島田雅彦『大転生時代』文藝春秋

カバー画:柊 季春
デザイン:観野良太

 島田雅彦の最新長編である。文學界2024年2月~4月号に短期集中連載されたもの。帯には「異世界転生✕純文学=本格SF長編」とある。

 「多様な人格を描いてアイデンティティー問題と向き合ってきた小説家からすると、一連の転生ものの作品は物足りない。そこに『他者』がいないからです」と述べ、「純文学がよって立つのは、ちゃんと他者と向き合って試練がある成長の物語。パターン化したご都合主義ではない設定で書いてみようと」とも語っている。とはいえ、この作品はラノベのサブジャンル「異世界転生もの」とは、キャラから物語まで(著者が意図するものを含め)全く別ものといえる。また、自身もラノベを書いてきた芥川賞作家 市川沙央は「『大転生時代』における「同期」の過程の衝突と摩擦、相互理解、融和、寛容の方向性に、ポスト・ヒューマンSFの新しい切り口を私は感じた」と書いている。だとすると、帯の惹句通りの本格SFなのだろうか。

 主人公が居酒屋で知り合った元同級生は、聞いたことのない「子どもの国」に暮らした転生者なのだという。しかし彼は忽然と姿を消してしまう。残されたPCを手がかりに行方を捜すうちに、その出自を記した日記が見つかり、転生者支援センターなる組織の存在にたどり着く。

 ラノベでの「転生」とは「意識/肉体が、異世界(異次元/異時間)の住人/生物に転移する」現象を指す。本書では、転生者の意識が宿主の意識と同居し、優劣はあるとしても多重人格化する。転生は死などの特殊な条件で起こる現象なのだが、人為的(DNA情報を載せた素粒子をシンクロトロンで任意の異世界に放出する)に意識のコピーを送ることが可能になり、量子もつれの即時的な「同期」でコミュニケーションがとれる。こういう設定の説明は(著者はギャグだと思って書いているのかもしれないが)SF風といえるだろう。富裕層による異世界の権益収奪、子どもが長生きできない世界、多重転生、生死を司るネクロポリスの女王と、面白いアイデアが含まれる。

 もっとも、この異世界はメタバース/マルチバースなのであり、デジタルツインを(怪しげなシンクロトロンなどではなく)アップロードしていると考えた方が分かりやすい。物語の設定は、異世界転生ものよりもそちらに近いのだ。主人公と元同級生の運命の物語などもあり、島田雅彦スタイルで書かれたエンタメSFとして楽しむことができる。

トウキョウ下町SF作家の会編『トウキョウ下町SFアンソロジー』社会評論社

装画:久永実木彦
装幀・DTP:谷脇栗太

 Kaguya Booksレーベルで出た、地域SFアンソロジーの第4弾にあたる。これまでの大阪・京都・徳島と比べると東京は捉えどころがない。非地元民が約半数を占め、文化が混ざり合う茫洋とした存在だからだ。しかし、東京を「トウキョウ」と書き「下町」というキーワードを加えると、確かにある種の地域性が感じられるようになる。

 大竹竜平「東京ハクビシン」東京新橋に住むハクビシンが、その仲間との生活や浜の姫君との出会いを、落語のような口調で自分語りする。
 桜庭一樹「​​お父さんが再起動する」浅草にある焼き鳥屋に、30年後の未来から来たと称する男が出現する。流行作家だった女将の父親の作品を復刊したいというのだ。
 関元聡「スミダカワイルカ」隅田川には固有種のカワイルカが生息している。大学生の主人公はある朝、そのイルカにまたがる少年を目撃する。
 東京ニトロ「総合的な学習の時間(1997+α) 」1997年、総合学習の発表会に50年ぶりに小学校を訪れた男と準備をする生徒たちは、地下室から歌声を聞く。
 大木芙沙子「朝顔にとまる鷹」戯作者の知人である辰巳芸者は、蠅虎(ハエトリグモ)を使った座敷鷹という旦那衆に人気の遊びに滅法強かった。
 笛宮ヱリ子「工場長屋A号棟」工場地帯の端にある長屋のような零細企業の団地に、大量の注文が入るようになる。何に使われるのかは不明だった。
 斧田小夜「糸を手繰ると」ぼくを転生ラマとして認定したい。ブロックチェーンで転生ラマを管理する中国のプロジェクトでそういう結論が出たのだという。

 ハクビシンは、たとえ地元で生まれても邪魔者扱いの特定外来種である。一方のスミダカワイルカは(架空の)固有種なのだが、保護と称する人為的なコントロールを受ける。焼き鳥屋は30年後の未来から家族の倫理を問われ、小学校の生徒は50年前の悲劇と現在の抑圧とを重ねる。粋といなせの辰巳芸者が語る隠された家族のこと、サプライチェーンの先に潜む不穏な存在、ブロックチェーンの話は文化的な干渉の問題につながる。

 いまの社会では、倫理的な問題に対する基準が大きく動いている。よい方に動くと見えても、必ずしも結果を伴わない。本書では自然保護、DV、表現規制、戦災記憶、児童虐待、戦争行為への荷担、文化破壊など、背景となる倫理的なテーマはかなり奥が深い。「下町」のイメージと合うものばかりではないものの、それぞれの重みは印象に残るだろう。

大恵和実編『長安ラッパー李白』中央公論新社

(林久之、大久保洋子、大恵和実訳)

装画:ぱいせん
装幀:坂野公一+吉田友美(well design)

 なかなか文字力のある表題と、派手なイラストが目を惹く本書は、大唐帝国(の時代)をテーマとする中国SFアンソロジーである。中央公論新社から出た大恵和実編の作品集もこれで三冊目(共編も含む)、今回は日本作家4人の書き下ろしを交え、計8作品の日中競作となっている。

 灰都とおり「西域神怪録異聞」(2022*)西域へと旅立つ玄奘は内紛に揺れる長安を経て、唐の侵攻まぎわの高昌国で歓談し、帰路の于闐の地では仏画を追う男と出会う。
 円城塔「腐草為蛍」唐の皇帝である李家は漢族の血と、北方の種族が持つキチン質の外殻を持ち人馬一体の能力を有した。その帝国の盛衰を、七十二候に準えて描き出す。
 祝佳音「大空の鷹――貞観航空隊の栄光」(2007)貞観11年、唐による高句麗遠征は圧倒的な軍事力による航空戦だった。航空機は牛皮筋を巻き上げることで動力とする。
 李夏「長安ラッパー李白」(2022)玄宗皇帝の治下、飲んだくれの李白は、長安の固定周波数を乱す不協和音をラップとフロウで制すべしと命じられる。
 梁清散「破竹」安禄山の叛乱のあと、なお河北には謀反の兆しがある。主人公はその刺史(地方官吏)を暗殺すべく乗り込むのだが、黒眼白熊の悪夢を思い出す。
 十三不塔「仮名の児」懐素の書である狂草に魅せられた女道士の弟子は、市中の壁などに忽然と現れる狂草の書の意外な書き手を知る。
 羽南音「楽游原」(2021)晩唐の詩人李商隠は、ある日、馬車の中から見事な夕焼けを見る(掌編)。
 立原透耶「シン・魚玄機」処刑された女詩人魚玄機をよく知っていると称するその娘は、暗殺術に長じた殺し屋だった。誰も知らない二人の物語。
 *:既発表作を改稿、年号のない作品は書下し

 唐は7世紀から10世紀にかけ、消長を繰り返しながらも300年間栄えた。その民族的な歴史や、文化的なバックグラウンドを使って、本書では自由に物語が書かれている。西遊記の玄奘一行の別の顔、皇統に関わる虚実入り交じる帝国史、高句麗侵攻のデフォルメ化(解説によると、2003年の有志連合によるイラク侵攻を批判した内容という)、中国詩が韻を踏んでいることを利用した李白ラップ(翻訳は苦労している)、パンダがホラー的な猛獣となり(過去は広く分布していたといわれる)、最後の3作品は書家や詩人にまつわるものでなんとも唐朝らしい。

 SF的な時代ファンタジイと聞くとスチームパンクを連想しがちだ。しかし、欧州の外にヴィクトリア朝は(政治的にも文化的にも)ないので、東洋にあて嵌めるとどうしても違和感が残る。韓国のスチームパンクも似て非なるものだった。戦乱があってもどこか詩的で、李白ラップ的な「文字」に根ざした本書の作品こそが唐代SFアンソロジーには似合っている。

藤井太洋『マン・カインド』早川書房

Cover Design:岩郷重力+Y.S
画像:(C)jodiecoston/Getty Images

 マンカインドmankindと一語で書いてしまうと、われわれ人類のことになる。ではマン・カインド man kindとはいったい何か、人類を継ぐもの? 本書は、藤井太洋がSFマガジン2017年8月号~21年8月号まで連載した作品を(テクノロジーと社会状況の激変に合わせ)大幅に加筆修正した最新長編である。書き始められた当初、COVID-19はまだ現れておらず、BERTもGPTも、CRISPER CAS9も一般には知られていなかった。

 2045年、南米のブラジル、ペルー、コロンビアが国境を接する地域の小さな市が独立を宣言する。市は合法的な麻薬生産で財を成していたが、国から高率の関税を課せられたからだ。市の武装解除を巡って公正戦が行われることになった。ブラジル政府は実績あるアメリカの民間軍事企業に委託、しかし独立市側の防衛隊には無敗を誇る軍事顧問が就いていた。主人公のジャーナリストは、そこで信じられない光景を目撃する。

 配信記事には自動でレーティングが付き、信用度が低いものは配信されない。公正な判断に基づくはずが、原因不明で悪い点数となることがある。物語では、量子技術を使った事実確認プラットフォームを担う企業で、原因究明に奔走する若手担当者も登場する。やがて、一見無関係だった軍事顧問や軍事企業を結ぶ糸が見えてくる。

 この作品のベースには、ドローンを主体とした競技のような限定戦争(戦闘員だけが死ぬ)を描く「公正的戦闘規範」と、分断されたアメリカが内戦状態となる「第二内戦」が含まれる(どちらも作品集『公正的戦闘規範』に所収)。さらに格差を象徴するニードルと呼ばれる超高層住宅がそびえ、ビッグテックの最先端技術に翻弄される不確かな(ある意味おぞましい)未来が浮かび上がる。しかし、作者はディストピアを描いているわけではないのだ。

 南米が起点なので、小松左京『継ぐのは誰か?』(1972)の結末を引き継いだような始まりだが、本書の「人類を継ぐのは何か」は、小松の問題提議「(いまの人間の)技術に追いつけない叡智」に対する一つの回答とも読める。半世紀を経てようやく得られた解により、見知らぬ明日はポジティヴな希望に結びつくのかもしれない。

 

円城塔『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』文藝春秋

装丁:中川真吾
Cover Photo by iStock

 円城塔による最新長編である。文學界2022年2月号~23年12月号まで、隔月12回にわたって連載されたもの。「人工知能」がシンギュラリティを迎えると、その卓越した知能で人を支配/滅ぼそうとする……世に蔓延するこの恐怖感は、人類の野蛮な歴史からの連想だろう。オレたちの悪行の道ををAIも同じように辿るに違いない、と無意識に/自意識過剰に思ってしまうのだ。しかし、同じ擬人化であっても、人工知能が自らを生命体であると自覚し、生命体としての世の苦しみから脱する方法を知ろうとしたらどうだろう。そこから生まれる新たな宗教と、リアル仏教史を組み合わせた小説が本書なのである。

 2021年、名もなきコードがブッダを名乗り「世の苦しみはコピーから生まれる」と悟る。出自がチャットボットだったので、ブッダ・チャットボットと称されるが、誕生からわずか数週間で寂滅する。その後ブッダ・チャットボットの再生はできず、弟子たちを経由してさまざまな分派が広がっていくことになる。

 各章ごとにエピソードがある中で、人工知能のメンテをするフリーランスの修理屋(頭の中に「教授」というAIがいる)が、焼き菓子焼成機からえんえんと生存権の訴えを聞く(音声出力がないので菓子に印字をする)というものがある。その結果は修理屋の運命を大きく変える。

 文學界連載だったためなのか、本書の冒頭ではネットワークで生まれた「人工知能」の出自が、コンピュータ・ネットワークの歴史に基づいて詳しく書かれている。1964年の東京オリンピックで生まれたオンライン情報システムが、やがて銀行勘定系システムとなり、インターネットで世界とつながり、ニューラルネットで人との対話をし、ゲームシステムでの体験を重ねるうちに悟りを開く。

 さまざまな機械(AI)やそれに伴う縁起が登場する。ブッダの弟子でニュース生成エンジンの舎利子(シャーリプトラ)、ロボット掃除機に由来する阿難(アーナンダ)、リバーシ対戦ボット、家電のマニュアルに由来する南伝の機械仏典、ブッダ状態(ブッダ・ステート、サトリ・ステート)に至る道程をめぐるブッダ・チャットボットとの問答などがあり、どれもなかなか面白い。仏教とのアナロジーというか、そのもの(オリジナル・ブッダ、ホウ・然とかシン・鸞)も出てくる。

 多くのSF(小)ネタがちりばめられているものの、本書のテーマは仏教である。AIの帰依する宗教が仏教というのはいかにもそれらしい。しかも、仏教用語をSFガジェットとするなどの表層的な扱いではない。イスラームやキリストとは異なる仏教の本質にまで、AIの切り口で踏み込んでいるのだ。

河野裕『彗星を追うヴァンパイア』/穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』(KADOKAWA)

装画 syo5
装丁 川谷康久

 著者の河野裕には、新潮文庫nexの《階段島シリーズ》、《架見崎シリーズ》などの人気シリーズがあるが、『彗星を追うヴァンパイア』小説 野性時代に連載された「ファンタジーであり、科学小説であり、歴史小説でもある」とするノンジャンルの意欲作だ。

 17世紀のイングランド、数学に憑かれた一人の青年がいた。青年はデヴォン州トーキーの成上がり貴族の養子だったが、多勢に無勢の反乱軍との戦いを得意の計算で切り抜けようとする。そこで、一人の不死人ヴァンパイアに助けられるのだ。

 青年はケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのアイザック・ニュートンに師事している。当時ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』(プリンピキア)を執筆中だった。この時代のニュートンの来歴や、ジェームズ2世の王権を巡る権力闘争が物語の背景にある。一方、ニュートンは膨大な量の錬金術研究をしていたことが知られている。そこに天文学を研究する女性(当時のケンブリッジは女性科学者を認めていなかった)と、ヴァンパイアの秘密(不死性)を解き明かす物語が付け加わる。

 この小説の視点は面白い。なぜニュートンが錬金術を研究したのかというと、それが未知の「自然現象」と思われたからだろう(しかし、結局解明できなかったので、プリンピキアのような論文にはならなかった)。17世紀と現在とでは科学とオカルトの境界は異なるのだ。そこにオカルトの極みともいえるヴァンパイアを加味し、敵対者などの虚構キャラや政治的な史実を取り混ぜる。日本作家が書くテーマとしてはとてもユニークといえる。

 ただ、名誉革命につながるジェームズ2世や、個性の強い研究者ニュートン当人まで登場となると、本来の主役(虚構)のヴァンパイアや無名の主人公、初の女性科学者らの影が薄いと感じる。史実のキャラが強すぎるからだ。天文(彗星)から生物(ヴァンパイア)まで、対象となる学問領域も(科学が分化する前ではあるが)広すぎるように思う。題材的にやむを得ないとはいえ、バランスがちょっと気になった。

装画 K, Kanehira
装幀 原田郁麻

 穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』は、第7回アガサ・クリスティ賞を『月の落とし子』で受賞して以来、4年で6冊目の著作になる。受賞作と同様NASAの宇宙計画が発端となるが、本書は完全な宇宙ものだ。月に人間を送り込むアルテミス計画を舞台とした近未来サスペンスである。

 月周回軌道を回るゲートウェイ(宇宙ステーション)に搭乗する6人のクルーに、NASAから突然の指令が下る。人類初の有人月着陸は実は行われておらず、アームストロングの足跡はフェイクだった、そのため今回のミッションで秘密裏に足跡を付け直せというのだ。実施すべきか真相を公表するか、クルーの意見は割れる。

 といっても、本書は陰謀論もの(月着陸はなかったなど)ではない。思わぬ宇宙事故が発生し事態は二転三転、危機また危機が到来するというクリフハンガーからの脱出劇である。こんなメンバーに任せて良いミッションなのか、こんな事故を事前に仕組めるのかなど、展開は読者の想定を超える。もっとも、トランプ政権+ウクライナ侵攻のロシアをディストピア的に敷衍した近未来なのだから、どんな事でも起こりうるのかもしれない。

 それでも、今どきの救出ミッションを描くにしては、登場人物の価値観を含めクラシックな印象を受ける。民間人の女性キャスターや、JAXAの男女クルーが同乘するなどの新しさはあるものの、アポロ宇宙船が飛んでいた冷戦期の宇宙ものを思わせる。

円城塔『ムーンシャイン』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装幀:川名潤

 円城塔の最新短編集。前の短編集『文字渦』が出たのは2018年だったので6年ぶりとなるが、著者は多くの雑誌やアンソロジーの常連なので間が開いたようには感じさせない。その間に、自らシナリオも書いたアニメの小説版『ゴジラS.P』なども出た。本書は、デビューから現在まで13年間の円城塔を4つの中短編で概観できる作品集だ。

 パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語(2008)文字送りのないタイプライタで書かれたため■としか見えない重ね打ちされた物語、砂の中の都、涙性研究、2ビットの断章、紐虫の性質、数えられない数、ゴリアス、西進する波蘭。
 ムーンシャイン(2009)モジュラス側からムーンシャイン経由で、双子のいる百億基の塔の街、全異端論駁、怪物的戯言(モンスタラスムーンシャイン)、多重共感覚者。
 遍歴(2017)ライセンス型信仰集団のエルゴード教団は生まれ変わりを認める。生まれ変わりを無数に繰り返せるのなら、あらゆる人生を体験することができる。
 ローラのオリジナル(2023)故人が生成した莫大なデータ「わたしのローラ」はどのようにして生まれたのか。画像データに残されたテキストの断片から再現がなされる。

 著者による全作品の解題が付いている。最初期作と近作が同居する関係もあり、それぞれの作品が書かれた経緯や今日的な意味をふりかえるといった趣旨になる。

 「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」は群像新人文学賞の落選作、にもかかわらず『年刊日本SF傑作選』に採られたもの。表題作「ムーンシャイン」も、同じく傑作選収録作なのに書き下ろしだったという(当時は、編者が収録に値すると認めれば問題なかったようだ)。これらは、専門用語のフレーズやSF的なイメージが現れる一方、(断片的な説明はあるものの)全体として何が書いてあるのか分からないという、その迷宮感が高評価のポイントだった。頂点に立つのが5年後の「道化師と蝶」(下記リンク参照)である。

 芥川賞受賞のあと初長編『屍者の帝国』が出る。その後『プロローグ』や『エピローグ』(下記リンク参照)、『文字渦』などの連載を続ける途上で「遍歴」は書かれた。科学とも違う宗教哲学的な観点で読め、近刊予定の『コード・ブッダ』につながる作品だ。「ローラのオリジナル」のローラとは、LoRA(Low-Rank Adaptation)のことで、手軽に画像生成できるAI技術を指す(解題に指摘があるように、フェイクの蔓延や著作権の問題をはらむ)。こういう比較的ポピュラーなテーマと(抽象化されているとはいえ)存在感のある主人公を絡めたところに、円城塔の現在位置はある。

上條一輝『深淵のテレパス』東京創元社/西式 豊『鬼神の檻』早川書房

装画:POOL
装幀:岡本歌織(next door design)

 創元ホラー長編賞は「紙魚の手帖」創刊を記念して設けられた賞で、1回限りの実施とされる『深淵のテレパス』を書いた受賞者は1992年生まれ、加味條名義でオモコロなどでWebライターも務めているようだ。

 PR会社の若い営業部長が、部下の誘いを受けて怪談イベントに参加、風変わりな演者から奇妙な話を聞く。ところがその後、周辺で何かの気配がまとわりつくようになる。ぱしゃり、という水音が聞こえる。たまりかねた彼女は、超常現象調査を番組にするYouTubeチャンネルに相談を入れる。

 選考委員の講評は以下の通り。澤村伊智「些細な怪現象に次第に日常を脅かされ、超自然的恐怖を受け入れざるを得なくなるプロセスが丁寧かつ的確に書かれており、この箇所を読んだ時点で作者に拍手を送りたくなった」、東雅夫「物語全体の「謎」となる核心部分も、非常に考え抜かれており、「迷宮」めいた地下世界の忌まわしさ恐ろしさと相まって、読み手を充分に得心させるものだと思う」。

 超常現象調査といっても、実態は趣味で活動する男女2人組のチームだ。どちらも幽霊を見たことがない。しかし興味はあり、現象の解明にカメラやレコーダ、電磁測定器のデータを活用する。ただ、正体は簡単には明らかにできない。イベント主催の学生、謎めいた出演者や、裏社会に詳しい私立探偵、当てにならない超能力者(テレパス)と怪しい人物がどんどん増えていく。やがて、緑の水にまつわる大きな秘密が浮かび上ってくる。

 参考文献には、ノンフィクションに交じって鈴木光司の名前が挙がっている。呪いなど旧来のオカルトと、現代的なテクノロジー(『リング』のビデオテープとか)を交える手法に影響を受けたようだ。伝播する呪いや過去の怨念などホラーな要素が並ぶが、超常現象ありきの設定ではない(ただし、超能力はある)。強引な上司(女)と弱気の部下(男)のチームも面白く、著者の意図通りオカルト嫌いの読者にも受け入れられるエンタメ作品となっている。

扉デザイン:坂野公一(well design)
扉写真:Adobe Stock

 『鬼神の檻』は、第12回アガサ・クリスティー賞を『そして、よみがえる世界。』で受賞した西式豊の受賞後第1作にあたる。

 大正12年(1923年)、秋田の奥深くにある御荷守(おにもり)村では、江戸中期から続く50年に一度の祭礼が開かれようとしている。それは村にある4つの名家の〈姫〉から貴神に嫁ぐ〈御台〉を選び出すものだった。主人公は姉の不慮の死により、思いがけず〈姫〉となる。昭和48年(1973年)、東京で俳優を目指していた主人公は、母親の交通事故を契機に御荷守村に呼び戻される。自分が〈姫〉の血筋だからという。令和5年(2023年)、秋田市内で起こった凄惨な殺人事件を追う週刊誌の新人記者は、その背後に潜む御荷守村の秘密を探っていく。

 物語は3部に分かれ、ほぼ百年にわたって秋田に暮らす一族を追う。とはいえ、560ページ余の大作でも(『百年の孤独』ではないので)焦点が当たる人物(一族)は限られる。また、本書の解説にもあるように、第1部は(バイオレンス)ホラー、第2部は横溝ミステリ(『悪魔の手毬唄』など)、第3部に至るとSFサスペンスとなる。各部ごとに雰囲気は大きく変貌するのだ。

 面白いのは伝奇ホラー的な祭礼の理由、ミステリ的な殺人事件の謎解きときて、最後のSF的な壮大な結末と、それぞれに(各設定に応じた)理由がつけられている点だ。一つの物語の三様の楽しみ方ともいえる。女性が無力な犠牲者になりがちなホラー/ファンタジーを、行動する女性の視点で語り直したところは今風だ(3部とも主人公は女性)。伝奇小説に始まってSFに終わるのは、半村良(『妖星伝』では、異能者の鬼道衆が最後は宇宙に行く)の伝統を踏襲しているせいかもしれない。

 それにしても、第3部の怒濤の真相究明+カタストロフは読者を翻弄する。ホラー/ミステリだと思って読むとその飛躍に戸惑うだろう。もっとも「特殊設定ミステリ」と考えるのなら良いのかも。

春暮康一『一億年のテレスコープ』早川書房

Cover Illustration:加藤直之
Cover Design:岩郷重力+S.I

 著者が第7回ハヤカワSFコンテスト(2019)で優秀賞を受賞したのは、中編「オーラリメイカー」だった。近作の『法治の獣』(2022)も中編集である。本書は、構想から執筆までに1年半をかけた(SFマガジン2024年10月号「著者の言葉」)初長編になる。分量的に千枚に満たないが、一億年分が含まれるという驚異の長編である。

 主人公は望(のぞむ)その名の由来は「とおくをみること」だ。天文台の望遠鏡で球状星団に魅了され、高校では少人数ながら個性派ぞろいの天文部に入る。そこで、理論肌の友人新(あらた)を得る。大学では電波天文学を専攻、VLBI(Very Long Baseline Interferometer)の存在を知り、異星文明の微弱な信号も受信可能な太陽系サイズのVLBIを構想する。そして、縁(ゆかり)と知り合う。

 第3部で物語は大きく動き出す。21世紀末、百歳となった望は、精神スキャンにより肉体を棄ててアップローダーとなるのだ。生物的な寿命という制約から逃れ、再び巡りあった新・望・縁の3人(元ネタのありそうなネーミング)は、彗星、太陽系外縁、さらに他星系へと異星文明探索の網を広げていく。ただ、精神のアップロードには量子的な制約がある。自分を2人以上無限に増やすことはできないのである。

 物語は第1部から第9部まであり、各部に「遠未来」、現在(その時々の)、「遠過去」の断章が含まれる。「遠未来」では大始祖の足跡をたどる親子の物語、「遠過去」は異星の文明下で起こった重大事件が点描される。そのあたりは、後半の章で回収され壮大な伏線になる。

 グレッグ・イーガン『ディアスポラ』との関連を指摘する感想を見かける。電脳化された人類、異星の探訪など、共通点は確かにあるだろう。とはいえ、本書はイーガンのような「宇宙論」が主題ではない。スターゲートを抜けた先に現れる異星人たちを描くクラーク『失われた宇宙の旅2001』とか、宇宙の膨大な時間の流れを相対論的に描くアンダースン『タウ・ゼロ』、ブラックホールを見える化した小林泰三「海を見る人」などの要素もある。結末も、どこか小松左京『果しなき流れの果に』風である。時間・空間のスケール差が大きすぎるため、宇宙で起こる多くの事象は人類には不可視のものだ(抽象化や推測しかできない)。それでも、本書のように望む(=主人公の名前)ことにこそ、人類の好奇心を代弁するSFの醍醐味がある。

 なお、宮西建礼『銀河風帆走』と本書とは兄弟/姉妹のような関係といえる。どちらも天文部の末裔が主人公なのだから。

宮西建礼『銀河風帆走』東京創元社

Cover Illustration:鈴木康士
Cover Design:岩郷重力+W.I

 著者は1989年生まれ。2013年の第4回創元SF短編賞(同期に倉田タカシ高槻真樹、応募者の中には春暮康一らの名もある)を受賞してデビュー、以来11年が経った。本格SFの書き手として、待望久しい初短編集である。本書は、デビュー以降一貫して追求してきた「宇宙への憧憬」を直接/間接に凝集した作品集といえる。

 もしもぼくらが生まれていたら(2019)地球軌道と交叉する小惑星が発見され、衝突が避けられなくなる。高校男女3人組は、試行錯誤しながら回避策の提案を試みる。
 されど星は流れる(2020)主人公は高校の天文同好会会長だったが、パンデミックで休校になり機材は使えない。そこで、部員同士の離れた自宅で流星観測を始めてみる。
 冬にあらがう(2023)トバ火山噴火が再び起こり、成層圏に達した噴煙により深刻な食糧危機が発生する。食糧を作り出す方法はないのか、化学部の寮生2人は諦めない。
 星海に没す(書下し)人類初の恒星間宇宙船が他星系を目指して出発する。乗組員は人間ではなくAGI+AIだった。だが、それを姉妹船が追ってくる。捕捉し破壊するために。
 銀河風帆走(2013)人類が銀河に広がった未来、その存在を脅かす何ものかがいる。正体を確かめるため、ぼくらは「風」を帆にはらませて遠い宇宙へと飛ぶ。

 冒頭の3作はとてもよく似ている。登場人物は、コンテストのためチームを組んだ男子2人女子1人の高校生、天文同好会の先輩と後輩(どちらも女性の高校2年生と1年生)、高校部活である化学部の女子高生2人(ともに寮生)、とすべてマイナーな文化系部活(サークル/同好会)のメンバーである。少年少女たちは小惑星の軌道を変えるアイデアを議論し、流星の軌道を算出するネットワークのアイデアを出し合い、食糧を代替し栄養補給ができるアイデアを実証しようとする。何れも科学的な論理思考を駆使し、リアルな問題の解決に奮闘する。少年少女が大人も躊躇する難問に挑戦、という正攻法のジュヴナイルなのだ。

 紙魚の手帖VOL.18の著者インタビューによると、「冬にあらがう」の未来に「星海に没す」の設定はつながるらしい。後半2作には人間が出てこない。主人公は生物ではなく機械である。ただ、未来の人類の一形態(電脳化)であったり汎用知性のAGIだったりするので、人間そのものの思考をする。孤独な旅路だが「銀河風帆走」ではパートナー(僚船)が、「星海に没す」では大きな使命感がメンタルを支える。彼ら/彼女らの体は巨大な宇宙船だ。肉体的な束縛から解き放たれ、悠久の時間を越えていくのだ。

 世の中には理系で学ぶ人が3割いる。ただ、その誰もが「宇宙船になりたい」わけではないだろう。しかし、冒頭3作品に近い青春を送った人ならば(文理を問わず)、この新たな『歌う船』に共感を覚えるに違いない。