眉村卓『傾いた地平線』小学館

装丁:おおうちおさむ 山田彩純(ナノナノグラフィックス)

 本書は1981年に「野性時代」(現在の「小説 野性時代」の前身にあたる)に連載後、同年角川書店から単行本で出版、その後1987年に角川文庫、2012年には出版芸術社の《眉村卓コレクション 異世界編Ⅱ》にも収録された長編小説である。眉村卓自身を投影し、後の「私ファンタジー」のさきがけといえるマイルストーン的な作品だが、長年新刊での入手は困難だった。

 激しい雨の日に放送局に向かっていたSF作家の主人公は、入ったビルがいつもと違うことに気がつく。そこは17年も前に辞めた会社が入っているビルなのだった。自分の服装はラフなものからスーツに替わっており、部下と称する若者に対応を任された来客は、とうに亡くなったはずの旧友だった。

 主人公は作家ではなくなる。年齢相応の役職に就いており、住んでいるのも元の世界では抽選に外れたマンションである。妻子は同じなのにどこか雰囲気が違っている。しかも変異はこれで終わらない。2回目、3回目と次第に変化の度合いは深まり、いつか彼の周囲だけでなく社会全体が見知らぬものへと変貌している。

 今と異なる人生を歩んだらどうだったか。筒井康隆も『夢の木坂分岐点』で作家ではなかったもうひとつの自分を描いているが、作家は自由で型にはまらない反面、本書の第3の人生のように将来を見通せない不安を抱える。主人公の葛藤は著者自身の煩悶でもある。また、次々と転移していく自分と、憑依された異世界の自分との関係(宿主には意志がなくなる)を自問自答するなど、いかにも眉村卓らしい考察が面白い。

 ここに描かれている内容には、著者の実体験が色濃く反映されている。最初の「転移」は執筆当時に番組を持っていたエフエム大阪(肥後橋の朝日新聞ビルにあった)に向かう途上で起こり、勤務していた会社(大阪窯業耐火煉瓦=現ヨータイ)が入居する旧宇治電ビルや、就職後の初任地だった日生の工場(このあたりは『眉村卓の異世界通信』に収められた、堀晃「日生を訪ねて」に詳しい)が登場する。主人公の年齢は執筆当時の著者と同じで、巻き戻る日付10月20日は自身の誕生日である。これはタイムループというより、らせん状に連なる異世界転生だ。生誕をミニマム(2ヶ月)に繰り返しながら、作家眉村卓を再構成する物語なのである。

スティーヴン・キング『フェアリー・テイル(上下)』文藝春秋

Fairy Tale,2022(白石朗訳)

装画:藤田新策
装幀:石崎健太郎

 昨年に作家生活50周年を迎え、日本で何冊かの記念出版が行われたキングだが、アメリカで100万部を超えるベストセラーになった『フェアリー・テイル』(試し読み版もある)は、そのトリを飾る大判のハードカバーである(評論を除けば、この判型=A5サイズは『アトランティスのこころ』以来23年ぶりか)。

 主人公はハイスクールの学生で、身長が190センチある体育会系のスポーツマン。ただ、母を悲惨な事故で亡くし、父親はアルコール依存症からようやく立ち直ったばかりという複雑な家庭環境にある。しかし、自宅近くにある荒れた邸宅で独居老人を助けたことで運命は一変する。納屋に隠された地下深くの通路を抜けた先に、月が2つ輝き、赤い罌粟の花が咲き乱れる王国があると聞かされるのだ。少年は老犬とともに異世界へと旅立つ。

 犬は老人が飼っていた雌のジャーマンシェパードで、少年に懐いてはいたものの体調が思わしくない。地下から行ける王都には若返りが可能な日時計があるという。加齢が原因なら助かるかもしれない。それが少年の動機となる。だが、王都には異変が起こっていた。灰色病と〈夜影兵〉に襲われ都は無人化、かつての王族も排除され異形の〈飛翔殺手〉が支配している。

 フェアリー・テイルとはお伽噺のことで、ジャンル一般を指す普通名詞である。キングはあえてそれを標題に据えながらも、冒頭の献辞をR・E・ハワード、E・R・バローズ、H・P・ラヴクラフトに捧げている。つまり、コナン的な偉丈夫→アメフトヒーローの高校生、エキゾチックな火星美女と戦争の世界→魔法に罹った女性とハンガー・ゲームの世界、クトゥルーの邪神→地下に潜む魔物という、キング流に変換されたお伽噺=ファンタジイにしている。現実世界との接地を忘れない著者らしいアレンジといえる。

 他でも、オズのエメラルドの都、ジャックと豆の木、原典に近いグリム童話、ディズニーの人魚(アリエル)とコオロギ(ジミニー・クリケット)、三匹の子ぶた、ピーターパン、ブラッドベリ『何かが道をやってくる』《ダーク・タワー》のガンスリンガーなど、さまざまな自己言及や引用に満ちている。こういう総集編的な作品は(執筆当時)75歳になったキングの、これまでの仕事に対するけじめ、あるいは記憶を再演する試みなのかもしれない。著者は“What could you write that would make you happy?”「誰もがふさぎこむコロナ禍のなかで、みんなを元気にするものを書いてみろ」(訳者あとがき)と考え本書を書いたという(後半のyouはキング自身を指すとも取れる)。その結果、たしかに物語はハッピーエンドを迎えるが、いくらか含みを持たせた終わり方になっているように思える。

伊藤典夫『伊藤典夫評論集成』国書刊行会

装画:真鍋博
装幀:山田英春

「日本のSFのかなりな部分を伊藤典夫が支えてきた(中略)伊藤典夫の歴史観、SF史観がはっきりあったことが重要だった」
「最近のSFについて思うのは、SFのある種の枠組みを踏まえた上で違うものを書いていく(中略)その枠組みがどこから来たのか、というと、伊藤典夫だと思っている。つまり、日本でSFという概念を形作ったのは伊藤典夫なんじゃないか」
(鏡明・高橋良平による解説対談)

 1980年代に東京創元社で企画されながらも棚上げ、数奇な運命をたどった幻の著作が国書刊行会の箱入り大事典の体裁でついに実現! 本書は、翻訳家・評論家である伊藤典夫(1942年生まれ)の文章を集めた空前(一冊の紙本としてはたぶん絶後)の評論集である。1958年の宇宙塵初投稿(おたより)から2020年のSFマガジン創刊60周年への寄稿まで、およそ60年分のエッセイや書評、評論+作家論、特集記事の解説(訳者あとがきなど書籍掲載分は一部を除き未収録)を1200ページ(4000枚余)に収めている。他に付録として翻訳パロディ(ここまで凝ったものは稀有)、上記の解説対談、翻訳リスト、書名・著者索引が200ページほど加わる。

宇宙塵・宇宙気流の時代
*「宇宙塵」の時代(1958~64)
 1957年創刊(日本初)のファンジン。おたより/function SF(ベスターからハミルトンまでの作家や、ヒューゴー賞、未訳作品の紹介コラム)/宇宙塵さろん(創作月評、翻訳書のレビューなど)/他にTOKON(第2回日本SF大会)合宿セミナーレポート、イギリスSF界の近況など。
*「宇宙気流」の時代(1964~71)
 1962年創刊。インサイド「宇宙気流」特別版(大阪のファングループT.P.潜入記)/SFレビュー(『第五惑星の娘たち』『タイム・パトロール』『ある生き物の記録』『謎の宇宙船強奪団』『人類抹殺計画』など)/SF気流(おたより)/SF資料館(国際幻想文学賞)/キューコン・ハチャハチャ・レポート(熊本で開催された第8回日本SF大会参加レポート)/SFクイズ/明解アンタレス語辞典など。
マガジン走査線(全12回 1964/1~65/1)
 未訳作品(当時)の紹介コラム。『栄光の道』、『中継ステーション』、『高い城の男』、『デューン』、アナログ、アンノウン、ギャラクシイ、F&SF、イフなど雑誌紹介とともにバラード、ゼラズニイ、コードウェイナー・スミスらを紹介。
SFスキャナー(全69回 1965/2~70/10)
 『タイタンの妖女』、ポール&コーンブルースなどコンビ作家、エド・エムシュらイラストレーター、メリルの傑作選、ベスターの評論、作風を変えたハインラインの『自由未来』、ファンダムのこと、『ゲイルズバーグの春を愛す』と「たんぽぽ娘」、アンソロジイの多さ、世界SF大会とヒューゴー賞、『タイムマシン大騒動』、『スターファイター』、ナイトなど手厳しい批評家、『人獣裁判』、『ミクロの決死圏』、SFWAの新しい賞(ネビュラ賞)、『寄港地のない船』、英米で本の中身が異なる理由、『生存の図式』、英国のSF、オールタイムベストいろいろ、『10月1日では遅すぎる』、C・S・ルイスの幻想文学観、『人類皆殺し』、ディックの不可解さ、『精神寄生体』、キース・ローマー、ジョン・クリストファー、レックス・ゴードン、『人間がいっぱい』、宇宙生物いろいろ、『バベル17』、『わが名はコンラッド』、「薔薇の荘園」、『アインシュタイン交点』、『危険なヴィジョン』、米国出版界の状況、ノーマン・スピンラッド、67年のヒューゴー賞(『光の王』など)、『隠生代』、エルリック・シリーズ、『ニュー・ワールズ傑作選』、ジョアナ・ラスとボブ・ショウ、新しいシルヴァーバーグ、68年のネビュラ賞(『成長の儀式』など)、『ノヴァ』、『アンドロメダ病原体』、『淫獣の幻影』、アメージングの新体制、『銀河のオデッセイ』、69年のヒューゴー賞(「夜の翼」など)、ファンダムとは何か、『パヴァーヌ』、米国のペーパーバック事情、70年のネビュラ賞(『闇の左手』など)、書評の信頼性、SFの研究書など。
インサイド・SFワールド(1971/2~71/3)
 J・J・ピアースの反ニュー・ウェーヴ論文が巻き起こした騒動、バラードの『残虐行為展覧会』、ニュー・ワールズの状況、日本で開催された国際SFシンポジウムとメリルとの交流のこと。
エンサイクロペディア・ファンタスティカ(全12回 1971/4~72/3)
 68年から続くアメリカのSF創作講座クラリオン、ミルフォードSF作家会議、ウォルハイムの『宇宙製造者たち』での偏ったSF観を検証、今のSFの大半が退屈なのはなぜか、バラード「内宇宙への道はどれか?」(1962年5月)を当時十分に消化できなかったこと、ディレーニイ『アインシュタイン交点』の意味を知った衝撃とその分析、ぼくの求めているSFとは何なのか、『グレイベアド』について。
 注:上記の書名はその後の邦訳名で記載、記事の段階ではすべて仮題になっている。
SFファンサイクロペディア(前半 1962~76)
 SFマガジンの単独記事、特集解説、その他雑誌やファンジン記載の記事。SFらいぶらりい/SFと女流作家/SFのベムたち、SFマーケット(『SF入門』収録)/破滅への招待/新刊プレビュー、さらば元々社(プロ作家のファンジンSF新聞に掲載)/わたしのアンソロジイ、新・SFアトランダム(28)/SFとは何か? ―― 現代作家のエッセーから、アメリカのSFソ連のSF、キャンベルとアスタウンディング、イギリスSFの系譜 ―― ウエルズからウインダムまで、キャビアの味、イギリスSFの系譜 ―― ニュー・ワールズ誌の周辺、超人・超人類、クラークと通信衛星、なぜぼくはブラッドベリの愚作を訳すか、ハインライン・コレクション(《世界SF全集》月報に掲載)/ミステリ診療室 『黒いアリス』トム・デミジョン/いわゆる〝新しい波〟について 特集解説(「リスの檻」「宇宙の熱死」など)/特集=新しい波 解説(「大時計」「十二月の鍵」「リトル・ボーイ再び」)/委員長挨拶(抜萃)(TOKON5)/ヒューゴー・ネビュラ賞特集 特別解説(「時は準宝石の螺旋のように」「終末は遠くない」など)/SFの〈新しい波(ニューウェイブ)〉(文芸誌海に寄稿)/一九七一年度ヒューゴー・ネビュラ賞特集 解説/世界の退屈な週末/なんせんすSF特集 特別解説/〈フォーカス・オン〉『スローターハウス5』/ファンタジイ特集 解説/SFスキャナー 米国有名科学小説新人作家初紹介当分翻訳見込無(ドゾア「海の鎖」など)/ネビュラ賞特集 解説(「アイランド博士の死」「愛はさだめ、さだめは死」「霧と草と砂と」)/『年刊SF傑作選7』解説。
北アメリカ・SFの旅(全8回 1976/3~10)
 渡米がまだお手軽でなかった時代、海外旅行も一人旅も経験のなかった著者による、1975年の8月から10月にかけての北米単独旅行記。ロス着、クリス・ネヴィル、トロント着、メリル、SF専門図書館、再びロス、書店と映画館巡り、ブラッドベリ、アッカーマン、ナスフィック(第1回北米SF大会)、ラファティー、エリスンの絶大な人気ぶり、鏡明+橫田順彌+荒俣宏と合流、MGMスタジオ見学(原作者の案内)、ニューヨーク着、ディレイニー、SF専門書店、スピンラッド、ディッシュ、再びトロント、グレイハウンドでの大陸横断バス旅行と続く。
SFファンサイクロペディア(中半 1976~80)
 コズミックな感覚 ロバート・シルヴァーバーグ/福島さんの思い出 福島正実追悼/欧米SFとの対比から見た筒井康隆 ―― 筒井SFのユニークさはどこにあるのか ―― /アメリカのSF/わたしが選んだ海外SFベスト・テン/『2300年未来への旅』撮影セット見てある記/SFの中のファンタジー/アメリカの威信は『カプリコン1』と共に宇宙の果てに/「007」ベスト3/書評 筒井康隆『エディプスの恋人』/座談会 ウォーッ、ウォーッ、スター・ウォーズ 森優 石上三登志 野田昌宏 伊藤典夫(狂騒の「スター・ウォーズ」ブームを象徴する座談会)/スター・ウォーズ ハイライト/活力を取り戻したアメリカSF界/SFの中の異星人 『未知との遭遇』/日本未公開SF紹介『THX1138』、La Planete Sauvage(映画「ファンタスティック・プラネット」)/映像と言葉の接点より 『2001年宇宙の旅』/平井和正の外アウタースペース宇宙 平井SFのユニークさはどこにあるのか/イグアナコンレポート(第36回世界SF大会)/努力しないでヒューゴー賞を獲得する法/SF界の賞に縁のない無冠の巨匠/地下鉄の怪/ふたたび『スター・ウォーズ』のポスターがロスの街頭を占拠した/SFの街・散策レポート 年に千冊、これではもう買い占めできない/『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』アーヴィン・カーシュナー直撃インタビュー。
新刊チェック・リスト(1979~84)
 SF宝石、SFアドベンチャーに連載された、新刊SFを全てレビューするというコラム(92年まで続く)。複数のレビュアーによるチームで、著者はフィクサー的な立場だった。計134編をレビュー。
SFファンサイクロペディア(後半 1980~2020)
 ウッディ・アレンのユーモア小説 連載解説/現在へむかうベクトル ―― 安部公房SFの先見性/あるSF(元)少年のルーツ/TOKONⅦ 名誉委員長あいさつ/『ある日どこかで』(ジャノー・シュワーク監督作品)/『起承転外 ベスト・オブ・コーシン』解説/〈50年代の夢よ、もう一度〉回想 ―― ザ・フィフティーズ、五〇年代のイラストレーター/おたより(ファンジンへの問い合わせ)/ぼくと「宇宙塵」(25周年記事)/SFという名の家 選者のことば(日本版オムニ)/『危険なヴィジョン1』解説/福島正実氏のこと/SF界に〝ファット・ブック〟ブーム/二十年たてば、いまが黄金時代? ―― 日本SF五年間の成果(SFアドベンチャー5周年)/報いなき栄光 第一回、第二回(ファンジン新少年)/『スペースマン』解説 ―― または、ザ・メイキング・オブ・宇宙SFコレクション ―― /報いなき栄光 第三回 水鏡子氏に答える(ファンジン記事への反論)/スタージョン雑感 シオドア・スタージョン追悼/わたしの好きな短篇 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」/報いなき栄光 第四回(『SFキイ・パーソン&キイ・ブック』からはじまる論考)/アンケート特集(ファングループ星群のアンケート)/最近のSFから/報いなき栄光 第五回(KSFA版オールタイム・ベスト)/ティプトリー雑感 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア追悼/ベスター雑感 アルフレッド・ベスター追悼/追悼 手塚治虫/空きチャンネル色の空/ファンダムについて/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア特集 解説/『ジョン・ウォーターズのクラックポット』連載解説/SF再入門/スコッティはだれと遊んだ? ―― オースン・スコット・カード「消えた少年たち」を読む/ストレンジ・フィルムの誘惑/文庫SF1000/『2001年宇宙の旅 決定版』の翻訳者として/佐久間弘のこと 黒丸尚追悼/みらい子氏に答える ついでにおたより欄の木谷氏へもちょっと ―― 特別寄稿 ティプトリーをめぐる問題(ファンジンNOVA Monthly記事に触発されたティプトリーに対するジェンダーの問題を考察)/〈映像で読む名作SF〉地球最後の日 ―― 『地球さいごの日』F・ワイリー&E・バルマー/埋もれた名篇 R・A・ラファティ「完全無欠な貴橄欖石」/アイザック・アシモフ特集 解説/キューブリックなんかこわくない 『失われた宇宙の旅2001年』雑誌解説/ディレーニイ/ディレイニー/おたより(ファンジンBIBLIOPHILEに寄せたC・スミス作品の新解釈)/硝煙 ―― 戦争SF特集 解説/われら、かく騙りき パロディSF特集 解説/読書日記(本の雑誌の記事)/痛恨の一冊 ベスター『破壊された男』/ファンタジイとSFの微妙な関係 夢幻世界へ ―― 秋のファンタジイ特集解説/エイリアンのいる風景 特集解説/心残り ジュディス・メリル追悼/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア特集 解説/「SFマガジン」創刊500号への祝辞/最初のSF作家 星新一追悼/特報:UFO編隊、本誌編集部に襲来す! 特集解説/訳者冥利 『故郷から一〇〇〇〇光年』/ベスターと50年代SF風景/『10月1日』の輝き フレッド・ホイル追悼/ロバート・F・ヤングのことなど/マイ・フェイバリット・ラファティ/矢野徹さんのこと/SFという名の建物/野田さんの思い出 野田昌宏追悼/野田さん……(宇宙塵での追悼)/苦い思い出 J・G・バラード追悼/SFマガジンとの出会いまで/柴野さんを悼む/浅倉久志さんを悼む/浅倉さんの思い出 浅倉久志追悼/レイ・ブラッドベリ氏を悼む/ブラッドベリ追悼/ヴォネガットがいちばん笑えたころ/『2001年』へ進む道(SFマガジン60周年)
附録 世界名作文学メチャクチャ翻訳
 雑誌 面白半分(筒井康隆責任編集のころ)と宇宙鹿(宇宙塵ではない)掲載のパロディ記事。

 伊藤典夫は高校生で宇宙塵に参画、早くからペーパーバックを読みあさり(日本語で読めるSFは少なかった)、年齢的に10才程度のギャップがありながら、第1世代の作家(星新一を除けば、小松左京、筒井康隆、眉村卓、豊田有恒らはまだアマチュアだった)と伍する立場になった。その後、SFマガジンで「マガジン走査線」「SFスキャナー」を連載、翻訳のない英米SF作品、作家の紹介を精力的に進める。

 これらのコラムは、現代海外SFを知るためのほぼ唯一の窓だった(パルプSFについては、野田昌宏のコラムが並行して掲載されていた)。登場する作品の多くは後に翻訳が出ているが、あらすじをいま読んでも面白さは変わらない。書名と作家名だけが並ぶのではなく、リーダビリティが高いのである。冒頭の引用で述べられた「史観」「枠」は、著者が推奨する作品1作1作の「点」の集合から見えてくる。1つづつでは不明瞭だった輪郭が、全体像として明らかになる。

 私事ではあるが、評者が一般向けSFを読み始めたのは中学2年生のころ(厨二そのもの)。文庫で手当たり次第だったので、火星シリーズやレンズマン、ヴォクト、アシモフ、ウィンダム、ブラウンと、パルプから黄金時代までがごたまぜで混乱ぎみだった。文庫解説だけではなかなか全容が明らかにならない。その1年後にSFマガジンを知り(SFスキャナー連載)バラード『沈んだ世界』(伊藤典夫によるニュー・ウェーヴ解説が付いていた)が加わり、一挙に時代の先端までのビジョンが広がった記憶がある。そういう意味では直截の感化を(より強烈に)受けた世代といえるだろう。

 当時はあまり気にならなかったが、バラードらニュー・ウェーヴ(ウェーブ、ウェイブ)台頭の初期は著者が懐疑的だったことも分かる。ディックや後に入れ込むディレーニイもよく分からないと正直に書かれている。それが「エンサイクロペディア・ファンタスティカ」の中で、一気に解き明かされる過程はドラマチックで読み応えがある。他ではカードの「消えた少年たち」論考や、一連のティプトリー論考なども同様に楽しめる。

 さて、ファンジン掲載の記事もさまざまな趣向があってどれも面白いのだが、新少年に寄せた記事(上左 クリックで拡大)がボリュームもあって目を惹く。発端はこういう(上中)無責任な記事だった(手書きコピージン)。しかし著者は容赦なく反論を行い(相手はプロではないがシロウトでもないので遠慮する必要がない)、アンソロジイの編集に至る過程までを披露している。その水鏡子の謝罪(上右)は別冊付録になっている。他でもジェンダー絡みでティプトリーについての考察を述べるなど、プロのファンジン寄稿文(たいていは中身がない)にとどまらない徹底さが、いかにも元祖ファン出身プロの誠実さといえるだろう。

天沢時生『すべての原付の光』早川書房

コラージュ制作:鶴見好弘
デザイン:コードデザインスタジオ

 著者はもともと東浩紀のファンで、大森望を生涯の師と慕う(そこまで表明するのは珍しい)純正ゲンロン系作家である。第2回ゲンロンSF新人賞(2018)を「ラゴス生体都市」で受賞してデビュー、翌年には「サンギータ」で第10回創元SF短編賞を受賞している。以来6年を経て、本書が初の紙版単行本となった。2022年までの中短編だが、2023年から1年余は小説すばるで長編『キックス』を連載(年内には書籍化される模様)、本書の収録作などでその雰囲気を知ることもできるだろう。

 すべての原付の光(2022)滋賀の湖東エリアで時代遅れの暴走族を取材しろと命じられた記者は、指定された巨大なガレージの中で「ガチで半端ない機械」を目撃する。
 ショッピング・エクスプロージョン(2022)2049年、世界規模の資源枯渇の中で、制御不能に陥った超安の大聖堂は自己増殖して世界を覆い尽くそうとしている。
 ドストピア(2021)タオリング興業で滋賀から全国に名を売った原磯組だったが、暴力団根絶法により地球を追われ場末のスペースコロニーへと居場所を移す。
 竜頭(2018)助け合うと誓った幼なじみの友人の家に、深夜ガラクタを置いていく竜頭と呼ぶ何かがいた。数年後、故郷を離れた主人公に救援の時がやってくる。
 ラゴス生体都市(2018)市民生活のすべてが制御された環境完全都市ラゴスでは、性交や子作りすら禁止されている。だが、そこにポルノ映画が反社会運動として復活する。

 独特の用語が目を惹く。入墨機構に装填されるイキリ中学生の原付暴走族、自己増殖するディスカウントストア=超安の大聖堂サンチョ・パンサによる買物災禍、濡れタオルで体を打ち合うタオリングとカタギ警察、微妙な関係だった幼なじみにまとわりつく竜頭、焚像官と転売人の二つの顔を持つ主人公と不法居住者の水上スラム都市マココ。

 「一足飛びの美学」は「描写をじっくり積み上げた直後、次の一文で時間や場面を大胆に飛ばす」もので「加速が進む現代のスピード感にもマッチする」と、著者は述べている(上記のインタビュー記事)。これは自身の文章についての考察だが、設定自体にもそのスタイルが取り入れられている。たとえば入墨機構の先につながる存在、横浜駅SFとなるサンチョ・パンサ(=ドン・キホーテ)、タオリングとヤクザとの関係などに見られる「飛ばし=論理的につながらない飛躍」は、ふつうなら読者が付いてこれず物語の破綻と見做される。そうならないのは、断片的ながらリアルに接地した滋賀ネタだったり、昭和的な不良っぽい格好良さ(Kaguya Planetインタビュー)のドライブ感が勝るからではないか。

新井素子 須賀しのぶ 椹野道流 竹岡葉月 青木祐子 深緑野分 辻村七子 人間六度『すばらしき新式食』集英社

カバーイラスト:カシワイ
カバーデザイン:さーだ

 WebマガジンCobaltの公募賞、ディストピア飯小説賞(2021)に寄せた連作(2021~23)5作品(応募作ではない)に、オレンジ文庫HP掲載作(須賀しのぶ)と書下ろし2編(新井素子、人間六度)を加え、第2回同賞公募開始を機に文庫化したもの。副題が「SFごはんアンソロジー」となっている。

 深緑野分「石のスープ」食糧が逼迫し供給が統制された未来のいつか、天才博士はお湯で煮るだけで無限のスープを産み出す謎の石を発明したと言うのだが。
 竹岡葉月「E.ルイスがいた頃」親の離婚手続きの関係で、月から地球に住む祖父に一時的に預けられた少女は、そこで思いがけない祖父の姿と食生活を知る。
 青木祐子「最後の日には肉を食べたい」わたしは肉が好きだ。わたしの中にはルカがいて、いつでも相談をすることができるが、そのきっかけも肉なのだった。
 辻村七子「妖精人はピクニックの夢を見る」感染症で隔離生活に入った主人公の元に、ある日お菓子なのか薬なのかよく判らないものが届けられる。
 椹野道流「おいしい囚人飯『時をかける眼鏡』番外編」王国の財政立て直しのために、主人公は奇抜な牢獄ツアーを企画する。そこでは提供する食事が問題だった。
 須賀しのぶ「しあわせのパン」ある独裁国家では、市民に栄養と平穏を与える「しあわせのパン」が作られていた。しかし暴動後にその製造方法は失われる。
 人間六度「敗北の味」廃墟に残されていた板前ウェイト(ロボット)は、人間の兵士に失われた料理を披露する。ただ、どうしても足りない味があった。
 新井素子「切り株のあちらに」人口減に苦しむ地球を離れ、植民星で新たな生活を始めた人々だったが、地域間の食糧生産格差が生まれていた。

 もともとのテーマが「ディストピア飯」なので、食糧難などにより食事の愉しみを奪われたディストピアが大半の作品で描かれる。登場人物たちは(現在ある)ふつうの食品や香辛料にこだわり、奪取のためにさまざまな行動に出る。とはいえ、本書には本格的に食糧問題に踏み込むヘビーな作品はない。既存作とのアイデアの類似性は少し気になるものの、中では「妖精人はピクニックの夢を見る」が思わぬ展開を見せてユニーク、一方「しあわせのパン」と「敗北の味」はペアのように読める。食に対する人間の飽くなき執念、量や栄養だけでは満足できない欲望が共通に感じ取れるからだろう。

倪 雪婷編『宇宙墓碑 現代中国SFアンソロジー』早川書房

Sinopicon:A Celebration of Chinese Science Fiction,2021(立原透耶・他訳)

カバーデザイン:albireo
カバーイラスト:八木宇気

 中国広州生まれで英国在住の倪 雪婷(ニー・シュエティン)が編纂し、自ら英訳したアンソロジイ。つまりもともとは英語の作品集なのだが、日本語版は原文の提供を受けて中国語から直接翻訳されたものである。(日本では独自のアンソロジイが出ているとはいえ)序文で夏笳が「科幻(中国SF)は『三体』だけじゃない」と書いているように、紹介が劉慈欣に偏ってきたのは否めない。質・量ともに充実してきた中国SFの全貌は、英語圏/日本語圏を問わずまだ捕らえきれていないのだ。それだけに、間口の広い作品集が求められる。編者は80年代以降のSFを幅広く渉猟し(結果的にだが)収録作家の出身地、男女の割合(ほぼ同数)や作家のキャリア(50年代生まれからZ世代まで)、テーマなど、偏りが少ない選択ができたという。ケン・リュウや立原透耶ともまた違う、アンソロジスト倪雪婷がどんな作品をセレクトしたのか興味が沸く。

 顧適「最後のアーカイブ」人生がアーカイブされ、好きなだけやり直しができる未来。うまくいかなければ、何度でも巻き戻しが出来るのだが。
 韓松「宇宙墓碑」宇宙開拓の時代はもう過去のものとなった。主人公は、かつての開発された星に残る宇宙飛行士たちの墓碑に強く惹かれる。
 念語「九死一生」戦争への自然人参加が禁じられた時代、しかし主人公はロボットだけで警護された基地へと侵入する任務に就いている。成功確率は9分の1だった。
 王晋康「アダムの回帰」200年を経て星間宇宙船が帰還、だが冷凍睡眠で過ごした乗組員には重大な心理的障碍が生じていた。生き残ったのは科学顧問ただ一人だった。
 趙海虹「一九三七年に集まって」時空実験室から過去に戻ると、そこは1937年12月の南京だった。だが、死体が転がる市内で目覚めた主人公は記憶が混乱している。
 糖匪「博物館の心」私は、将来博物館を完成させる子どもを見守っている。地球人には見えない未来も、私にとっては既に起こったことだった。
 馬伯庸「大衝運」2年に一度の火星衝のとき、地球への帰省のため大移動が起こる。しかし、火星中から集まる大群衆に対して宇宙船のチケットには限りがあった。
 呉霜「真珠の耳飾りの少女」両親の夫婦げんかの原因は、父が描いた清楚な女性の肖像画だった。娘は騒動で傷んだ絵を修復しようとする。
 阿缺「彼岸花」ゾンビになった主人公の傷口がむずがゆい。何かが生えようとしているらしい。何年も前に、ウィルスの猛威で人類の多くはゾンビと化したのだ。
 宝樹「恩赦実験」終身刑が確定した囚人は死刑を望んだが、代わりにある医薬品の人体実験を提案される。強い副作用さえ乗り切れば自由が約束されるという。
 王侃瑜「月見潮」二重惑星のもう一方からやってきた研究者に惹かれた主人公と、手渡された繊細な贈り物に秘められた思いのてんまつ。
 江波「宇宙の果ての本屋」太陽系60億冊の本を揃えた本屋は、巨大な宇宙船となって宇宙を旅する。やがて、各星系から集まってきた本屋は一大船団となる。

 善し悪しはともかく(加速主義者のせいで否定的な見解が目に付くが)、SFは科学の世紀の産物だった。それは中国SFでも同様で、国の改革開放政策による工業化/科学技術優先の波とSFの発展とには相関関係がある。ただ、科学技術は共通でも、中国と欧米とでは背景になる文化が同じではない。

 編者のイントロダクションで、「欧米で「うんざりするほど使い古された」定番のサブジャンルやテーマが現代科幻でも登場する」とあり、日本でもアイデアSFとしての古さに否定的な意見がある。しかし、同じアイデア(人生のリセット、コピー人格、時間旅行、ゾンビ、不老不死など)でも、登場人物の感性や行動、あるいは結末自体に意外性を感じることがある。「最後のアーカイブ」のミニマムさ、表題作「宇宙墓碑」の宇宙スケールと個人との対比、カオスを描く「大衝運」の不思議な諦観、「彼岸花」のアイロニー、ベタな恋愛ものの「月見潮」、「宇宙の果ての本屋」でなぜ本屋が宇宙を飛ぶのか、などなどだ。

 これらはなかなか理解できなかったが、中国(東アジア全般)の「神話にラグナロクもハルマゲドンもない」世界観があり、終末戦争とか黙示録=アポカリプス、果てはシンギュラリティ(AIによる黙示録)などが欧米ほど根本(SFのベース)にないのなら、むしろ必然的な流れかも知れない。観点が違うと判れば新しい読み方も可能になるだろう。そう考えれば、本書の面白さも新鮮さを伴って見えてくる。

ペン・シェパード『非在の街』東京創元社

The Cartographers,2022(安原和見訳)

装画:引地 渉
装幀:岩郷重力+W.I

 著者はアリゾナ生まれの米国作家。多くのファンタジイ作品を含む創元海外SF叢書に相応しく、本書は地図(原題はカルトグラファーズ=地図制作者たち)をテーマとしたアーバン・ファンタジイである。複数のベストセラーリストに名を連ね、2023年のミソピーイク賞の最終候補作にもなった。

 主人公はレプリカの古地図を制作する小さな会社でくすぶっている。地図学者として将来を嘱望されながら、7年前にニューヨーク公共図書館で上司である父親との深刻なトラブルを引き起こし、業界に残ることができなくなったのだ。しかし、父の突然の死が知らされ、遺品のような形で古い道路地図が手に入る。ガソリンスタンドで売られた何の変哲もない地図が、なぜ厳重に保管されていたのか。その日を境に、奇妙な事件が立て続けに発生する。

 幼い頃に母を亡くし、主人公は図書館の地図に囲まれて育つ。トラブルも地図にまつわる出来事だった。やがて、道路地図を捜す謎の人物が見え隠れし、秘密結社のようなカルトグラファーズの存在を知る。地図には「非在の街」が載っているのだ。

 アメリカは車がなければどこにも行けない国である。国土の大半が茫漠とした田舎だからだ。今でこそGoogleマップのせいで廃れたが、折りたためる地図は当時の必需品であり、販売各社の競争も激しかった。そのため、地図会社は著作権を守るためコピーライト・トラップを入れる(詳細は著者あとがきに書かれている)。とはいえ、これは設定の一部に過ぎない。フィクションとファクトをつなぐ『夢見る者の地図帳』に憑かれた男女大学院生たちの青春ドラマが主眼なのであり、15年前の事件について一人一人が物語られていくことで、真相と今に至る犯人の目的が明らかになっていく。悪役の怖さがちょっと伝わり難いのが難点だが、当たり前の道路地図から展開する謎の解明はスリリングだ。ル=グイン(サンリオ表記)『天のろくろ』がヒントになる、といっても最後まで読まないと分かりません。

鈴木光司『ユビキタス』KADOKAWA

装画:Sarah Jarret 「Woodland Sleeper」
装幀:坂野公一(welle design)

 2022年2月から翌年3月まで電気新聞に連載後、約3分の1を書下し/改稿したものが本書。著者は、参考図書の筆頭に植物の知性を唱えるステファノ・マンクーゾを据え、「地球生命の歴史を植物視点で眺めたらどうなるか」という発想で書き始めたと述べている。

 帰還した南極観測船の自衛官は、友人たちに南極氷を贈った。余った氷の融通は問題ないからだ。その氷は地下3000メートルから採取された古代氷だった。同じころ一人の探偵が、元不倫相手の仲介で孫を捜す老夫婦の話を聞く。実在したかどうかも分からない孫なので成功はおぼつかないが、困窮するシングルマザーの探偵に破格の報酬を断る理由もなかった。

 前者は原因不明の死亡事件に、後者は15年前のカルト教団集団死事件となって結びつく。登場人物は、主人公の探偵、医学から物理に専攻を変えた大学准教授、教団のドキュメンタリーを書いたジャーナリスト、若手の週刊誌記者、事件の鍵を握る謎めいた女占い師らである。主人公は行動派の探偵だが、謎の解明を主導するのは准教授になる。ただ、舞台が2026年頃の割に、人物たちの考え方、家族観や倫理観などが現代的に思えないのは気になる。

 本書ではSFでおなじみのアイデアがたくさん投入されている。南極の氷に潜む「物体X」(キャンベルの古典「影が行く」あるいは、黒場雅人『宇宙細胞』など)とか、ヴォイニッチ手稿シモンズ『オリュンポス』)が出てくる。これをクトゥルーにしてしまうとコリン・ウィルスンの二の舞(『賢者の石』)だが、そこは遺伝子に絡め(グレッグ・ベア『ダーウィンの使者』)今日的なパンデミック風、植物の優位性を生かした社会形成の方向(津久井五木『コルヌトピア』)にまとめている。ただし、本書のエピローグは蛇足ぎみ。

 もっとも、本書は全構想の一部に過ぎず、「実は4部作を予定していて、もう大まかな構想はできているんですよ。第2部はアメリカが舞台で、第3部は大航海時代の物語。そして第4部では人類の宇宙進出を描く」とあるので、先々の展開は楽しみだ。

スチュアート・タートン『世界の終わりの最後の殺人』文藝春秋

The Last Murder at the End of the World,2024(三角和代訳)

カバー画像:iStock/Getty Images
装幀:城井文平

 著者は1980年生まれの英国作家。デビュー作のベストセラー『イヴリン嬢は七回殺される』(2018)は、新奇性のあるタイムループ×殺人事件ものとしてSFやミステリ界隈でも話題になった。本書はタートンの長編3作目にあたり、既訳の『名探偵と海の悪魔』(2021)を含め(広義の)クローズド・サークルもの3部作になるらしい。今回の舞台はアポカリプス後の島なので、確かに閉鎖された環境(第1作=時間の輪、第2作=洋上の船、本書=閉ざされた島)という点で共通する。

 ギリシャのどこかを思わせる閉ざされた島、周囲にはバリアが張り巡らされ、死の霧が侵入するのを押しとどめている。世界はその霧によって滅び、百人余りの村人がかろうじて生き残っただけなのだ。村は科学者の長老たちによって支配されている。村人の頭の中には助言者エービイが棲み、仕事や睡眠の時間まで指図をする。そんな秩序が保たれた島で、ありえない殺人事件が発生する。

 外見は若いのに村人の何倍も生きる長老たち、頭の中で聞こえる声、コントロールされた村の生活や山中に作られたドーム、このあたりの謎は物語の半ばまでで徐々に明らかにされる。そして、殺人事件の発生により、島の生活は一気に不安定化する。後半は、混乱の中での犯人捜しと犯行動機を探るミステリになる。SF的なガジェットを制約条件として巧く使い、不可解な殺人(=特殊設定)の謎を解きほぐしていくのだ。

 ウィンタース『地上最後の刑事』に始まる3部作は、破滅が目前に迫る中でのミステリなのでよく似た設定といえるが、こちらは謎めいた破滅後(ポストアポカリプス)の世界に、たたみ掛けるように第2の破滅が迫ってくる展開が予想外で面白い。

人間六度『烙印の名はヒト』早川書房

デザイン:有馬トモユキ(TATSDESIGN)
イラスト:まるい

 著者は第9回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞と、第28回電撃小説大賞を同時受賞して以来、メディアワークス(KADOKAWA)などで楽曲のノベライズやコミック原作ものを書いてきた。また、昨年10月には、小説すばる掲載作を集めた短編集『推しはまだ生きているか』を集英社から一般読者向けに出して注目を集めた。本作はサイバーパンク+AIをテーマとする、オリジナル作品としては初の長編単行本である。

 2075年、主人公はケアハウスに勤める介護肢(ケアボット)と呼ばれるウェイツ(重い装備のロボット)だった。施設にはネオスラヴとの戦争で傷ついた兵士らが収容されている。武器と一体化した彼らは、暴走すると危険なのでケアボットが不可欠なのだ。その患者の一人、老齢の博士と主人公が絡む不可能犯罪の発生が大事件の始まりだった。

 ウェイツは独占企業ヨルゼンによって生産されている。老科学者は会社と繋がりがあるらしい。事件後、ウェイツに人権を与えよと叫ぶウェイツ主義者と、テロによる排斥を図る反擁護派ラダイトとが衝突する。登場人物は多く、片腕だけを武器化した傭兵、思いを寄せる同僚の介護肢、拳闘肢、秘書肢、改造人間ヨコヅナ、VTuberのような配信者などが入り乱れる。心象庭園(マインドパレス)とか、体の王国(フィジック・モナキー)とかの独特の用語も飛び交い、最後は月にまで舞台を広げ一大カタストロフという展開になる。

 物語としてはラノベのスタイルだろう。50年後の近未来が舞台でも、今現在の社会や政治を敷衍するリアルさを追求するのではなく、物語独自の規範・倫理観を重視しているように思える。ウェイツ=ロボットが人であるかどうかより、むしろこの世界のヒトがモンスターに見えてくるのが面白い。