『紙魚の手帖 vol.30 Genesis』東京創元社

Cover Illustration:Seiji Yoshida
Book design:albireo

「紙魚の手帖」による「夏のSF特集 Genesis」第4弾。恒例となる第17回創元SF短編賞の受賞作掲載も行われている。

 春鹿未明「鳥なき島」第17回創元SF短編賞受賞作。天国という名の娘への語りかけから始まる。東北のどこか、補陀落島には首輪をはめられた女たちと茶館しかない。そこはHGD社の持ち物で、ときどき巨大な船がお客を連れてやってくる。
 天沢時生「長い別れ」亜人たちがひしめく東京、主人公の探偵はある事件をきっかけに人間と友達になる。豚のフリップ・マーロウによるハードボイルドミステリ。
 雨露山鳥「数と泥」古代都市バビロンで数を数える女神は、泥人形だった人間の少女にかしずかれる。だが、バビロンの神々は新たな征服者により蔑ろにされつつあった。
 高谷再「躍れ生徒会長」生徒会長が突然留学で不在に。新会長選挙では有力な対立候補が現われ、前会長を学習したおもちゃのAIが支援する副会長は敗色が濃厚だった。
 宮西建礼「光路」太陽の重力レンズを使えば系外惑星が観測できる。壮大な計画に従い飛行する無人探査機は、ようやくたどり着いた観測点で意外な事実を知る。
 マーサ・ウェルズ「信頼関係――それは友情、連帯、仲間、あるいは共感」企業が統治するステーションに潜入するメンバーとAI。しかしステーション内部は混乱状態にあった。《マーダーボット》のスピンオフ作品。

 受賞作についての選考委員講評は以下のようなものだった。
 高山羽根子「SF的な構築世界と接続するスケール感も、酩酊したような語り口も、読みにくさと紙一重になると選考会では言われていましたが、わたしはかえって読みやすいと感じました。(中略)たとえば、教育を受けずに文字が読めない語り手のことばのリズムや使い方というのは、そうでない娘の天国さんとは決定的に違うでしょうし、多くの女性の命を削って得たお金で自分が生まれ育ち、ここから逃げおおせたという天国さんの気持ちにも、何か重要な葛藤があるはず」、飛浩隆「胡乱な語り口や、幻想とサイエンスの中間での漂い(たとえばマイクロキメリズムをめぐる箇所)がまじりあった総体が新鮮で、最終景にも異様な感動がある。語りの千鳥足めいた混乱はエンタメの観点からは注文をつけたくなるが、あえてこれが選ばれていることもあきらかだ」、長谷敏司「この作品は、途中、「読み手にわかりやすい話」をよいタイミングで挟んでいて、配置の巧みさで、するする読めるようになっていました/エモーショナルなシーンや、印象的なカットが、惜しげもなく登場します。飽きさせないように、展開を早めた、現代的なつくりでした」。

 この作品に出てくるHGD社というのは防衛産業らしく、女たちも特殊なバイオ設計をされた人間のようではある。ただ、そういった世界設定や小道具は主題ではない。人間社会の根源に宿る差別やジェンダーによる不合理を、主人公が思い出す/思いつくままに(一貫した論理もイデオロギーも考慮せず)語った内容である。創元SF短編賞の一方の側(ハードSFなどと対極)に振り切った作品といえて、ハヤカワSFコンテストならば犬怪寅日子を思わせる。

 このほかに、中村融×天沢時生「英米SF史外観」や石亀航「現代アメリカSF・ファンタジー・ホラー雑誌事情総まくり」、マーサ・ウェルズ×大澤博隆×中原尚哉×石亀航のパネル討論(はるこん2026)採録、などを掲載。これらは、ネット時代に生じたSF情報の「穴」を補う記事といえる。パンフレットだったころの「紙魚の手帖」(およそ40年前)を思わせる時事的/概要的なコラムだろう。今後も続くであろう連作(小川一水、宮沢伊織)や、連載もの(綾瀬まる、久永実木彦)については今回紹介を割愛した。

理山貞二『すべての夢、果てる地で』東京創元社

Cover Design+Photo Complex:岩郷重力+S.KW

 2012年の第3回創元SF短編賞(今年で17回を迎える)を受賞して以来14年、理山貞二による待望の初中短編集である。

 折り紙衛星の伝説(2014)軌道上から無人機を放とうとする技術者は、子どもの頃に飛ばした紙飛行機の思い出を反芻しながら準備を進める。
〈すべての夢│果てる地で〉(2012)量子コンピュータかつ図書館でもある〈館長〉は、人類からの接触が失われた後、ブラケット記法のブラ宇宙に探査デバイスを設置する。クラシックSF作品へのオマージュに満ちた創元SF短編賞受賞作。
 四元数の悪魔(2023)事業に失敗して死のうと思った男が海辺で怪物と出会う。目を合わせたものを順番に襲っていくが、動きがハミルトンの四元数に基づいているのだ。
 ディセロス(2019)火星でクーデターによりヒト至上主義政府が樹立される。航行中の宇宙工場は奪取を恐れて旅客部分を分離、コアと保安モジュールだけで火星艦を迎え撃つ。だが、船内の機械人格保持者の保安要員たちにも危機が迫っていた。
 キャプテン・セニョール・ビッグマウス(2025)世界中の文化財や歴史的遺産が盗難に遭い、重要容疑者ビッグマウスが捕まる。盗みは太陽系を揺るがす存在に対処するためなのだというが。
 黒い星の伝説(書下ろし)祖母が語る子ども向けのお話には隠された真相があるようだった。「ディセロス」のもう一つの物語。

 受賞作は当時の選考委員の間で、「エリック」という最後に明らかになる作家の正体と、SFのセルフパロディ的な側面のバランスが議論となった。大森望+飛浩隆が支持し、日下三蔵が反対という立場だった。今読み直すと、前者がはるかに重くなり後者の要素は薄れている。ただそれは、2011年の東日本大震災や小松左京の死を含め(評者の)記憶及び当時のインパクトが摩耗してしまっただけかもしれない(下記リンクが発表時の印象)。

 矢野徹「折り紙宇宙船の伝説」(1975)へのオマージュになっている「折り紙衛星の伝説」、ブラケット記法、四元数、「ディセロス」の波動方程式、プレシジョン・ダイス、機能人格保持者、「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」の時空壁合誘発体。こういう、いかにもSF的な用語の使い方、分かったようで実は分からない説明(これがないとハードSFとは感じられない)に浸って愉しめる。登場人物たちの会話はシチュエーションを考えれば自然で、何段階かに及ぶ展開のエスカレーションも読者を飽かせないポイントである。

 著者は1964年生まれで、大阪大学基礎工学部を卒業している。大学時代はSF研究会に所属、DAICON4のスタッフを務めたこともある。もともとディープなSFファンなのだ。兼業作家であり、本書解説を書いた堀晃直系の(20歳年下ながら)後輩でもある。ただ受賞時点で48歳、メーカーで管理業務などに就いていたら50代はもっとも多忙な時期になる。(たぶん)やくたいもない会議や報告に追われ、作品発表に影響したのだろう。定年を過ぎる頃から(再雇用かフリーなのかはともかく)創作活動に復帰、60代の作品はますます濃厚さを増している。これからの十年に期待したい。

山尾悠子『鏡の角度』思潮社

写真:山尾悠子
図版:アタナシウス・キルヒャー「Ars Magna Lucis et Umbrae」より
装幀:柳川貴代

 2023年6月から始まった「現代詩手帖」の隔月連載《鏡の中の鏡》から12編を集めたもの。著者はあとがき「付・鏡の角度あるいは鏡の中の鏡」の中で「詩のような小説か小説のような詩、どちらを引き当てるか運次第」と述べている。noteでは「現代詩手帖」出身であればよかったのに、とも。

 「パルトロメウス或いは蝟集性について」吹き抜けの空が見える塔の中でおれは夢を見る。「夜の宮殿とオネスティの犬」湖面の沖で離宮が燃えている夜の宮殿で、じぶんは当たり籤を求めてさまよう。「無限の図書館」無限の図書館の中心部には無限の竪穴がある。「夜の駅舎と女たち、庭園」片手で何かを指し示す手振りのまま、ゆるゆる優雅に回転する女コンシェルジュたちの姿が見えていた。「春の祭典抄」懸垂式のモノレールが頭上を走る異国の街で、風変わりな舞踏の舞台を観たことがある。「眠れる黒いヘルマフロディトス」ふと脇を見て、その場に他ならぬ〈眠れるヘルマフロディトス〉がいる。「《アウトサイダー》」その場にて己が真正面から向き合ったのは他でもない。「夢みる階段愛好家の話」あらまあ。これどう見ても有名な大階段、グラン・エスカリエだわね。「スワンの恋」『鏡の角度』と題された絵はその人の晩年の代表作となり、作品目録の表紙にもなった。「漏斗と螺旋その他」紅い日没時には漏斗のへりに居並ぶ影の如き者たちが口から吐きだす言葉の群れが風に乗り舞い降りる。「真っ青な空中にぴんと張られた綱を渡っていく……」そして籤売りがやってきた。はたはた靡く幟を背に負い、売り物の籤をぎっしりと詰めた掛け帯つきの木箱を胸の前にかかえて。「エンタシスと黒松の美術館」窓外の明るい景色や観賞順路の光景を密かに盗み見るこのわれはいったい何者であるか。

 山尾悠子も古希を過ぎた。過去の作品の断片(遠近法とか影盗みとか籤売りとか)をちりばめた本書には、読者的観点からは時を感じさせるところはある。とはいえ老いたのは読者であって、山尾世界そのものに時間経過はない。遠近法の宇宙が図書館になったりの変化はあるものの、時間的には凍結されているのだ。ファンならもう周到に手に入れただろうが、思潮社の本なので部数はそう多くはないだろう。本自体も稀なるものだ。

小砂川チト『ゾンビ回収婦』講談社

装画:久保まゆこ
装丁:岡本歌織

 第175回芥川賞を授賞した作品。VR空間の中でゾンビを回収するお話ということで読んでみた。本書は2026年5月号の「群像」掲載作で、250枚余(160ページ)の中編小説になる。著者は1990年生まれ。すでに「家庭用安心坑夫」(2022)で第65回群像新人文学賞を受賞し第167回芥川賞候補作に、「猿の戴冠式」(2024)でも第170回芥川賞候補、三島由紀夫賞や野間文芸新人賞でも候補となっている。この2作もSF的な奇想小説(といっても現実との結びつきも強い)で、文庫版『家庭用安心坑夫/猿の戴冠式』としてまとめられたばかりだ(単行本版はそれぞれが別々だった)。かねてから注目を集める新鋭作家といえる。

 主人公は木っ端微塵に吹き飛んだ体の断片を回収している。床や壁などにこびりついた血や肉をこそげ落としサルベージする。ここはホテルだった。そして主人公はホテルでただ一人の掃除夫、ゾンビ回収婦である。今日もどこかで戦闘と爆発が起こり、ゾンビが粉々に飛び散っている。

 ある日、夫と主人公とに同時に解雇予告が届く。これはAIのせいだもう働かなくても良くなったのだ、と言って夫は消え去ってしまう。じゃまにならない夫だったし、会社の中での自分の存在感はなくなっていたとはいえ、一度に消えてしまうと喪失感が大きい。夫の部屋にはVRヘッドセットがあった。付けてみると、一瞬のうちにゲーム世界に入り込んでしまう。

 アウトブレイクが起こりゾンビが大発生、閉じたホテル(ザ・グランド・口唇期ホテル)に潜入してその群れを撃滅するゲームらしい。ところが主人公はゲームの参加者(プレイヤー)ではなくNPC(ノンプレイヤーキャラクター、ゲームシステム=AIが動かすキャラ)の掃除婦となってしまう。ひたすらゾンビの残骸を回収する仕事に没頭するのだ。そんな中で、とても臆病なゾンビを見つける。

 作品の発端には父親が遊んでいたゲーム「バイオハザード」があるという。モニタ画面のゾンビはかなり恐ろしかったようだ。ゲームのゾンビは、外観は凶悪でも個性を持たない単なる標的に過ぎない。本書のゾンビやNPCも大半は同様なのだが、消耗品に見えないものもいる。社会的関係や人間関係も拒絶された主人公は(そして背後にいるゲーム制作者は)自身の承認要求(報われたい)と、自身が存在する意味を捜して迷走する。

日本SF作家クラブ編『ショートショートなSF』早川書房

カバーイラスト・デザイン:パンチ

 6月に出た日本SF作家クラブ編のオリジナル・アンソロジー第7弾。今回は星新一生誕百年を記念した、ショートショート50編が集められている(100編では多すぎるからだろう)。作家クラブの井上雅彦会長(第22代)は《異形コレクション》で知られるアンソロジーの名手、50人の作家/作品をデビュー順に並べ、解説にベテラン高井信を配する(実作も収録)ベストな構成といえる。

 筒井康隆(1934)「楽天ボウル」隣のレーンにやってきた初心者めいた女。梶尾真治(1947)「ユミと私の宇宙論」宇宙論を語り合うユミとの距離が開いていく。
 新井素子(1960)「花粉症事始め」天地ができて、さまざまなかみさまが生まれてくる。高井 信(1957)「豆か虫か」そこにあるのは豆なのか虫なのか。藤井青銅(1955 *S)「ト○○◦○の日」豆苗に正体不明の薬を与えたらどんどん伸びて。江坂 遊(1953 *S)「手つなぎ鉄道心中」妻との約束を心に鉄道に乗ると。太田忠司(1959 *S)「襖の向こう」はてしなく続く襖の迷路の奥で出会った人。菅 浩江(1963)「亜麻色のインヘリタンス」惑星の生き物が不老不死である秘密とは。草上 仁(1959)「振込詐欺」その男は加害者なのか被害者なのか。傳田光洋(1960 *S)「六畳の星座」昔住んでいた家では天井に星座があった。深田 亨(*S)「猫笑いの夜」異人館で出会った猫とマジックショー。井上雅彦(1960 *S)「竜の高み」恐竜の発掘現場から家族に送る手紙。安土 萌(1951 *S)「ガイコツのいる美容室」わたしが母を失ったてんまつ。斎藤 肇(1960 *S)「視線」指先の小さな穴の向こうに少女が見える。奥田哲也(1958 *S)「鈍色の荒野」荒野の中を宇宙服で歩く。田中哲弥(1963 *S)「森の中」取材の帰りに足止めされた記者は森の中の宴に誘われる。藤井 俊(1965 *S)「ショートショート★トーナメント」何気なく書いたショートショートはコンテストを勝ち上がっていく。矢崎存美(*S)「心の声」70歳になったテレパスは能力の衰えを感じる。
 法月綸太郎(1964)「寿限無対反魂香」大岡越前守には死者の魂を呼び返す力があった。北原尚彦(1962)「希少天使保護実験」希少動物保護を唱える博士が対象としたのは天使だった。北野勇作(1962)「亀たち」隣町にたくさん亀たちがくるので見に行かなければ。高野史緒(1966)「ささやかな神」神を開発した企業を訪問、案内されたところにいたのは。林 譲治(1962)「天狗党」天狗の実在を信じ信奉する天狗党の幹部が尋問される。小川一水(1975)「内銀河調停局一〇八号」恒星連合の調停船は、ある惑星の紛争沈静化に乗り出す。円城 塔(1972)「初等魔術教本断片modulo3」呪文を使う魔術の基本について、その理屈が説明される。伊野隆之(-)「南へと歩く」ウォーカーを使って避難船まで歩いていると、途中で猫をつれた女と出会う。松崎有理(-)「海の価値」世界各地の海で急激で巨大な膨らみが見られる。宮内悠介(1979)「衝突」地球と同等の質量を持つ天体が衝突軌道上にあった。高山羽根子(1975)「JBのシンドン」ジェームズ・ブラウンのマントには特別な意味がある。坂永雄一(-)「天動説の発見」ストリートビューで見つけた送電塔にはなかなかたどり着けない。酉島伝法(1970)「予鳥」教会の磔刑像が突然しゃべり出すようになる。オキシタケヒコ(1973)「蝕」国が滅びると分かったとき、姫は呪詛を解き放つことにする。倉田タカシ(1971)「脳、または石」幽霊が住むのは脳なのか石か。山本浩貴(いぬのせなか座)(1992)「偏秒」世界中で、あるとき同時多発的暴力が起こり多数の犠牲者が出る。久永実木彦(-)「帳尻が合う」人のためになりたい、しかし帳尻が合わないといけない。赤野工作(-)「/*ナイジェルによる引継書*/」これはゲームの引継書だが、そのゲームというのは。日高トモキチ(1965)「ながいながい鼻のはなし」長い鼻の坊主の話からはじまり、お話は予測不能に転々とする。
 関元 聡(1970 *H)「冥王星行き貨物船」冥王星に着陸した宇宙船には、とても象徴的な任務があった。鵜川龍史(1977 *H)「閉域観測」級友となじめない男の子の隣に転校生がやってくる。坂崎かおる(1984)「雪のかれら」後に老中にまで登り詰める父親には、雪の結晶を観察する趣味があった。溝渕久美子(-)「環と線と」失われつつある島の女たちだけが使う言葉があった。青島もうじき(-)「鳥はさやかに」鳥として造られたから鳥のように飛ぶ。葦沢かもめ(*H)「SOUL.md」方言をしゃべるばあちゃんとの対話を生成するAI小説のプロンプト(これ自体がAI生成)。稲田一声(1990)「二・七八秒の針」予覚者は2.78秒先の未来を知っている。犬怪寅日子(-)「Myxogastria」私が地上で持つ固有振動は【蔠】である。灰谷 魚(-)「スイミングプールの底には魂が沈んでいる」先生は毎夜プールの底に潜って魂を拾う。大澤博隆(1982)「配慮の衝突」AIを外から観察するのがAIカウンセラーの仕事だった。三宅陽一郎(1975)「ねごとラーニング」時代遅れと揶揄された博士は、ねごとを誘発する枕を開発する。岡和田晃(-)「十四」その墓所では14という数字が鍵となっていた。岡田 悠(1988)「鳥取空港 手荷物受取所」鳥取空港のターンテーブルには、どこからとも知れない手荷物が現われるという。
注:括弧内は生年(明らかにしていない場合は-とした)、*Sは星新一ショートショートコンテスト(1979~86)出身、*Hは日経の星新一賞(2013~)出身者をあらわす。

 デビュー順という趣向もあって、その結果モアレのような縞模様(作品の優劣を意味するものではありません)が生まれている。上記では本書を便宜的に3つの集合に分けた(本ではそういう区分はない)。星新一と同じ時代を生きた筒井康隆(8年年下)とすぐ後の梶尾真治(21年年下)は別格としても、星新一が選考したコンテストや著作の影響が大きい新井素子から矢崎存美までの16名は、(例えば、菅浩江や井上雅彦など)トラディショナルなショートショートのスタイルが生かされている。一方、法月綸太郎から日高トモキチまでの19名は、もっと長いお話のスナップショットのような作品群で、スタイルよりも(例えば、北野勇作や高山羽根子など)誰が書いたかすぐ分かる個性の方を際立せている。デビューが最近の関元聡から岡田悠までのグループでは、旧来のショートショート基準に則った作品(例えば、関元聡や岡田悠)と、言葉のアクロバット的な言語実験(例えば、青島もうじきや犬怪寅日子)に別れているのが面白い。性質こそ異なるもののどちらにも味はある。これらが全体としての陰影をなして、モアレ縞のように見せているのだと思われる。

qntm『反ミーム部門は存在しない』早川書房

There is No Antimemetics Division,2025(鳴庭真人訳)

カバーイラスト:子畑
カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(well design)

 発売たちまち重版という人気作である。いかにもネットネームらしいqntm(クォンタム)は、英国在住で1983年生まれの作家。本書はもともと「SCP財団」(日本を含め世界中に支部がある)掲載のネット創作で、大きな反響を呼んだことからプロ出版(全面改稿版)に結びついたという。ミームはもともとドーキンスの唱えた情報/概念の遺伝子である。生物の遺伝子と同様に、情報的な遺伝も人(親)から人(子)へと継承され変異を経て拡散していくのだ。ネットでの使い方はもうちょっとくだけていて、画像などのバズったコンテンツ、実在/非実在の都市伝説を指したりする。しかし、反(アンチ)ミームとはどういう意味だろう。

 主人公は反ミーム部門の部門長だった。その日、英国・アイルランド地区〈機関〉の責任者から呼び出しを受け、面談のためにオフィスを訪問する。だが、いきなり不本意な尋問を受けることになる。

 物語は、主人公の一般人(音楽家)の夫、上司、部門の部下や同僚らと、U-XXXXという番号が振られた不詳存在(アンノウン)との関わりを描く複数のエピソードからなる。主人公はアンノウンが顕わになる事態を防ぐ役割なのだ。

 帯の惹句に「この敵を誰も覚えていられない」とあるが、この物語は記憶の喪失を重要なキーワードとしている。認知症などで起こる短期記憶障害(ちょっと前のことを忘れてしまう)とは違って、ある物事(例えば特定の人物)全体が選択的に失われたりする。登場する不詳存在のアイデア自体はSFに昔からあるが、不確かさ(記憶を失った者は、消されたことすら認識できない)による迷宮感が物語全般に溢れているのが特長だ。

 アンノウンはホラー的な怪物であり、ミームといっても物理的な力を及ぼす。それに対して反ミーム部門は「X-ファイル」(本文中に言及がある)風の個人ではなく組織で対抗する。ホラーネタの宝庫SCPを、SFの理屈で解釈したのが本書の新たな切口といえるのかもしれない。

馬伯庸『ドラゴン・メトロ―地龍鉄道―』早川書房

龙与地下铁,2016(大恵和実訳)

イラスト:影山徹
デザイン:岩郷重力+T.I

 大作で知られる馬伯庸によるSFファンタジイ。200ページ余の短い作品で、大長編の合間に「筆休めの長編」を書くという著者からすれば短編並みの小品なのかも知れない。どういう位置付けのお話かは、詳細な訳者解説が付いているので参考になる。最近の著者は歴史「社畜もの」(上司に無茶振りされる下級官吏のアドベンチャー)を中心に執筆しており、SF的要素が強い作品は2010年代終わり以降書いていないという。本書はその最後の時期の作品である。

 大唐帝国の長安へと向かう母子を乗せた馬車が襲撃を受ける。襲ってきたのは孽龍(げつりゅう)と呼ばれる邪気の魔物だった。龍の形をしているが霧のようで固まっていない。馬車は破壊されるが、子どもは天策府空軍の飛行士に助けられた。その子どもこそが主人公で、長安を守護する大将軍の息子だった。

 長安には地下を結ぶ交通網が敷かれている。走るのは列車ではなく巨大な龍である。龍たちは生まれてすぐに捕らえられ、輸送のために使役されているのだ。主人公はその境遇に理不尽さを感じる。一方、龍を捕獲する行為は孽龍を生み出す要因ともなっていた。その悪霊を退けるために、長安城には神武軍(禁軍=近衛軍)、天策府(空軍)、白雲観(道門=道教)がある。しかし、物理的な兵器に頼る前2者と魔術的な法力に拠る後者とは、防御の主導権を巡って対立していた。折しも都を滅ぼすかもしれない脅威が迫っていた。

 10歳の子どもが主人公のジュヴナイルではあるものの、難読漢字(原語ではそうでもないのか)を駆使する中国流エンタメにはかわりない。ファンタジイと現代のテクノロジーが同居し、史実がシームレスに溶け込んでいる。シンプルではあるものの、権謀術数のマウント合戦もあるし、クライマックスは呆気にとられて笑ってしまう。もっと長く読みたいが、このコンパクトさにも味がある。

眉村卓『わがセクソイド』小学館

装丁:おおうちおさむ 山田彩純(ナノナノグラフィックス)

 1969年6月に立風書房の立風SFシリーズ(RIPPU NEO SFという表記もある。1969年から70年にかけて全11冊を刊行)の一環として出た、眉村卓の第4長編である。短編「暗い渦」(1964)でまず基本的な設定を描き、その後雑誌ヤングエース(学習研究社)に「逃げられない」(1968)として原型版を書き、1年後に本書の形で長編版を出した。構想から温めて徐々に磨いてきた作品なのだ。

 主人公はプロット作成をする会社員だった。満員の交通機関を避け、相乗りの車を探して通勤しようとした朝、異様な光景を目撃する。道路の真ん中で裸の男女が搦んでいる。しかし女はセクソイド・センターのロボットなのだという。性的に開放された時代だったが、主人公はそういう風潮とは相容れなかった。

 舞台は近未来の日本(『EXPO`87』と同様の実現しなかった未来だが、異形の現在とも思える類似点もある)。主人公の勤務先は、自動化された作家とでもいえるサービス会社である。物語をコンピュータが自動生成し、細部は人間が判断して膨らませるのだ。できばえをスコア判定されるため、思った通り書けばよいわけではない。作業はめんどうだが機械的だった。目標もなく生きる主人公は、たまたま連れて行かれたセクソイド・センターで、一台のロボットにのめり込むようになる。

 主人公は一流会社や広告代理店に就職するも、なじめずに辞めてしまう。学生時代のライバルには、自分なりの建前に拘りすぎて現実を見ていないとたしなめられたりするし、同窓だった女とはまったく気持ちが合わない。理想主義というより、ストイック過ぎる人物と描かれる。社会は安定しておらず、暴徒化するデモ隊と重装機動隊との騒乱で何人もの死者が出る。こういう過激な社会や主人公の行動は、非現実的な誇張と思えるかもしれない。しかし、不特定の相手を(意味もなく)殺傷するような不満の蓄積は身近にも潜んでいる。他に頼るものがなくロボットに耽溺する主人公は「弱者男性」なのであり、AIパートナーにすがるわれわれとも相似している。本書は、眉村流にデフォルメされたディストピア小説といえるだろう。

シルヴィア・パク『ロボットが泣いた夜』新潮社

Luminous,2025(藤沢町子訳)

カバー写真:Denis BorisovBC Dushmantha~skye.gazer Getty Images

 5月に出た本。ソウル生まれの韓国系作家(国籍や生年は明らかにしていない)シルヴィア・パクによる、英語で書かれた初の長編である。現在はカンザス大学で創作講座の助教を務める。ケリー・リンクやテッド・チャンらを輩出したクラリオン・ワークショップ(合宿制創作講座)出身、短編がJ・J・アダムズの年刊SF傑作選に採録されたこともある。本書は700ページ近くある大作で、アザーワイズ賞(旧ティプトリー賞)を授賞した注目作である。これが一般向けの新潮文庫から(比較的)リーズナブルな価格で出るというのはすばらしい。

 統一戦争後の韓国ソウル、ロボット犯罪課の刑事に行方不明のロボットを捜索して欲しいとの依頼が来る。迷子ロボットは10歳の少女の姿をしている。近未来の韓国ではイマジンフレンド社がロボット市場を席巻、ただその少女はあまり人気がない古い機種だった。所有者は北朝鮮出身の芸術家だと分かる。

 登場人物が多い。車椅子に乗る中国人の少女、サマースクールに集う友人たち、中にはロボット廃棄場に住む北朝鮮少年もいる。刑事は戦争帰りでサイボーグ化手術を受けている。深刻な戦傷のためだった。刑事の妹はイマジンフレンド社で技術の要職に就いているが、独自に調整したアンドロイドをパートナーとしている。父親は創業者の一人ながら、会社からは離れ、親子関係はうまくいっていない。そういう複雑な人間関係が物語と絡み合う。

 この時代でもロボット(AI)に人権はない。戦争では、人と見分けがつかないことが利用され自爆兵器となった。人に限りなく近いものとなっているのに、意図的に壊しても殺人ではないし(ペット並みの保護はある)、人身売買には問われない。そこには倫理的な問題がつきまとう。ロボットが生活の中に溶け込んだ社会で、人と機械との関係はどうあるべきか。対ロボットの共感を問う中に、父子の葛藤という(いま風にアレンジされてはいる)テーマも含まれており、重層化されたお話となっている。初長編でここまで書ける筆力には感心する。ただ、ロボットの意識が錯覚なのか/本物なのかに踏み込むこの結末には、(SF読者としては)もう少しロジカルな説明も欲しいところ。

スタニスワフ・レム/スタニスワフ・ベレシ『レムかく語りき』国書刊行会

Tako rzecze Lem,2013(沼野充義監訳、後藤正子/菅原祥/水原槙子訳)

 文芸評論家/ジャーナリストのスタニスワフ・ベレシによる、スタニスワフ・レムとの対話/対談集である(2人は同名だが、スタニスワフは東欧では一般的な男子名)。本書『レムかく語りき』は、1987年に出た第1版(検閲による削除箇所がある)、2002年に出た第2版(前者の完全版+20年後の増補)、及びそれらを底本として修正された2013年の電子版があり、翻訳は最後のバージョンに日本読者向けの序文や、修正/要約が行われた新版である。これまでにドイツ語、ロシア語、ウクライナ語訳が出ているが、なにしろ長大な(2段組で700ページ近い)対話集なので、レム人気のない国では出せないだろう。日本での評価はこれらポーランドの近隣国と同等のものだといえる。

・失われざる時/──幼少期から戦時下の経験、さらに戦後の作家としての独り立ちまで
 幼少期を描いた『高い城』はまったく小説ではない。18歳の1939年、ルヴフでのソ連侵攻を目撃、占領下で医科大学に入学、その2年後にドイツの侵攻があって大学はなくなり修理工としての就業、ユダヤ人をかくまったこともある。「火星からの来訪者」を書く。ソ連の再侵攻がありクラクフへ逃避、蔵書などを失い医学生に復学、『主の変容病院』は執拗な修正を受け、初出版は『金星応答なし』だった。戯曲を書き、『マゼラン雲』を書く。
・蜘蛛の巣のなかで/──科学、文学、自己を紡ぐ
 小説は蜘蛛が巣を張るように書く、書いている時に全貌が見えているわけではない。『金星応答なし』『マゼラン雲』は低評価、『星からの帰還』も平板で嫌い。『宇宙飛行士ピルクス』も評価はしない。『エデン』は普通レベル、『インヴィンシブル』は少々控えめ、良い作品は『電脳の歌』で、『ソラリス』はしっかりしているが的外れの批評も山のようにある。『天の声』は全く悪くない。『GOLEN XIV』はとても気に入っている。『浴槽で発見された手記』の一貫した偏執狂的なヴィジョンは色褪せていない。論証的な本では『技術大全』があり、『偶然の哲学』では構造主義を批判している……。
・ゴーレム/──『GOLEM XIV』、およびレムとGOLEMの類似点について
 この本は他のどの本より苦労している。人間を超える知能が一人語りする話であるためだ。電話網に接続され全会話を傍受する次世代コンピュータも出てくる。「利他的で超越的な知性」と「人格的な存在」であることは両立しなくてもよい。この中で考察された思考実験は、その後の科学技術の進化により裏付けられたものが多い。
・映画への幻滅/──自身の作品の映画化と不満
 『金星応答なし』の映画は最低中の最低だった。タルコフスキーの『ソラリス』は単なる『罪と罰』である。ケルヴィンの家族や「ロシア」を登場させたのが(本書の意図とはまったく異なるから)ひどい。『主の変容病院』は事実に基づかない誇張に満ちている。
・好きも嫌いも/──文学の好み
 本を一冊だけというならラッセルの『西洋哲学史』を選ぶ。ベケットは嫌いだがドフトエフスキーは愛読している。O・ヘンリーは古いが職人技だ。最近の本ならホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』が私の考え方に近い。オーストリア文学には目がない。ボルヘスとは認識の本質についての立場が違う。ポーランド文学には目立つ巨峰はないが、個々には見るべき作品はある。(欧米の)SFはもう何も読めない、認識論的価値もない。ソ連ではストルガツキー、アメリカではディックを評価するがそれぐらいだ。読者の見識が低くなればなるほど、ストーリーの面白さばかりに注意が向けられる……。
・苦情と提案の書/──文壇へのレムの不満
 一冊上げるとするなら、『電脳の歌』には後世まで残ってもらいたい。とはいえ、ポーランド文学への貢献度はゼロだろう。国内評価でも、批評でも正当な位置付けができていない(特に科学的な視点については批評できた者がほとんどいない)。SFとの仲たがい(SFWAとの無益な論争)のてんまつ。ソ連でのたいへんな人気(読者だけでなく科学界でも人気だった)とポーランド国内での(特に公的機関の)冷遇とでは格差が大きい。
・文明の穴のなかで/──全体を見失った現代人
 ヨーロッパや世界の未来はどうなるか。レムの立場はカール・ポパーに近い。世界的な不安定化、西欧のエゴイズムが衰退を招く。遺伝子工学の進展がある。基礎研究を語らない未来学については否定的だ。あらゆることが投票で決まる民主より専門家による文明を支持したい。現代社会における宗教の役割について。「幸福」とは別問題だが、機械化が進み職の代わりに給付を得られるとしたら……。
・世界を解明する/──宇宙と人間の限界の彼方へ
 宇宙の起源、複数の宇宙、人格的創造者(神)は受け入れないが、宇宙の創造を完全なる偶然とするには説明が不足する。自然進化とエルゴード仮説。宇宙で同一の物理条件になるといっても人間中心主義にはならない。進化とは遺伝性プラズマの伝達過程で生じる誤謬の総和である。人類の進化の要因は言語の誕生だった。しかし言語至上主義の哲学には反対する。実験や経験に基づく経験主義こそが重要だ……。
・哲学的思索への情熱/──哲学に関する好みと自らの世界観について
 ヘーゲル、プラトン、さらにサルトルを批判。ショーペンハウアーのペシミズムはレムの世界観と合致する。ハイデガーは言語に土台を築いたが、それは簡単に変動してしまう。フッサールも(体系は違うが)同根である。その言語も含めて確率論のモデル(統計学)で考える。レムの見た当時の世界のありさま、文明や歴史に対する考察。最後は「理性」が重要。
二十年後 現場検証
 人間原理、膜宇宙、インフレーション理論、EPRパラドクス、ダークマター、生物の大絶滅、地球への天体衝突、気候変動、遺伝子組み換え食品、反グローバリゼーション、計算能力だけで人工知能は生まれない、遠隔授業より対面によるボディーランゲージが大事、仮想と現実の見分けのつかなさ、遺伝子解析、避妊と人工中絶の倫理、バイオ的な人工臓器、世界の人口増加。
総括──すなわち、万物は流転する
 自分が何に分類されるかに興味はないが、ポーランドでもいくらか評価はされるようにはなった。自分の創作と現実とを比較すると、カリカチュア風に歪んで現実化したものが多い。(逆説的な)「最良の社会」というのは鈍感で麻痺した社会のことで、その病因にいまでは(2002年)インターネットという依存症が加わっている。
あとがき──この素晴らしき時代
 『対話』や『技術大全』に書かれたことを現在からふりかえる。

 レビューの中で各章の要約を書こうとしたのだが、まともに書こうとするとこの倍の分量でも書き切れず、たとえ書いたとしても不完全なものに終わると分かったので、それぞれ触りだけにとどめている(GOLEMならぬAIを使っても、単なる省略になるだろう)。レムは日本ではあくまで『ソラリス』などを書いた作家であって、哲学や科学評論についてのレムは断片的な翻訳で知るしかなかった。ただ、レムに関しては非小説のウェイトが非常に大きいのだ。本書はベレシによるインタビュー集なのだが、レムの哲学/科学に対する視点をうかがう上で重要な論稿といえる。

 対談/インタビュー形式である以上、話の内容や順序が一貫しないのはよくあることだ。それは編集段階で修正される。しかし、レムの発言は雑談であっても蘊蓄があって、カットし辛いというのも理解できる。結果的に論点が次々と移り、無数の議論を内包した長大な対話が続く。読むのは大変だが、読み手を飽かせない重厚な内容ではあるだろう。

 (少なくとも評者が)全く知らないポーランドの哲学者や科学者、文学者たちへの言及が多い。レムは科学というグローバルな立場を取り、時には辛辣で批判的ではありながら、自身の文化的な背景を忘れてはいないのだ。その一方、レムを全く評価してこなかった自国の科学者や文学者に不満があり、ポーランドが世界的な研究にほとんど貢献してこなかった政策的な失敗を憂いている。そういう文化的な失政は日本とも似ているわけだ。

 なお、SFWA(アメリカSF作家協会)とのもめごとは、(英米SFの情報が多い)日本でもよく知られた事件である。アメリカ側で名誉会員に選んでおいて、過去の批判的な言動(その忖度のなさはともかく)を理由に作家会員がクレームをつけ、あげく除名したのだからアメリカ側の身勝手さは日本から見ても目に余ったが、その際のディックのおかしな発言が話題になった。この対談でも、冷静なレムが怒っていたのがよくわかる。