早川書房編集部・編『世界SF作家会議』早川書房

装画:森泉岳士
装幀:早川書房デザイン室

 フジテレビの地上波番組(ただし東京ローカル)で放映された全3回の「世界SF作家会議」(2020年7月/2021年1月/同2月)をまとめたもの。全員が(たとえスタジオに居ても)リモート参加で、6分割画面という今風のスタイル。カットシーンを補完した拡張バージョンは現在でもYouTube版が視聴できるが、本書は文字にする段階でさらに手を加えた決定版である。担当ディレクター黒木彰一がSFファンだったために実現した企画だという。海外の作家も参加したので(陳楸帆が同時通訳参加、劉慈欣/ケン・リュウ/キム・チョヨプらはビデオ参加)、世界SF作家会議でも大げさではないといえる内容になった。

【第1回】コロナパンデミックをどうとらえたか/パンデミックと小説/アフターコロナの第三次世界大戦(冲方丁)アフターコロナのトロッコ問題(小川哲)アフターコロナのセックス(藤井太洋)アフターコロナは・・・・・・ない(新井素子)/劉慈欣のメッセージ。

【第2回】パンデミックから一年・・・・・・SF作家たちはどう見たか?/人類はチーズケーキで滅亡する(小川哲)人類は宇宙からの災難で滅亡する(劉慈欣)人類はポスト人類で滅亡する(ケン・リュウ)人類は愛で滅亡する(高山羽根子、藤井太洋)人類は目に見えないもので滅亡する(キム・チョヨプ)人類は滅亡しない(新井素子)/地球滅亡の日に食べるなら、ご飯か麺か。

【第3回】SF作家が考えるコロナ禍の現状/100年後の企業帝国と惑星開拓(冲方丁)100年後の和諧(ハーモニー)(陳楸帆)100年後はサイボーグたちの世界(キム・チョヨプ)100年後は人間が変化する(劉慈欣)100年後は分からない(樋口恭介)100年後は予測不可能(ケン・リュウ)100年後はあまり変わっていない(新井素子)/地球脱出時に連れていくなら犬か猫か。

 司会者のいとうせいこうは作家兼タレント、大森望がコメンテーター的な役割、それ以外は全員が作家である。6人で進行するのは、SF大会のパネルとしても多い方だろう。深夜帯とはいえ、非専門的な地上波TV番組として成り立つのかどうか見る前は疑っていた。評者はYouTube版で視聴したが、ネタ的な話題に偏らず(テーマはネタ的だが)、SF作家らしいキーワードを交えた分かりやすい流れで作られていた。さらに本書になると、キーワードに読み物としての重みが加わる印象だ。SF作家は予言者かと問われると誰でも違うと答えるだろうが、あらゆる可能性を(ありえないことまで含めて)考えてみるのがSF作家だという見方はできる。ハードな明日を冷めた視点で語る冲方丁、あくまで希望を失わない陳楸帆、何も変わらないとうそぶく新井素子が対照的で面白い。

大森望編『NOVA 2021年夏号』河出書房新社

装幀:川名潤

 大森望編のオリジナルアンソロジイ《NOVA》が前号から(出版サイドの事情もあり)1年8ヶ月ぶりに出た。雑誌スタイルなので特定のテーマは設けられていない。書かれて1年以上(コロナ禍を挟みながら)空いたにもかかわらず違和感が少なく、各作家の個性が十分発揮されているのは、時事ネタが少なかったせいもあるだろう。

 高山羽根子「五輪丼」2020年、長期入院のあとで市街地に出た主人公は、街の異様な変貌に戸惑い、食堂で五輪丼と書かれたメニューを見つける。
 池澤春菜/堺三保原作「オービタル・クリスマス」軌道上に浮かぶ作業用宇宙ステーションに、貨物モジュールが到着する。だがAIは、積載物に重量異常があると警告を出す。
 柞刈湯葉「ルナティック・オン・ザ・ヒル」月面上では大気の影響を受けないため、単純な物理法則に則った機械的戦争が行われている。
 新井素子「その神様は大腿骨を折ります」余裕のないブラック労働に沈む主人公は、ある日よろず神様紹介業と称する女と出会う。
 乾緑郎「勿忘草 機巧のイヴ 番外篇」高等女学校の生徒である少女は、お金持ちで金髪碧眼の上級生に憧れ手紙を託そうとする。
 高丘哲次「自由と気儘」世界大戦の後、田舎に逼塞した主人に命じられ、使用人はひたすら猫の世話に明け暮れる。
 坂永雄一「無脊椎動物の想像力と創造性について」京都盆地の市街地全域を蜘蛛の巣が覆いつくしている。主人公は全面焼却作戦が開始される直前、京都大学の中枢にある事件の始まりの場所へと赴く。
 野崎まど「欺瞞」どの個体もたどり着き得なかった自動抽出装置の本質とは何かを、ひたすらアカデミックな文章で解き明かす。
 斧田小夜「おまえの知らなかった頃」チベット自治区の辺境、遊牧民の青年と恋に落ちた天才プログラマーの女が企てたこととは。
 酉島伝法「お務め」いつ頃からなのか、主人公は機械的な生活を強いられている。朝目覚め、豪華な朝食を食べ、昼寝をしてからまた豪華な夕食を食べる、その繰り返し。

 今号はベテラン枠が新井素子、中堅枠に高山羽根子、柞刈湯葉(最新短編集など、すでに5冊の著作がある)、乾緑郎(人気シリーズ《機巧のイヴ》の一編)、野﨑まど、酉島伝法、新人枠に池澤春菜(この作品は、堺三保監督による同題短編映画のノヴェライズ。小説、映画共に長編化が望まれる)、高丘哲次(日本ファンタジーノベル大賞2019)、坂永雄一(第1回創元SF短編賞大森賞)、斧田小夜(第10回創元SF短編賞優秀賞など)と、これまで通り3~4割が新人という新たな書き手向けのバランスを考えた陣容だ。

 この中では、高山羽根子の曖昧な謎に満ちた(2021年に書かれただけあってタイムリーな)短編が印象に残り、あとはパワフルな女の生きざまを描く斧田小夜の中編力作、坂永雄一によるすべてが蜘蛛の巣になるという異形の(静かに荒廃するバラード風)京都作品がベストだろう。

 

岸本惟『迷子の龍は夜明けを待ちわびる』新潮社

装画:tono
装幀:新潮社装幀室

 日本ファンタジーノベル大賞2020の優秀賞となった作品(再スタートから4回目にして、初めて大賞は該当作なしとなった)。著者の岸本惟(きしもとたもつ)は2018年でも最終候補作に選ばれている。

 主人公は天空族の若い女性で、大和族の町に住んで生活している。しかし仕事は上手くいかず、半ば引きこもるようにアパートの一室に逼塞している。ある日、そんな主人公に通訳の仕事が舞い込む。山奥に住む老人に、天空語の書き物の読み聞かせをしてもらえないかというものだった。

 舞台の世界は現代の日本とほぼ同じ、スマホや自動車があり人々はふつうの生活をしている。そこに、天空族と呼ばれる人々もいる。もともと不思議な能力を持つ種族だったが、故郷である天空山での生活は不便で、いまでは山に住む者はいない。大和族と混じり合って麓の町でばらばらに生きている。天空族は緑がかった皮膚の色から、いわれのない差別を受けることがあった。町の生活に自信が持てなかった主人公は、町から離れた山荘で超常的な存在である龍と少年の姿が見えるようになる。

 選考委員の中では、恩田陸が「雰囲気の良さは買うが、ファンタジーノベルにする必要があるのか」と疑問を呈するも、萩尾望都(今回で委員を退任)は「優しく、温かく、ちょっとさみしいところもある独特な雰囲気や世界観を持っている」、森見登美彦は「まるでスノードームの中にあるような閉鎖された小天地を作ることに作者は長けている」と評価している。ただし、主人公が消極的すぎて物語をドライブしていない点は、選評共通のマイナスポイントとして指摘されている。また、独自の文字や言語を持つ種族であるなら、(日本とは)異質の文化や社会を持っているはずだが、そのあたりもあまり明瞭に書かれていないのだ。

 緑色の皮膚を持つ人間という設定は、ピーター・ディキンスンの書いた『緑色遺伝子』(1973)を思い出す。ディキンソンは明確に人種差別を扱った(ケルト人の肌が緑色になる)のだが、本書の場合、それは主人公の個人的な問題(肌が緑色であることで虐められる)として描かれる。本書の女性たちは極めて繊細だ。主人公は、知人のほんの一言に傷つき、老人の妻は幼い頃のトラウマに一生苦しむ。滅び行く天空族と大和族(現状の日本人)とが共存を模索する物語にはならず、自信を失った一女性の回復の物語であるのは、著者の視点がより個に寄り添っているからだろう。

佐々木譲『帝国の弔砲』文藝春秋

カバーイラスト:ケッソクヒデキ
カバーデザイン:征矢武

 佐々木譲の歴史改変ミステリ『抵抗都市』の続編にあたる作品である。ただし、前作の集英社「小説すばる」連載版とは違い、本書は文藝春秋の「オール読物」で2019年3月号から2020年7月号まで約1年半連載されたものだ。続編というより、並行する枝編なのだろう。時代は前作から四半世紀後の1941年7月の東京へと飛ぶ。

 主人公はディーゼルエンジンの整備工だった。下町に小さな家を借り、親しくなった女と籍を入れないまま同居生活を送っている。しかし主人公には隠された使命があった。それは最後の任務と呼ばれ、一度決行すると二度と元の生活には戻れないものなのだ。主人公は、前線で戦った過去を思い浮かべる。それは帝国が存在していた25年前に遡る記憶だった。

 今回舞台は一変する。物語はロシア帝国の沿海州に移住した、日本人家族のエピソードから始まる。入植者たちはロシアと日本が戦争になった後に収容所に送られ、戦後も土地を取り返すことができず貧しい生活を強いられる。なんとか鉄道学校に通えた主人公は、第1次大戦勃発とともに徴兵され西部戦線(ロシアからみた西部、ドイツからみれば東部戦線)に送られるが、そこで思わぬ戦功を上げる。

 日本がほとんど関係しなかったこともあり、第1次大戦のイメージはあまり沸かない。最近の映画「1917 命をかけた伝令」などを見て、英仏とドイツが対峙した西部戦線が人命をすりつぶす塹壕戦だったことが分かるくらいだ。しかし最大の犠牲者を出したのはロシアとドイツの戦いなのである。広大なロシアで総力戦が起こると、被害の及ぶ範囲も果てしなく拡がる(ナポレオン戦争や独ソ戦もそうだった)。主人公は、日系ロシア人としてその戦いに参加する。この設定は、第2次大戦下の日系アメリカ人と似ている。第1次大戦や、それに続く革命の混乱期を、日系ロシア人(二世)の視点で描くというのはユニークだろう。

 本書の場合、ロシア兵器に可変翼グライダーや水中翼船のようなものが出てくる以外は、歴史改変度合いは小さい。ロシア革命後に日本は独立し(史実的にも、ロシア帝国内のバルト三国やフィンランド、ポーランドが独立)、極東共和国の樹立や革命干渉のため派兵された日本軍など、概ね元の歴史をたどりつつあるように見える。物語の最後は太平洋戦争を予感させてまだ続く。小説すばる版の続編『偽装同盟』は新連載が始まったばかりだ。さて、2つの物語はどこでつながるのか。

眉村卓『静かな終末』竹書房

イラスト:まめふく
デザイン:坂野公一(well design)

 日下三蔵編による眉村卓初期ショートショート選集である。デビュー6年目に出版された『ながいながい午睡』(1969)のうち文庫に収められなかった作品28編(下記【I】)と、それ以外にも、著者の単行本または文庫未収録のままだったショートショート作品21編(下記【II】【III】)を加えたものだ。雑誌「丸」収録作など、後にアンソロジイ『SF未来戦記 全艦発進せよ!』(1978)に収められたものも含まれる。著者の初期作品集は、文庫化の際にほとんどがテーマ別に再編集されており、内容が合わない作品が宙に浮くケースが結構あった。

【I】いやな話(1963)深夜のTVから流れ出す声。名優たち(1968)画期的なレジャーの正体。われら人間家族(1968)臓器移植を巡るかけひき。廃墟を見ました(1967)タイムマシン発明者の見たもの。大当り(1968)大当たりの景品は月旅行だった。誰か来て(1962)古びた部屋で誰かを待つわたし。行かないでくれ(1968)久しぶりに出会った友人の様子がおかしい。応待マナー(-)応対技術を促成で取得しようとする主人公。ムダを消せ!(1965)あらゆるムダを削減した会社の顛末。委託訓練(-)新入社員の訓練を外部委託したら。面接テスト(1968)面接を受けようとする男がトラブルに巻き込まれる。忠実な社員(1968)仕事に忠誠を誓う社員は体をいたわる暇もない。特権(1965)絶え間のない仕事に追われる男の特権とは。夜中の仕事(1968)夜中に帰ってくると妻が何かをしている。のんびりしたい(-)忙しすぎる客のために特注のレジャーが提供される。土星のドライブ(-)土星の輪でドライブしたいと要求する客。家庭管理士頑張る(1967)旧家から家庭管理の仕事を受けた新米管理士の奮闘。自動車強盗(1967)雨の中不審なタクシーに乗った客。ミス新年コンテスト(-)未来のミスコンで暴かれる真実。物質複製機(1968)画期的な発明品の秘密。獲物(1962)満員電車の中で一人の男が女にまとわりつく。はねられた男(1968)暴走車にはねられた男が気がつくと。落武者(1968)燃えさかる城の前で落ち武者は百姓に追われる。安物買い(1967)格安月旅行の中身。よくある話(1968)棄てた男から贈られた宝飾品。動機(1968)莫大な財産を持つ政治家の生活は質素に見えた。酔っちゃいなかった(1961)加速剤を使って犯罪をもくろんだ男。晩秋(1962)懐かしい校庭の思い出から得たものとは。怨霊地帯(1967)アフリカに侵攻した国連軍が遭遇する恐怖。

【II】敵は地球だ(1966)月が世界連合に反乱を起こす。虚空の花(1966)人工頭脳が統御する戦闘艦の中では艦長ただ一人が決定を下せる。最初の戦闘(1966)自分の分身を駆使して敵基地を叩く要員。最後の火星基地(1966)科学エリートが築いた火星基地に最後の攻撃が下される。防衛戦闘員(1967)ロボットと見まごうほど改造された兵士。最終作戦(1967)恐ろしい敵に蹂躙される地球で究極の決定がなされようとする。敵と味方と(1968)意識をコントロールする兵器に市民たちは疑心暗鬼となる。

【III】すれ違い(1961)太陽に引き込まれるロケットがみたもの。古都で(1961)滅びた都にあるひとつの像。雑種(1961)昔は良かったはずとの政策の結果。墓地(1961)奇妙な武器の売り込みが来る。傾斜の中で(1961)戦争を恐れる社長の下で働く技術者。あなたはまだ?(1962)一人の男がどことも知れぬ世界から帰ってくる。静かな終末(1962)今日最終戦争が起こるという噂が拡がる。錆びた温室(1963)あれがやってくるまで時間は残されていない。タイミング(1964)これまでで最高のショーの時間が迫っていた。テレビの人気者・クイズマン(人間百科事典)(1967)人気を誇るクイズ選手権ではプロのクイズマンたちが争っている。100の顔を持つ男・デストロイヤー(破壊者)(1968)秘密裏に個人・組織を問わず相手を失脚させる職業。電話(1969)プライベートな行き先になぜかかかってくる電話。店(1969)その店の店員のふるまいは異様だった。EXPO2000(1970)21世紀の万博は失われたものを回復させる。
 註:(-)とあるのは発表年不詳

 最近翻訳が完結した『フレドリック・ブラウンSF短編全集』で確認すると、日本にも大きな影響を与えた名手ブラウンが、ショートショートを書いた時期は60年代前半までである。眉村卓の本書は、ちょうどその時代とシームレスにつながっている。ただ、いつ起こるかも知れない核戦争の恐怖という、60年代共通の背景を別にすれば、ブラウンと眉村卓では描く世界がまったく異なっている。言葉遊びや洒落、ユーモアを重視するブラウンの作品はある意味で観念的だし、変貌する社会に翻弄される人々に視点を置く眉村卓はよりリアルといえる。

 「怨霊地帯」と【II】に収録された作品は、ミリタリー雑誌「丸」で複数作家による競作で連載された「SF未来戦記」の一部。すべてが戦争物で、多くは宇宙を舞台としている。機械に囲まれた孤独の指揮官・命令者という司政官の原型が表われている。戦闘はどれもが虚無的である。70年代の《司政官シリーズ》に派手な会戦・戦闘シーンがないのは、既にここで描いてしまったからかもしれない。

 【III】には(著者による自筆年譜などによると)同人誌「宇宙塵」の掌編をきっかけに掲載が決まった「ヒッチコックマガジン」の最初期作や、筒井康隆の同人誌「NULL」掲載のやや長めの作品が入っている。デビュー前後のもので、同じく「宇宙塵」に載った後に改稿された「準B級市民」などと違い、執筆当時の原形を保つ貴重な初期作といえる。表現はまだ硬いが、何かに追い詰められている人々の苦闘と、どこか夢を見ているような幻想性が併存しており、それはデビュー後の諸作につながっている。

筒井康隆『ジャックポット』新潮社

装画:筒井伸輔
装幀:新潮社装幀室

 2017年から2021年かけて主に文學界、新潮などで発表した14作品を収めた最新短編集。

漸然山脈(2017)ジャズ「ラ・シュビドゥンドゥン」の曲に乗って、言葉が意味不明、文脈不明のままひたすら書き貫かれる。
コロキタイマイ(2017)35分間の漫才のやりとりの体裁で、「フランス文学/批評が内部から溢れかえる」(掲載誌編集長)作品。言葉の連想が、文脈不明でひたすら書き貫かれる。
白笑疑(2018)人類終末の予感、豪雨や気温上昇に伴う気候変動、迫り来る核戦争、押し寄せる難民。
ダークナイト・ミッドナイト(2018)DJとなった著者(闇の騎士)が、合間にジャズを流しながら、哲学者ハイデカーの思想を交え、死についてえんえんと語り続ける。
蒙霧升降(2018)戦争が終わり、民主主義がホームルームとなって突然現われた。何も知らない者でも、自由に意見をいえるようになったのだが、その行方にはどこか違和感がある。社会やマスコミや大衆の下に蒙昧の霧が降りていく。
ニューシネマ「バブルの塔」(2019)美人のロシア人詐欺師、泥棒とロシア中央銀行から大金をだまし取った私は、仲間に裏切られその金を奪われる。その後も詐欺と殺し合いの応酬のあげく、物語は究極の詐欺的文学を目指す。
レダ(2019)同族企業の老いた会長が若い秘書と歩いている。会社を継ぐはずの息子たちは愚かだった。秘書は新たな息子となる卵を産む。物語にはチェーホフやヘミングウェイや横山隆一らが混ざり込み混沌となる。
南蛮狭隘族(2019)
太平洋戦争で米軍や日本軍が引き起こした野蛮な行為、残虐さを精神の隘路として描き出す。
縁側の人(2020)
縁側に座るいくらか惚けてきた老人が、しゃべる相手が孫なのか誰かも分ないまま詩について語り続ける。
一九五五年二十歳(2020)著者が同志社大学に在学していた二十歳のころ、演劇に入れ込み、映画を見て俳優に憧れる日々。
花魁櫛(2020)
母親が亡くなり、家財整理で唯一残した仏壇から鼈甲の櫛が見つかる。それには思わぬ骨董的な価値があるようだった。
ジャックポット(2020)ハインラインの「大当たりの年」を念頭に、新型コロナ禍の世界で起こるフィクションやノンフィクションを、経時的に描き出したコラージュ作品。
ダンシングオールナイト(2020)ジャズから楽器に興味を持ち、ダンスの修行を経て、フリージャズから山下洋輔のファンとなり、やがて憧れたクラリネットを手に入れる。死ぬまでにダンスをまた踊りたい。
川のほとり(2021)夢の中に亡くなった長男が現われる。長男とは昔のように会話をするのだが、それは自分自身が話していることだと分かっている。

 「漸然山脈」のテーマ曲「ラ・シュビドゥンドゥン」は著者自身が作詞作曲している。「ダンシングオールナイト」でも言及されているが、意図的にでたらめを歌うバップ唱法(ビバップ)に則っている。この曲も、意図的に意味不明となっているのだ。そして作品はというと、ほとんどすべてに著者の言うところの「破茶滅茶朦朧体」が取り入れられている。単語の意味は分かっても、一文の意味は分からない(何らかの引用だったりするが)。しかし、作品全体で読むとリズムがありまとまりを感じる。

 本書の中では「花花魁」がショートショート、私情の濃い「川のほとり」がさらに短い掌編で、トラディショナルな文体で書かれている。「漸然山脈」「コロキタイマイ」は朦朧文体で書かれた短編、「レダ」「ニューシネマ「バブルの塔」」はその中間的な文体だ。一方「白笑疑」では終末、「ダークナイト・ミッドナイト」では死が、「蒙霧升降」では民主主義、「南蛮狭隘族」では戦争、「縁側の人」では詩、「ジャックポット」ではコロナ禍が、それぞれの特定のテーマとして取り入れられている。これらは著者の批評精神が発露されたものだろう。「一九五五年二十歳」と「ダンシングオールナイト」は(もともとの依頼に基づく)自伝的な要素が強い。

 筒井康隆はいまでもSF作家を名乗っているが、1970年代にはもはやSF専門ではなくなっている。いまでは純文学の最前衛に位置するわけで、幅広いファンに支えられている。本書を読んでも、まだ果ては見えない。

我妻俊樹/円城塔/大前粟生/勝山海百合/木下古栗/古谷田奈月/斎藤真理子/西崎憲/乘金顕斗/伴名練/藤野可織/星野智幸/松永美穂/水原涼/宮内悠介/柳原孝敦『kaze no tanbun 移動図書館の子供たち』(柏書房)

ブックデザイン:奥定泰之
カバーイラスト:寺澤智恵子

 《kaze no tanbun》の第2集目。1集目はハードカバーだったのが、今回は新書サイズのソフトカバーに変わった。この方が手に取りやすくて良い。誰が編纂したか本文には記載もなく(西崎憲プロデュース)、著者名が五十音順で帯に並ぶだけの体裁は、惑星と口笛ブックスのアンソロジイなどと同じである。

 古谷田奈月「羽音」人生でただ一度だけ、歌うために生まれてきたのだと信じたことがある。宮内悠介「最後の役」考えごとをしているときなどに、麻雀の役をつぶやく癖がある。我妻俊樹「ダダダ」ヒッチハイクでここまで来れたのは上出来だった。斎藤真理子「あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず」あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず。伴名練「墓師たち」墓師が来ても戸を開けてはならぬと父に教えられたのに、言いつけを破ってしまった。木下古栗「扶養」もう何年も前の話になる。大前粟生「呪い21選──特大荷物スペースつき座席」人のかたちをした穴が町のそこかしこにある。水原涼「小罎」村の灯はまだ遠い。星野智幸「おぼえ屋ふねす続々々々々」子どもたちの名前は「ふねす」。柳原孝敦「高倉の書庫/砂の図書館」島尾ミホは加計呂麻島での少女時代を回想し、「いろいろな旅人たち」が「渡ってきては去って」行ったことを記録している。勝山海百合「チョコラテ・ベルガ」年若い住み込み弟子の黄紅は、師匠が留守でもいつものように夜明けまえに起きた。乘金顕斗「ケンちゃん」私たちがかつて子供たちであった頃(文章が一段落分、切れ目なく続く)斎藤真理子「はんかちをもたずにでんしゃにのる」はんかちをもたずに/でんしゃにのる(詩)藤野可織「人から聞いた白の話3つ」私服の制服化、というのが流行っている。西崎憲「胡椒の舟」東都が水の都であることは誰もが知っている。松永美穂「亡命シミュレーション、もしくは国境を越える子どもたち」大きい荷物はもうチェックインした。円城塔「固体状態」物理学というものはときに不思議な文章を生み出すことがあり、たとえばそれはこういうものだ。

 上記は、各文の冒頭一文だけを引用している。意味があるかどうかはともかく、書き出しを並べるだけでも雰囲気が(なんとなく)分かるだろう。自身の体験に基づく(のかもしれない)エッセイ風ノンフィクション風だったり、ホラー、SF、ファンタジイ風のものだったり、それらが混ざり合っていたり、テーマのない「短文」なので内容はさまざまだ。

 16作家17作品、目次は最後に押し込められており、順不同のようにも読める。1作品の平均15ページ(原稿用紙にして20枚前後)、読み飛ばせばあっという間だが、気分に合わせて少しずつ読むのに適している。全体を通して、子どもたちのお話が多い。子ども時代の記憶、子どもたちの運命。あるいは青年や少女だった若い頃のできごとなどなど。

酉島伝法『るん(笑)』集英社

装幀:松田行正
表紙図版:Spiderplay/Getty Images

 昨年11月に出た本。「群像」と「小説すばる」に掲載された3つの中編からなる連作集である。SF以外の(人間を主人公とした)単行本は初めてなのだが、著者の場合ほとんど印象が変わらないのが特徴かも知れない。「普通の人間の書き方がわからなくなっていて、二本足でどう歩くのかを確かめるようにして書いた」とある(エッセイ「千の羽根をもつ生き物」)。

 三十八度通り(2015):結婚式場に勤める主人公は、38度の熱を帯びるようになった。夢の中で北極点から南極点へと、緯度を下りながら歩き続けている。
 千羽びらき(2017):女は全身が蟠(わだかま)る病に苦しんでいる。しかし民間療法「るん(笑)」により治療ができるという。
 猫の舌と宇宙耳(2020):この世界では猫が排斥されている。子どもたちは立ち入りを禁止されている地図にない山で、猫を探そうとする。

 「三十八度通り」の主人公の妻には病にかかった母親がいて、その物語が「千羽びらき」になる。そして、妻の幼い甥の物語が「猫の舌と宇宙耳」である。親類縁者たちの物語なのである。舞台となる世界は、迷信や疑似科学的な法則により支配されている。町には全長15キロにも及ぶ巨大な龍が横たわり、人々は贄(にえ)とよばれる捧げ物を毎日投げ落として運気を高めようとする。薬はいかがわしいものであり、場末のヤクザイシから買わなければならない。民間療法は公的な医療行為を超越し、猫はなぜか忌み嫌われている。

 エッセイ中でも書かれているのだが、著者の作品のベースには実体験=現実がある。デビュー作「皆勤の徒」では特殊な造語を駆使することで、現実世界がほぼ隠蔽されていた。本書で描かれる別の常識に支配された日常も、実社会とはだいぶ異なるように見える。しかしフェイクや疑似科学に溢れる今現在と、たいした違いはないともいえる。著者自身が違和感を抱いてきた「すこし角度を変えて見た現実社会そのもの」なのである。

久永実木彦『七十四秒の旋律と孤独』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:最上さちこ
装幀:長﨑稜(next door design)

 第8回創元SF新人賞を受賞した標題作を含む連作集。著者初の単行本でもある。なお、久永実木彦はWebラジオのパーソナリティ(視聴するには会員登録が必要だが、東京創元社のyoutubeチャンネルでも聞ける)を務めていて、なかなか流暢な語りでしゃべっている。

 七十四秒の旋律と孤独(2017)宇宙空間に適合した朱鷺型人工知性マ・フは、その能力を使って宇宙船の警護に就いている。
 一万年の午後(2018)惑星Hで調査の任務に就く8体のマ・フたちは、環境への変更を一切加えず観測だけに徹していたが、あるきっかけにより干渉を余儀なくされる。
 口風琴(2019)失われていたはずのヒトが蘇った。ヒトは口風琴を使いふしぎな音楽を奏でる。マ・フたちはその指導に従い生き方を変えていこうとする。
 恵まれ号I・恵まれ号II(書下ろし)ヒトは次々と復活し村を築くまでになる。やがて、古い宇宙船の所有権を巡って、不穏な動きが見られるようになる。
 巡礼の終わりに(書下ろし)さらに長い歳月が経過し、ヒトたちは逆にマ・フを崇めるようになっている。そんな村にマ・フの助けが必要な事件が発生する。

 表題作のみが独立した短編で、主人公であるマ・フの登場編になっている。それ以外の5作品は、惑星Hを舞台とした《マ・フ クロニクル》という連作である。マ・フとは人型のロボットを指す。しかし、この物語はいまどきのAI:人工知能をテーマとしたものではない。それぞれが個性を持ち、ストイックながら人間的な感情を有しているからだ。AIのような万能感はなく、無垢な子どものような存在ともいえる。それでいて、1万年の繰り返し作業に耐える精神的な堅牢さがある。

 人間をご主人様と慕うけなげなロボットたちというと、トマス・M・ディッシュの『いさましいちびのトースター』(1980)を思い出す。本書はそこまで童話的なお話ではないが、マ・フが抱く失われた人類への郷愁には、リアルというより寓話的なアイロニーが感じられる。しかしヒトはご主人様にはならない。やがて、立場の変化がクロニクルの中で明らかになっていく。

牧野修『万博聖戦』早川書房

カバーイラスト:佳嶋
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 牧野修の書下ろし長編。本書は、初の連載小説だった『傀儡后』(2002)、SF大賞特別賞『月世界小説』(2015)でも描かれた1970年代が重要なキーとなる作品であり、全体を通して異形の20世紀三部作とでもいえる内容だろう。

 著者はインタビューの中で「どの作品もどこか重なりあって同じ旋律を繰り返しているような気がします。その結果が『万博聖戦』で、集大成というよりは、中央にある私の伝えたい核にだいぶ近づいているような気はします」(SFマガジン2020年12月号)と述べている。

 中学生になったばかりのシトには友人がいなかった。しかし、級友のサドルが唐突に話しかけてきたことをきっかけに、隠された秘密を知ることになる。彼は、オトナ人間とコドモ反乱軍が戦うテレビ漫画の話をするのだが、その戦いは現実にも行われているというのだ。

 物語は1970年に開かれた大阪万博の1年前から始まる。そこはわれわれが知っている(と思っていた)過去とは少し違う世界だ。オトナ人間はインベーダーに憑依された操り人形で、秩序と論理で日本人すべてを支配下に置こうとしている。対するコドモたちは、無責任な自由とでたらめによって対抗する。非力なようでも、彼らには異次元世界に棲む(子供じみた)援軍、少女将校ガウリーらの乗り組む超弩級巡洋艦がいる。その戦いの焦点こそが万博会場にあるのだ。後半舞台は一転し、われわれの見知らぬ2037年に移る。子どもたちはもはや大人で、かつて使えた特殊能力は失われている。しかも、オトナ人間たちは再び侵攻しようと力を蓄えている。

 著者の小説には、だれも見たことのない異形のものが登場する。ホラーではそれがゾンビや電波系怪人の姿をしており、SFではアニメや特撮ドラマのヒーロー、あるいは抽象化された概念的怪物であったりするが、本質的には同じものなのだろう。本書ではオトナ対コドモという対立軸が描かれる。しかし、前半と後半でその正義の意味が反転する。1970年代や大阪万博という繁栄の時代を、50年後に復活させようとする呪術(フィクション)を、虚構(フィクション)の中で問い直す意味もある(前掲インタビュー参照)。また、表現規制派(オトナ)対自由派(コドモ)、規律(オトナ)対放任(コドモ)という現代的な社会問題すら内包する奥深さが面白みを増している。