眉村卓『静かな終末』竹書房

イラスト:まめふく
デザイン:坂野公一(well design)

 日下三蔵編による眉村卓初期ショートショート選集である。デビュー6年目に出版された『ながいながい午睡』(1969)のうち文庫に収められなかった作品28編(下記【I】)と、それ以外にも、著者の単行本または文庫未収録のままだったショートショート作品21編(下記【II】【III】)を加えたものだ。雑誌「丸」収録作など、後にアンソロジイ『SF未来戦記 全艦発進せよ!』(1978)に収められたものも含まれる。著者の初期作品集は、文庫化の際にほとんどがテーマ別に再編集されており、内容が合わない作品が宙に浮くケースが結構あった。

【I】いやな話(1963)深夜のTVから流れ出す声。名優たち(1968)画期的なレジャーの正体。われら人間家族(1968)臓器移植を巡るかけひき。廃墟を見ました(1967)タイムマシン発明者の見たもの。大当り(1968)大当たりの景品は月旅行だった。誰か来て(1962)古びた部屋で誰かを待つわたし。行かないでくれ(1968)久しぶりに出会った友人の様子がおかしい。応待マナー(-)応対技術を促成で取得しようとする主人公。ムダを消せ!(1965)あらゆるムダを削減した会社の顛末。委託訓練(-)新入社員の訓練を外部委託したら。面接テスト(1968)面接を受けようとする男がトラブルに巻き込まれる。忠実な社員(1968)仕事に忠誠を誓う社員は体をいたわる暇もない。特権(1965)絶え間のない仕事に追われる男の特権とは。夜中の仕事(1968)夜中に帰ってくると妻が何かをしている。のんびりしたい(-)忙しすぎる客のために特注のレジャーが提供される。土星のドライブ(-)土星の輪でドライブしたいと要求する客。家庭管理士頑張る(1967)旧家から家庭管理の仕事を受けた新米管理士の奮闘。自動車強盗(1967)雨の中不審なタクシーに乗った客。ミス新年コンテスト(-)未来のミスコンで暴かれる真実。物質複製機(1968)画期的な発明品の秘密。獲物(1962)満員電車の中で一人の男が女にまとわりつく。はねられた男(1968)暴走車にはねられた男が気がつくと。落武者(1968)燃えさかる城の前で落ち武者は百姓に追われる。安物買い(1967)格安月旅行の中身。よくある話(1968)棄てた男から贈られた宝飾品。動機(1968)莫大な財産を持つ政治家の生活は質素に見えた。酔っちゃいなかった(1961)加速剤を使って犯罪をもくろんだ男。晩秋(1962)懐かしい校庭の思い出から得たものとは。怨霊地帯(1967)アフリカに侵攻した国連軍が遭遇する恐怖。

【II】敵は地球だ(1966)月が世界連合に反乱を起こす。虚空の花(1966)人工頭脳が統御する戦闘艦の中では艦長ただ一人が決定を下せる。最初の戦闘(1966)自分の分身を駆使して敵基地を叩く要員。最後の火星基地(1966)科学エリートが築いた火星基地に最後の攻撃が下される。防衛戦闘員(1967)ロボットと見まごうほど改造された兵士。最終作戦(1967)恐ろしい敵に蹂躙される地球で究極の決定がなされようとする。敵と味方と(1968)意識をコントロールする兵器に市民たちは疑心暗鬼となる。

【III】すれ違い(1961)太陽に引き込まれるロケットがみたもの。古都で(1961)滅びた都にあるひとつの像。雑種(1961)昔は良かったはずとの政策の結果。墓地(1961)奇妙な武器の売り込みが来る。傾斜の中で(1961)戦争を恐れる社長の下で働く技術者。あなたはまだ?(1962)一人の男がどことも知れぬ世界から帰ってくる。静かな終末(1962)今日最終戦争が起こるという噂が拡がる。錆びた温室(1963)あれがやってくるまで時間は残されていない。タイミング(1964)これまでで最高のショーの時間が迫っていた。テレビの人気者・クイズマン(人間百科事典)(1967)人気を誇るクイズ選手権ではプロのクイズマンたちが争っている。100の顔を持つ男・デストロイヤー(破壊者)(1968)秘密裏に個人・組織を問わず相手を失脚させる職業。電話(1969)プライベートな行き先になぜかかかってくる電話。店(1969)その店の店員のふるまいは異様だった。EXPO2000(1970)21世紀の万博は失われたものを回復させる。
 註:(-)とあるのは発表年不詳

 最近翻訳が完結した『フレドリック・ブラウンSF短編全集』で確認すると、日本にも大きな影響を与えた名手ブラウンが、ショートショートを書いた時期は60年代前半までである。眉村卓の本書は、ちょうどその時代とシームレスにつながっている。ただ、いつ起こるかも知れない核戦争の恐怖という、60年代共通の背景を別にすれば、ブラウンと眉村卓では描く世界がまったく異なっている。言葉遊びや洒落、ユーモアを重視するブラウンの作品はある意味で観念的だし、変貌する社会に翻弄される人々に視点を置く眉村卓はよりリアルといえる。

 「怨霊地帯」と【II】に収録された作品は、ミリタリー雑誌「丸」で複数作家による競作で連載された「SF未来戦記」の一部。すべてが戦争物で、多くは宇宙を舞台としている。機械に囲まれた孤独の指揮官・命令者という司政官の原型が表われている。戦闘はどれもが虚無的である。70年代の《司政官シリーズ》に派手な会戦・戦闘シーンがないのは、既にここで描いてしまったからかもしれない。

 【III】には(著者による自筆年譜などによると)同人誌「宇宙塵」の掌編をきっかけに掲載が決まった「ヒッチコックマガジン」の最初期作や、筒井康隆の同人誌「NULL」掲載のやや長めの作品が入っている。デビュー前後のもので、同じく「宇宙塵」に載った後に改稿された「準B級市民」などと違い、執筆当時の原形を保つ貴重な初期作といえる。表現はまだ硬いが、何かに追い詰められている人々の苦闘と、どこか夢を見ているような幻想性が併存しており、それはデビュー後の諸作につながっている。

筒井康隆『ジャックポット』新潮社

装画:筒井伸輔
装幀:新潮社装幀室

 2017年から2021年かけて主に文學界、新潮などで発表した14作品を収めた最新短編集。

漸然山脈(2017)ジャズ「ラ・シュビドゥンドゥン」の曲に乗って、言葉が意味不明、文脈不明のままひたすら書き貫かれる。
コロキタイマイ(2017)35分間の漫才のやりとりの体裁で、「フランス文学/批評が内部から溢れかえる」(掲載誌編集長)作品。言葉の連想が、文脈不明でひたすら書き貫かれる。
白笑疑(2018)人類終末の予感、豪雨や気温上昇に伴う気候変動、迫り来る核戦争、押し寄せる難民。
ダークナイト・ミッドナイト(2018)DJとなった著者(闇の騎士)が、合間にジャズを流しながら、哲学者ハイデカーの思想を交え、死についてえんえんと語り続ける。
蒙霧升降(2018)戦争が終わり、民主主義がホームルームとなって突然現われた。何も知らない者でも、自由に意見をいえるようになったのだが、その行方にはどこか違和感がある。社会やマスコミや大衆の下に蒙昧の霧が降りていく。
ニューシネマ「バブルの塔」(2019)美人のロシア人詐欺師、泥棒とロシア中央銀行から大金をだまし取った私は、仲間に裏切られその金を奪われる。その後も詐欺と殺し合いの応酬のあげく、物語は究極の詐欺的文学を目指す。
レダ(2019)同族企業の老いた会長が若い秘書と歩いている。会社を継ぐはずの息子たちは愚かだった。秘書は新たな息子となる卵を産む。物語にはチェーホフやヘミングウェイや横山隆一らが混ざり込み混沌となる。
南蛮狭隘族(2019)
太平洋戦争で米軍や日本軍が引き起こした野蛮な行為、残虐さを精神の隘路として描き出す。
縁側の人(2020)
縁側に座るいくらか惚けてきた老人が、しゃべる相手が孫なのか誰かも分ないまま詩について語り続ける。
一九五五年二十歳(2020)著者が同志社大学に在学していた二十歳のころ、演劇に入れ込み、映画を見て俳優に憧れる日々。
花魁櫛(2020)
母親が亡くなり、家財整理で唯一残した仏壇から鼈甲の櫛が見つかる。それには思わぬ骨董的な価値があるようだった。
ジャックポット(2020)ハインラインの「大当たりの年」を念頭に、新型コロナ禍の世界で起こるフィクションやノンフィクションを、経時的に描き出したコラージュ作品。
ダンシングオールナイト(2020)ジャズから楽器に興味を持ち、ダンスの修行を経て、フリージャズから山下洋輔のファンとなり、やがて憧れたクラリネットを手に入れる。死ぬまでにダンスをまた踊りたい。
川のほとり(2021)夢の中に亡くなった長男が現われる。長男とは昔のように会話をするのだが、それは自分自身が話していることだと分かっている。

 「漸然山脈」のテーマ曲「ラ・シュビドゥンドゥン」は著者自身が作詞作曲している。「ダンシングオールナイト」でも言及されているが、意図的にでたらめを歌うバップ唱法(ビバップ)に則っている。この曲も、意図的に意味不明となっているのだ。そして作品はというと、ほとんどすべてに著者の言うところの「破茶滅茶朦朧体」が取り入れられている。単語の意味は分かっても、一文の意味は分からない(何らかの引用だったりするが)。しかし、作品全体で読むとリズムがありまとまりを感じる。

 本書の中では「花花魁」がショートショート、私情の濃い「川のほとり」がさらに短い掌編で、トラディショナルな文体で書かれている。「漸然山脈」「コロキタイマイ」は朦朧文体で書かれた短編、「レダ」「ニューシネマ「バブルの塔」」はその中間的な文体だ。一方「白笑疑」では終末、「ダークナイト・ミッドナイト」では死が、「蒙霧升降」では民主主義、「南蛮狭隘族」では戦争、「縁側の人」では詩、「ジャックポット」ではコロナ禍が、それぞれの特定のテーマとして取り入れられている。これらは著者の批評精神が発露されたものだろう。「一九五五年二十歳」と「ダンシングオールナイト」は(もともとの依頼に基づく)自伝的な要素が強い。

 筒井康隆はいまでもSF作家を名乗っているが、1970年代にはもはやSF専門ではなくなっている。いまでは純文学の最前衛に位置するわけで、幅広いファンに支えられている。本書を読んでも、まだ果ては見えない。

我妻俊樹/円城塔/大前粟生/勝山海百合/木下古栗/古谷田奈月/斎藤真理子/西崎憲/乘金顕斗/伴名練/藤野可織/星野智幸/松永美穂/水原涼/宮内悠介/柳原孝敦『kaze no tanbun 移動図書館の子供たち』(柏書房)

ブックデザイン:奥定泰之
カバーイラスト:寺澤智恵子

 《kaze no tanbun》の第2集目。1集目はハードカバーだったのが、今回は新書サイズのソフトカバーに変わった。この方が手に取りやすくて良い。誰が編纂したか本文には記載もなく(西崎憲プロデュース)、著者名が五十音順で帯に並ぶだけの体裁は、惑星と口笛ブックスのアンソロジイなどと同じである。

 古谷田奈月「羽音」人生でただ一度だけ、歌うために生まれてきたのだと信じたことがある。宮内悠介「最後の役」考えごとをしているときなどに、麻雀の役をつぶやく癖がある。我妻俊樹「ダダダ」ヒッチハイクでここまで来れたのは上出来だった。斎藤真理子「あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず」あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず。伴名練「墓師たち」墓師が来ても戸を開けてはならぬと父に教えられたのに、言いつけを破ってしまった。木下古栗「扶養」もう何年も前の話になる。大前粟生「呪い21選──特大荷物スペースつき座席」人のかたちをした穴が町のそこかしこにある。水原涼「小罎」村の灯はまだ遠い。星野智幸「おぼえ屋ふねす続々々々々」子どもたちの名前は「ふねす」。柳原孝敦「高倉の書庫/砂の図書館」島尾ミホは加計呂麻島での少女時代を回想し、「いろいろな旅人たち」が「渡ってきては去って」行ったことを記録している。勝山海百合「チョコラテ・ベルガ」年若い住み込み弟子の黄紅は、師匠が留守でもいつものように夜明けまえに起きた。乘金顕斗「ケンちゃん」私たちがかつて子供たちであった頃(文章が一段落分、切れ目なく続く)斎藤真理子「はんかちをもたずにでんしゃにのる」はんかちをもたずに/でんしゃにのる(詩)藤野可織「人から聞いた白の話3つ」私服の制服化、というのが流行っている。西崎憲「胡椒の舟」東都が水の都であることは誰もが知っている。松永美穂「亡命シミュレーション、もしくは国境を越える子どもたち」大きい荷物はもうチェックインした。円城塔「固体状態」物理学というものはときに不思議な文章を生み出すことがあり、たとえばそれはこういうものだ。

 上記は、各文の冒頭一文だけを引用している。意味があるかどうかはともかく、書き出しを並べるだけでも雰囲気が(なんとなく)分かるだろう。自身の体験に基づく(のかもしれない)エッセイ風ノンフィクション風だったり、ホラー、SF、ファンタジイ風のものだったり、それらが混ざり合っていたり、テーマのない「短文」なので内容はさまざまだ。

 16作家17作品、目次は最後に押し込められており、順不同のようにも読める。1作品の平均15ページ(原稿用紙にして20枚前後)、読み飛ばせばあっという間だが、気分に合わせて少しずつ読むのに適している。全体を通して、子どもたちのお話が多い。子ども時代の記憶、子どもたちの運命。あるいは青年や少女だった若い頃のできごとなどなど。

酉島伝法『るん(笑)』集英社

装幀:松田行正
表紙図版:Spiderplay/Getty Images

 昨年11月に出た本。「群像」と「小説すばる」に掲載された3つの中編からなる連作集である。SF以外の(人間を主人公とした)単行本は初めてなのだが、著者の場合ほとんど印象が変わらないのが特徴かも知れない。「普通の人間の書き方がわからなくなっていて、二本足でどう歩くのかを確かめるようにして書いた」とある(エッセイ「千の羽根をもつ生き物」)。

 三十八度通り(2015):結婚式場に勤める主人公は、38度の熱を帯びるようになった。夢の中で北極点から南極点へと、緯度を下りながら歩き続けている。
 千羽びらき(2017):女は全身が蟠(わだかま)る病に苦しんでいる。しかし民間療法「るん(笑)」により治療ができるという。
 猫の舌と宇宙耳(2020):この世界では猫が排斥されている。子どもたちは立ち入りを禁止されている地図にない山で、猫を探そうとする。

 「三十八度通り」の主人公の妻には病にかかった母親がいて、その物語が「千羽びらき」になる。そして、妻の幼い甥の物語が「猫の舌と宇宙耳」である。親類縁者たちの物語なのである。舞台となる世界は、迷信や疑似科学的な法則により支配されている。町には全長15キロにも及ぶ巨大な龍が横たわり、人々は贄(にえ)とよばれる捧げ物を毎日投げ落として運気を高めようとする。薬はいかがわしいものであり、場末のヤクザイシから買わなければならない。民間療法は公的な医療行為を超越し、猫はなぜか忌み嫌われている。

 エッセイ中でも書かれているのだが、著者の作品のベースには実体験=現実がある。デビュー作「皆勤の徒」では特殊な造語を駆使することで、現実世界がほぼ隠蔽されていた。本書で描かれる別の常識に支配された日常も、実社会とはだいぶ異なるように見える。しかしフェイクや疑似科学に溢れる今現在と、たいした違いはないともいえる。著者自身が違和感を抱いてきた「すこし角度を変えて見た現実社会そのもの」なのである。

久永実木彦『七十四秒の旋律と孤独』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:最上さちこ
装幀:長﨑稜(next door design)

 第8回創元SF新人賞を受賞した標題作を含む連作集。著者初の単行本でもある。なお、久永実木彦はWebラジオのパーソナリティ(視聴するには会員登録が必要だが、東京創元社のyoutubeチャンネルでも聞ける)を務めていて、なかなか流暢な語りでしゃべっている。

 七十四秒の旋律と孤独(2017)宇宙空間に適合した朱鷺型人工知性マ・フは、その能力を使って宇宙船の警護に就いている。
 一万年の午後(2018)惑星Hで調査の任務に就く8体のマ・フたちは、環境への変更を一切加えず観測だけに徹していたが、あるきっかけにより干渉を余儀なくされる。
 口風琴(2019)失われていたはずのヒトが蘇った。ヒトは口風琴を使いふしぎな音楽を奏でる。マ・フたちはその指導に従い生き方を変えていこうとする。
 恵まれ号I・恵まれ号II(書下ろし)ヒトは次々と復活し村を築くまでになる。やがて、古い宇宙船の所有権を巡って、不穏な動きが見られるようになる。
 巡礼の終わりに(書下ろし)さらに長い歳月が経過し、ヒトたちは逆にマ・フを崇めるようになっている。そんな村にマ・フの助けが必要な事件が発生する。

 表題作のみが独立した短編で、主人公であるマ・フの登場編になっている。それ以外の5作品は、惑星Hを舞台とした《マ・フ クロニクル》という連作である。マ・フとは人型のロボットを指す。しかし、この物語はいまどきのAI:人工知能をテーマとしたものではない。それぞれが個性を持ち、ストイックながら人間的な感情を有しているからだ。AIのような万能感はなく、無垢な子どものような存在ともいえる。それでいて、1万年の繰り返し作業に耐える精神的な堅牢さがある。

 人間をご主人様と慕うけなげなロボットたちというと、トマス・M・ディッシュの『いさましいちびのトースター』(1980)を思い出す。本書はそこまで童話的なお話ではないが、マ・フが抱く失われた人類への郷愁には、リアルというより寓話的なアイロニーが感じられる。しかしヒトはご主人様にはならない。やがて、立場の変化がクロニクルの中で明らかになっていく。

牧野修『万博聖戦』早川書房

カバーイラスト:佳嶋
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 牧野修の書下ろし長編。本書は、初の連載小説だった『傀儡后』(2002)、SF大賞特別賞『月世界小説』(2015)でも描かれた1970年代が重要なキーとなる作品であり、全体を通して異形の20世紀三部作とでもいえる内容だろう。

 著者はインタビューの中で「どの作品もどこか重なりあって同じ旋律を繰り返しているような気がします。その結果が『万博聖戦』で、集大成というよりは、中央にある私の伝えたい核にだいぶ近づいているような気はします」(SFマガジン2020年12月号)と述べている。

 中学生になったばかりのシトには友人がいなかった。しかし、級友のサドルが唐突に話しかけてきたことをきっかけに、隠された秘密を知ることになる。彼は、オトナ人間とコドモ反乱軍が戦うテレビ漫画の話をするのだが、その戦いは現実にも行われているというのだ。

 物語は1970年に開かれた大阪万博の1年前から始まる。そこはわれわれが知っている(と思っていた)過去とは少し違う世界だ。オトナ人間はインベーダーに憑依された操り人形で、秩序と論理で日本人すべてを支配下に置こうとしている。対するコドモたちは、無責任な自由とでたらめによって対抗する。非力なようでも、彼らには異次元世界に棲む(子供じみた)援軍、少女将校ガウリーらの乗り組む超弩級巡洋艦がいる。その戦いの焦点こそが万博会場にあるのだ。後半舞台は一転し、われわれの見知らぬ2037年に移る。子どもたちはもはや大人で、かつて使えた特殊能力は失われている。しかも、オトナ人間たちは再び侵攻しようと力を蓄えている。

 著者の小説には、だれも見たことのない異形のものが登場する。ホラーではそれがゾンビや電波系怪人の姿をしており、SFではアニメや特撮ドラマのヒーロー、あるいは抽象化された概念的怪物であったりするが、本質的には同じものなのだろう。本書ではオトナ対コドモという対立軸が描かれる。しかし、前半と後半でその正義の意味が反転する。1970年代や大阪万博という繁栄の時代を、50年後に復活させようとする呪術(フィクション)を、虚構(フィクション)の中で問い直す意味もある(前掲インタビュー参照)。また、表現規制派(オトナ)対自由派(コドモ)、規律(オトナ)対放任(コドモ)という現代的な社会問題すら内包する奥深さが面白みを増している。

竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』/十三不塔『ヴィンダウス・エンジン』早川書房

カバーイラスト:ttl
カバーデザイン:アフターグロウ
カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 第8回ハヤカワSFコンテストは大賞受賞作がなく、2作品が優秀賞同時受賞となった。竹田人造は1990年生まれ、第9回創元SF短編賞で新井素子賞を獲った短編を全面改稿し長編化したものという。一方の十三不塔(麻雀の役名から採られたペンネーム?)は1977年生まれ、過去に中国に住んでいたことがあり(当時のルームメイトの名が主人公に使われている)、四川省成都が舞台で日本人の登場しない物語にその体験が生きたようだ。

 人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル:親の借金絡みでヤクザとのもめ事に巻き込まれた主人公は、たまたま口にした専門知識が幸いして、ある犯罪に協力することを条件に助命される。だが、それは監視カメラ網でがんじがらめに管理された首都圏で、装甲現金輸送車を襲うという破天荒な計画だった。

 主人公はAI技術者。先端企業に勤めていたが傲慢な上司と折り合えず退職、そのあと人生を転がり落ちる。しかしハイテクおたくだったヤクザの一人に見いだされ、しぶしぶ犯罪に加担する。巻末の参考文献でも匂わせているが、本書でのAIは「人間を超越した知能」を持つ存在ではなく、パターン認識を使って「直感的な推論」をする現実的なシステムだ。だから、特有のテクニックで騙すことができる。そのだまし合いがリアルに描かれている。

 審査講評(東浩紀、小川一水、神林長平、編集長)を読むと、エンタメ作品を書ける即戦力として評価が高い反面、物語としての意外性がない、結末が不十分、(リアルな現実を越える)視点が必要との意見が出て大賞には至らなかった。昨年のアガサ賞で藤田宣永(故人)が、SFコンテストではエンタメだけの作品は通らないと述べていたが、本書もSFコアな要素が不十分なのだろう。

 ヴィンダウス・エンジン:主人公は韓国人、動きのないものが認識できなくなる難病ヴィンダウス症に苦しむ主人公は、主治医だった香港の医師から誘われ、中国成都の研究施設を訪れる。成都は都市機能AIに制御されている。そこで、都市の管理を担うヴィンダウス・エンジンとなるよう要請されるのだ。

 主人公、主治医、都市の有力者、インド人の科学者、成都で密かに生きるヴィンダウス症の人々と人物は多彩、擬人化された都市AI(複数)も中国語でネーミングされて登場する。こちらのAIは(アニメや映画でおなじみの)スーパーヒーロー的な存在で、超常バトルもまたそれらしい。ヴィンダウス症が生み出すものの謎を追う物語でもあるだろう。

 本作のテーマは壮大で、その点は最終候補作の中でも高評価だった。しかし、人物の描きわけや(読み進める上での)論理的な記述に対して、客観状況説明がほとんどない、論理の連鎖もやや危うい、主人公の造形に特徴がない、テーマが無理やりキャラクターを動かしていると、竹田人造とは逆にエンタメ要素の不足が課題となったようだ。両者のバランスを取るのは、なかなか難しいと感じられる。とはいえ、大賞2作品にはそれぞれ読みどころがあり(一般読者的には)十分楽しめる。

高山羽根子『暗闇にレンズ』東京創元社

装丁:鈴木久美
装画:河井いづみ

 9月に出た本。第163回芥川賞作家である高山羽根子の、700枚余と(著者の既作品と比して)大部の初長編である。博物館に飾られていたレンズ付きの測量器が、兵器にも見えたことにインスピレーションを受け、長期にわたって構想が練られた作品であるという。標題「暗闇にレンズ」とは、闇に潜んだ箱の中から(レンズによって)撮影されたある凄惨な事件のことを指す。

 東京に住む女子高生の主人公は、変わり者の友人とカジュアルに街を撮影する。街には、さまざまなものに擬態した監視カメラが溢れていた。そして19世紀の日本、横浜港に名物の女主人が営む賑やかな娼館があった。女主人には娘がいたが、奔放に育つ中で写真、活動写真に興味を抱くようになる。

 物語には大まかに2つの流れがある。1つは現代パート、女子高生である主人公と友人が、自分たちの周囲を携帯端末で撮影しながら、やがて過去を知っていく物語。もう1つは百数十年前に遡る、主人公の母や祖母曾祖母たちの物語だ。これらは無表記のSide Aと、混沌としたSide Bに別れている。Side Bでは、年号が記された女たちの年代記(後半は年号すら書かれなくなる)と、「レポート」とある映像兵器に絡んだエピソード(さまざまな時代と場所)、標題のみが付けられた戦争ホラー風の小品が続く。レポートや小品は、メインの物語とは直接結びつかないが、こういう錯綜した雰囲気がいかにも高山羽根子だろう。

 娼館を仕切った女主人のときゑ、その娘照(てる)はパリにある黎明期の映画スタジオに勤める。未知江は娼妓の子で照の養子となり、戦前の記録映画の世界で活躍する。物語の中では、映画は大衆を操作する宣伝媒体だけではなく、物理的な影響をも与えうる兵器となっている。未知江の娘ひかりは、戦後のアメリカでアニメの仕事を経験し、最後は戦時下のサイゴンでルミと出会う。ルミはひかりの兄の子どもだ。成長したルミは、いまも世界を飛び回って、終わりなき戦争の撮影を続けている。ルミの娘が主人公、つまり6世代にわたる物語なのである。

 本書の女たちは、いわゆる大家族的な「一族」ではない。戸籍上は家族かも知れないが、同じところに住んだわけでもなく、世界を彷徨うノーマッド、放浪者たちなのだ。家父長などどこにもおらず、男たちは補助的に登場するものの存在感が薄い。その背景にレンズがある。世界を見る眼と、世界を支配する映像の力が示唆される。主人公はその力の意味を最後に知ることになる。

北野勇作『100文字SF』早川書房

カバーデザイン:早川書房デザイン室

 著者がtwitter上で公開している「ほぼ百字小説」は、11月7日現在2670余話に達している。本書は、そこからSF風味の作品200話を精選した作品集である。刊行は6月、昨年段階で『じわじわ気になる(ほぼ)百字の小説』既刊3冊(390話を収録)が出ており、一部重複するが同じではない。

 昨日へ行くお買いもの、楽器に再生される人間、火星に導かれて帰宅、巨大化する人、空を舞う洗濯機、千年前の海岸、世界の上限、いざというときの抜け穴、水筒の中にいる何か、金属の塔、溺死した妖精、近所の猿、海岸の神様、ずり落ちる商店街、生きた恐竜、一種のヘルメット、と続く。これだけでもまだ10分の1に足らず。

 北野勇作は短編小説、特に短いものの天才だ。最近では、800字以内で書く第2回大阪てのひら怪談(2017)や、原稿用紙6枚以内の第1回ブンゲイファイトクラブ(2019)で受賞しているのだが、こういう短い作品を安定したレベルで維持し続けるのは難しい。単調になったり、持続できず出来が大きくばらついたりする。本書の作品の場合、文字数以外での形は定まっていない。短い文が5つ続くこともあれば、1つの文章だけというものもある。起承転結があるものも、起のあとにいきなり結がくるものもある。日常から始まってSFになり、SFから始まって日常に落ちる。抽象的概念的なものがあるかと思うと、妙に具象的なものがある。哲学、寓話、日記風、エッセイ風のものまである。

 短い小説というと掌編、ショートショートが思い浮かぶが、長さによってさまざまな呼び名がある。 英語版Wikiによると、6語ストーリー、280字ストーリー(英語版twitter小説)、ドリブル (ミニサーガ、50語)、ドラブル(マイクロフィクション、100語)、サドゥン・フィクション(750語)、フラッシュ・フィクション (1000語)、マイクロ・ストーリーなどだ。一部は『超短編小説70 Sudden Fiction』で過去に紹介されている。日本語で換算すると、それぞれの語数を2~3倍した文字数に相当する。日本でも最近「四文転結」という形式が提唱されている。4つの文だけで小説にしてしまうという試みだ。本書はtwitter小説に分類されるのだろうが、膨大な量と類型に陥らない多彩さがあり、上記形式に囚われない広がりを感じる。

 著者も述べている通り、これらの作品は朗読に向いている。短いので目で追うとお話を見失うが、声で聞けば腑に落ちるのだ。変化の早さに人の理解が追いついていけない現代の風潮とも符合する。一瞬立ち止まって、じっくり聴くのも良いと思う。超短編にはそういう効用もある。

山田宗樹『SIGNAL シグナル』角川書店

イラスト:みっちぇ(亡霊工房)
デザイン:須田杏菜

 山田宗樹による書下ろし長編。本格SFのアイデアをより身近な設定で語り直してきた著者だが、今回はインタビュー記事の中で「(地球外知的生命体との出会いについて)できるだけリアルな世界を描きたかった」と述べている。

 正確な周期で繰り返される宇宙からの信号が検出される。それは三百万光年の彼方にあるM33星雲からと判明するが、素数が含まれる人工的な信号である以外、どういう情報が送られてきたかが不明だった。謎のままでは、世間の関心はまたたく間に薄れてしまう。その状況に焦りを感じた中学生の主人公は、深い議論ができる一貫校高校部の先輩と話し合う。17年後、サイエンスライターとなった主人公は、日本のグループが信号の内容を解読したとする記者発表に立ち会う。

 メシエが分類した100余の星のカタログのうち、約半分が銀河系外星雲である。その中では、M33(NGC598)はアンドロメダ星雲(M31)の近くに見える比較的小型の星雲だが、地球からの絶対的な距離はM31より遠い。なぜこんな遠方からの信号なのかは、物語の中で説明される。本書は第1部と第2部に別れ、第1部では主人公の中学生時代を、第2部では科学者となった先輩らとともに、謎を解き明かそうとする過程が描かれる。一方、その声を直接聞くことができる人々、レセプター(受容体)が現われる。映画「未知との遭遇」で宇宙人の声を聞く人々のようだ。その声は言語的というより、映像的暗示的なものなのである。

 宇宙人の信号が地球に届き……というSFは数知れないが、これについては過去に評者がレム『天の声』の解説で書いたので参照していただきたい。一般読者向けに書かれた本書の場合、そういった哲学的、科学的な議論には深入りせず、あらましまでで抑えられている。現在の日本を舞台とし、天文ロマンに憧れた僕(少年)と、声を幻視するもう一人の主人公私(レセプター)の、平行する出会いの物語とした点が面白い。コンタクトものなので必然的にそうなるのだが、別解釈の《三体》と言えるくらい同作と呼応する部分が多いのも注目点だろう。