールズ・ユウ:OPEN(2012)ある日突然、部屋の中央に”door”という文字が出現する。僕は彼女と話し合わねば、と思う。
ケン・リュウ:良い狩りを(2012)清朝末期、香港の近辺に住む妖狐と妖怪退治師だった親子は、魔法が消えていく時代の中で、姿を変えながら生き抜いていこうとする。
陳楸帆:果てしない別れ(2011)**主人公は脳内出血で倒れ、かろうじて意思の伝達こそ可能なものの全身麻痺のままとなる。ところがそんな主人公に、思わぬ仕事が依頼される。
チャイナ・ミエヴィル:“ ”(2016)* “ ”とは〈無〉を構成要素とする獣である。現実の事物の反対側にある負の存在は、新たな学問を生み出すことになる。
カリン・ティドベック:ジャガンナート(2012)いつなのか分からない未来、異形の生き物マザーの中に生まれた主人公は、やがて成長し生涯の役割を与えられる。
テッド・チャン:ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル(2010)仮想空間に生きる人工生物ディジエントは、独自のゲノム・エンジンを使って知能を持つ生き物としてふるまう。
*:初訳、**:新訳
7作品は初紹介、または入手困難な本の新訳。ピーター・トライアス、郝景芳、アナリー・ニューイッツ、ピーター・ワッツらは、まさに今のテクノロジーであるAIや、ネットで構成されたGAFA的な世界を切り取った小品だろう。サム・J・ミラーは登場人物が現代的、チャールズ・ユウやチャイナ・ミエヴィルは円城塔風(文字のような純粋に抽象的な存在を生き物のように扱う)である。カリン・ティドベックは酉島伝法『皆勤の徒』(英訳版)を高評価したヴァンダミアのアンソロジイから採られたが、本作もそういう流れを汲む作品。陳楸帆も後半はよく似た雰囲気だ。ケン・リュウは『紙の動物園』収録のスチーム・パンク作品、テッド・チャンはデジタル生命の意味を考察する力作で、比較的最近(約1年前)出た『息吹』収録の中編だが、テーマ的にも欠かせないということであえて収録されたようだ。
2010年代は終わったばかりの近過去なので、客観的な評価を下すのは難しいが、本書の中にそのエッセンスは見える。ネットがその存在感を広げ、AIは偏在化(あらゆるところに分散化)し、無形(ソフト)が有形(ハード)を凌駕する社会だ。また、国家に替わって企業が情報=人間を支配する。男女の定型的な役割は否定され、人に似たものは人間とは限らない。本書の多様な視点から、そういう社会的な変化が顕わに見えてくる。
2020年はパンデミックで明け暮れ、さまざまなものが終わりまたは加速されたが、これらは2010年代(2010-19)より後に物語の形を成すものだろう。