サラ・ピンスカー『新しい時代への歌』竹書房

A Song for a New Day,2019(村上美雪訳)

装画:赤
デザイン:坂野公一(well design)

 著者はニューヨーク生まれのアメリカ作家。2012年にデビュー、2019年ネビュラ賞長編部門受賞作の本書が初紹介となるが、今回を含め同賞を3回受賞(ノミネーションまで含めれば9回も!)した実力派だ。インディーズレーベルで3枚のアルバムを出したシンガーソングライターでもある(ホームページでライブ映像などが視聴できる)。

 近未来のいつか、多人数の集会をねらったテロが頻発する。ライブ会場を巡るツアーの途上だったバンドは、イベント中止により発表の場が閉ざされるという厳しい現実に直面する。集会の機会が失われたのと同じころ、輪をかけるように感染症が蔓延し、移動の自由すら奪われる。人との接触はバーチャル空間主体となり、ライブもネット以外では法的に禁止される。

 物語の主人公は、ライブ活動を封じられたルースと、田舎町で人と接触する機会のないまま育ったローズマリーの2人だ。ルースは密かにライブハウスを作り、生の音楽を求める演奏家や観客たちを集めている。ローズマリーはアマゾンを思わせるオンラインストアの顧客対応係だったが、あるときネットライブの面白さに目覚め、VR音楽配信会社のミュージシャン・スカウト部門に転職する。

 最近でも『零號琴』など、音楽をテーマにしたSFは数多く書かれてきた。また、幻のロックアルバムを描いたルイス・シャイナー『グリンプス』という変わり種もある。しかし、小規模なライブハウスを舞台に、演者の立場を踏まえた作品は本書がはじめてだろう。2019年に書かれているのでパンデミック以前の作品ながら、人との接触が断たれたオンラインライブの実態など、感染症やテロが蔓延した世界で音楽業界がどうなるかを予見する内容で書かれている。

 オンライン化によるメリットは確かにあるが、著者は人と人とが密集して盛り上がるライブコンサートに意義を感じている(実体験してきたことだ)。人と触れあえてこそわかり合えるという考えだ。パンデミック下での難しさはあるものの、自身の知見に基づく見解にはそれなりの説得力がある。

R・A・ラファティ『町かどの穴 ラファティ・ベスト・コレクション1』早川書房

Best Short Stories of R.A.Lafferty,2021(牧眞司編 伊藤典夫・浅倉久志・他訳)

カバーデザイン:川名潤

 牧眞司編によるラファティ・ベスト版の第1集「アヤシイ編」(編者自ら付けた愛称)。ハヤカワSF文庫で過去に出たラファティは本書を含め5冊あるものの、20世紀既刊の3冊『九百人のお祖母さん』『どろぼう熊の惑星』『つぎの岩につづく』は新刊での入手がもはやできない。カルト的な人気はあっても、残念ながらラファティは万人の受け入れる作家ではないのだ。しかし、本書ではそういうラファティの魅力を、円やかにではなく、逆に先鋭化して再提示してみせる。

 町かどの穴(1967/72)仕事から帰ってくると、家族はなぜか自分を怪物呼ばわりして叫び出す、ゼッキョー、ゼッキョー。
 どろぼう熊の惑星(1982/93)その惑星ではあらゆるものが盗まれる。食料や資材だけでなく、人の記憶や知性までもが。
 山上の蛙(1970/72)銀河系で最も危険な狩りに挑む男の前に、猫ライオン、熊、コンドル鷲、そして岩猿またの名(翻訳しだいでは)蛙男が立ち塞がる。
 秘密の鰐について(1970/87)世界にはたくさんの秘密結社があり、裏から社会の各分野を支配している。その中でも〈鰐〉こそが最上位に君臨する結社だった。
 クロコダイルとアリゲーターよ、クレム(1967/88)優秀なセールスマンだった主人公は、ある日猛烈な空腹感と違和感に襲われる。その原因は自分自身にあった。
 世界の蝶番はうめく(1971/92)世界をぐるりとひっくり返し、裏の世界と入れ替えてしまう蝶番がある。ひとたび反転が起こると、住んでいた人々は別のものに変わってしまう。
 今年の新人(1981/81)* 能力増強剤が普及してから毎年飛び抜けた新人が生まれてくる。でも今年の新人はどこかダサかった。
 いなかった男(1967/80)* 嘘つきと評判の家畜商の男がとっておきの話を始める。存在感の薄かった男を消してみせるというのだが。
 テキサス州ソドムとゴモラ(1962/77)国勢調査員の男は人がほとんど住まない地域を担当するが、そこで数万の小さな人々を見つけ調査用紙に記入しようとする。
 夢(1962/74)その娘は、緑色の雨が降りしきる夢の世界の話をする。話を聞きつけた男は、夢の内容を執拗に聞き出そうとする。
 苺ヶ丘(1976/2015)* 外部と没交渉のまま孤立する丘の上の家に、二人の少年が肝試しに潜り込もうとする。
 カブリート(1976/2014)* 小さな居酒屋に集う7人の男たちと、カブリート(仔山羊肉のロースト)を売る女主人が話すおかしな話。(1957年に書かれ保留されていた初期作)。
 その町の名は?(1964/79)辞書の単語と単語のすき間、人々の記憶のすき間に、この世から失われたある町の名前が潜んでいる。《不純粋科学研究所》の1編。
 われらかくシャルルマーニュを悩ませり(1967/79)過去改変を試みる大実験の成果は、しかし実証が困難なものばかり。《不純粋科学研究所》 の1編。
 他人の目(1960/79)今度の大発明は大脳走査機である。他人の脳と自分の脳を同期させることができるのだ。《不純粋科学研究所》 の1編。
 その曲しか吹けない(1980/2014)* 友人たちとを比べると、主人公の能力は劣っていたのだが巧妙さでは勝っていた。その性質が、やがて恐ろしい運命を呼ぶ。
 完全無欠な貴橄欖石(1970/72)リビア海岸を「北」に見ながら太洋を進む帆船は、澄み切った海水の中に得体の知れないジャングルの存在を感じ取る。
 〈偉大な日〉明ける(1975/2017)* 偉大な日がやってくる、それも今日にだ。時計からは分針が取り除かれ、飲み物のコップすらなくてもよくなる。
 つぎの岩につづく(1970/72)石灰岩の台地を発掘する考古学チームは、燧石に彫られたラブレターらしきものを発見するのだが。
 (原著発表年/初翻訳)*…短編集初収録(雑誌、アンソロジイ収録作)

 基本的には入手困難な3短編集からの13作品と、これまで短編集には収録されていなかったレアな6編からなるオリジナル作品集である。

 あらためてラファティの作品を19編立て続けに読んでみると、その抽象度の高さに驚かされる。「町かどの穴」からは、自分が非人間だとは思っていない怪物が現われ、むさぼり食われる妻はセリフを棒読みするように無感動に叫ぶのみ。「完全無欠の貴橄欖石」では、非実在の海を帆走する船が実在の(ような)アフリカに浸食される。「つぎの岩につづく」はアメリカの地層を掘っていくと、ありえないものが次々現われる。描き出されるのは、リアルからはるかに遠い奇想の世界である。

 非倫理的で(人肉嗜食や)始原の野蛮さが顔をのぞかせる点は、ボルヘスのような観念的・哲学的なものとは印象が異なる。だが、エンタメ小説の過剰なサービスやスプラッターを目指しているわけではない。どれも淡々というか、飄々としている。ユニークさを重視する編集者、デーモン・ナイトやフレデリック・ポールらが好んだのも頷ける内容だ。ただし、本書を読むのなら一日1作程度が望ましいだろう。一度に読むと目まいを起こしてしまう。想像力が物語に追い越されてしまうのだ。

スタニスワフ・レム『インヴィンシブル』国書刊行会

Niezwyciężony,1964(関口時正訳)

装幀:水戸部功

 国書刊行会レム・コレクション第Ⅱ期の筆頭(通算7巻目)は、『砂漠の惑星』で知られる同著の53年ぶりの新訳である。旧訳はロシア語からの重訳だったが、本書はポーランド語から直接翻訳された決定版だ。グラシン紙のカバーから惑星面をイメージする円が薄く透けて見えるという、写真だけからは想像できない上品な装幀。標題『インヴィンシブル』とは無敵を意味し、主に軍艦の名称に使われてきた(そのあたりは訳者解説に詳しい)。本書に登場するインヴィンシブルは、所属する琴座星域で最強を誇る巡洋艦である。

 レギスⅢは赤色矮星のような太陽を巡る、火星ほどの大きさの惑星だった。寒冷化していて、海洋と大陸を持つが、奇妙なことに陸地には生命が一切存在せず砂漠だけが広がる。先に着陸した姉妹艦のコンドルが音信を絶ったことを受け、インヴィンシブルは遭難の真相を突き止めるべく派遣されたのだ。まもなく、先遣隊の運命が明らかになる。

 本書は500枚に満たない短い長編である。そのため一切の無駄がない。謎めいた惑星、行方不明の探検隊、未知の文明の存在、恐るべき敵の出現と一挙に物語は進む。終章に至って「無敵」の意味が象徴的に描き出される。しかし、枝葉がないからといって物語は単純ではない。沼野充義による解説では、アウシュビッツに絡めたレムの政治性の反映についても言及されており興味深い。解釈の余地はまだまだある。

 本書と旧訳とではいくつかの相違がある。一つは登場人物の名前で、艦長ホルパフと若い副長ロハンが、ホーパックとロアンに変わっている。旧訳では艦長がロシア人、主人公である副長はポーランド人と解釈されていた。しかし、新訳では国籍はどちらでもなくなっている。ロアンはフランス系の名前だという。もともと原著には国籍や人種への言及はない。未来のグローバル社会を示唆したというより、そういった本論から外れる(余談に流れる)要素をあえて排除したと考えるべきなのだろう。

 インヴィンシブルは惑星に着陸すると、直ちにエネルギーシールドを張り巡らし外敵の侵入に備える。これはアメリカ映画『禁断の惑星』などとよく似ている。しかし襲いかかってくるのが(精神分析の国アメリカらしい)フロイド的なイドの怪物(人間の無意識)なのに対し、本書ではサイバネティクスから生まれたまったくの非人間的存在であるところが対照的だ。

 レムはノーバート・ウィーナー(ちなみにウィーナーはポーランド系アメリカ人)のサイバネティクスに大きな影響を受けた。本書の訳文では、その専門用語が正しく反映されていて分かりやすい。登場する「雲」は、ウィーナーの同僚でもあったフォン・ノイマンによる「自己複製オートマトン」を思わせる。自己を無限に複製でき(単純コピーだけでなく、自分以上のものを作ることが可能)、自己の恒常性(ホメオスタシス)を保つ存在だ。現在のコンピュータはフォン・ノイマン型と呼ばれるが、自己複製オートマトンではない。コンピュータが勝手に自分を書き換えては困るからである。しかし、ほぼ同じ動きをするものがある。後の時代になって、それは「コンピュータ・ウィルス」と呼ばれるようになる。つまり、「雲」は「コンピュータ・ウィルス」の具現化とみなすこともできるのだ。『インヴィンシブル』はウィルスの概念を目に見える光景として活写し、ウィルス対人間の戦いを描いた世界最初のサイバーパンク小説といえる。

 また、本書には未訳作品名を含む詳細なバイオグラフィ(生まれてから生誕百周年の今年まで)が収められている。レムファンにとっては必読だろう。