よしなが ふみ『大奥(全19巻)』白泉社

 2005年9月から2021年2月まで全19巻で刊行された《大奥》は、刊行当初の2005年にセンス・オブ・ジェンダー賞を受賞、その後も英訳版が2009年のジェームズ・ティプトリー・ジュニア賞(現在のアザーワイズ賞)を受賞するなど、SF界からは早くに注目されてきた。全巻完結を持って第42回日本SF大賞を受賞したわけだが、これまでも第13回手塚治虫文化賞マンガ大賞(2009)、第56回小学館漫画賞(2010)、文化庁の芸術選奨新人賞(2022)など高評価を得てきた作品である。

 三代将軍徳川家光の時代に東北から発生した赤面疱瘡(あかづらほうそう)と称される奇病は、瞬く間に全国に蔓延した。それは若い男だけが罹る死の病で、重症化すれば助かる術はない。男の人口は瞬く間に4分の1まで激減、社会システム自体の変更を余儀なくされる。それは支配階級徳川家でも同様、将軍家光までが罹患して亡くなる。死は隠蔽され、娘が家光を名乗って代わりを勤める。以降、女系による将軍職継承が公然と続くことになる。男子禁制だった大奥もまた、若い美男を取りそろえた男だけの社会に変わるのだ。

 直近では、クリスティーナ・スウィーニー=ビアードが男9割減社会を描いた。ジェンダーテーマのSFでは珍しくない設定だろう。これ自体がユニークなのではなく、どう扱うかが肝心なのである。《大奥》の世界は、単純な男女逆転社会ではない。女は消滅した男の役割をどこまで代替できるのか、社会はどう変わるのかまでを考えないとリアリティが出ないからだ。

 注目されるのは、これが別の時間が流れる並行世界を描いていないということだろう。五代将軍綱吉と討ち入り(忠臣蔵)事件、六代家宣時代の江島生島事件、本来選ばれなかったはずの八代吉宗、十代家治と田沼意次、十四代家茂と和宮、起こる歴史的事件はわれわれが知る史実と(外見上)同じに見える。しかし、そもそも別人が将軍になったのだから家来も異なるだろうし、人に関わる事件はすべて違ってくるはずだ。それが同じ歴史をたどるのは、正史の裏に《大奥》という「秘史」があったからなのだ、とする。

 赤面疱瘡は天然痘=疱瘡がベースにあり、執筆当時のエボラ出血熱流行がヒントになっている(著者インタビュー)。治療法を探して平賀源内や新井白石らが奮闘する物語は中盤の見せ場。それ以降では幕末のパワーゲームや歴史的な人物について、著者独自の(大胆な)解釈が出てくる。徳川幕政三百年(典型的な家父長社会)を批評した、よしなが史観とでもいえるものだ。もちろん、この作品で描かれる女将軍と大奥の男たちのロマンス、プラトニックな交流、友情、あるいは継承を巡る血なまぐさい(暗殺が横行する)対立なども読みどころとなっている。

 

伴名練『百年文通』一迅社

イラスト:けーしん
デザイン:BALCOLONY.

 今週は電子書籍のみで刊行されている2冊をとりあげる。最初は伴名練がコミック百合姫の2021年1月号から12月号に連載した中編小説である(紙版は現時点ではないが、大森望編の2022年版年刊SF傑作選に収録されるらしい)。

 主人公は中学3年生、雑誌モデルの仕事で立ち寄った神戸の洋館で、古びた机の引き出しに手書きの手紙が残されていることに気がつく。それは自分より1歳年下の高等女学生が、100年も前の大正6年にしたためたものだった。しかも、引き出しを開け閉めするだけで、こちらが書いた手紙を送ることもできる。そうして、時間を越えた奇妙な文通がはじまるのだ。

 本書の冒頭に引用があることでも分かるが、この作品はジャック・フィニイ「愛の手紙」と同じ設定を使っている。フィニイは『ふりだしに戻る』や『時の旅人』など、多くのタイムトラベル小説を書いた。しかし、そこには物理的なタイムマシンは出てこない。深い思い(過去に対する強烈なノスタルジー)を寄せて念じれば、時を渡ることができるという考え方だ。

 この設定では、たとえ恋仲になっても2人は絶対に会えない。ただ悶々と葛藤するばかりなのだが、やがて100年前には現在と呼応する大事件が起こることが分かる。それを回避するため、2人はあらゆる手段に訴えて奮闘するのだ。もちろん「百合姫」連載なので、登場するのは女性ばかりである。2人が置かれているシチュエーションや、判明する史実はハードで幸運とはいいがたい。そこにライトな百合要素と現代的な時事風俗を絡め、明るく華やかに盛り上げる。伴名練がデビュー以来一貫して保つ巧さだろう。

樋口恭介『眼を開けたまま夢を見る』

 2冊目は、5月15日に出た17編を収める樋口恭介の初短編集である。短いものが多く、中編1作品相当の分量。自身のnoteやカクヨム、twitterなど、ネット関係の媒体に発表された作品(一部を除いて大半は削除されている)がまとめられている。奥付はなく、初出にも発表年は書かれていない(数年以内のものだろう)。私家版で電子書籍のみ。

 言語機能の契約失効に関する大切なお知らせ:というお知らせが人類に届く。物語の誕生:文が生まれ、白紙が生まれ、線が引かれ、名付けられ、意味を持って、こうしてあなたは最後の文に辿り着く。時間の中のホテル:暗闇の中で真四角の部屋の壁を押すと森が現われる。そこにホログラムの女が現われ・・・。字虫:字虫とは眼球に生息する微生物のことである。読書家の目の中にはよりたくさんの字虫がいる。円盤:毎日あいつがやってくる。円盤のせいなのだ。機械と遊び:JLB・パス・ゲームの伝説的な王者だったプレイヤー=京大教授が語ったこと。悪夫と悪妻:ソクラテスの妻は悪妻として知られるが、その逆の立場のソクラテスも悪夫だった。浴槽:夫婦が会話をしているが、どこかかみ合わない。そのあと風呂に入ると体が溶け出していく。ワクチン接種日:ドローンが町民たちを呼び集める。今日はワクチンの接種日なのだ。俺は殺人鬼だった:俺は30人くらいを殺した殺人鬼だった。しかしよく憶えてはいない。完全自殺マニュアルかと思ったら資本主義リアリズムだった:残業とパワハラに悩む俺のところに、ある日喪黒福造がやってきて自殺薬をくれた。国際道徳基準変動通知:日々、SNSで炎上案件となる話題の倫理基準が通知される。その変化の見逃しは致命的だった。ボルシェヴォの魔女:シベリア旅行に行ったとき、現地で良く知られているという話を聞いた。祖父の思い出:私の祖父はドストエフスキーが好きで長い話をした。工場:高校生のとき工場で段ボールを運ぶバイトをした。野球:小学生のころ自分によく似た友人がいた。スポーツが苦手だったのに、あるとき突然野球をすることになった。眼を開けたまま夢を見る:大学時代の先輩と夜に会うことになった/子供のころの大晦日、自治会の運営する深夜のカウントダウン祭りに参加した。

 円城塔的な「物語の誕生」、アイデアSF「字虫」「円盤」「ワクチンの接種日」「国際道徳規準変動通知」、観念的で読み応えのある「時間の中のホテル」「機械と遊び」、巻末の3作品は「意味がないことを書く」「小説でもなくエッセイでもない」と称したもので、自身の体験のような物語が途中で別のお話になったり、すべては嘘で事実はないとも書いている。

 それぞれ面白いのだが、全体としてはアイデアメモか創作ノートを俯瞰したような印象を受ける。(意図的にそうしたのだろうが)小説になる手前に留め置かれていて、読者から見て韜晦なものが多い。実験小説集だとしても、もう一工夫あった方が良いように思う。

デイヴィッド・ウェリントン『最後の宇宙飛行士』早川書房

The Last Astronaut,2019(中原尚哉訳)

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 謎の天体オウムアムアが太陽系を通過してから5年、本書はそれにインスパイアされた異色のファーストコンタクトものである。著者は1971年生まれのアメリカ作家。オンライン小説でスタートし、これまでにホラー(ゾンビ、吸血鬼)サスペンスものや、ペンネームでスペースオペラの3部作を書くなどしてきた。これまでは賞と縁がなかったのだが、この作品は2020年のクラーク賞最終候補に挙がり高評価を得た。

 2034年、NASAによるオリオン計画は火星有人着陸を目指すオリオン6号でピークを迎えていた。しかしそこで重大な事故が発生、宇宙飛行士1名が失われ、火星計画自体がキャンセルとなる。それから20年、宇宙空間は無人機を重用する宇宙軍と、民間会社のKスペースに牛耳られている。だが、太陽系外から飛来した巨大な天体2I/2054DIにより事態は一変する。それは地球接近軌道に乗るため、意図的に減速しようとしていたのだ。

 まず設定が面白い。NASAは零落していて、ファーストコンタクトを図ろうにも宇宙飛行士がいない。急遽、かつてのオリオン号船長を務めた中年女性飛行士をカムバックさせる。Kスペースは(イーロン・マスクを思わせる)韓国系大富豪のワンマン会社で、勝手に宇宙船を送り出してしまう。あくまで利権を優先するため、NASAと協力する気はないのだ。

 宇宙飛行士や科学者たちは、細長い船体の回転軸付近にあるエアロックから船内に入っていく(円周に近づくほど、遠心力が大きくなる)。彼らが進むにつれ、氷に覆われ凍り付いていた内部がだんだんと目覚めるのだ。本書がクラーク賞の候補となったのは『宇宙のランデヴー』(1973)のラーマに近いからではないかと思われる(著者は言及していないが)。

 ラーマは全長50キロ、幅20キロの円筒状、最初内部は凍結している。一方の2Iは全長80キロ、幅10キロの紡錘形。内部が凍結している設定は同じながら「解凍」されてから生まれてくるものは、おもちゃ箱のようなクラークとウェリントンではまったく違う。違いは読んでいただくとして、クリーンで科学探査の雰囲気が濃厚なクラークに対し、本書は人間ドラマ中心のホラーに近い展開になっている。それにしても、この(由緒正しい)題材をこういう物語にしてしまうとは、ちょっとびっくりかもしれない。

スタニスワフ・レム『マゼラン雲』国書刊行会

Obłok Magellana,1955(後藤正子訳)

装幀:水戸部功

 スタニスワフ・レム・コレクションの第2期3巻目(通算で第9回配本)でレムの第2長編にあたる作品。1953年から54年に雑誌連載されて人気を博し、55年に単行本が出版された。1200枚弱にも及ぶ大作で、レムの既訳の長編中もっとも長く、また他では見られない構成で書かれている。広く東欧旧ソ連圏では翻訳が出たものの、日本での翻訳は本人からの許諾が得られず、長い間まぼろしの作品だった。

 32世紀、人類は巨大な恒星間宇宙船ゲア号を建造する。船には15層にも及ぶデッキがあり、四半世紀にも及ぶ航海を快適にするため、自然を模倣した環境まで造られている。物質転換炉(と思われる)エンジンを備え、光速の半分にまで達する恒星船は、227名の乗組員たちを乗せてアルファケンタウリを目指すのだ。グリーンランド生まれの主人公は、医師の資格で高倍率だった乗船資格を得る。

 本書が設定する32世紀では、人々は科学者か芸術家、あるいは医師のような専門職に就き、単純労働はすべてオートマトン(ロボット)が代行する。職業は自由に選べ、ロケット網と真空鉄道で結ばれた国境のない地球では、自由にどこにでも行ける。気候はコントロールされ、エネルギーは豊富にあり、何でも入手可能なので貨幣すら必要ない。ただ、太陽系は飽和しつつあり、外宇宙へと向かう気運が高まっている。

 日本で許諾が得られなかった理由はさまざまに考えられる(本書の解説に詳しい)が、本書が共産主義イデオローグになるのを嫌ったという説明(レムのインタビューによる)はどうか。『マゼラン雲』を読んでも、そういったプロパガンダめいたものはほとんど感じられないからだ。確かに、誰もが知的エリートの賢人統治ユートピアで、かつて共産主義究極の姿と考えられた社会(エフレーモフ『アンドロメダ星雲』も同様)を描いているが、これをイデオロギーと思う人は少ないだろう。年月を経たせいもあり、漂白された(リアリティが失せたが故に美しい)無色の理想社会なのである。

 むしろ、物語のバランスを崩すほど詰め込まれた科学者たちの議論や、詩人リルケの影響下にあったとされる叙情的な文章(あるいは、主人公の若くナイーヴな恋のエピソード)、後の諸作で否定される異質な知性とのコミュニケーションなど、わずか6年後に書かれるパーフェクトな『ソラリス』との落差が大きいように思われる。映画化の関係で翻訳されてしまった『金星応答なし』はやむを得ないとしても(1961年に翻訳)、代表作が紹介済み(『ソラリス』は1965年に翻訳)の国に、矛盾をはらんだ初期作をさらしたくなかったのではないか。

 本書には解説が3つも収められている。ポーランドのレム研究者イェジイ・ヤジェンプスキによる本国版全集のあとがき、訳者あとがき、沼野充義による解説である。それぞれ歴史的経緯や執筆当時の状況、レム作品史における本書の位置付け、連載版との差異や発行部数などなどの詳細な記載があり、ここまで多面的な分析が読めるのだから、日本の読者も待っただけの甲斐はある。

 ちなみに『マゼラン雲』をベースとしたチェコの「イカリエ-XBー1」(1963)は、ヌーベルヴァーグ版スタートレックとでもいえる映画。本書のエピソードを採り入れながらも、地球でのシーンが全くなく、だいぶ印象が異なる内容だった(それなりに楽しめますが)。

春暮康一『法治の獣』早川書房

Cover Illustration:加藤直之
Cover Design:岩郷重力+S.I

 第7回ハヤカワSFコンテストで優秀賞を受賞した著者の中編集。収録作品は、何れもが受賞作『オーラリメーカー』(2019)と同一の未来史である《系外進出(インフレーション)》シリーズに属している。また、解説とは別に著者による解題(作品ノート)も付いている。

 主観者(2021)赤色矮星ラカーユ9352を巡る第1惑星に、宇宙船〈トライアクシズ〉が到達する。潮汐力により昼夜が固定された惑星だったが、気化も氷結もしない海があった。しかも、発光する生物の群体ルミナスが発見される。
 法治の獣(書下ろし)テミスの第2惑星〈裁剣(ソード)〉には、トーラス型スペースコロニー〈ソードII〉が建造されている。しかし、コロニーを統べる法律は刻々と変化する。それは惑星に棲息する一角獣シエジーの生態に依存するのだ。
 方舟は荒野をわたる(書下ろし)探査船〈タキュドロムス〉は植民に適した惑星を探すミッションを帯びていた。惑星オローリンは不安定な軌道を描く不毛の星で、目的にはまったく適合しない。ところが、そこには予想外の生命が存在した。

 著者のペンネームはハル・クレメントから採られている。クレメントは1950年代ハードSFの代表作家で、極地重力が地球の700倍にも達する惑星で生きる知的生命を描いた『重力への挑戦/重力の使命』(1953)が良く知られている。クレメント流ハードSFには、異様であっても科学的に正確な設定と、外観が非人類でも共感可能な異星人(人とよく似た思考をする)を組み合わせるという不文律があった。クレメントが古典的な物理学だったのに対し、春暮康一は生命工学をベースに書くが、そういう意味での雰囲気は似ている。

 とはいえ、本書には現代SFの要素も取り入れられている。最後はあくまで人間側の認識や倫理観の問題に帰着するのだ。著者も書いているように、「主観者」はグレッグ・イーガン「ワンの絨毯」(本書の解説がイーガン翻訳者の山岸真なのは偶然ではない)を思わせる発想である。本書の中で生命は過酷な環境下で生まれ、そこに知性が宿っている(ように思われる)。人類は彼らとコミュニケーションしようとしたり、人間なりの意味を見つけようとするが、干渉は思惑と異なる結果を招くのである。