嵯峨景子+日本SF作家クラブ編『少女小説とSF』星海社

Illustlation:orie
Book Design:長崎綾(next door design)
Font Direction:紺野慎一+十三元絵里

 編者の嵯峨景子は日本SF作家クラブの会員ではないが、少女小説についての著作を複数持つ専門家だ。編者は少女小説を「少女を主たる読者層と想定して執筆された小説」と定義する。明治期の家庭小説や吉屋信子に遡る歴史があるが、本書は「少女小説の書き手によるSFへの貢献」というコンセプトを掲げ、(クラブ員とは限らない)実績豊富な作家を集めたオリジナル(書下し)・アンソロジイである。

 新井素子「この日、あたしは」ある日、あたしは枕型の幼児対応AIと再会する。そこから現在のパーソナルAIとあたしは倫理規定の変化について会話する。
 皆川ゆか「ぼくの好きな貌」双子の妹が死んだあと姉の体に異変が生じる。対照的な生き方をしてきた妹の顔が、人面瘡のように表れるのだ。
 ひかわ玲子「わたしと「わたし」」わたしは人とは違っていた。すべての子どもは二人一組なのに、自分だけが一人なのだ。それでは十歳の儀式を迎えられないという。
 若木未生「ロストグリーン」ドーム都市に住む、引きこもりの少年作曲家と編曲家。新曲すべてがヒットするコンビに鎮魂歌の依頼が来る。
 津守時生「守護するもの」家族皆殺しの中を生き残った主人公は、今では相棒と共に凶悪な宇宙犯罪者を狩る賞金稼ぎになった。
 榎木洋子「あなたのお家はどこ?」植民星で学校生活を送る少女は、親との約束を守らなかったことを咎められ、ささやかな家出を試みる。
 雪乃紗衣「一つ星」発光する奇妙な首輪を嵌められた少女は、出会った少年と共に氷が溶けない北を目指して旅を続ける。
 紅玉いづき「とりかえばやのかぐや姫」竹から生まれた美しい男は、無理難題を並べて求婚者を退ける。かぐや女帝は、その男に惹かれるようになる。
 辻村七子「或る恋人達の話」18世紀、蒸気革命が成ったフランス。恋人同士だった二人は、次々変わる法令の隙間を縫って性別を取り換えていく。

 各作品に著者紹介と解説が入り、さらに編者による概説「少女小説とSFの交点」、巻末には著者コメントもあるなど、一般読者へのサポートが充実している。作家も、始祖新井素子らベテランから中堅作家まで、およそ40年の幅で網羅されている。

 デビュー年~主な舞台(ラノベは対象読者層を細分化しているので、文庫のレーベル名=作品の傾向を表す)を記していくと、新井素子(1978年~集英社コバルト文庫)、皆川ゆか(87年~講談社X文庫ティーンズハート)、ひかわ玲子(88年~X文庫ホワイトハート)、若木未生(89年~コバルト文庫)、津守時生(90年~新書館ウィングス文庫)、榎木洋子(91年~コバルト文庫)、雪乃紗衣(2003年~角川ビーンズ文庫)、紅玉いづき(07年~メディアワークス電撃文庫)、辻村七子(14年~集英社オレンジ文庫)となる。

 スタイルは旧来型だがメッセージ性を高めた新井素子、姉妹や双子など女性ペアの苦悩を描く皆川ゆかとひかわ玲子、若木未生と津守時生も変格的なペアのお話だろう。榎木洋子と雪乃紗衣はオチがついた少女の冒険もの、紅玉いづきは逆転した竹取物語、辻村七子はスチームパンク薔薇/百合小説といえる。最後まで至ると「一般読者が読む小説」に近くなる。レーベルの規範をはみ出す変格的な作家が増えるためなのだろう。

 デビュー順の編年体で編まれており、評者も若木未生まではある程度知っていた。ただ、以降の世代は一部(辻村七子のデビュー作はSF界からも注目された)を除いてあまり読んでいない。これだけ広がったラノベの一部とはいえ、何を読むべきか目安が得られるアンソロジイは有用である。

坂崎かおる『噓つき姫』河出書房新社

装幀:名和田耕平デザイン事務所(名和田耕平+小原果穂)
装画:はむメロン

 著者は1984年生まれ、本書が初の著作になるが、これまでに多くの受賞歴を持つ。表題作は第4回百合文芸小説コンテスト大賞作品である。他にも日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト日本SF作家クラブ賞、第1回かぐやSFコンテスト審査員特別賞受賞作などが収められている。さらに収録作以外に広げると、第6回阿波しらさぎ文学賞受賞(後に主催者側の問題により辞退)、第28回三田文学新人賞佳作、第1回幻想と怪奇ショートショートコンテスト優秀作、第14回創元SF短編賞最終候補作などなどがある。どこでも常に高評価を得てきた。また、スピン、文學界、小説現代、『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』、『乗物綺譚』(《異形コレクション》)などの文芸誌やアンソロジイに複数の作品を発表している。にもかかわらず、坂崎かおるはコンテストへの応募を止めない。その持続する執念にも注目が集まっている。おそらくどの賞も、チャンピオン(正賞受賞)がゴールなのだろう。

 ニューヨークの魔女(2023/6)19世紀末のニューヨークで魔女が見つかる。発見者はこれが金にならないかと算段を巡らせ、ある見世物を思いつく。
 ファーサイド(2021/6)
1962年、キューバ危機下のアメリカにDたちがいた。少年は下層労働に就くその1人と知り合いになる。
 リトル・アーカイブス(2022/8)若い兵士は、まるで二足歩行ロボットを庇うようにして死んだ。戦死の原因を追究する裁判の過程で見えたものとは。
 リモート(2020/7)6本足のリモートロボットで通学する少年がいた。やがて、級友たちと馴染むようになったが。
 私のつまと、私のはは(書下し)同性のパートナーと同居するデザイナーに、AR下で成長する赤ん坊の仕事が来る。本体はのっぺらぼうのロボットなのだ。
 あーちゃんはかあいそうでかあいい(2023/2)親知らずの治療のために訪れた患者は、小学校時代の同級生だった。その子には歯についての思い出がある。
 電信柱より(2021/1)電信柱を切るのは女性の仕事である。だが、地方都市に赴任した主人公は、一本の電信柱に魅せられてしまう。
 嘘つき姫(2022/3)1940年のフランス、ドイツ軍から逃れ避難する中で、親を失った二人の少女がいた。孤児院での生活には幾重にも重ねられた嘘がまとわりつく。
 日出子の爪(書下し)枯れたホウセンカの代わりに、クラスでは爪が植えられるようになる。そこから生えてきたものは。

 読者を驚かせる奇想に溢れている。といってもガジェットやアイデアが斬新、というだけの意味ではない。表題作の魔女や、D、異形のロボット、同級生の歯、電信柱、お伽噺から始まる嘘、何の変哲もない爪に至るまで、すべてが日常の中に現れた特異点あるいはブラックホールのように作用する。なぜブラックホールなのかというと、物語の中でその正体が観察できず、逆に周囲の現実を吸い込んでしまう存在だからである。SFと文藝をハイブリッドする謎になっているのは、今風の先端スタイルといえる(マシュー・ベイカーの作品を評した下記リンクを参照)。

 もう一つの特徴は、お話がハッピーに終わらない点だろう。虐げられしものの解放者は現れないし、信じていた友は不穏/不可解な行動をとる。主人公は諦観しているのかもしれないが、読者は不安を抱いたまま取り残される。その綱渡りのような絶妙のバランスが、余韻を残すテクニックになっている。

 なお、収録されていない著者のあとがき(作品の解題でもある)がこちらで読める。本書には「玄関」と「勝手口」を設けたそうだ。

田中空『未来経過観測員』KADOKAWA

装画:Y_Y
ブックデザイン:青柳奈美

 著者は1975年生まれ。少年ジャンプ+で連載した『タテの国』(縦スクロールで読むコミック)で話題を呼ぶ漫画家だが、本書が(私家版を除くと)初の単行本、それも小説である。カクヨムで連載された表題作(昨年私家版でも出した)を加筆訂正し、新たに書下ろし短編1編を加えた作品集だ。

 未来経過観測員:超長期睡眠技術が生まれ、生身の人間による未来の調査にこそ意義があるとされて観測員が生まれた。100年ごとに1か月を過ごして、その時々の社会をレポートする仕事なのだ。それも5万年後までの500回にわたって。目覚めるたびに、未来社会は様相を変えていく。
 ボディーアーマーと夏目漱石:地球温暖化が究極まで進み、人々はボディーアーマーの中で生活している。脱いだら短時間で死ぬ。そのアーマーも部品不足で次第に減っていく。ある日、主人公は廃墟の書店でツタに絡まれ動かない一台を見つけるが。

 未来をめがけて(比喩的に)飛んでいくという設定は、原初の『タイムマシン』以来の普遍的テーマだろう。超長期睡眠でも駒落としで時間経過が生じるのだから、タイムマシンと同様の働きをする。そこには社会的な問題も、宗教的、哲学的な問題も込められるし、目も眩むような超未来の光景を描き出すことも(書きようによっては)可能である。

 本書は300年目(第3章)で様相を変える。孤独な時間旅行者だった主人公に新たな道連れが加わり、受動的な「観測員」ではなくなっていく。時間に加えて(宇宙から電脳までの)空間的な広がりも増す。そういう意味では、人間とは限らない仲間たちによる冒険と救済の物語となるのだ。イーガン風と言うには直感的に過ぎるが、ちょっとありえない驚きのアイデアも登場する。

 一方の「ボディーアーマーと夏目漱石」では意外なところに夏目漱石の作品(全集)が出てくる。人類の終末に本が読まれているのだが、そこに書かかれた社会風俗は読み手の現実とは全く異なっている。本が選ばれた理由も哀しい。燃え上がる世界と残った本との組み合わせは、まるで逆転した『華氏451度』(本が残って人が燃える)と『旱魃世界(燃える世界)』の組み合わせのようだ。

松樹凛『射手座の香る夏』東京創元社

装画:hale(はれ)
装幀:アルビレオ

 著者は1990年生まれ。本書は、第12回創元SF短編賞受賞後初の短編集である。著者は他でも第8回星新一賞の優秀賞や、飛ぶ教室第51回作品募集の佳作(雑誌飛ぶ教室62号に掲載)に入選するなどの実績がある。収められた4作品はどれも100枚を超えるボリュームがあるので、中編集といってもいいだろう。

 射手座の香る夏(2021)短編賞受賞作。北海道を思わせる北の超臨界発電施設。現場が地中深くにあるため、作業はオルタナと呼ばれる意識転送制御のロボットが行う。その間、作業員の肉体は地上に保管されている。だが、その肉体が何者かに奪われてしまう。
 十五までは神のうち(2022)息子を〈巻き戻し〉で失ったわたしは、事情を知っているかもしれない当時の教師と話をするため、実家のある離島に帰郷する。島にいた30年前、兄も〈巻き戻し〉を選んだからだった。
 さよなら、スチールヘッド(書下ろし)人工知性たちが暮らす〈アイデス〉、そこには病気もなく本物の獣もいない。しかし、ぼくは夢を見る。その中では世界は滅び、歩く死体=ウォーカーたちが彷徨い歩いているのだ。
 影たちのいたところ(2022)祖母が毎夜語ってくれるお話の一つに、イタリアの島に住む少女の物語がある。少女は海で遭難していた男の子を助けるが、その少年の影はなぜか一つではなかった。

 どの作品にも工夫が施されている。特に表題作では、動物に憑依するズーシフト(意識転送は制御装置を付けた動物に対しても可能)に溺れるわたし(一人称)と、肉体盗難を調査する刑事(三人称)、さらに環境保護派と白い狼=カームウルフの伝承を組み合わせる、という複雑な構造になっている。ふつう人称を混在すると読み手に混乱を与えかねないが、著者は複数要素を巧みにコントロールする。

 「十五までは神のうち」の〈巻き戻し〉は、タイムマシンを使った「親殺しのパラドクス」の逆バージョンだろう。親ではなく子が消えるのだ。直線状の時間(並行宇宙に分岐しない)ならば、過去が書き換わると記憶も変化するが、この作品では意図的にそうはしない。現実にもありえる事件の真相を探る、謎解きのキーになるからである。さらに「さよなら、スチールヘッド」では、メタバース世界よりもリアル世界の方がはるかに非現実的(ゾンビが徘徊する)だし、「影たちのいたところ」では、ファンタジーの背後にディープな現実世界の陰(戦争と難民)が見え隠れする。こういう寓話的なプラスワン(メニー?)で作品の先鋭度を増す手法こそ著者のユニークさ、真骨頂といえる。

宮内悠介『国歌を作った男』講談社

装丁:川名潤

 2016年から22年にかけて書かれた13作品を集めた短編集である。著者には連作短編集が多く(『盤上の夜』『スペース金融道』など)、お互いの関連が薄い純粋な短編集としては『超動く家にて』(2018)以来の2冊目にあたる。宮内悠介自身による作品解題も付いている。

 ジャンク(2020)パワハラ上司から逃れ会社を辞めた主人公は、秋葉原の実家で店番をする。そこは寂れたジャンク屋で、存続自体が難しい店だった。
 料理魔事件(2019)平和な田舎の街で奇妙な連続空き巣事件が起こる。留守宅に侵入し、勝手に料理を作って置いていくのだ。そこで殺人事件が発生する。
 PS41(2020)ニューヨークの公立学校PS41に通っていたころ(エッセイ)。
 パニック ―― 一九六五年のSNS(2022)イザナギ景気さなかの1965年、日本でSNSが生まれた。そこで開高健による世界初の炎上事件が発生する。
 国歌を作った男(2022)移民三世のジョンは、コンピュータRPGを作った際にフィールド音楽を付けた。その楽曲はアレンジを重ね、誰もが知る「国歌」となる。
 死と割り算(2021)メイン州で謎の言葉を残す連続殺人が起こる(掌編)。
 国境の子(2021)対馬で生まれ父親が韓国人だった主人公は、上京しデザイナーになったが職場で友人がいない。そんなある日、母が入院したと知らせが届く。
 南極に咲く花へ(2021)作家を志していたぼくは、会社の立ち上げにかかわり書けなくなった。やがて同居していたきみと仲違いして別れてしまう。
 夢・を・殺す(2017)ゲーム制作にのめり込んだ従兄弟とぼくは、大人になって会社を立ち上げる。けれど、日銭を稼ぐ下請け仕事で手一杯のありさまだった。
 三つの月(2017)メンタルクリニックの医師は、患部が色で見分けられる整体師の不思議な能力に惹かれる。ただ、それには副作用があった。
 囲いを越えろ(2020)オリンピック代表を決めるハードル競技の一瞬(掌編)。
 最後の役(2020)無意識に麻雀の役をつぶやいてしまう理由とは(掌編)。
 十九路の地図(2016)元本因坊だった祖父が事故で植物状態になる。かつて碁を習った孫の主人公は、BMIで祖父の脳に直結された画面で碁を打ってみる。

 表題作「国歌を作った男」は、直木賞候補長編『ラウリ・クースクを探して』の原型となった。短編の舞台はアメリカで主人公はウクライナ移民三世、長編版ではバルト三国のエストニアで数字に憑かれた少年が主人公になっている。憑かれた少年という意味では、三角形など図形に憑かれる「国境の子」も関係するだろう。そういう、連作ではないものの緩く関係するモノが多い。海馬(記憶)、市松模様の台所、ゲーム開発とZ80やMSX(著者は実際にゲームソフトを作っている)などなどだ。

 総じて著者の経歴(ニューヨークで生まれ育った帰国子女)や、実体験(IT会社でのプログラム開発や、プロの麻雀士を目指したことなど)が、共通要素の土台になってつながりあっている。「パニック ―― 一九六五年のSNS」は『ifの世界線』でも触れた。「PS41」はエッセイなのだが、フィクションとして読めるから収録したという。中では「南極に咲く花へ」が水野良樹とのコラボ企画で実際に作曲されたもので異色。このお話は、作家業を絡めたほろ苦い別れの話に収れんする。

森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』中央公論新社

装画:森優
装幀:岡本歌織(next door design)

 前作『四畳半タイムマシン・ブルース』から4年ぶりの長編である。中央公論新社の小説BOC(現在は文芸Webサイトとなっている)で、2016年から18年にかけて不定期に連載された作品を全面改稿したもの。一見シャーロック・ホームズもののパスティーシュのようで(もちろんそういう面もあるが)、本書のテーマは「スランプ」である。

僕の小説は「京都を書いている」のではなく、「京都というお皿に、自分の妄想を載せている」ということかもしれませんね。自分の妄想を「京都」に載せると、なんか様(さま)になる、と気づいただけであって、実際の京都とは距離があるんです。微妙なところですが、読者の皆さんにもぜひわかっていただきたい

2050MAGAZINEによるインタビュー記事より

 ホームズは深刻なスランプに陥っていた。あれほど完ぺきだった推理力がすっかり衰え、簡単な事件の解決もままならない。「ストランド・マガジン」に連載していたワトソンのホームズ譚も休止となった。スランプの原因を探るうちに同じ下宿の住人、物理学者のモリアーティ教授を尾行することになるが。

 舞台はヴィクトリア朝京都である。ホームズの下宿は寺町通221Bにあり、ワトソンは下鴨神社の近くにメアリと住んでいる。地名も神社仏閣も実在の京都と同じなのに、そこにロンドンを舞台としたフィクションが重なり合う。アイリーン・アドラーやハドソン夫人ら《シャーロック・ホームズ》の登場人物たちが、京都で生活しているのだ。まるでミエヴィルの『都市と都市』である。

 しかし、昔の翻案(原典のプロットだけを生かし、主人公や舞台を日本に改変した2次創作のような翻訳)などとは違って、本書に京都人(日本人)は出てこない。著者の言う「京都というお皿」(入れ物、背景)に、異国の料理(虚構)を盛ったのである。これによってホームズの世界(19世紀ロンドン)が、森見登美彦の世界(近世の京都)に違和感なく融合している。

 作家にスランプはつきものだ。著者も過去に大スランプに墜ち込み、すべての連載を投げ出し沈黙したことがある。スランプに苦しむ本書のホームズには、その体験が(脚色されながらも)反映されているのだろう。上記リンク先の『熱帯』(2018)は本書(の原型)と同時期に書かれたもので、第6回高校生直木賞を受賞した作品。これにもスランプが描かれていたが、中高生読者の共感を得た

 物語は後半、洛西にあるマスグレーヴ家で起こる心霊現象のような変異を起点に大きく動いていく。謎解きはホームズものほど明快ではないが、テーマに則した結末といえるだろう。『熱帯』の複雑な構造を語り直した、より虚構のモデルが分かりやすいバージョンともみなせる。コナン・ドイルと同じ登場人物を配しても「ぐーたらなホームズ」たちには独特の暖かみがある。本書はやはり森見流の京都(お皿)小説なのだ。

 なお、本書のホームズ(固有名詞の表記など)は、東京創元社から出ている深町眞理子訳の新訳版に依っている。

饗庭淵『対怪異アンドロイド開発研究室』KADOKAWA

装幀:大原由衣
装画:與田

 第8回カクヨムWeb小説コンテスト〈ホラー部門〉特別賞受賞作。ホラーだが、アンドロイドが主人公という変格派。同賞はカクヨム掲載作を対象とし、応募が1万作を越え最終候補でも1651作とある(既存文学賞とは比較にならない多さだが、特別賞まで含めれば入選者も多い)。それを、40レーベルに細分化されたKADOKAWA編集部が分担選考する(これも多いという印象)。8つある部門の中で、ホラーからは受賞作1編、特別賞2編が出ている(特別賞が10編以上の部門もある)。著者の饗庭淵(あえばふち)は1988年生まれのゲームクリエイター、イラストも手掛ける。過去に自身によるゲームのノヴェライズが出版されたこともある。

 物語は7つのエピソードから成る。「不明廃村」記録にはないが衛星写真で検出される山奥の廃村、「回葬列車」終電を過ぎた時刻に走り続ける無人の電車、「共死蠱惑」浮気調査で浮かび上がった正体不明の女、「餐街雑居」廃ビルの奥にある中華料理店をはじめとする各階の怪異、「異界案内」帰着した大学は煌々と灯を点けているのに誰もいない、「非訪問者」深夜のアパートに来るはずのない知人が訪ねてくる、「幽冥寒村」教授が育った村の記憶はどこか矛盾があった。

 主人公はアンドロイドのアリサ、近城大学・白川研究室で開発された人と見分けが付かない精巧なAIロボットだ。この研究室の目的は、怪奇現象に恐怖心を感じないアンドロイドを使って、怪異を科学的に検出し調査すること。しかし、研究室の教授にはどうやら別の意図もあるらしい。各エピソードは、存在しない村とか電車とか、顔の写らない女、廃ビル、無人の大学、深夜の訪問者など、いかにもな怪奇現象である。そこに深層学習された怪異検知AIが踏み込むのだ。

 ホラーで「怖がらないキャラを主人公にしたらどうなる?」という発想からアンドロイドにたどり着いたという。また、先行作品として宮澤伊織『裏世界ピクニック』(雰囲気が似ている)、AIの扱いについて山本弘『アイの物語』ホーガン『未来の二つの顔』などを挙げている。応募にSF部門はないのでホラーに寄せたわけだが、科学の対極にある怪異現象にについて(タネ明かしまではしないにしても)、それなりの理屈を通したところは一貫性が感じられてよい。なお、この作品はカクヨムで読むこともできる(書籍になる前の原型版)。

九段理江『東京都同情塔』新潮社

カバー写真:安藤瑠美「TOKYO NUDE」

 第170回芥川賞受賞作川上弘美が選考委員になって早や17年、円城塔が受賞して12年が過ぎ、高山羽根子からも3年半が過ぎているのだからSF的作品という意味では珍しくはない。むしろ並行世界の日本を舞台とし、生成AIを小道具に使った今風さが注目を集めた作品である。新潮2023年12月号に掲載された400枚を切る短い長編。

 その高層ビルは正式にはシンパシータワートーキョーと呼ばれる。しかし建築家の主人公は、言葉の意味を希釈するカタカナの羅列が気に入らない。やがて「東京都同情塔」と称するようになる。新宿御苑に建つタワーは、従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた属性の人:ホモ・ミゼラビリスを収容する施設なのだった。

 この世界の東京には、ザハ・ハディドが設計した優美で巨大な国立競技場がある。オリンピックは予定通り実施され、結果として疫病の蔓延を招いたらしい(具体的には書かれていない)。建築家はコンペで、ザハ・ハディドの競技場のある風景と一体化する案を出し採択される。東京のど真ん中に刑務所を立てることには、傲然と反対運動が巻き起こる。それでも、犯罪者への同情を説く幸福学者の主張が容れられる。何しろこれにより、日本は世界の倫理基準を超えるのだ。

 中年に差し掛かった有能な女性建築家は、たまたま入った高級ブランドショップで15歳年下の美青年スタッフに声をかける。二人は付き合い始めるのだが、青年は他人を傷つけることに異様に気を遣う。いまどきの若者はみんなそうなのか、それとも彼だけなのか。かみ合うようでかみ合わない二人を巡ってお話は進む。

 本文中にはAIとの会話が頻繁に出てくる。とはいえ、そこでChatGPTが使われたとしても、小説をAIに書かせたとまではいえないだろう(NHKとのインタビューによると、応答の1行目だけを生かしたらしい)。想像ではなく本物のAIを使うことで、丁寧ながら事実を淡々と語るAIの無感情さ、冷徹さが際立つ。AIは独特の自己検閲機能を持っている。これは、感情を表に出さず、誰も傷つけないというこの社会(われわれの社会でもある)の風潮を反映する。

 本書には、情報過多が読者を選ぶのではないかとの指摘がある。しかし、特異なシチュエーションは、過剰なほどの説明がないとむしろ一般読者に受け入れられない。これはSFで設定・状況を説明する際によく使われる手法なのだ。リアルさを担保する上で意味がある。「とてもエンターテインメント性が高い」という印象もそこからくるのだろう。対する純文系作品では、説明が少なく謎めいているほど評価が高まる傾向がある(たとえば、結末を明瞭に語らず断ち切る、とか)。

 本音をカタカナで覆い隠してしまう社会、心の中に検閲者を抱えた人々、きっと同情も本性ではない。物語は近い将来の波乱を匂わせて終わる。

酉島伝法『奏で手のヌフレツン』河出書房新社

装幀:川名潤

 アンソロジイ『NOVA+ バベル』(2014)に書き下ろされた同題の中編を、1000枚弱ある大部の長編としたものが本書。舞台設定や異形の登場人物などは引き継がれ、内容はさらに豊かに膨らんでいる。2部構成で親子4代に渡る(主にはジラァンゼとその子ヌフレツンの)家族の物語が語られる。

 ジラァンゼの親であるリナニツェは、聖人式を経て太陽の足身聖(そくしんひじり)となった。一家はもともと太陽を失った霜(そう)から叙(じょ)の聚楽(じゅらく)への移住者だった。不吉な存在と忌避されたが、聖人ともなれば逆に敬われる。ジラァンゼは親の仕事である煩悩蟹の解き手となった。ヌフレツンはジラァンゼの2人目の子である。同じく解き手になることを期待されていながら、本人は奏で手を夢見ていた。

著者のX(twitter)から引用(『NOVA+』掲載時の直筆挿絵)。

 この世界は球地(たまつち)と呼ばれる地上と球宙の空から成っている。球地は文字通り球の内側であり、空の中心には毬森(まりもり)と呼ばれる無重力の森が浮かぶ。なにより奇妙なのは太陽で、地面の黄道に沿って、4つの太陽が足身聖108人の「人力」で動くのだ。主人公たちも人類(ヒューマノイド)ではなく、成長は早く単性で子をはらみ、子どもは器官を再生させることさえできる。

 エイリアンやポストヒューマンなどを描いた作品でよく問題になるのは、その存在の擬人化の程度にある。どんなに奇怪な外見でも、中の人が見えてしまっては興ざめだ。かといって、共感が不可能なほど非人間化を進めると今度は物語が維持できない(読み続けることができなくなる)。酉島伝法は漢字を駆使した造語の氾濫で、その問題を克服している。暗い過去を持つ頑固おやじと跡継ぎの息子、家業を捨て自らの道を探す孫と(山田洋次風の)結構ベタな人間ドラマなのに、造語で形成された異世界のインパクトに幻惑されるのか、それほど違和感なく共感できるのだ。

僕の小説における造語は、映画でいう美術や特殊メイクみたいなものだと思います。(中略)ぴたっとはまったとたんに世界が広がったり、物語が転がりだしたりする

奇怪な幻想世界を支えるSF的思考 酉島伝法さん「奏で手のヌフレツン」インタビュー

と述べているが、その言葉の威力は小説の成り立ちをも左右している。物語の第1部はイメージ(上記挿絵参照)に圧倒される聖人式に始まり、二転三転するもう一つの聖人式に終わる。第2部は衰えゆく太陽を救うための(『指輪物語』を思わせる)旅が描かれる。また、本書は『零號琴』のような音楽SFでもある。前後編となる第1部・第2部で、それぞれ見せ場があって読者を飽きさせない。

 ところで、上記インタビューによると本書には最初から骨格となるSF設定があった。それは巻末の「起」の章を読めばわかるだろう。

矢野アロウ『ホライズン・ゲート 事象の狩人』/間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」早川書房

装画:たけもとあかる
装幀:坂野公一(welle design)

 第11回ハヤカワSFコンテストの大賞と特別賞受賞作である。著者の矢野アロウは1973年生まれ、間宮改衣(まみや・かい)は1992年生まれ。どちらも例年と比べれば短い作品になった。大賞作『ホライズン・ゲート』が360枚で短い長編、こちらは同じ宇宙SFの第7回優秀賞の『オーラリメイカー』300枚より少し長いくらい。特別賞作「ここはすべての夜明けまえ」は180枚、歴代の大賞/優秀賞/特別賞の中では、もっとも短い作品と思われる。これだけでは単行本にならないので、SFマガジン2024年2月号の巻頭に一挙掲載されている(書籍化は24年3月を予定)。

ホライズン・ゲート
 主人公は砂漠の狩猟の民ヒルギス人で、生来の銃の才能を見込まれホライズン・スケープの狙撃手となった。そこは、何ものかによって人工的に作られた巨大なブラックホール「ダーク・エイジ」を探査するための前哨基地だった。パメラ人のパートナーとペアになってそこに潜るのだ。だが、ダイブには危険が伴う。ネズミと呼ばれる未知の存在が干渉してくる。

 左右の脳を分離した狩猟民ヒルギス(祖神が宿る脳が独立している)や、前後に脳を分離し未来予知が可能な民パメラが登場する(テッド・チャン「あなたの人生の物語」の異星人のようでもある)。ただ意識のデジタル化とか脳内に別の人格が宿るとかの類型パターンには陥らず、あるいは(一部見られるものの)時間が混淆する映画「インターステラー」(ブラックホールの権威キップ・ソーンが監修)的な展開にもならない。むしろ宇宙のネズミを狩る猫「鼠と竜のゲーム」や、恋人との時間差が著しく開く「星の海に魂の帆をかけた女」といった、コードウェイナー・スミスの詩情(ロマン)を感じさせる。

ブラックホール周辺での特異な暮らしの様相がうまく描かれている。おぼろげに現れる謎の影の正体を解き明かし、人類の来歴との結びつきまで匂わせる匙加減がうまい。

小川一水

まず文章の、描写部分に詩的な表現があって、そこに惹かれた。(中略)文体や表現力など総合点で、大賞授与に異存はない。

神林長平

ラブロマンスで、ハードSFで、脳科学で、と、私の好きなものがたくさん入っていました。(中略)甘いだけではなく、最後まで主人公がちゃんと自立している点も素晴らしかった。

菅浩江

小林泰三「海を見る人」のスペースオペラ版ともいえるアイデアの豊富さと、後半の意外な展開の連打が素晴らしかった。

塩澤快浩(編集部)

 一方、昨年のような異論もあり、

超技術によるポストヒューマンな設定とあまりにも人間的な物語がバランスを欠いているように見えて、筆者は評価できなかった。

東浩紀

ここはすべての夜明けまえ
 22世紀、九州の田舎に住む主人公が自分の家族について語る。4人の兄弟だったが、最後は父親と自分だけが家に残る。その中で自身が融合手術を受ける理由が明らかになり、家族がばらばらになっていく過程が、甥との関係の顛末が、そしてまたこの世界がどうなっているのかが徐々に明らかになっていく。

 物語はひらがなを多用するモノローグ(語りではなく、ひらがなを多用した手書きの体裁をとる)に始まり、一人称ながらふつうの小説になる章を挟んで、再びモノローグに戻る。最初の章では家族の罪、2章目では社会の罪、最後は自身の罪が語られていると読める。ここで描かれるのは現在の風俗(ボーカロイドとかYouTubeとか将棋AIとか)、(肉体的精神的)DV、倫理感を欠いた自死の風潮、生身を棄てる融合手術、地球環境汚染といくつもあるが、あくまで個人の視点に絞られる点が今風だろう。

筆者が最高点をつけたのは、本作がジェンダーや性暴力の問題に向かい合った作品であり、今回の候補作のなかでもっとも心に響いたからである。

東浩紀

この人は科学についてあまり関心がない。(中略)その辺りの吞み込めなさを感じさせつつも、ひたすら主人公の語りで話を引きずっていく力がある。

小川一水

内容と表現方法が見事に一致している作品として高く評価する。(中略)旧態依然としたSF界を刷新していく作品になればいいと思い、推した。期待の度合いは大賞と遜色ない。

神林長平

文芸としての端正さと真摯さに圧倒された。ただ、なぜか漂う「物足りなさ」がSFとしての弱さなのか、私の読み手としての感性の鈍さなのか、最後まで判断がつかなかった。

塩澤快浩(編集部)

こちらも異論がある。

他の選考委員の方々と、一番評価が異なる作品でした。一人称饒舌体ともいえる文章で、しかも時系列が混乱していて、読むのが苦しかったです。

菅浩江

 図らずも、恋人が老化していくのに自分は変化しない(その裏返し)、という設定で2作品は共通する。しかし、似ていると思う人は少ないだろう。『ホライズン・ゲート』の舞台が日常から隔絶した遠い宇宙、もう一方の「ここはすべての夜明けまえ」はデフォルメされた現在の日本だからである。主人公も対照的で、前者は故郷を失った少数民族でありながら未来志向を忘れず、後者は内省的で自己の闇に沈み込んでいく(菅浩江は「自分の中に似たようなものがあるゆえに、新味が感じられない」とするが、例えば「夜陰譚」などを読むと分かる)。そこに共感を抱けるかが評価の分かれ目となる。とはいえ、両作とも簡潔さは良いとしても、語りつくされたと言えず短かすぎる。それぞれの世界をもう少し読みたいものだ。