海猫沢メロン『ディスクロニアの鳩時計』泡影社

人物画:東山翔
背景画:富田童子
装丁:川名潤

 2012年4月のゲンロンエトセトラ#2から始まり、ゲンロン通信を経て2021年9月のゲンロン#12まで連載された千枚越えの長編小説である。しかし単行本にはならず、2024年5月にまず私家版を作成し頒布、好評を受けて自ら「泡影社」を興し1年後に一般書籍として出版するに至る。それでも扱う書店は限られるので、入手はBOOTHの直売が早道だろう(Amazonでは転売品しか買えない)。

 3.11を連想させる異変を経て、日本はARデバイス・カクリヨが普及し、AI〈IXANAMI〉によりコントロールされる国になる。そのカクリヨを開発した〈AIR〉が所有する復興特区で、奇怪なバラバラ殺人事件が発生する。犯人を追ううちに、時間収集家である大富豪時彫家にまつわる大きな謎が浮かび上がる。

 頭に鳩時計を被った17才のハッカー少年、同様にアナログTVを被る富豪当主、ゾンビ人形を持ち歩く女性警部、隻眼隻足で中性的な容姿の探偵、エプロンドレスで小学生くらいの姿をしている現場分析ロボット、などなど。登場人物に「ふつう」の人間は(ほとんど)見当たらない。エロゲー、ラノベ、ノワール、犯人捜しのミステリに、オナニー、快楽殺人やロリコン(ペドフィリア)といった危険な因子が混じり合う。しかし、最大の特徴は物語の骨格が時間SFである点だろう。

 購入者向けの動画チャンネル(youtube)によると、著者は青山拓央の『タイムトラベルの哲学』(2002、新版2011)からインスピレーションを受けたようだ。参考文献にも、マクタガートの時間(下記リンク参照)や、中島義道、木村敏、ハイデッカーら哲学者の論考、ロヴェッリやホーキングら物理学者の時間論の名前が挙がる(といっても、読者に予備知識は必要ない)。また、影響を受けたフィクションとして、京極夏彦、森博嗣、竹本健治、村上春樹らの他に、ベイリー『時間衝突』、テッド・チャン「商人と錬金術師の門」、観念的な時間SFでもある神林長平『猶予の月』、ウェルズ「タイム・マシン」のリニューアル版スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』、結末と直接関係するある短編(ネタバレ注意)を挙げる。いまやSFプロパーの作家でも、複雑な(既知のアイデアの使い回しではない)タイムパラドクスに挑む作家は少ないので、そこだけでも注目に値する。

円城塔『去年、本能寺で』新潮社

装画:山口晃 當世おばか合戦─おばか軍本陣圖 2001 カンヴァスに油彩、水彩 185×76cm(C)YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery
所蔵:高橋龍太郎コレクション/撮影:長塚秀人
装幀:新潮社装幀室

 本書は、新潮の2023年1月号から24年11月号に(おおむね)隔月に連載された11編の短編集である。シン歴史撃誕!と煽られてスタートした歴史連作小説なのだが「人間ならこんな法螺が吹けるぞ、お前には吹けまい、という気持ちです。もちろん、AIにも同じようなことはできるのでしょうが、それは誤生成として再教育の対象となる。本当の意味で法螺が吹けるのは人間だけかもしれません」(著者インタビュー)と円城塔がうそぶくように、意志なき嘘つきのAIをしのぐ、意図的フェイクに満ちた作品集となっている。

 「幽斎闕疑抄」軍事AI かつ文事AIとしても名高く『古今和歌集』の秘義伝授を受けた細川幽斎という存在。「タムラマロ・ザ・ブラック」8世紀、陸奥=蝦夷(ガリア)に侵略戦争を仕掛けた朝廷の征夷大将軍坂上田村麻呂は金髪の黒人だった。「三人道三」自身のやってきたことが親子2人分であったと光秀から知らされた斎藤道三は面白くない。本当は3人なのだが。「存在しなかった旧人類の記録」まだ文字もなく記録もない石器の時代に殺人事件が起こる。犯人は巨大な石斧を操る何ものかだ。「実朝の首」13世紀、源実朝は宋に渡ろうとして唐船を建造する。しかし、南都大仏殿再興勧進から記されるその歴史は「未来記」にすでに書かれている。「冥王の宴」爆発から始まる宇宙創成、地球創世の頃にまで遡るノブナガの歴史とは。「宣長の仮想都市」デジタルのデータセットとして重要なのは古態を残す『古事記』である。「天使とゼス王」日本人通訳としてザビエルに同行するアンジェロは本能寺を幻視する。同じころゴアの奴隷だった安寿にゼス王(キリスト)への帰依を説く。「八幡のくじ」主人公をくじで決め「義円」と決まる。そこから足利義教の物語が組み立てられていく。「偶像」善鸞は伝説のアイドル親鸞の実子でその再来だった。歌で教えを説くその技法と思想はとても異質なものだった。「去年、本能寺で」信長は死んでも滅びなかった。人気とともにさまざまな形で増殖し、そのありようは安定しない。

 歴史家は文献調査が基本で、書かれていないことを歴史と称することはできない。一方、作家は文献に書かれていない空白を捜し出し、そこを拡大解釈した異説で埋めて小説にする。円城塔の場合は、明らかな(トンデモな)フェイクを本当のことと取り混ぜて書いた。こうなると、何が史実なのかが逆に分からなくなる。

 細川幽斎の振る舞いが機械のようだからAIと見做し、都市伝説のような田村麻呂黒人説を持ち出し、漢字のルビを英語のカナ書きにしてみたり、東北をガリアに準えたり、登場人物が現代の知識を前提とした会話をし、AI(のような)本居宣長はデータ分析で古事記解釈をする。「未来記」があってこれは後生の歴史書なのだが、なぜか過去の登場人物の手元に既にある。かと思うと石器時代や、地球創世(地質的にも痕跡の残っていない冥王代)にまで視野は及ぶ。奇想に次ぐ奇想が襲来する円城ワールドが歴史小説に展開する。信長=ノブナガと本能寺が何度も登場するのが印象的だ。さて、新潮の読者はこれをどう読んだのか。AI時代のSFはこうなるのか、と喜んだのか/呆れたのか。

ラヴァンヤ・ラクシュミナラヤン『頂点都市』東京創元社

The Ten Percent Thief,2020/2023(新井なゆり訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者はインドの作家、ゲームデザイナーでインド南部にあるハイテク拠点都市ベンガルール(旧名バンガロール)に在住インド系米国作家米国在住作家の本はこれまでもあったが、インド在住の作家が書いたSF単行本(文庫)は、これが本邦初紹介となる。2021年のタイムズ・オブ・インディアのオーサー・アワード新人賞(女性作家が対象)やバレー・オブ・ワーズ賞を受賞し一躍注目を集めた作品だ(当時の書名はAnalog/Virtual)。2024年にはアーサー・C・クラーク賞の最終候補にもなった(この再編集バージョンThe Ten Percent Thiefが本書)。目次もなく短編集とは書かれてはいないが、「頂点都市(Apex City)」を舞台とする20の短編を集めた連作短編集である。

 大規模なな気候変動のあと旧来の国家は崩壊し、世界にはエリートが支配するいくつかの都市が点在するのみ。都市は外部と境界シールドで隔てられている。「頂点都市」はベル機構が支配するデジタル・ユートピアだった。市民はヴァーチャル民と呼ばれるが、そこは激しい競争社会でもある。特権階級である上位2割に食い込もうと、7割の市民がソーシャルメディア・スコアを競っているのだ。残り1割のアナログ民はネットから切り離された奴隷階級だった。

 この物語には共通の主人公はいない。1割のアナログ民のためにヴァーチャル民から盗みを繰り返す怪盗、上位民になんとか這い上がろうとする中間民の男、地下に潜み逆転を画策するレジスタンス、失業でアナログ民への転落におびえる中間民の女、アナログ民の貧困を社会見学するツアーガイド、シェア数に左右されるインスタスナップのインフルエンサーなどなど。いく人かの重複はあるものの、それぞれの短編のなかで個性的な人物が次々登場する。

 (独立後の憲法で禁止されたとはいえ)インドのカースト制は社会差別の源泉だった。IT産業はその悪しき伝統を実力(個人の能力)で克服するはずだったが、本書では皮肉にもヴァーチャル(=IT化の恩恵を受ける階層)とアナログ(=受けられない階層)の格差となって甦っている。本書で描かれるのは、インドとは限らないデフォルメされた現代の競争社会である。ベル機構は今風テック企業に近い組織で、生産性を下げる意見は許されず、ランクが落ちるとネットワーク(生活そのもの)からはじき出されてしまう。それが恐怖政治となって市民は従わざるをえないのだ。異国風エキゾチックさを強調せず(国外の読者におもねることなく)、近未来ディストピア(からの脱却)SFとして自然に読み通せて面白い。

森下一仁『エルギスキへの旅』プターク書房

装丁:中島久功
植物写真:中谷次郎

 本書は、もともと7編の連作短編として、SFマガジン1991年6月号から94年12月号にかけ、不定期に掲載された作品である。その後書籍にならないまま埋もれていたが、2024年11月~25年1月のクラウドファンディング(支援者177人)を経て4月に単行本化、現在は版元のプターク書房で一般購入が可能になっている。

 〝騒乱〟により世界の政治や経済の体制が激変してから10年弱が経っていた。主人公の少年は父親に促され、自転車に乗って北の町エルギスキに向かう。〝騒乱〟時に行方不明になった母親の手がかりが得られるかもしれないのだ。日本海側にあるエルギスキには、シベリア、極東ロシアから移り住んだ人々が暮らしている。少年は、そこでサキとユリというエヴェンキ族の2人の少女と出会い、思いもかけなかった自身の秘密を知る。

 途中までの舞台は未来の日本、東京湾岸はまだ十分に復興しておらず混沌としている。高校生になった少年は、祈祷師めいた老女が開く治療院でユリと再会し不思議な体験をする。やがて物語はロシアへと広がり、エヴァンキのルーツに迫ることになる。

 SFマガジン掲載当時の内容がほぼ保たれている(小見出しは新たに追加されている)。エヴァンキ族のシャーマンが登場し、薬物による幻覚描写も出てくる。1991年のソビエト連邦崩壊、オカルトめいた(ニューエイジを含む)スピリチュアル・ブーム、祈祷師は「ミヤコ教団」(『AKIRA』)を思わせるなど、1980~90年代頃の雰囲気が色濃い。ただ、狩猟民であるエヴァンキのシャーマンとの精神交感、自然と文明との接点は、最近の松樹凛の作品にも受け継がれる古くて新しいテーマといえる。ファンタジイではなく、あくまでSFなのは著者のこだわりだろう。主人公がこういう形で「入れ替わる」結末には、ちょっと意表を突かれた。

キム・チョヨプ『惑星語書店』早川書房

행성어 서점,2021(カン・バンファ訳)

装画:カシワイ
装幀:albireo

 キム・チョヨプによる14編から成る掌編集。平均すれば1作あたり10頁足らずだが、20頁の短編も含まれる。全体は「互いに触れないよう/気をつけながら」と「ほかの生き方も/あることを」の2つの章に分かれている。他者を尊重しそれぞれのありようを認め合おう、という著者の考えを反映しているようだ。

互いに触れないよう
気をつけながら

 サボテンを抱く:いかなるものにも触れられない主の家には、なぜかいっぱいのサボテンがある。#cyborg_positive:アイボーグ社からのオファーに悩み抜く主人公。メロン売りとバイオリン弾き:市場の入り口に立つのに、誰の注意も引かないメロン売り。デイジーとおかしな機械:デイジーとの会話は機械を介して行われる。惑星語書店:その書店の本はすべて惑星固有の言語で書かれている。願いコレクター:2030年への「願い」をいっぱいに集めた部屋。切ないラブソングはそれぐらいに:音楽のバラードはなぜ20年ごとに流行るのか。とらえられない風景:その惑星の風景はカメラに正常に写すことができない。
ほかの生き方も
あることを

 沼地の少年:沼地に棲むわたしたちのところに瀕死の少年がやってくる。シモンをあとにしながら:旅行者は、シモンの誰もが仮面を付けている理由を教えられる。みんなのココ:3年の空白を経て目覚めるとココは世界中に広がっていた。汚染区域:派遣者も禁じられているほど危険な汚染地帯がある。外から来た居住者たち:寂れたサービスエリアにぽつんとある店には、超味覚者を名乗る店長がいた。最果ての向こうに:派遣者の調査報告書に断片的に残るメッセージの記録。

 「沼地の少年」「汚染地帯」(短編相当)「最果ての向こうに」には繋がりがあり、『派遣者たち』の枝編といえるもの。それ以外は独立した掌編になる。触覚が痛みに眼が人工のものになり、人の存在感とコミュニケーション、忘れられつつある言語、未来への希望、流行歌のサイクル、記録できない風景、超感覚者の孤独などが点景として描写される。軽快ではあるけれど、どこか人の心の深みも感じさせ、主人公たちに自然に共感できる著者らしい小品集だろう。

日下三蔵『断捨離血風録』/小山力也『古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸』本の雑誌社

カバー写真:中村則
カバーデザイン:金子哲郎

 本書はとても不思議な本だ(もっとも「本の雑誌」の読者からすればふつうなのかも)。13万冊の蔵書を誇る日下三蔵が、3年かけてその4分の1を処分するドキュメントである。だが、埋もれた稀覯本(主に戦前戦後のミステリ)の発掘とか著者の急病とか以外、ひたすら同じ描写(本の荷詰め、移動、選別、棚入れ)が繰り返される。文筆家の日記にはならず、修行僧の日報のような極めてストイックな中味なのだ。2008年、15年の編集部による前日譚と当事者日下三蔵の連載(本の雑誌2021年11月24年11月号)を含む『断捨離血風録』、古本系ジャーナリスト小山力也『古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸』の2つの視点から成る。

 著者は本を何冊持っているのかさえ把握できていなかった(21年には7から8万冊と称していた)。毎月100冊以上の本を買い(既読未読は関係なく)背丈を超えるほど周りに積み上げていく。結果として寝場所はなくなり、立ち入ることができない部屋や、通れない廊下など生活に支障を来すようになる。仕事部屋だけではない。両親と暮らす自宅の1階部分全体、書庫専用の2LDKのマンション、庭の物置などすべてがそんな状態となっていた。そこで書肆盛林堂の小野店主と、関係者だった小山力也の協力を得て、すべての本をデフラグ(作業空間が必須なのでアパートを借りる)し増設した大量の書棚(カラーボックス250個弱)を組み立てて収容、選別した不要本は古書店へ売却するサイクルが始まる。

 コレクターといってもさまざまである。書架ありきの(棚を埋めるために買う)水鏡子のような人もいれば、(入る棚がないので)ひたすら平積みする人もいる。しかし複数の山が重なるまでの平積みをすると、底に積まれた本は二度と(あるいは一度も)読まれることなく埋もれてしまう。日下三蔵のように書誌に関する記憶力が完璧な天才でも、肝心の本がどこにあるかが分からなければ(再購入という手段はあるものの)活用は不可能なのだ。

 この断捨離は、マンガや同人誌(最初のコミケ以来の膨大なもの)の一部、ダブった本(多数)、仕事で使うことはないと判断した稀覯本類など、累計2万5千冊を処分することで目的が達成される。(写真で見る限り)ゴミ屋敷同然だった魔窟が昭和の古書店並みに改善している。あと、本書の意図とは違ってくるだろうが、断片的に語られる著者自身の考え方、なぜミステリを集めアニメ主題歌を集めるのかなど、自叙伝的な部分をもうちょっと読んでみたかった。

スタニスワフ・レム『電脳の歌』国書刊行会

Cyberiada,1964ー1967(芝田文乃訳)

装訂:水戸部功

 ツイベリアーダは、1973年に『宇宙創世記ロボットの旅』という訳題で翻訳されている。この集英社版(76年にはハヤカワ文庫に収録)が定訳だったのだが、残念なことに連作の半分(分量的には三分の一)しか含まれないアブリッジ版だった。本書は原著のレム著作集(2001年版)に基づき、全17話中14話分を新訳したものである(完訳ではない事情も含め、詳細は訳者あとがきと解説を参照)。

いかにして世界は助かったか(1964)建造師トルルルはあるとき、Nで始まるものなら何でも作れる機械を作った。しかし〈無し〉を作ることを命じた結果恐ろしい現象が。
トルルルの機械(1964)トルルルはあるとき、9階建ての思考機械を造った。ところが2掛ける2を問うと「7!」と答えるのだ。さんざん再調整しても直らない。
大いなる殴打(1964)建造師クラパウツィウスの元に〈望みをかなえる機械〉がやってくる。何でもできるのならトルルルを造れと命じると。
トルルルとクラパウツィウスの七つの旅(1965)
 探検旅行その一、あるいはガルガンツィヤンの罠:ある惑星は2つの国に分かれ対立していた。クラパウツィウスは、プラグでつながり合って1つになる軍隊を提唱する。
 探検旅行その一A、あるいはトルルルの電遊詩人:トルルルは詩を書く機械を造る。ただ、その機械をプログラムするためには宇宙のカオスから始める必要があった。
 探検旅行その二、あるいはムジヒウス王のオファー:仕事を求める広告を出した建造師のもとに、ある君主からこれまでになく凶暴な狩猟の獲物を造れとの依頼が来る。
 探検旅行その三、あるいは確率の竜:存在しない竜でも、確率増幅器を使う竜トロンで実在化が可能になる。それが悪用されているという噂が流れる。
 探検旅行その四、あるいは、トルルルがパンタークティク王子を愛の苦悩から救わんがため、いかにオンナトロンを使用したか、そしてその後いかに子供砲を使うようになったか:今回の依頼は、隣国の王女に恋した王子をいかにして救済するかだった。
 探検旅行その五、あるいはバレリヨン王のおふざけについて:ふざけるのが大好きな王はかくれんぼの究極の隠れ場所を2人に求める。それはあるものを交換する方法だった。
 探検旅行その五A、あるいはトルルルの助言:綱目族の星に何かが降りたって動かない。何をしても効果がなかった。そこで通りすがりのトルルルに助けを求めるが。
 探検旅行その六、あるいは、トルルルとクラパウツィウス、第二種悪魔を作りて盗賊大面を打ち破りし事:盗賊に捕まった2人は解放の代償に第二種悪魔を建造する。
 探検旅行その七、あるいは、己の完璧さがいかにしてトルルルを悪へと導いたか:追放君主のために箱庭の王国を贈ったトルルルはクラパウツィウスから非難される。
ゲニアロン王の三つの物語る機械のおとぎ話(1965)退位した王に3台の機械が提供される。機械は次々と物語を語る。群衆が地表を覆う惑星で王の「顧問」との駆け引き、何ものかを虐待する4人組の根拠、過剰な幸福に沈む世界、自分で自分を夢見る夢……。
ツィフラーニョの教育(1967)トルルルが後継者ツイフラネクに教育をする。そこに隕石が落下、中からは打楽器奏者とアンドロイドが現れ、自身の出自を語り始める。

 これらは〈永久全能免許状〉を持つロボット建造師トルルルとクラパウツィウスが活躍する連作で、多少の関連はあるものの大半は独立した作品である。このうち〈トルルルとクラパウツィウスの七つの旅〉が『宇宙創世記ロボットの旅』に相当する。「ゲニアロン王の三つの物語る機械のおとぎ話」は中編で、3つの機械の物語の中で、さらに別の物語が多層的に重なり合う入れ子構造を取っている。「ツィフラーニョの教育」も同様の中編だが、執拗に描写される〈天球のハーモニー〉や〈種球〉の奇怪なありさまは恐ろしさすら感じさせる。最後の2作品だけで全頁の半分を占める。

 本書の読みどころとしては、ポーランド語の特徴を駆使した言葉遊び、隠喩、文体実験があり、さらにそれを日本語化した翻訳者の(超絶技巧的な)工夫があるだろう。どういう方針だったかは訳者あとがきに詳しいのでここでは触れないが、「ツィフラーニョの教育」などでの複数ページにわたる言葉の氾濫には圧倒される。いまの日本でいうなら、円城塔や飛浩隆、酉島伝法らに見られる特異な単語の組み合わせによる駄洒落、架空の概念の構築に近い言語遊戯的試みといえる。

 さらに、物語の中では独裁者や非効率な官僚体制などが描かれ、これらは当時の社会主義体制への隠れた批判となっているようだ。本書のロボットは源流のサイバネティクスに基づくものだが、VRやAIに関する先見性なども指摘されている。生成AIは人間のデータを(膨大に)読み込み、そのパターンから出力(会話やレポート)を産み出している。レムが書いたのはそういう予見なのだろうか。しかし、計算パワーに頼る現状のAIは数年後にはおそらく陳腐化している。日々変わるテクノロジーの宿命である。それでも、レムの知性に対する洞察力はより哲学的であり、テクノロジーよりも普遍性があると思われる。レムの発想は古びては見えないだろう。

ナオミ・オルダーマン『未来』河出書房新社

The Future,2023(安原和見訳)

装丁:大倉真一郎
装画(キャラクター):くるみつ

 著者マーガレット・アトウッドに師事した英国の作家で、ゲームライター、BBCラジオ科学番組のプレゼンターなど多彩な仕事をこなす才人だ。先に出た『パワー』(2016)は、ベイズリー賞(現在の女性小説賞Women’s Prize for Fiction)を受賞し、世界的なベストセラーになりドラマ化もされた。本書は、(GAFAのような)テック企業の覇者たちがたくらむ「未来」に、一人の(ユーチューバーのような)動画配信者が関与していくという物語である。なお、表紙のウサギとキツネのキャラは農耕民と遊牧民を象徴したもの(何のことかは本書で)。

 ソーシャル・ネットワーク企業のCEOは、瞑想中に緊急の警告メッセージを受ける。同じころ物流大手のCEOや、パーソナル・コンピュータ企業のCEOにも同様の通知が届く。それは、世界の終末が到来することを告げていた。始まりは数ヶ月前、シンガポールでのイベント中に、サバイバルを専門とする人気配信者が正体不明の暗殺者に追跡される事件からだった。

 群像劇だがメインの主人公は香港系英国人の配信者で、パーティで知り合ったSNS企業の秘書と関係を持ち(どちらも女性)幹部たちと接近する。FacebookやTwitter(X)、Amazon、Appleなどのいわゆるテック系世界企業がモデル(『透明都市』を参照)である。設定は出版された2年前のテック勢力図を反映していて、AI(AUGR=オーグル)は出てくるものの主役ではない。

 ビッグテックも、もともとはベンチャー企業だった。創業メンバーには自社株が割り当てられ、株価が高騰した結果(雇われCEOなどとは比較にならない)巨万の富が得られたのだ。ただ、彼らの関心は自分たちの肥大化にあり、富を世界の救済に使おうとは思っていない。本書に出てくる富豪たちはさらに矛盾に満ちており、世界の絶滅を恐れ少数の仲間だけの生き残りを画策する。大部の物語だが、意外な結末まで二転三転しながらも一気に読み進められる。

 2025年になって、テック企業の非倫理性や権力への追従(対象が本書で描かれた中国ではなく、母国アメリカなのは皮肉なことだが、要するに強い権力であれば誰でもよいのだ)はより顕著になった。そのため、ここに提示された地球環境的な「未来」(その是非はともかく)を実現する推進力は弱まってしまった。日々変わる状況に合わせて課題を整理し、アップデートしていく責任はむしろ読者の側に委ねられている。

チャールズ・ウィリアムズ『ライオンの場所』国書刊行会

The Place of the Lion,1931(横山茂雄訳)

装幀:山田英春
装画:Hortus Sanitatis,1491より

 《ドーキー・アーカイヴ》の9作目(全10巻)。著者チャールズ・ウィリアムズは、C・S・ルイスやトールキンらのグループ〈インクリングズ〉に関わった重要な作家である。特にルイスの『かの忌わしき砦』や《ナルニア国物語》などに影響を与えたようだ(訳者解説)。しかし、既訳が半世紀前に翻訳された『万霊節の夜』(1945)のみの日本では、これまでほとんど知られてこなかった(『天界の戦い』(1930)が本書とほぼ同時に翻訳されたので、にわかに注目が集まっているのかも)。この作品が叢書に選ばれたのには、訳者40年来(京大幻想文学研究会当時から)の思い入れという理由もある。

 ロンドン郊外の田舎町でバスが来るのを待っていた2人の青年は、見世物小屋から一頭の雌ライオンが逃げ出したと聞く。直後、とある邸宅で一人の男が襲われ倒れるのを目撃する。だが、なぜかそのライオンは堂々とした雄なのだった。男に怪我はなかったが、意識は回復せず奇妙な現象が起こるようになる。

 舞台は執筆当時(1930年ごろ)の英国。登場人物は、文芸雑誌の青年編集者とその友人、スコラ哲学者アベラールを研究する女学者、蝶の収集に明け暮れるその父親、意識不明になった男は〈イデア〉の実現についての講演会を主催していたらしく、主張を信奉する複数の男女がいる。彼らは、ライオンだけでなく、巨大な蝶、王冠をいただいた蛇、鷲や馬を目撃するようになり、その力はついに世界へと物理的な影響を及ぼすようになる。動物の群れに見えたものは、プラトンの〈イデア〉なのであり〈本源的形相〉で〈力〉なのだった。

 ウィリアムズはオカルティズムにも造詣が深く〈黄金の暁〉にも所属していたことがある。ただ、本書がオカルトの啓蒙書なのかと言えばそんなことはなく、実際刊行された当時は「神学的スリラー」「形而上学的ショッカー」などと称されていたらしい。スリラーにショッカーなのだから、あくまでもエンタメなのである。とはいえ、本書の中で登場人物たちはキリスト教神学やギリシャ哲学を交えた(予備知識は必要ないものの)衒学的な会話を繰り広げるので、我々がイメージするエンタメ小説とはかなり印象が異なる。

 超自然的な〈力〉といっても、形而下的なクトゥルーなどとは対照的な存在なので、叢書《ドーキー・アーカイヴ》における特異な奇想性によく似合った作品といえる。

眉村卓『傾いた地平線』小学館

装丁:おおうちおさむ 山田彩純(ナノナノグラフィックス)

 本書は1981年に「野性時代」(現在の「小説 野性時代」の前身にあたる)に連載後、同年角川書店から単行本で出版、その後1987年に角川文庫、2012年には出版芸術社の《眉村卓コレクション 異世界編Ⅱ》にも収録された長編小説である。眉村卓自身を投影し、後の「私ファンタジー」のさきがけといえるマイルストーン的な作品だが、長年新刊での入手は困難だった。

 激しい雨の日に放送局に向かっていたSF作家の主人公は、入ったビルがいつもと違うことに気がつく。そこは17年も前に辞めた会社が入っているビルなのだった。自分の服装はラフなものからスーツに替わっており、部下と称する若者に対応を任された来客は、とうに亡くなったはずの旧友だった。

 主人公は作家ではなくなる。年齢相応の役職に就いており、住んでいるのも元の世界では抽選に外れたマンションである。妻子は同じなのにどこか雰囲気が違っている。しかも変異はこれで終わらない。2回目、3回目と次第に変化の度合いは深まり、いつか彼の周囲だけでなく社会全体が見知らぬものへと変貌している。

 今と異なる人生を歩んだらどうだったか。筒井康隆も『夢の木坂分岐点』で作家ではなかったもうひとつの自分を描いているが、作家は自由で型にはまらない反面、本書の第3の人生のように将来を見通せない不安を抱える。主人公の葛藤は著者自身の煩悶でもある。また、次々と転移していく自分と、憑依された異世界の自分との関係(宿主には意志がなくなる)を自問自答するなど、いかにも眉村卓らしい考察が面白い。

 ここに描かれている内容には、著者の実体験が色濃く反映されている。最初の「転移」は執筆当時に番組を持っていたエフエム大阪(肥後橋の朝日新聞ビルにあった)に向かう途上で起こり、勤務していた会社(大阪窯業耐火煉瓦=現ヨータイ)が入居する旧宇治電ビルや、就職後の初任地だった日生の工場(このあたりは『眉村卓の異世界通信』に収められた、堀晃「日生を訪ねて」に詳しい)が登場する。主人公の年齢は執筆当時の著者と同じで、巻き戻る日付10月20日は自身の誕生日である。これはタイムループというより、らせん状に連なる異世界転生だ。生誕をミニマム(2ヶ月)に繰り返しながら、作家眉村卓を再構成する物語なのである。