結城充考『アブソルート・コールド』早川書房

扉イラスト・デザイン:岩郷重力+Y.S

 2004年に第11回電撃小説大賞でデビュー後、2008年に第12回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞、以降主に《女刑事クロハ》などミステリを手掛けてきた著者による、2冊目のSF長編である。もともと新潮社の電子雑誌yom yom(現在はWEBマガジン)で2020年8月号まで連載されたもの。単行本化にあたって削除シーンなどを復活させた完全版である。

 舞台は叶(かなえ)県の一部をなす、見幸(みゆき)市と呼ばれる治外法権を得た都市。そこは、私兵集団を擁する佐久間種苗株式会社(バイオからITまですべてを支配)によって、事実上牛耳られている。だが、200階建ての本社ビルで大規模なテロが発生し多くの研究者が亡くなる。首謀者は何者か。事件の真相を探るため、死者の最後の記憶を読み取る装置=アブソルート・ブラック・インターフェイス・デバイスが用意される。

 SF第1長編の『躯体上の翼』(2013)から10年近くが経過するが、そこに登場する「佐久間種苗」が本作にも出てくるなど、緩やかなつながりはあるようだ。時間的な流れでいえば本書が先にあり、前作の世界はより幻想的ではるかな未来にある。

 市民を狙撃した暗い過去を持つ警官、植物状態で眠る娘の介護に疲弊する元警官、遺品の引き取りをするだけだったのに事件に巻き込まれる準市民の少女、主にこの3人を巡って物語は展開する。死者の記憶に絡むハードボイルドな犯人捜しかと思っていたら、AI「百」やテュポン計画など、謎めいた電脳世界を巡る暴力的なバトルへと話はスケールアップする。

 ルビを多用する短いセンテンス(たとえば、雑音にノイズと振るなど)、廃墟めいた猥雑な未来都市の光景、文体も初期の黒丸尚翻訳を思わせる(このあたりはSFマガジン2023年6月号の著者インタビューでも言及されている)。そこから「令和日本に放つサイバーパンク巨篇」という惹句になる。とはいえ、サイバーパンクはもはや過去を連想させるレガシーなタームである。映画「ブレードランナー」(1982)や、ギブスン《スプロール三部作》(1984-88)に代表される80~90年代の流行だからだ。

 ただ、本書の参考文献に、映画「Eddie and the Cruisers」(1983)、評論『サイボーグ・フェミニズム』(1985)という80年代作品が示されているのを見ると、作者は意図的に「失われたサイバーパンク的未来の再演」を試みたと考えるべきだろう。50~60年代とかではなく、80年代すらレトロフューチャーになり得るのだ。

藍内友紀『芥子はミツバチを抱き』KADOKAWA

装画:syo5
装幀・本文デザイン:越阪部ワタル

 著者はササクラ名義で2012年の講談社BOXによる第5回BOX-AIR新人賞(現在は休止中)を受賞してデビュー、2017年には第5回ハヤカワSFコンテストの最終候補となり、翌年『星を墜とすボクに降る、ましろの雨』と改題して出版している。本書は先の『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』と同じく、カクヨムに掲載されたものの単行本化である(原型版は今でも読める)。

 少年はイスタンブールで開催された国際ドローンレースのVR操縦者だった。だが、当地で起こったテロ事件によりレースは中断される。操縦者の関与が疑われる中、孤立した少年は見知らぬ男に誘われ国外に旅立つことになる。目的地はタイ、中国、ミャンマー三国の国境にある少数民族が暮らす村だった。そこでは赤い芥子の花が咲き乱れ、貴重な阿片を産み出しているのだ。

 主人公は小学生だったが、容姿にまつわるいじめを受け不登校となっている。天才的なドローン操縦技術を見込まれ、実務メンバーが子供だけという、異様な組織に所属することになる。そこにはドローンを自在に操る「ミツバチ」と称する特殊能力者たちがいた。舞台は近未来、ドローンは兵器やスポーツなどあらゆる分野に普及している。それらをコントロールする能力は高く買われる。しかしそのためには「杭」が必要だった。ミツバチの少年少女たちは、その代償と引き換えにドローンが操れるのだ。

 ミツバチ組織のリアリティは(どうやって維持できるのかなど)ちょっと気になるものの、いじめや不登校に始まり、子供に対する暴力や強制労働、南北間の格差、麻薬やマフィアなど世界的課題へと展開していくところが読みどころだろう。

 いわゆるグローバルサウス(ミャンマー、ベトナム、インド、スリランカ、ソマリア、南アフリカ、中央アフリカ、トルコ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コロンビア、ボリビア)を巡る旅のお話でもあるため、どこか櫻木みわ『うつくしい繭』と似た雰囲気もある。ただし、本書は実体験を基にしたわけではないようだ。

グレッグ・ベア『鏖戦/凍月』早川書房

Hardfought/Heads(1983/1990,酒井昭伸/小野田和子訳)

Cover Illusration:小阪淳
Cover Design:岩郷重力+M.U

 まず最初に書誌を記しておく(解説にも書かれているし、ネット検索の時代には不要かも知れないが、評者にはこういう流儀が染みついているのです)。

「鏖戦(おうせん)」(1983)はネビュラ賞ノヴェラ部門の受賞作、1990年10月号のSFマガジン(400号記念号)に一挙掲載され、さらに『80年代SF傑作選』(1992)にも収録された中編。一方の「凍月(いてづき)」(1990)は、1996年2月号(太陽系をテーマにした宇宙SFの一環として)SFマガジンに一挙掲載、1997年星雲賞海外短編部門受賞、1998年に(長い中編なので)同題の文庫として単独出版されている。よく似た経緯をたどった2作品といえる。両者とも文庫で入手が可能だったものの、すでに25年以上が過ぎている。今回は著者が昨年11月に亡くなったことを受け、2023年6月号のSFマガジン追悼特集に合わせる形で、ハードカバーによる復活を果たしたのだ。

鏖戦:いつともしれない超未来の宇宙、人類はメドゥーサ(美杜莎)と呼ばれる原始星系で、銀河の歴史ほども古い異形の宇宙種族セネクシ(施禰俱支)と戦っている。主人公は巡航艦メランジーに乗り組む戦闘だけを教え込まれた兵士で、敵の種子船をザップ(破摧)し蔵識嚢を奪取する使命がある。人類もまた姿を変容させている。主人公は妖精態のグラヴァーだった。

凍月:200万の人々が住む月世界は、独立したコロニーの緩い連合体で運営されている。有力コロニーの一つが運営する〈氷穴〉では絶対零度を作り出す実験が行われていたが、そこに地球で冷凍保存されていた100年前の人体頭部多数が運び込まれる。だが、創業家一族のきまぐれに過ぎないと思われていたそのプロジェクトは、やがて大変な騒動を巻き起こす。

 どちらも宇宙SF、ただし傾向的には全く異なる。前者は、設定どころか個々の単語自体に高圧縮な創造力が詰め込まれた実験的なスペースオペラ。イメージを浮かべるのに難渋するが、酉島伝法的な異形キャラと美少女戦士風ヴィジュアル(容姿は意図的に具象化されていない)を混淆させた類を見ない作品で、ベア自身も自己ベストだとする。

 後者は、月コロニーどうしの政治的な謀略を巡るサスペンスである。背景には著者が会長職を務めていた当時のSFWA内の、サイエントロジー派や子供じみたリバタリアン的風潮(ひたすら管理を嫌う)への反発が込められているという。ただ、そういう内幕を知らなくても面白く読めるだろう。

 ベアの翻訳書は、著者の執筆ペースが落ちたこともあり、21世紀以降(文庫化を除けば)『ダーウィンの子供たち』のみにとどまる。これらを含め『ブラッド・ミュージック』以外は絶版だ。忘れられるには早すぎる作家である。20世紀に出た多くの主要作品が、今後電子書籍の形で復刊されるのは喜ばしい。

 ところで、「鏖戦」は初紹介当時から、原文の造語に仏教用語の難読漢字を充てるなどの翻訳スタイルが話題になった。大森望は「原文をはるかにしのぐ神話性と「なんかすごそう」感を獲得した」(「SF翻訳講座」1993年5月)と評価し、また上記追悼特集でも、翻訳者の酒井昭伸がその際の苦闘を生々しく振り返っている。

宮野優『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』KADOKAWA

装画:紺野真弓
装幀・本文デザイン:世古口敦志+清水朝美(coil)

 著者は札幌市在住、本書がデビュー作となる。小説投稿サイトのカクヨムに、昨年8月登録された長編小説の書籍化バージョンである。全5話の連作短編から成るが、全面改稿の上、さらに1話分は書下ろされている。その辺りの経緯については著者自身が語っている

 インフェルノ:未成年者に娘を殺された主人公は、刑を終え釈放された犯人が事故で入院中と知るや、入念に準備した殺人を決意する。だが、殺害のあとループに囚われる。
 ナイト・ウォッチ:ループを悪用する暴漢を未然に防ぐため、自警団を務めるグループや個人がいる。高校生の主人公にも、そんな一人が毎朝迎えに来てくれる。
 ブレスレス:ループする世界では新たなゲームが考案される。総合格闘技の北米チャンピオンは、新たな特別ルールの下での試合に難色を示していた。
 イノセント・ボイス:水場争いをする貧しいアフリカの村で育った少年は、やがてジャーナリストになり現実を世界に伝えようとするが。
 プリズナーズ:自身の醜さに絶望し図書館にこもる主人公は、ループ現象について様々な考察を試みる。そしてキーとなる人物と会話するなかで、噂の真相が明らかになる。

 タイムループものである。映画でも小説でも百出のアイデアだけに、作者の腕の見せどころだろう。一定の周期で同じ時間が繰り返されるのだが、本書では記憶が累積される(すべての周回を憶えている)ルーパー(周回者)が徐々に増えていき、リセットされてしまうステイヤー(非周回者)を上回るようになる。

 本書のループは1日、開始時間は世界一斉のため、日本では夜中だがアメリカだと昼間だったりする。肉体的にすべてリセットされる(眠らなくても問題ない)一方、記憶だけが残る。自然現象のようでいて、選択が起こるメカニズムまでは解明されない(記憶があるということは、ルーパーの時間は流れている。それは錯覚なのか?)。食料やエネルギー、貧富の問題すらなくなる(どれだけ浪費しても元に戻る)という理想社会であるはずが、人々は(殺人、暴行、強姦などの)刹那的な願望充足に明け暮れてしまう。凝集された1日で世界は崩壊し、全く異なるものに変貌するという設定がまず面白い。

 さらに、無秩序から自らを守ろうとするナイト・ウォッチ、もともとの社会規範が復活する「ループ後」を見据えた格闘家やジャーナリストなど、閉塞的なループにその先を見据える登場人物を配した点が目新しいといえるだろう。