幻視者の見た9つの世界『神樂坂隧道』

 シミルボン(#シミルボン)のコラムの中では、ちょっと異色の作家を紹介しましょう。西秋生、この名前ご存じでしょうか。《異形コレクション》など、アンソロジーや専門誌で見かけた覚えがあるかもしれません。小説の単行本がなかったこともあり知る人ぞ知る作家ですが、独特の忘れがたい印象がありました。以下本文。

装幀:戸田勝久

 西秋生という作家がいた。1970年初め頃から同人誌等で活動をはじめ、1984年から91年まで〈SFアドベンチャー〉や《ショートショートの広場》にて主に短篇、ショートショートを掲載、2000年代に入ってからは井上雅彦監修《異形コレクション》にも寄稿していた。著作には、神戸新聞夕刊の連載をまとめた『ハイカラ神戸幻視行 コスモポリタンと美少女の都へ』がある。この本は地元神戸と縁の深い、稲垣足穂や江戸川乱歩、谷崎潤一郎ら画家や作家が描く戦前の神戸を幻視するエッセイ集だ。

 そんな西秋生だったが、2015年9月に急逝する。70作近い作品があるのに、小説をまとめた著作集がないままだった。そこで、有志によって編まれたのが『神樂坂隧道』である。この本には9つの短篇が収録されている。

  • 『夢幻小説傑作選』について(1985):夢で編む小説集についての同人誌でのエッセイだが、本書の巻頭言として違和感なく置かれている。
  • 1001の光の物語(2011):『異形コレクション 物語のルミナリエ』所収。わずか12段落の文章で綴られた、タルホ風超掌編小説。
  • マネキン(1977):『ネオ・ヌルの時代 PART2』所収。マネキンとなった兄に語りかける弟。筒井康隆から「完璧な小品」と評された作品。
  • 走る(1977):同所収。文明が滅びた世界を、バイクで走り抜ける男を描いた疾走感あふれる作品。
  • いたい(1980):『ショートショートの広場1』所収。主人公を追ってきた姉は、毎夜幻の痛みに苦しめられる。
  • 星の飛ぶ村(1992):作家が訪れた村では、UFOらしきものが現われるが誰も存在を気にしない。
  • チャップリンの幽霊(2007):『異形コレクション ひとにぎりの異形』所収。神戸新開地の工事現場に、その地で亡くなったチャップリンの幽霊が出るらしい。
  • 神樂坂隧道(2000):第5回日本ホラー小説大賞最終候補作の改稿版。戦前の東京、神楽坂の下には得体のしれないトンネルがあった。乱歩をイメージする旧仮名遣いで書かれたホラー小説。
  • 翳の そしてまぼろしの黄泉(1984):〈SFアドベンチャー〉1984年12月号掲載。3人の同人誌仲間がスナック「オクトーバー・カントリー」に集い、お互いの作品を講評し合う。中井英夫のオマージュ作品でもある。
  • 5:46(1998):著者が実際に体験した阪神淡路大震災の瞬間をモチーフとし、神戸のさまざまな風景を封じ込めた幻想小説。

 本書の作品には、おおまかに3つの時代が含まれる。1つは完璧と言われたアマチュア時代のショートショート「走る」や「いたい」が書かれる1970年代、もう1つは「翳の…」を含む〈SFアドベンチャー〉にホラー短篇を寄稿していた1980年代、そして「神樂坂隧道」「1001の光の物語」など、乱歩やタルホを別の視点から描き出す夢幻小説群を書く1990年代以降である。

 考えてみれば、初期の段階で筒井康隆が認めるほど「完璧」な作品が書けたのだ。そのまま書き進めても良かったように思うが、おそらく著者が20代に抱えていた創作の動機(兄や姉への情感、滅びゆく世界に対する焦燥感と、反面突き放したような虚無感)は維持できる性質ではなかったのだろう。やがて、モダン・ホラーに趣向が変わり多数の作品を発表するものの、本書ではこの時期の短篇は1作しか採られていない。著者の迷いが、作品自体を歪めたせいかもしれない。

 その後、地元神戸や探偵小説に由来する幻想を語りはじめ高評価を得るようになる。1995年の大震災を契機に、神戸に対する志向性はより強まった。それらは、冒頭の「夢幻小説」を体現する独特の作品群となった。

 本書の後半に収録された追悼文も読みでがある。眉村卓はラジオ番組に投稿していた時代から振り返り、ネオ・ヌル時代から創作仲間だった高井信、大学の先輩で分析的な作品論に踏み込むかんべむさし、星新一ショートショートコンテストで繋がる江坂遊、異形コレクションで関係する井上雅彦、神戸での一夜の出会いを語る森下一仁、特に最近の諸作を高く評価する堀晃、神戸新聞編集者の大町聡は『ハイカラ神戸幻視行』連載当時を語っている。

装幀:戸田勝久

 『神樂坂隧道』は一部の書店で入手可能だが数が限られる。見当たらない場合は、ここからオンデマンド版を直接購入することができる。版型はB6判(四六判)並製(ソフトカバー)224頁。カバーや帯の付かないペーパーバックである。なお、前掲書の続編(新聞連載の後半)として『ハイカラ神戸幻視行 紀行篇 夢の名残り』も、戸田勝久の装幀で出版された。こちらも、一般書店での入手は限られる。

(シミルボンに2016年9月14日掲載)

 紹介した本のうち『ハイカラ神戸幻視行』は、どちらも新刊入手はできないようですが、『神樂坂隧道』については現在でもオンデマンドで購入可能です。

宮内悠介『国歌を作った男』講談社

装丁:川名潤

 2016年から22年にかけて書かれた13作品を集めた短編集である。著者には連作短編集が多く(『盤上の夜』『スペース金融道』など)、お互いの関連が薄い純粋な短編集としては『超動く家にて』(2018)以来の2冊目にあたる。宮内悠介自身による作品解題も付いている。

 ジャンク(2020)パワハラ上司から逃れ会社を辞めた主人公は、秋葉原の実家で店番をする。そこは寂れたジャンク屋で、存続自体が難しい店だった。
 料理魔事件(2019)平和な田舎の街で奇妙な連続空き巣事件が起こる。留守宅に侵入し、勝手に料理を作って置いていくのだ。そこで殺人事件が発生する。
 PS41(2020)ニューヨークの公立学校PS41に通っていたころ(エッセイ)。
 パニック ―― 一九六五年のSNS(2022)イザナギ景気さなかの1965年、日本でSNSが生まれた。そこで開高健による世界初の炎上事件が発生する。
 国歌を作った男(2022)移民三世のジョンは、コンピュータRPGを作った際にフィールド音楽を付けた。その楽曲はアレンジを重ね、誰もが知る「国歌」となる。
 死と割り算(2021)メイン州で謎の言葉を残す連続殺人が起こる(掌編)。
 国境の子(2021)対馬で生まれ父親が韓国人だった主人公は、上京しデザイナーになったが職場で友人がいない。そんなある日、母が入院したと知らせが届く。
 南極に咲く花へ(2021)作家を志していたぼくは、会社の立ち上げにかかわり書けなくなった。やがて同居していたきみと仲違いして別れてしまう。
 夢・を・殺す(2017)ゲーム制作にのめり込んだ従兄弟とぼくは、大人になって会社を立ち上げる。けれど、日銭を稼ぐ下請け仕事で手一杯のありさまだった。
 三つの月(2017)メンタルクリニックの医師は、患部が色で見分けられる整体師の不思議な能力に惹かれる。ただ、それには副作用があった。
 囲いを越えろ(2020)オリンピック代表を決めるハードル競技の一瞬(掌編)。
 最後の役(2020)無意識に麻雀の役をつぶやいてしまう理由とは(掌編)。
 十九路の地図(2016)元本因坊だった祖父が事故で植物状態になる。かつて碁を習った孫の主人公は、BMIで祖父の脳に直結された画面で碁を打ってみる。

 表題作「国歌を作った男」は、直木賞候補長編『ラウリ・クースクを探して』の原型となった。短編の舞台はアメリカで主人公はウクライナ移民三世、長編版ではバルト三国のエストニアで数字に憑かれた少年が主人公になっている。憑かれた少年という意味では、三角形など図形に憑かれる「国境の子」も関係するだろう。そういう、連作ではないものの緩く関係するモノが多い。海馬(記憶)、市松模様の台所、ゲーム開発とZ80やMSX(著者は実際にゲームソフトを作っている)などなどだ。

 総じて著者の経歴(ニューヨークで生まれ育った帰国子女)や、実体験(IT会社でのプログラム開発や、プロの麻雀士を目指したことなど)が、共通要素の土台になってつながりあっている。「パニック ―― 一九六五年のSNS」は『ifの世界線』でも触れた。「PS41」はエッセイなのだが、フィクションとして読めるから収録したという。中では「南極に咲く花へ」が水野良樹とのコラボ企画で実際に作曲されたもので異色。このお話は、作家業を絡めたほろ苦い別れの話に収れんする。

異世界への旅人 眉村卓

 シミルボン(#シミルボン)のコラムでは作家の紹介記事も書いていました。話題の作家だけでなく、ベテランでも全体像が分かりにくかったり、新刊入手が難しい作家を含んでいます。以下本文。

 眉村卓は1934年大阪市に生まれ、国民学校(小学校)の時代に戦災や疎開を経験した。その頃のエピソードは、ありえたかもしれないもう一つの少年時代を描いた「エイやん」(2002)の中にも描かれている。新制中学、高校を経て大阪大学を卒業。1960年に〈宇宙塵〉に入会、翌年第1回日本SFコンテスト(ハヤカワSFコンテストの前身)に入選しデビューする。

 デビューの後、ヒーローものともいえる初長編『燃える傾斜』(1963)を出版、作家専業となる年に出した短編集『準B級市民』(1965)には、後の宇宙もの、異世界ものに成長する作品が既に多く収録されていた。同時期に書かれた作品のうち、イミジェックスという情報装置により消費がコントロールされるディストピア小説『幻影の構成』(1966)は、今こそ読み直す価値があるだろう。

 この頃、光瀬龍らとともにジュヴナイルを書きはじめる。転校してきた美少年を巡る不可思議な事件『なぞの転校生』(1967)、見知らぬ女の子から届いた手紙『まぼろしのペンフレンド』(1970)、田舎町の因習が超常現象となって現れる『ねじれた町』(1974)、中学の生徒会長に選ばれた少女が着々と支配力を強めていく『ねらわれた学園』(1976)など、累計30作余りにものぼる。特に『ねらわれた学園』はTVドラマ・映画・アニメなど7回、『なぞの転校生』も同じく3回と、筒井康隆『時をかける少女』に並ぶ息の長い人気作品となった。他にも映画化、ドラマ化された作品は多く、著者を代表するジャンルといえる。

装画:加藤直之

 シリーズものでは、宇宙を舞台とする《司政官》が重要だ。司政官とは地球連邦から派遣された惑星統治の専門家のこと。しかし、任地でその権威が認められるとは限らない。『司政官 全短編』(2008) は、1974年と80年に出た中短編集を、年代記順に再編集した決定版である。「長い暁」多島海からなる惑星。軍政下で接触の機会が少なかった原住者との出会いが、予想外の危機を呼ぶ。「照り返しの丘」異星人の生み出したロボットが支配する惑星。その秘密を得るための手がかりとは。「炎と花びら」知性ある植物の惑星。彼らは成長すると知恵を失い、花びらを開き、季節風に乗って旅立つ。「遺跡の風」遺跡だけが残され、遠い昔に文明が滅びた惑星。植民者の間には幽霊が出没するという。「限界のヤヌス」急速に植民者が増えつつある惑星。司政官に反抗するリーダーはかつての同僚だった、など7作を収める。

 連邦制度をとる未来社会(特に官僚機構)、異星の描写、主人公の心理描写など、何れもが細密に描き込まれている。ロボット官僚たちに囲まれ、ただ一人の人間である司政官が統治するという設定が面白い。官僚機構は、ローマ時代から本質的な変化がない普遍的なものだ。こういった部分に焦点を当てたSF作品は他にないため、古びて見えず新鮮な印象を受ける。《司政官》は長編を含めてもわずか9作しかないが、ばらばらでは独特の世界を理解するのが難しい。一挙に読んでこそ面白さが分かる内容といえる。

装画:加藤直之

 長編には、第10回星雲賞、第7回泉鏡花文学賞を受賞した、太陽活動の異変で居住が困難となった惑星に赴任する司政官を描く『消滅の光輪』(1979)と、司政官制度が力を失った衰退の時代、苦闘する主人公の物語『引き潮のとき(全5巻)』(1988-95)がある。第17回星雲賞を受賞した後者は、〈SFマガジン〉に12年間にわたって連載された大長編であるが、残念なことに電子書籍版がない。手軽に読める『消滅の光輪』からまずお試しいただきたい。眉村卓には、《司政官》以外の宇宙ものとして『不定期エスパー(全8巻)』(1988-90)もある。超能力者でありながらその力を制御できない主人公が、貴族の勢力争いの中で地位を固めていくドラマだ。

 ジュヴナイル、宇宙ものと並んで、眉村卓の作品では異世界が多く描かれる。異世界とは、現実と違った(現実とよく似ている、あるいはよく似た人物がいる)別の世界のことだが、シームレスにつながっていて簡単に迷い込んでしまう。それは、『ぬばたまの…』(1978)のようなうす暗い幻想世界だったり、『傾いた地平線』(1981)の過去の自分と複雑に入れかわる世界だったりする。第7回日本文芸大賞を受賞した『夕焼けの回転木馬』(1986)では、著者の分身のような2人の登場人物が絡み合いながら、過去から続く無数の可能性に呑み込まれていく。

 『虹の裏側』(1994)は主に初期(1965-79)に書かれた、異世界ものを集成した傑作選である。「仕事ください」「ピーや」「サルがいる」など、登場人物の内面を映し出すホラー的な作品も含まれている。このうち高校生がタイムスリップする「名残の雪」は、ドラマや映画になった「幕末高校生」の原作である。

『妻に捧げた1778話』(2004)は、癌で闘病する妻(2002年に死去)に毎日1話のショートショートをささげた実話で、映画化もされベストセラーにもなった。本書には、一連のショートショート群からの抜粋の他、著者の自伝的な記述も含まれている。夫人とは高校時代に知りあいデビュー前からお互いを支え合ってきた。著者の作品と、夫婦の生きざまとは深いつながりがある。ショートショートを書いた前後およそ10年間は、それ以外の執筆が空白となるくらい重い時間だった。ショートショートの一部は『日がわり一話』『日がわり一話(第2集)』(1998)にまとめられている。

イラスト:ケッソクヒデキ

 しかし、この後も眉村卓は作品の発表を続けている。72歳で発表したセルフパロディのような長編『いいかげんワールド』(2006) 、77歳での短編集『沈みゆく人』(2011)、82歳で出した短編集『終幕のゆくえ』(2016)などは、異世界ものの新境地だろう。あとがきで著者は、異世界は現実に対置するものではなく、それ自体存在するものだと述べている。物語の主人公(多くは老人)は、さまざまな奇妙で不気味な異世界に踏み込んでいく。これはわれわれの今、あるいは、明日の姿を暗示するものだろう。

(シミルボンに2017年3月3日掲載)

 この2年後の2019年11月、眉村卓さんは亡くなっています。病床で書かれた遺作長編『その果てを知らず』(2020)は一般でも話題に。また、有志によるビブリオ付きの追悼文集『眉村卓の異世界通信』(2021)は、出版社を介しない私家版でありながら、AmazonのSFカテゴリ10位になるなど好評を博しました。ゆかりの作家による続編『眉村卓の異世界物語』(2022)も出ています。

ラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』東京創元社

NEOM,2022(茂木健訳)

装画:緒賀岳志
装幀:岩郷重力+W.I

 原題のネオム=NEOMとは、サウジアラビア北西部の砂漠で建設途上にある実験都市の名称だ。高さ500メートルのビルが一直線に170キロも続くなど、誇大妄想的なヴィジョンからネットでも話題になった。今後どうなるかはともかく、単なるペーパープランではなく、もう着手されているというのがミソ。本書では、夢の都市ネオムが完成してからさらに数百年後が舞台である。

 老母を養うためエッセンシャルワークに就く女は、パートタイムで花を売っているとき、一本のバラを買う古びたロボットと出会う。遠い宇宙から帰ってきたというロボットは、かつては恐ろしい戦争兵器だった。家族を失った少年は、掘り出したレアものの遺物を売ろうとしている。そのため、交易する隊商団=キャラバンと合流しネオムに向かう。

 人語を話すジャッカル、墜落した宇宙船、さまざまな由来を持つロボットたち。物語は架空の固有名詞を無数にちりばめて読者を幻惑する。説明抜きで、エキゾチック感のあるターム(実在するアラブの風俗、ロボトニック、ナル・スーツ、バッパーズ、テラー・アーティスト、ノード、シドロフ・エンブリオメック、アザーズ、UXOなどなど)が連なる。

 帯に「どこか懐かしい」とあるが、AIではなく人間的なロボットもの、かつコードウェイナー・スミスの《人類補完機構》を思わせるスタイルだからだろう。作者もあとがきで、大きな影響を受けたと記している。スミスの未来史は予見的でもないし、そもそも全く科学的ではない。予想外の驚きがあって、既存のリアルとどこも似ていない。本書もまたおとぎ話のような未来世界を、短いエピソードと印象に残るキャラにより紡ぎ出している。

 この設定は、もともとは短編による連作だった独自の未来史《コンティニュイティー・ユニバース》に基づいている。今のところ、Central Station (2016)と本書だけが長編のようだ。短編群はほぼ未訳ながら、巻末に20ページにも及ぶ用語集が載っているのでとりあえず雰囲気はうかがえる。しかし、注釈に構わず謎のまま読んだ方がむしろ楽しめるかもしれない。

 著者はイスラエル生まれで現在英国に在住している。本国から離れ英語で執筆しているが、作品の中でユダヤは常に意識されている。本書に登場する、ユダヤ・パレスチナ連邦(イスラエル、パレスチナ自治区とヨルダンを含む)にも、平和共存の意図があるのだろう。昨今の状況ではそれが「力による現状変更」以外で実現する可能性は遠のいた。けれど、ユダヤとパレスチナが共存可能な未来だけは、夢物語で終わらせてはいけない。

SFと神さまのはざま

 著者がシミルボンに寄稿したコラム(#シミルボン)は、読書案内を意図したものが多め。この記事もSFの代表的テーマを作品に則して紹介したものです。(なるべく)電子書籍で入手可能なものが良い、という当時の編集部方針に配慮した内容になっています。以下本文。

 万物を創造した神さまは実在するのか。そんなことを真剣に悩む人は現代にはいない……とお考えだろうか。けれど、一方で神さまのために殉教する人がいるし、神さまの存在を疑わず、政治や倫理の基準だと考える人もたくさんいる。世界からとどくニュースには、神さまの影響力が顔をのぞかせているわけだ。科学不信があるとはいえ、おそらく物理的に存在しえない神さまが、なぜこんなに支持されているのだろう。

装幀:岩郷重力+T.K

 SFでは神さまのような存在がよく描かれる。アーサー・C・クラークの古典『幼年期の終わり(別題:地球幼年期の終わり)』(1953)では、人類を導く異星人が登場する。圧倒的なテクノロジーを持ち、進化の制御までできるのだから神とみなせる存在だろう。山田正紀『神狩り』(1974)に登場する神は、人類には理解不能の言語を持つ超越者だが、歴史に干渉する悪しき存在でもある。秘密を知った主人公は、神と対決する決意を秘める。そういう神々は人を越えたものでありながら、ある種の不完全さを残している。人間でもいつか同じレベルに手が届くかもしれない。だからこそ、対決を考える余地が生まれるのだ。

カバー装画:松尾たいこ

 人間が神さまになるお話もある。マッドサイエンティストが人工の宇宙を造るエドモンド・ハミルトンの古典「フェッセンデンの宇宙」(1937)(同題の短篇集に収録)や、機本伸司『神様のパズル』(2002)などだ。これらは箱庭のような閉じられた実験室内で、宇宙を物理的に製造する。ここまでのスケールはないが、ロバート・F・ヤング「特別急行がおくれた日」(1977)(短篇集『たんぽぽ娘』に収録)などもよく似た発想で書かれている。人間を神にスケールアップはできないので、逆に創造物を人間よりもはるかに(比喩的にも物理的にも)小さくするという考え方だ。しかし想像するまでもなく、しょせん人間が神なのだから崇高な創造者とはならない。心の弱さや残虐さをむき出しにした結果、宇宙もろとも破滅してしまう。

カバー:小阪淳

 グレッグ・イーガンの「祈りの海」(1998)(短篇集『祈りの海』の表題作)は、必ず奇蹟が体験できる異星の海を描き出す。住民たちは海の中での体験を経て、神の存在を確信する。しかし、科学者の研究により真相が明らかになる。我々が感じとる神というのは、高度な啓示によるものではなく、単なる生理的「現象」に過ぎないのかもしれない。ただ例えそうだとしても、当事者にとって神の実在が感じとれ、神を前提とした生活があるのなら簡単に逃れられはしないだろう。

カバー:岩郷重力 +WONDER WORKZ。

 テッド・チャンに「地獄とは神の不在なり」(2001)(短篇集『あなたの人生の物語』に収録)という作品がある。描かれているのは、キリスト教の天使がほんとうに降臨する世界である。天使の降臨は地上にさまざまな天変地異を引き起こし、罪もない人々が何人も亡くなる。逆に奇蹟が起こり、不治の病が治癒することもある。神は無慈悲な存在で、人の都合にはなんの配慮も払わない。畏怖すべき絶対的な神が存在するのに、人は祈りによって救われるとは限らない。まさに、今現在の現実をデフォルメした世界観だ。

 山本弘は長編『神は沈黙せず』(2003)でこんな物語を語る。主人公は幼いころ両親を災害で失う。それ以来、神の存在や神の意思について強い猜疑心を抱きながら成長する。やがて、フリーライターとなって、神に憑かれた人々の取材をはじめる。さまざまなカルト団体が奉じる神は、何の事実にも基づかない詐欺まがいの存在でしかなかった。しかし、合理的な説明のできない、奇妙な現象が主人公を襲う。やがて、神の実在を印象付ける、驚くべき事件が世界を揺るがす。本書では、UFO・UMA・超能力・超常現象の目撃例=あるがままの事件が膨大に提示される。超常的な現象と神の存在とには、何らかの共通点があるのかもしれない。物語は大ネタの解明で終わるのだが、神に人生を翻弄された人々はある種の諦観にたどり着く。神の定めた運命と、感情を持つ一個人との葛藤の結果ともいえる。

カバー:岩郷重力 +WONDER WORKZ。

 神林長平の長編『膚の下』(2004)では、視点が人類とは異なる。大戦争の結果、荒れ果て修復の目処も立たない地球では、全ての人類を火星に移して冬眠させ、地球再生を試みる計画が進んでいる。計画を推進するために、人造人間=アンドロイドであるアートルーパーが作られる。驚異的な生命力を持ち、知能は人類と同等の彼らは、荒廃した地上の管理者である。やがて、独特の自意識が芽生え、新たな救世主を育むものとなる。この物語は、多様性など顧みられずたった一つの目的で作られたアートルーパーの成長小説である。しかし「膚の下」に流れる血が人類と同じ人造人間は、全ての生物を救う存在となる。ここでは救世主=神を求める精神は、人間でなくても宿ると述べられている。

 後半の4つの物語の中では、神は人の思いと無関係なものとして描かれる。無関係ということは、存在しないに等しい。しかし、人はそれを自分に受け入れやすい形へと解釈し直す。悲しみや怒りを鎮め、自身の不遇さや人を亡くした苦しみを軽減する手立てにする。神さまの実在は問題ではない。単なる錯覚であっても、非科学的で人間に無関心な神であっても構わないのだ。実際、世界の人々が信じる神は、そういった心の中の存在なのである。

(シミルボンに2016年12月15日掲載)

森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』中央公論新社

装画:森優
装幀:岡本歌織(next door design)

 前作『四畳半タイムマシン・ブルース』から4年ぶりの長編である。中央公論新社の小説BOC(現在は文芸Webサイトとなっている)で、2016年から18年にかけて不定期に連載された作品を全面改稿したもの。一見シャーロック・ホームズもののパスティーシュのようで(もちろんそういう面もあるが)、本書のテーマは「スランプ」である。

僕の小説は「京都を書いている」のではなく、「京都というお皿に、自分の妄想を載せている」ということかもしれませんね。自分の妄想を「京都」に載せると、なんか様(さま)になる、と気づいただけであって、実際の京都とは距離があるんです。微妙なところですが、読者の皆さんにもぜひわかっていただきたい

2050MAGAZINEによるインタビュー記事より

 ホームズは深刻なスランプに陥っていた。あれほど完ぺきだった推理力がすっかり衰え、簡単な事件の解決もままならない。「ストランド・マガジン」に連載していたワトソンのホームズ譚も休止となった。スランプの原因を探るうちに同じ下宿の住人、物理学者のモリアーティ教授を尾行することになるが。

 舞台はヴィクトリア朝京都である。ホームズの下宿は寺町通221Bにあり、ワトソンは下鴨神社の近くにメアリと住んでいる。地名も神社仏閣も実在の京都と同じなのに、そこにロンドンを舞台としたフィクションが重なり合う。アイリーン・アドラーやハドソン夫人ら《シャーロック・ホームズ》の登場人物たちが、京都で生活しているのだ。まるでミエヴィルの『都市と都市』である。

 しかし、昔の翻案(原典のプロットだけを生かし、主人公や舞台を日本に改変した2次創作のような翻訳)などとは違って、本書に京都人(日本人)は出てこない。著者の言う「京都というお皿」(入れ物、背景)に、異国の料理(虚構)を盛ったのである。これによってホームズの世界(19世紀ロンドン)が、森見登美彦の世界(近世の京都)に違和感なく融合している。

 作家にスランプはつきものだ。著者も過去に大スランプに墜ち込み、すべての連載を投げ出し沈黙したことがある。スランプに苦しむ本書のホームズには、その体験が(脚色されながらも)反映されているのだろう。上記リンク先の『熱帯』(2018)は本書(の原型)と同時期に書かれたもので、第6回高校生直木賞を受賞した作品。これにもスランプが描かれていたが、中高生読者の共感を得た

 物語は後半、洛西にあるマスグレーヴ家で起こる心霊現象のような変異を起点に大きく動いていく。謎解きはホームズものほど明快ではないが、テーマに則した結末といえるだろう。『熱帯』の複雑な構造を語り直した、より虚構のモデルが分かりやすいバージョンともみなせる。コナン・ドイルと同じ登場人物を配しても「ぐーたらなホームズ」たちには独特の暖かみがある。本書はやはり森見流の京都(お皿)小説なのだ。

 なお、本書のホームズ(固有名詞の表記など)は、東京創元社から出ている深町眞理子訳の新訳版に依っている。

これが原点!『最後にして最初のアイドル』の元ネタをふりかえる

 シミルボン転載コラム(#シミルボン)で今回取り上げるのはステープルドンの『最初にして最後の人類』です。もう7年前になりますが、草野原々のSFコンテストデビューに絡めて書いたもの。以下本文。

この本の目的は単に芸術として言祝ぐべき絵空事を創造しようというのではない。成し遂げなくてはならないのは、ただの歴史でもなければ絵空事でもない。 神話なのである……

著者による「はしがき」より
装丁:妹尾浩也

 2017年第4回ハヤカワSFコンテスト特別賞と、同年の星雲賞日本短編部門をダブル受賞した草野原々「最後にして最初のアイドル」には(少なくとも標題に関して)元ネタがあります。それが、今回紹介するオラフ・ステープルドンによる特異な作品『最後にして最初の人類』です。

 残念ながら本書に限らず、ステープルドンは新刊では入手できません。しかし、姉妹編となる『スターメイカー』(1937)が復刊するとの朗報もあり、評判によっては本書を含めて見直される可能性はあります。内容をお話しするのも無駄ではないでしょう。

 『最後にして最初の人類』(1930)は並みの小説ではありません。哲学者としても知られるオラフ・ステープルドンが、人類の長大な未来史を描きだした長編です。著者初めての小説で、後の『シリウス』(1942)などよりも読みやすさでこそ劣りますが、堂々としたクラシックの風格があり、読み始めるとその果てしがないスケールに驚かされます。小説とは言えないのかもしれません。「登場人物」がおらず、たかだか数十万年のいわゆる人類史とは異なる、20億年の神話が物語られているからです。

 この本は「最後の人類」が「最初の人類」の口(頭脳)を借りて、人類の神話=本書を物語るという形式で書かれています。神話は近未来から始まります。(1930年当時の世界情勢がベースですが)連鎖的な覇権争いが起こり、英・仏、露・独、欧州対米国のそれぞれの戦争の後、疲弊したヨーロッパを離れ、遂に中国と米国の世界戦争を経て、アメリカ経済による世界国家の時代が訪れます。

 第1次世界国家は2000年にわたり繁栄します。しかし、エネルギーの浪費によって崩壊、資源が枯渇した反動で、以後10万年にもわたる長い暗黒時代が続くことになります。その後、南米に興ったパタゴニア文明は、500年にわたって緩やかに世界に浸透し、遂に核エネルギーの秘密に到達しますが、ある偶然から核の連鎖反応を起こし、環境は完全に破壊されてしまいます。こうして、第1期人類は滅亡し、1000万年に及ぶ暗黒時代が到来します。

縦軸は物語に合わせ、対数スケールで作られています。

 大陸は形を変え、生き残った数名の人類は、独特の進化を経て200歳の寿命を持つ巨人に姿を変えます。第2期人類です。彼らは高度な共感能力を持ち、35万年の間に消長を重ねながら、資源の乏しい中でようやく世界国家を築くことができました。ところが、ここで火星生命の侵攻が生じます。火星の知性は、大気や水が不足する中でウィルスのような微小な生命の集合体に進化し、1つの精神として機能しているのです。彼らは、地球の水を奪取するために、太陽風に乗って侵略してきました。戦争は断続的に5万年にわたって続けられ、末期には双方を滅ぼす生物兵器により、火星側が全滅し終結します。しかし、人類の文明も失われ、原始の状態に停滞したまま3000万年が流れすぎます。

 第3期人類は、小柄で寿命も50年ほど。6本の指を持ち、生命の改良に執着していました。そして数十万年にわたる文明は、ついに人工の生命、頭脳だけの人間の創造に至ります。巨大な脳と、脳を維持する装置/組織だけで成り立つ人類、第4期人類が誕生するのです。彼らは仲間を増やし遂に第3期人類を滅亡させますが、究極の真理を得るためには理想の肉体が不可欠であると結論し、第5期人類を創造します。彼らは火星由来の精神感応能力を有し、3000年の寿命を持ち、巨大脳人類が滅びた後、地球中を100億の人口で満たしました。繁栄は数千万年に及び、最後には寿命も5万年に延びます。けれど、月の接近による破滅は防げず、金星への移住を強いられるのです。

 金星のテラフォーミングを進める中で、第5期人類は固有生命を絶滅させ、ようやく根付きます。文明は原始に還り、知能を第1期並に復活させた第6期人類が蘇るまで2億年が過ぎていました。彼らから生まれた第7期人類は、蝙蝠のように空を飛ぶ小柄な人々でした。およそ1億年の歳月が、進歩の止まったまま続きます。第8期人類はまた地上に戻り、金星を工学的に作り変えていきました。しかし、太陽が白色矮星に変わる異変を察知し、遠く海王星への移住を決意します。

 ここまでで、10億年の歳月が流れすぎています。海王星に移住した人類は、大気が安定する頃には原始生物まで退化し、第10期人類と呼べるまで進化するのに3億年をかけていました。さらに3億年後、第16期人類は惑星軌道を変更する能力を持ち、やがて太陽の超新星化を待つ、寿命25万年という第18期人類を創造するのです。

 以上で分かるように、本書の人類というのは、厳密な意味での「人間」ではありません。ちょうど我々が、遠い昔の原始哺乳類の子孫であるように、人類の子孫は激変で何度も何度も退化し、再度知性を得て新しい「人類」となります。その過程が、20億年にわたって書き綴られているわけです。そしてまた各時代の「人類」たちが、何を求めて世界を営んできたかを、さまざまな観点で書き記したところに本書のキーポイントがあります。

カバーデザイン:山田英春

 本書や、宇宙規模で書かれた『スターメイカー』は、アーサー・C・クラークらへの影響(最初期の『銀河帝国の崩壊』『幼年期の終わり』、後の『2001年宇宙の旅』)など、一部に痕跡は認められますが、直系の子孫といえる作品は存在しないと思います。人類が異形のものへと変容していくさま、章を経るごとに100倍に拡大される時間スケールの壮大さは、SFやファンタジイを含め唯一ともいえる奇跡的な創造物でしょう。

 数千万年後の未来といえば、人類は滅亡していると考えるのが科学的にはまっとうかも知れません。ドゥーガル・ディクソンの『アフターマン』(1981)は5000年後の人類滅亡後、5000万年未来の地球の生物層を創造しています。そこでは、齧歯類が大型化して栄えているのです。その続編ともいえる『フューチャー・イズ・ワイルド』(2003)は、500万年後から2億年後の生物をCGで描き出したもの。最近でも『驚異の未来生物: 人類が消えた1000万年後の世界』(2015)などが出ています。ただし、これらは生物学的な進化がテーマなので、ステープルドンのような思索性は希薄です。

イラスト:TNSK

 受賞作と同題の『最後にして最初のアイドル』は草野原々の初作品集。人類ならぬアイドルが異形のものへと変容する表題作は、最初に単独の電子書籍、伊藤計劃トリビュートアンソロジイ収録、紙書籍化と3回出版された人気作です。さて、草野原々が誰も成しえなかったステープルドンの子孫となるか、異形進化となるのかは、これからの活躍しだいだと思います。

(シミルボンに2018年3月8日掲載)

 『スターメイカー』は1990年に初翻訳、その後2004年に新版、文中にある文庫版は2021年になってようやく出ました。ドゥーガル・ディクソンの諸作は、恐竜ものの変種として読み継がれた『新恐竜』を除けば、新版も含めて新刊入手はできないようです。

饗庭淵『対怪異アンドロイド開発研究室』KADOKAWA

装幀:大原由衣
装画:與田

 第8回カクヨムWeb小説コンテスト〈ホラー部門〉特別賞受賞作。ホラーだが、アンドロイドが主人公という変格派。同賞はカクヨム掲載作を対象とし、応募が1万作を越え最終候補でも1651作とある(既存文学賞とは比較にならない多さだが、特別賞まで含めれば入選者も多い)。それを、40レーベルに細分化されたKADOKAWA編集部が分担選考する(これも多いという印象)。8つある部門の中で、ホラーからは受賞作1編、特別賞2編が出ている(特別賞が10編以上の部門もある)。著者の饗庭淵(あえばふち)は1988年生まれのゲームクリエイター、イラストも手掛ける。過去に自身によるゲームのノヴェライズが出版されたこともある。

 物語は7つのエピソードから成る。「不明廃村」記録にはないが衛星写真で検出される山奥の廃村、「回葬列車」終電を過ぎた時刻に走り続ける無人の電車、「共死蠱惑」浮気調査で浮かび上がった正体不明の女、「餐街雑居」廃ビルの奥にある中華料理店をはじめとする各階の怪異、「異界案内」帰着した大学は煌々と灯を点けているのに誰もいない、「非訪問者」深夜のアパートに来るはずのない知人が訪ねてくる、「幽冥寒村」教授が育った村の記憶はどこか矛盾があった。

 主人公はアンドロイドのアリサ、近城大学・白川研究室で開発された人と見分けが付かない精巧なAIロボットだ。この研究室の目的は、怪奇現象に恐怖心を感じないアンドロイドを使って、怪異を科学的に検出し調査すること。しかし、研究室の教授にはどうやら別の意図もあるらしい。各エピソードは、存在しない村とか電車とか、顔の写らない女、廃ビル、無人の大学、深夜の訪問者など、いかにもな怪奇現象である。そこに深層学習された怪異検知AIが踏み込むのだ。

 ホラーで「怖がらないキャラを主人公にしたらどうなる?」という発想からアンドロイドにたどり着いたという。また、先行作品として宮澤伊織『裏世界ピクニック』(雰囲気が似ている)、AIの扱いについて山本弘『アイの物語』ホーガン『未来の二つの顔』などを挙げている。応募にSF部門はないのでホラーに寄せたわけだが、科学の対極にある怪異現象にについて(タネ明かしまではしないにしても)、それなりの理屈を通したところは一貫性が感じられてよい。なお、この作品はカクヨムで読むこともできる(書籍になる前の原型版)。