J・G・バラード『旱魃世界』東京創元社

The Drought,1965(山田和子訳)

cover direction+design:岩郷重力+R.F

 バラードが書いた最初期の三部作『沈んだ世界』(1962)『燃える世界/旱魃世界』(1964/65)『結晶世界』(1966)の中の1冊(長編2作目)である。『燃える世界』の翻訳は1970年に出ているのだが、当時はアメリカ版(1964)を底本としたために、大幅に改稿されたイギリス版(1965)の内容は反映されなかった。本書は初翻訳から半世紀を経て初めて登場する〝決定版〟なのである。

 主人公は医師だ。自宅を出て湖に浮かぶハウスボートで暮らしている。しかし、世界は極めて深刻な旱魃に襲われており、湖の水位はみるみる低下していく。渇きが増すにつれて周囲の治安は悪化し、不穏な空気が渦巻く。人々は町を次々と脱出して海岸線に向かおうとする。だが、主人公は町に残る奇妙な人々とともに、出発をためらっていた。

 妻から心が離れた医師(妻は他の男と出て行くが、主人公は黙って見送る)、丘の上に住む豪邸の建築家と妹(奇矯な服装をし、水を浪費する生活を続ける)、水上生活する親子(ほとんど動けない老女と、異様な行動を取る息子)、動物園の園長の娘(動物を助けようとするが見通しはない)、湖で生活していた自然児(失われゆく水辺で、ボートを自在に操る)、過激な思想を叫ぶ牧師とその追従者(漁民たちと対立し抗争する)。乾ききった世界。至る所で火災が発生し、舞い上がった灰が降り積もる。湖は泥濘から砂場に変わり、河は干上がり、海岸線には乾いた塩の大地だけが拡がる。

 バラードの《破滅三部作》は原著出版順に翻訳されたのではなく、まず『沈んだ世界』が1968年に出て、翌年に『結晶世界』が先行翻訳され、最後に出たのが『燃える世界』である。『沈んだ世界』には伊藤典夫による解説が付いていた。ニューウェーヴをアジる熱気溢れる評論だったので、文字通りの厨二SF病だった評者は強い影響を受けた憶えがある。バラードは人気を得た。『結晶世界』の翻訳が出た後、立て続けに短編集『時の声』『時間都市』『永遠へのパスポート』が出版される(さらに間を置かず『時間の墓標』『溺れた巨人』が出る)。先行する2長編と比べ本書の印象が薄かった(ほとんど記憶にない)のは、怒濤の短編ラッシュの合間に埋もれてしまったせいもあるだろう。

 さて、半世紀ぶりに出た新訳であり、決定版でもある本書はどうか。訳者や解説者(牧眞司)も指摘しているとおり、本書の設定や登場人物のありさまは、そのまま以後のバラード作品を反映したものとなっている。萌芽と言うより、未来の作風そのものだ。《破滅三部作》はサブジャンル的な意味の破滅ものではない。破滅(デザスター)のメカニズムは書かれないし、政府も社会もほとんど出てこない。バラードは、そんな俯瞰的な抽象化は、破滅の本質ではないと考えたのだろう。同じことは登場人物にも当てはまる。不可思議な行動を取る人物たちは、ふつうの小説で描かれるような背景(どう生まれてどう生きたのか、生活の動機は何か)を持っていない。今しかなく過去も未来もない。その空虚さは、周囲に拡がる旱魃世界(砂や塩に埋もれ何も見えない世界)と等価に繋がっている。バラードは長編第2作目にしてここまで完成していたのかと驚かされる。

ザック・ジョーダン『最終人類(上下)』早川書房

The Last Human,2020(中原尚哉訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 アメリカ在住の作家ザック・ジョーダンによる昨年3月に出たばかりの初長編である。大学を中退後、U.S. Killbotics名義で楽曲を作り、ゲームやFEMAなどのプロジェクトに関わった後、本書を構想してから書き上げるまで4年半を要した。エージェントからの高評価を受けて、英米の他、ドイツや韓国でも出版されることになっている。アシモフやクラークなどの伝統的な宇宙SFを現代に再現したものという

 主人公は蜘蛛に似た姿のウィドウ類に育てられた娘だ。出自を偽っているが、滅ぼされた人類の最後の末裔なのだ。彼らは高度にネットワーク化された宇宙に住んでいる。ネットワークに参加する種族は、知性の段階により階層化がされている。上位の種族は、コミュニケーションも困難な集合知性ばかり。しかし、なぜ人類は滅亡したのか。娘にはもはや仲間はいないのか。

 クラークなどは、人類より進んだ生命は肉体を持たない集合知生になると考えたわけだが、まさにそういう世界が描かれている(本書の場合は、現代的な情報ネットワークによるAR空間)。第1階層から第5階層に至る段階的な知性の階層(その上もあるらしい)を、章ごとにたどっていくのである。第2階層相当の主人公は、同レベルの仲間たちを得て、さらに上位の知性から驚くべき提案を受ける。

 ポール・ディ・フィリポはローカスのレビューでハインラインの古典宇宙もの、ヴィンジの宇宙もの(『最果ての銀河船団』を含む三部作。蜘蛛に似た生命が登場)や、ディレイニー『エンパイア・スター』(知性を段階的に表現)を引き合いに出し本書を評価していた。本書では、人類は銀河ネットワークに加入する際、取り返しのつかない失策を犯して滅ぼされてしまう。そのチャンスがあったとして、ここは過去の復讐を遂げるべきだろうか。秩序を重んじるネットワークに埋没するより、何ものにも支配されない自由を重視すべきだろうか。主人公の心理は二転三転する。

 単純な(白黒が明白な)勧善懲悪ものではなく、かといって哲学的な思索が目的ではない。熱心なファン上がりの作家デニス・E・テイラー(下記リンク)や、ネット人気から出版に繋がったアンディ・ウィアー(『火星の人』)らが帯に推薦文を挙げている。この2人のファンならば、本書も面白く読めるだろう。

佐々木譲『帝国の弔砲』文藝春秋

カバーイラスト:ケッソクヒデキ
カバーデザイン:征矢武

 佐々木譲の歴史改変ミステリ『抵抗都市』の続編にあたる作品である。ただし、前作の集英社「小説すばる」連載版とは違い、本書は文藝春秋の「オール読物」で2019年3月号から2020年7月号まで約1年半連載されたものだ。続編というより、並行する枝編なのだろう。時代は前作から四半世紀後の1941年7月の東京へと飛ぶ。

 主人公はディーゼルエンジンの整備工だった。下町に小さな家を借り、親しくなった女と籍を入れないまま同居生活を送っている。しかし主人公には隠された使命があった。それは最後の任務と呼ばれ、一度決行すると二度と元の生活には戻れないものなのだ。主人公は、前線で戦った過去を思い浮かべる。それは帝国が存在していた25年前に遡る記憶だった。

 今回舞台は一変する。物語はロシア帝国の沿海州に移住した、日本人家族のエピソードから始まる。入植者たちはロシアと日本が戦争になった後に収容所に送られ、戦後も土地を取り返すことができず貧しい生活を強いられる。なんとか鉄道学校に通えた主人公は、第1次大戦勃発とともに徴兵され西部戦線(ロシアからみた西部、ドイツからみれば東部戦線)に送られるが、そこで思わぬ戦功を上げる。

 日本がほとんど関係しなかったこともあり、第1次大戦のイメージはあまり沸かない。最近の映画「1917 命をかけた伝令」などを見て、英仏とドイツが対峙した西部戦線が人命をすりつぶす塹壕戦だったことが分かるくらいだ。しかし最大の犠牲者を出したのはロシアとドイツの戦いなのである。広大なロシアで総力戦が起こると、被害の及ぶ範囲も果てしなく拡がる(ナポレオン戦争や独ソ戦もそうだった)。主人公は、日系ロシア人としてその戦いに参加する。この設定は、第2次大戦下の日系アメリカ人と似ている。第1次大戦や、それに続く革命の混乱期を、日系ロシア人(二世)の視点で描くというのはユニークだろう。

 本書の場合、ロシア兵器に可変翼グライダーや水中翼船のようなものが出てくる以外は、歴史改変度合いは小さい。ロシア革命後に日本は独立し(史実的にも、ロシア帝国内のバルト三国やフィンランド、ポーランドが独立)、極東共和国の樹立や革命干渉のため派兵された日本軍など、概ね元の歴史をたどりつつあるように見える。物語の最後は太平洋戦争を予感させてまだ続く。小説すばる版の続編『偽装同盟』は新連載が始まったばかりだ。さて、2つの物語はどこでつながるのか。

眉村卓『静かな終末』竹書房

イラスト:まめふく
デザイン:坂野公一(well design)

 日下三蔵編による眉村卓初期ショートショート選集である。デビュー6年目に出版された『ながいながい午睡』(1969)のうち文庫に収められなかった作品28編(下記【I】)と、それ以外にも、著者の単行本または文庫未収録のままだったショートショート作品21編(下記【II】【III】)を加えたものだ。雑誌「丸」収録作など、後にアンソロジイ『SF未来戦記 全艦発進せよ!』(1978)に収められたものも含まれる。著者の初期作品集は、文庫化の際にほとんどがテーマ別に再編集されており、内容が合わない作品が宙に浮くケースが結構あった。

【I】いやな話(1963)深夜のTVから流れ出す声。名優たち(1968)画期的なレジャーの正体。われら人間家族(1968)臓器移植を巡るかけひき。廃墟を見ました(1967)タイムマシン発明者の見たもの。大当り(1968)大当たりの景品は月旅行だった。誰か来て(1962)古びた部屋で誰かを待つわたし。行かないでくれ(1968)久しぶりに出会った友人の様子がおかしい。応待マナー(-)応対技術を促成で取得しようとする主人公。ムダを消せ!(1965)あらゆるムダを削減した会社の顛末。委託訓練(-)新入社員の訓練を外部委託したら。面接テスト(1968)面接を受けようとする男がトラブルに巻き込まれる。忠実な社員(1968)仕事に忠誠を誓う社員は体をいたわる暇もない。特権(1965)絶え間のない仕事に追われる男の特権とは。夜中の仕事(1968)夜中に帰ってくると妻が何かをしている。のんびりしたい(-)忙しすぎる客のために特注のレジャーが提供される。土星のドライブ(-)土星の輪でドライブしたいと要求する客。家庭管理士頑張る(1967)旧家から家庭管理の仕事を受けた新米管理士の奮闘。自動車強盗(1967)雨の中不審なタクシーに乗った客。ミス新年コンテスト(-)未来のミスコンで暴かれる真実。物質複製機(1968)画期的な発明品の秘密。獲物(1962)満員電車の中で一人の男が女にまとわりつく。はねられた男(1968)暴走車にはねられた男が気がつくと。落武者(1968)燃えさかる城の前で落ち武者は百姓に追われる。安物買い(1967)格安月旅行の中身。よくある話(1968)棄てた男から贈られた宝飾品。動機(1968)莫大な財産を持つ政治家の生活は質素に見えた。酔っちゃいなかった(1961)加速剤を使って犯罪をもくろんだ男。晩秋(1962)懐かしい校庭の思い出から得たものとは。怨霊地帯(1967)アフリカに侵攻した国連軍が遭遇する恐怖。

【II】敵は地球だ(1966)月が世界連合に反乱を起こす。虚空の花(1966)人工頭脳が統御する戦闘艦の中では艦長ただ一人が決定を下せる。最初の戦闘(1966)自分の分身を駆使して敵基地を叩く要員。最後の火星基地(1966)科学エリートが築いた火星基地に最後の攻撃が下される。防衛戦闘員(1967)ロボットと見まごうほど改造された兵士。最終作戦(1967)恐ろしい敵に蹂躙される地球で究極の決定がなされようとする。敵と味方と(1968)意識をコントロールする兵器に市民たちは疑心暗鬼となる。

【III】すれ違い(1961)太陽に引き込まれるロケットがみたもの。古都で(1961)滅びた都にあるひとつの像。雑種(1961)昔は良かったはずとの政策の結果。墓地(1961)奇妙な武器の売り込みが来る。傾斜の中で(1961)戦争を恐れる社長の下で働く技術者。あなたはまだ?(1962)一人の男がどことも知れぬ世界から帰ってくる。静かな終末(1962)今日最終戦争が起こるという噂が拡がる。錆びた温室(1963)あれがやってくるまで時間は残されていない。タイミング(1964)これまでで最高のショーの時間が迫っていた。テレビの人気者・クイズマン(人間百科事典)(1967)人気を誇るクイズ選手権ではプロのクイズマンたちが争っている。100の顔を持つ男・デストロイヤー(破壊者)(1968)秘密裏に個人・組織を問わず相手を失脚させる職業。電話(1969)プライベートな行き先になぜかかかってくる電話。店(1969)その店の店員のふるまいは異様だった。EXPO2000(1970)21世紀の万博は失われたものを回復させる。
 註:(-)とあるのは発表年不詳

 最近翻訳が完結した『フレドリック・ブラウンSF短編全集』で確認すると、日本にも大きな影響を与えた名手ブラウンが、ショートショートを書いた時期は60年代前半までである。眉村卓の本書は、ちょうどその時代とシームレスにつながっている。ただ、いつ起こるかも知れない核戦争の恐怖という、60年代共通の背景を別にすれば、ブラウンと眉村卓では描く世界がまったく異なっている。言葉遊びや洒落、ユーモアを重視するブラウンの作品はある意味で観念的だし、変貌する社会に翻弄される人々に視点を置く眉村卓はよりリアルといえる。

 「怨霊地帯」と【II】に収録された作品は、ミリタリー雑誌「丸」で複数作家による競作で連載された「SF未来戦記」の一部。すべてが戦争物で、多くは宇宙を舞台としている。機械に囲まれた孤独の指揮官・命令者という司政官の原型が表われている。戦闘はどれもが虚無的である。70年代の《司政官シリーズ》に派手な会戦・戦闘シーンがないのは、既にここで描いてしまったからかもしれない。

 【III】には(著者による自筆年譜などによると)同人誌「宇宙塵」の掌編をきっかけに掲載が決まった「ヒッチコックマガジン」の最初期作や、筒井康隆の同人誌「NULL」掲載のやや長めの作品が入っている。デビュー前後のもので、同じく「宇宙塵」に載った後に改稿された「準B級市民」などと違い、執筆当時の原形を保つ貴重な初期作といえる。表現はまだ硬いが、何かに追い詰められている人々の苦闘と、どこか夢を見ているような幻想性が併存しており、それはデビュー後の諸作につながっている。