マット・ラフ『ラヴクラフト・カントリー』東京創元社

Lovecraft Country,2016(茂木健訳)

装幀:山田英春
図版:GeoImages/PIXTA

 著者は1965年生まれのアメリカ作家、過去に『バッド・モンキーズ』(2007)が翻訳されている。毎回テーマを変える作風で、黒人作家でも女性でもないものの、ジェンダーやレイシズムを背景にした作品も書いている。本書は創元推理文庫のFマーク(ファンタジイ扱い)だが、SFやコミックの要素が組み合わされたものだ。クトゥルーものとはいえず、どちらかといえばニール・ゲイマンのファンタジイ/ホラーと雰囲気が似ている(著者はXファイル黒人版をイメージしたようだ)。ケーブルTVのHBOで、2020年にドラマ化された同題シリーズ《ラヴクラフト・カントリー》(現時点ではAmazonで視聴可)の原作でもある。

 1954年、朝鮮戦争から帰還したばかりの主人公は、父親からの連絡を受けてシカゴに帰省する。しかし、父は正体不明の白人と共に旅立ち、行方が知れなくなったという。残された手掛かりから、目的地がアーカムならぬアーダムと分かるのだが、そこは閉ざされた僻地だった。彼らは伯父や幼なじみを伴って後を追う。

 主な登場人物は黒人である。舞台は1950年代のアメリカ。キング牧師による公民権運動のさらに10年前でもあり、差別はあからさまに残されている。黒人は旅行の自由が(建前はともかく)制限され、立ち入る場所を間違えると命に係わる事態となる。居住地域も(建前はともかく)厳然と分離されている。伯父は黒人旅行者のために、安全な宿やレストランを紹介する旅行ガイドを出版している(モデルとなったグリーンブックは実在のもの)。

 物語はSF(バローズなどのパルプ・フィクション)やラヴクラフトを偏愛する主人公によるアーダムでの波乱後、その幼なじみによる幽霊屋敷購入騒動、伯父と異父弟にアーダムの継承者を交えた「名付けの本」をめぐる争奪戦、伯母が異世界に迷い込む話と続き、さらには幼なじみの姉が白人に変身したり、父が魔法のノート探しの依頼を受けたり、伯父の幼い息子(コミック作家を目指している)は悪魔人形に追いかけられるなど、視点が次々と移り変わって読者を飽きさせない。

 ラヴクラフトが、いわゆるレイシスト(人種差別主義者)であったことはよく知られている。ただ、黒人やイタリア人(貧困層が多かった)などを臆面なく差別したという点では、ある意味19世紀的な世俗観(当時の大衆の風潮)を体現していただけともいえる。本書はその世界観が、50年代(そして現代ですら)生々しく残っているという現実を、魔術や超常現象に準えて映し出した点がユニークだろう。ラヴクラフト・カントリーとは、今われわれが住む世界の暗黒面なのだ。

スタニスワフ・レム『火星からの来訪者 知られざるレム初期作品集』国書刊行会

Człowiek z Marsa, Nieznane wczesne utwory Lema,1946(沼野充義、芝田文乃、木原槙子訳)

装幀:水戸部功

 最初の長編『金星応答なし』(1951)以前に書かれたレム最初期の中短編と詩作を収録した、日本オリジナルの作品集である。

 火星からの来訪者(1946)ドイツが降伏したのと同じ頃(45年5月)、アメリカ北中部の山中に宇宙からの飛来物が落下する。3か月後、残骸を解析するチームに紛れ込んだ元記者は、それが火星からのミサイルで正体不明の機械を内蔵していたことを知る。
 ラインハルト作戦(1949)強制収容所に送られるユダヤ人狩りが始まっていた。混乱の中、貨車に押し込まれる人々と共に、ポーランド人医師が誤って乗せられてしまう。
 異質(1946)ドイツのミサイル攻撃が続くロンドン郊外に住む少年は、原理の分からない「永久機関」を発明してしまう。その謎を解くため、高名な学者のもとを訪ねるが。
 ヒロシマの男(1947)戦争末期、英国で諜報活動を行う主人公は、核が投下されるヒロシマに自分が諜報員として送り込んだ日系の英国人がいることを知る。
 ドクトル・チシニェツキの当直(1950)多忙を極める産科の当直医は、さまざまな出自の妊産婦たちや同僚の医師、看護師たちと生誕や死を切り抜けて仕事をこなしていく。
 青春詩集(1947/48)「カトリック週報」(1945年創刊の週刊誌とのこと)に掲載された、20代後半の青春時代に記した12編の詩。

 「火星からの来訪者」は300枚近くもあって、短い長編クラスといえる中編。解説にもあるようにウェルズ『宇宙戦争』を意識した作品である(宇宙から来た円錐形状の機械は、3本の触手を持っている)。しかし、強烈な放射線を発するその機械(ある種の生命とも考えられる)は、意思疎通の反応を見せながらも正体は明かされない。その点はウェルズと観点が異なっている。舞台が秘密基地のような閉鎖空間で登場人物が限られるなど、15年後の『ソラリス』の萌芽が窺われる。

 「ラインハルト作戦」「ドクトル・チシニェツキの当直」はもともと『主の変容病棟』3部作の、それぞれ第2部/第3部から抜き出されたものという。この2部/3部はレム自身によって封印されてしまったので、今後も翻訳は望めない。この両方の作品には共通する医師が出てくる。ユダヤ人狩りや戦争の傷跡を残す妊婦たちなど、大戦下/戦争直後のリアルを切り取った貴重な作品といえるだろう。「ヒロシマの男」はジョン・ハーシー『ヒロシマ』(1946)に影響を受けたとされる。戦争を身近に知っているが故の迫真的な描写に強い印象を受ける。

 「異質」は永久機関を発明した(と思い込む)少年の物語だが、その少年が相談する学者は哲学者ホワイトヘッドである。「火星からの来訪者」が科学者たちの物語(しかし解答は得られない)だとすると、「異質」は哲学/スペキュラティヴな解決を模索する物語なのだといえる。そういう、若きレムによる迷い(サイエンスだけでは解明できない事象に、思索的な裏付けを求める)までが読み取れる興味深い作品集だ。

冬木糸一『SF超入門』ダイヤモンド社/池澤春菜監修『現代SF小説ガイドブック』Pヴァイン

ブックデザイン:小口翔平+後藤司(tobufune)

 すべての現実はSF化した
 支配者(パワープレイヤー)たちの頭の中を知れ
 単なる「予測」を超える「物語」の想像力
 (抜粋)

 科学読み物として、最先端のキーワードを知るためのベスト/小説として、時代を超えて読まれるべきベスト/の2つの視点から、56作品(シリーズ)を選びました。古典から現代の作品まで、できる限り時代を超えて網羅的に紹介しています。17の最新キーワードごとに分類、切り取ることで、既存のSFガイドブックと異なる構成となっています。

はじめに(冬木糸一)

 強烈なキャッチが並ぶ。イーロン・マスクやビル・ゲイツら、著名起業家が愛読していたこともあって、GAFAMの時代のSFはこれまでとは異なる視点で注目を集めている。本書もビジネス書のダイヤモンド社から出たものだ。ただし、煽り文句に反して内容はむしろオーソドックスなものといえる。

Part1 最新の「テクノロジー」を知る
 Chapter1 仮想世界・メタバース
 『ニューロマンサー』『スノウ・クラッシュ』『セルフ・クラフト・ワールド』《Wシリーズ》
 Chapter2 人工知能・ロボット
 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『われはロボット』『BEATLESS』
 Chapter3 不死・医療
 『透明性』『円弧(アーク)』『ハーモニー』
 Chapter4 生物工学
 『ジュラシック・パーク』『わたしを離さないで』『ブラッド・ミュージック』『宇宙・肉体・悪魔』『フランケンシュタイン』
 Chapter5 宇宙開発
 《レディ・アストロノート三部作》『七人のイヴ』『青い海の宇宙港』
 Chapter6 軌道エレベーター
 『楽園の泉』
Part2 必ず起こる「災害」を知る
 Chapter7 地震・火山噴火
 『日本沈没』『死都日本』『富士山噴火』
 Chapter8 感染症
 『復活の日』『天冥の標II 救世群』『新しい時代への歌』
 Chapter9 気候変動
 『蜜蜂』『神の水』『2084年報告書 地球温暖化の口述記録』
 Chapter10 戦争
 『地球の平和』『渚にて』《戦闘妖精 雪風シリーズ》『スローターハウス5』
 Chapter11 宇宙災害
 『神の鉄槌』『地球移動作戦』『赤いオーロラの街で』
Part3 「人間社会の末路」を知る
 Chapter12 管理社会・未来の政治
 『一九八四年』『すばらしい新世界』『ザ・サークル』
 Chapter13 ジェンダー
 『闇の左手』『侍女の物語』『徴産制』
 Chapter14 マインドアップロード
 『ゼンデギ』『順列都市』『都市と星』
 Chapter15 時間
 《オックスフォード大学史学部シリーズ》『キンドレッド』『高い城の男』
 Chapter16 ファーストコンタクト
 《三体三部作》『ブラインドサイト』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』『幼年期の終わり』
 Chapter17 地球外生命・宇宙生物学
 『ソラリス』『時の子供たち』『竜の卵』『銀河ヒッチハイク・ガイド』『スターメイカー』

 以上、シリーズものも1つと数えて、全56項目になる(49作家、クラークが4作品で最も多い)。比較的近作を中心に、古典でも入手可能なものが選ばれているようだ(その点は『現代SF小説ガイドブック』と同じである)。ゆったりとしたレイアウトながら、430ページ(原稿用紙換算700枚余)もあるため、内容紹介は十分なされている。昔ながらのテーマ別分類で、身近なテクノロジー(メタバース、AI、生命科学、宇宙開発)からはじめて、天災から戦争までの災害、未来の管理社会や地球外生命と、しだいに日常から遠く離れていくという読みやすい構成になっている。

(Amazon書籍紹介より引用)

 議論が生じるとすれば、本書に付属する「SF沼の地図」という4象限マップだろう。縦軸(x軸)にFiction、横軸(y軸)にScienceを置き、(x,y)=第1象限(light,scientific)、第2象限(light,speculative)、第3象限(heavy,speculative)、第4象限(heavy,scientific)と分けSF作品をマップしている。こういう4象限マップは、ビジネスの世界でポートフォリオ分析としてよく用いられる。自社の位置がどこにあり、どういう強みと弱みがあり、今後どの方向に進むべきかの指標とするためだ。たいてい第1象限がベスト(あるべき姿)、第3象限がワースト(撤退すべき領域)となる。

 しかし、著者はxy軸に2つの意味を持たせている。たとえば、fictionのlight(リーダビリティー高い?)は上にあるが、下側のheavy(概念的/抽象的で難易度高い?)に勝るとはしていない。science軸も同様だ。ではこのマップに置かれたSFには、どういう意味があるのか。第1象限(右上)=科学的で読みやすい、第3象限(左下)=思索的で抽象度が高いとすると、入門者はまず第1象限を選ぶだろう(同じ読みやすさでも、第2象限は作品が少なすぎる)。実際、第1象限にある『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が最初に読む本として推奨されている。

 とはいえ『幼年期の終わり』と『竜の卵』がfiction軸のゼロ点(中央)で、かつscience軸の左右両端にあったり、『スターメイカー』がscience軸のゼロ点にあるというのは、ちょっと違和感のある位置付けと思える。『宇宙・肉体・悪魔』(第4象限の右下)と『スターメイカー』や『幼年期の終わり』は1つのくくりとみなすことができるからだ。冬木糸一が自身の原点だとする『戦闘妖精 雪風(改)』をxy軸の交差するゼロゼロ点(基準点)に置き、そこから相対的な位置に作品を並べれば、もっと納得できたかもしれない。小説は絶対座標など持たないので、相対的にしか比較できないのだ。

デザイン:北村卓也

【今、ここ】の作家を優先。
 過去の素晴らしい作家でも、今、本が手に入るかどうかを考える。もしくは今につながる流れの中にいるかどうか。
(中略)その上で、作家紹介のライター陣はなるべく新しい、やる気のある人にお願いする。
(中略)つまり、徹底して、今のSFを知るための1冊、という切り口になった。

まえがき(池澤春菜)

 目次は以下のようになっている。歴史概説があって、作家紹介、世界の状況、映像ジャンルとの関係やSF大会、ファンジン、出版社の内幕まであり、総合的な入門書として体裁は整っている。

はじめに(池澤春菜)
SF史概説(牧眞司)
作家紹介(海外)
 オクテイヴィア・E・バトラー/N・K・ジェミシン/メアリ・ロビネット・コワル/ケン・リュウ/パオロ・バチガルピ/アンディ・ウィアー/シルヴァン・ヌーヴェル/テッド・チャン/グレッグ・イーガン/劉慈欣(以上、見開き紹介)
 アン・レッキー/ジェフ・ヴァンダミア/チャイナ・ミエヴィル/コニー・ウィリス/サラ・ピンスカー/アーシュラ・K・ル・グウィン/ロイス・マクマスター・ビジョルド/ジョー・ウォルトン/ピーター・トライアス/ユーン・ハ・リー/キジ・ジョンスン/マーサ・ウェルズ/ニール・スティーヴンスン/フィリップ・リーヴ/ピーター・ワッツ/アーカディ・マーティーン/アイザック・アシモフ/クリストファー・プリースト/キム・ヨチョプ/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/ラヴィ・ティドハー/ンネディ・オコラフォー/J・P・ホーガン/バリントン・J・ベイリー/コードウェイナー・スミス/ウィリアム・ギブスン/ロバート・A・ハインライン/カート・ヴォネガット・ジュニア/J・G・バラード/エイドリアン・チャイコフスキー/R・A・ラファティ/スタニスワフ・レム/アリエット・ド・ボダール/アレステア・レナルズ/オースン・スコット・カード/アーサー・C・クラーク/P・K・ディック/チャーリー・ジェーン・アンダーズ/マーガレット・アトウッド/カズオ・イシグロ(単ページ紹介)
近年の日本SF(小川哲)
作家紹介(国内)
 柴田勝家/伊藤計劃/飛浩隆/伴名練/酉島伝法/小川哲/藤井太洋/円城塔/高山羽根子/宮内悠介(見開き紹介)
 山本弘/春暮康一/三島浩司/上田早夕里/柞刈湯葉/津久井五月/田中芳樹/菅浩江/津原泰水/谷甲州/小林泰三/新井素子/月村了衛/森岡浩之/野﨑まど/林譲治/冲方丁/小川一水/宮澤伊織/石川宗生/長谷敏司/牧野修/上遠野浩平/小松左京/星新一/筒井康隆/光瀬龍/眉村卓/夢枕獏/神林長平/梶尾真治/山田正紀/空木春宵/新城カズマ/樋口恭介/北野勇作/草野原々/オキシタケヒコ/ユキミ・オガワ/高島雄哉(単ページ紹介)
ガイド
 花開くアジアのSF(立原透耶)
 非英語圏SF(橋本輝幸)
 アンソロジーのすすめ(日下三蔵)
 最新SF小説原作映像化事情(堺三保)
 ライトノベルに確固たるジャンル築くSF(タニグチリウイチ)
コラム
 アフロフューチャリズムとは(丸屋九兵衛)
 現代日本のジェンダーSF(水上文)
 ゲンロン 大森望 SF創作講座(大森望)
 世界のSF賞(大森望)
 プロ/アマの垣根を超えたウェブジンとファンジンの世界(井上彼方)
 SFファンダムとコンベンション(藤井太洋)
 対話のためのSFプロトタイピング(宮本道人)
 SF編集者座談会──そこが知りたい翻訳SF出版

 21世紀になってから本格紹介された、非白人/マイノリティなど新しい作家たち、ケン・リュウ/テッド・チャン/イーガンなど新定番作家を含める一方、アシモフ/クラーク/ハインライン、バラード/レム、コードウェイナー・スミス/ティプトリーや、ビジョルド/ホーガンなど旧定番作家も落とさないというバランス感覚のある選択。日本作家でも同様で、草創期の第1世代、中堅から新世代の各種文学賞作家と、広い範囲を(漏れなくとまでは言えないにせよ)カバーしている。その点は抜かりなく考えられていると思う。

 経歴/受賞歴/書誌など、データ記述にばらつきがあるのが気になるものの、そもそも割り当て枚数が原稿用紙3枚(見開き2ページ)~短いものは1枚ちょっとと少ないのが制約になっている。ページ数200ページ弱(300枚余)に、作家100人紹介+コラム・サマリー(ガイド)15編と盛りだくさんな記事が詰め込まれているからだ。あくまでも触りを知るためのガイドブックなので、自分好みの作家を選ぶ起点にしてくれ、というスタンスなのだろう。

 書き手は1990年~ゼロ年代生まれの若手中心でフレッシュだ。コラムやガイド記事に一部ベテランが顔を出すが、いっそのこと50歳以上はすっきりオミットした方が趣旨通り(今、ここ)でよかったかもしれない。ところで、活動年代でも年齢順でも50音順でもない、この作家掲載順序には何か意味があるのだろうか。何らかのスコアに基づいているのかもしれないが。

陸 秋槎『ガーンズバック変換』早川書房

Gernsback Transform and Other Stories,2023(阿井幸作、稲村文吾、大久保洋子訳)

装画:掃除朋具
装幀:早川書房デザイン室

 1988年北京市で生まれ、現在日本の金沢市に在住する中国人ミステリ作家 陸秋槎(りくしゅうさ、ルー・チュウチャ)による初のSF短編集である。日本オリジナルで編まれ、書下ろしや初翻訳を含む8作品を収めたもの。

 サンクチュアリ(書下ろし)著名なファンタジー作家がスランプに陥り、急遽シリーズもののゴーストライターとなったわたしは、作家が書けなくなった本当の理由を知る。
 物語の歌い手(書下ろし)中世のフランス。修道院で病に倒れ地元に戻った貴族の娘は、城で詩を披露する中身のない吟遊詩人たちに飽き足らず、自ら吟遊詩人の扮装に身をやつし街々を旅して歩く。
 三つの演奏会用練習曲(2021*)ノルウェーで続く迂言詩(ケニンガル)、シャーラダー(カシミール)を揺るがした『麗姫百頌(カニヤーシャタカ)』、アルテイア島で毎日謳われる神歌、以上3つの物語。
 開かれた世界から有限宇宙へ(2023)スマホゲームのシナリオライターが、社運を賭けた新プロジェクトのカリスマプロデューサーから、ゲーム内の矛盾する設定に合理的な意味付けをするよう要望される。安易な答えは絶対に許されないのだ。
 インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ(2021)インド魔術のネタにインディアン・ロープというものがある。蛇が直立してロープになるトリックなのだが、さまざまな文献によって蛇の実在が示唆される(『異常論文』)
 ハインリヒ・バナールの文学的肖像(2020)20世紀初頭のオーストリア、ホーフマンスタールと同時代の作家にバナールがいた。凡庸で冗長な劇作家だったがナチスの台頭とともに頭角を現し、やがてあるSF映画の脚本により破滅に追い込まれる。
 ガーンズバック変換(2022*)未成年者がスマホやPC画面を見ることを禁じた香川県。高校生の主人公は、ガーンズバックV型の遮断型眼鏡をかけている。大阪の友人を頼って、無効化されたレプリカ眼鏡を入手しようとするのだが。
 色のない緑(2019)親友が亡くなる。グラマースクール時代に知り合った3人の中の1人だ。彼女は計算言語学者で、700ページに及ぶ論文を完成させたばかりだった。しかし、その論文は学会から却下されていた。
*:初訳

 ミステリ作家が書いたSF短編集というと、西澤保彦『マリオネット・エンジン』貴志祐介『罪人の選択』、著者あとがきにも出てくる法月綸太郎『ノックス・マシン』などが思い浮かぶ。どの作家もSFファンだった過去を持つが、(アイデアの処理法に)トラディショナルなSFの手法を用いるか、手慣れたミステリの手法を援用するかで出来上がりの雰囲気は異なる。貴志祐介は前者(長編になるが熊谷達也『孤立宇宙』もそうだろう)、西澤保彦と法月綸太郎は後者になる。特に『ノックス・マシン』はミステリ作家が書いたSFの究極の姿といえる。

 それでは、陸秋槎はどうなのか。「サンクチュアリ」「開かれた世界から有限宇宙へ」「色のない緑」は、それぞれ謎(書けない理由、ゲーム世界の設定、友人の死)が提示され解決されるので、SFのアイデアをミステリ的に処理したと言えなくもない。ところが、どれも事件解決! 的なカタストロフはなく、諦観を込めた終わり方なのだ。さらに、「物語の歌い手」「三つの演奏会用練習曲」は自在な物語だけがあるという短編で、エキゾチックな登場人物の人生の切片のように読めるし、「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」は異常論文というより、本物らしさを増した架空評論だろう。

 表題作「ガーンズバック変換」はラノベに近い青春ドラマだ。どんな制約下でも生きていこうとする、主人公の思いに読みどころがある。過去にとらわれず、現在を自由に取り込める若さも清々しい。結局のところ、その自由さが陸秋槎と既存のSFミステリとの違いと思われる。ミステリ作家の経験の上に書かれたSFには、大なり小なり過去のSF体験=古い記憶やミステリのスキルが映り込む。著者の場合(まだ)そういう縛りは生まれておらず、ミステリ・SF・文学のどこでもあり/どこでもない作品となっているのが面白い。