林譲治『コスタ・コンコルディア 工作艦明石の孤独・外伝』早川書房

Cover Illustartion=Rey-Hori
Cover Design=岩郷重力+Y.S

 8月に出た本。本年完結した著者の《工作艦明石の孤独》(全4巻)の第3巻に、「コスタ・コンコルディア」という章がある。ある星系の惑星軌道上で、130年前のものと思われる植民船コスタ・コンコルディアが発見されるというエピソードだ。結末にも関わる謎なので詳細はシリーズ本編を読んでいただくとして、本書はさらに後の時代を描いた独立編である(登場人物の重複もない)。

 小さなM型恒星を巡る惑星シドンは気候が厳しく、200万ほどの人口しかない辺境の植民星である。ただ、そこにはタイムワープにより3000年前に漂着した先住民がいた。新たな植民者たちは、先住者を既に文明を失った野蛮人として差別的に扱ってきた。そこで、過去の文明観を一新する発見が報告される。現地の弁務官は、統治機構への影響を考慮し調停官の派遣を要請する。

 調停官は先住民の科学者と共に調査を進める。伝説に過ぎなかった過去が明らかになれば、先住者の地位も見直されることになる。しかし、植民者たちの現地自治政府や、守旧派の議会とは思惑が交錯する。先住者にも、長年の同化政策を否定する発見に拒否反応を示す一派がいるのだ。

 入植する3000年も前から生きる先住者は、植民者から見て異星人とも等しい民と映るだろう。牧眞司は本書を「文化人類学的な視座」を持つ作品としている。同様に、中村融はかつて眉村卓『司政官 全短編』(2008)を、ル=グィンやビショップの諸作と並ぶ「異星文化人類学SF」と評した。《司政官》と本書には、異文化との共存という共通のテーマがあるのだ。さらに、植民星を統治する弁務官やエージェントAIを唯一の部下とする調停官は、ロボット官僚(人間の部下はいない)を率いる司政官を思わせる。どちらも地球圏(人類圏)の権威や圧倒的な武力を背景に植民星を統治するが、かえって反乱を引き起こすこともある。

 眉村卓はその葛藤を司政官の内面を描くことで表現した(司政官は孤独な存在である。味方はロボットだけで、人間的な苦しみを共有できる相手ではない)。一方、林譲治の場合はもう少しテクノクラート(=技術官僚)寄りの視点で描く。問題を切り分け、技術的に収拾するまでの思考プロセスが物語になっている(従って、個人の苦悩は顕著には表れない)。その点は、谷甲州《航空宇宙軍史》に登場する軍人のふるまいに近いように思われる。

ジーン・ウルフ『書架の探偵、貸出中』早川書房

Interlibrary Loan,2020(大谷真弓訳)

カバーイラスト:青井秋
カバーデザイン:川名潤

 ジーン・ウルフは2019年4月に亡くなっており、本書は没後に遺作長編として出た『書架の探偵』(2015)の続編である。昏い雰囲気の100年後の未来を舞台に、とうに亡くなったミステリ作家が、図書館収蔵のリクローン(複製体=クローンなのだが「本」扱いなので人権がない)となって、利用者に貸し出されるという設定だ。今年のハヤカワSFコンテスト受賞作『標本作家』を、さらにデフォルメしたものと思えばよい。本書では図書館間相互貸借(原題の意味)によって、地方図書館に送られた主人公のミステリ作家が、事件の解決を図るというもの。

 海辺の小さな町にある図書館に送られた作家は、そこで一人の少女に貸し出される。少女は邸宅に住んでいるが、母親は精神的に不安定であり、何年も行方不明の解剖学者の父親を捜しているらしい。手がかりとして、館には「解剖用遺体の島」の地図が残されていた。

 本書には多くの登場人物が出てくる。少女、母親、マッドサイエンティスト風の父親、リクローンの同僚である料理研究家やロマンス作家、そして冒険家など(ほとんどが女性)がいて複雑に絡み合う。さて、問題なのは本書が未完成であることだろう。全部で22章からなるものの結末には至らない。また途中3分の2を越えた以降は内容の矛盾(これまでにないSF的設定が出てくる)が目立ち、推敲以前の草稿だと推察できる(同じような作品に『山猫サリーの歌』がある)。

 とはいえ、本書がウルフの書いたものとなると、重なり合った謎や読者を騙そうとする仕掛けの一部ではないかと疑うこともできるだろう。あるいは、著者の創作作法として、まずあらゆる可能性・意外性を描き出してから、矛盾が読者に見えないように巧妙に隠蔽するのかもしれない。としても、まだこれは手前の段階なのだ。最後まで読めないのは残念ながら、作家の舞台裏をいろいろ想像できて面白い。

キム・チョヨプ『この世界からは出ていくけれど』早川書房

방금 떠나온 세계,2021(カン・バンファ、ユン・ジュン訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 キム・チョヨプ3作目の翻訳書(連名では他にノンフィクション『サイボーグになる』や、アンソロジイ『最後のライオニ』などもある)。今年の初めに翻訳されたのが長編『地球の果ての温室で』だったので、短編集としては2冊目になる。

 最後のライオニ(2020)こちらを参照
 マリのダンス(2019)視覚的な刺激が断片化し像を結ばない異常を持つモーグ、その一人である少女がダンスを習いたいという。機材を使えば「見る」ことができるのだ。
 ローラ(2019)自分の体に余分なものがあると感じたり、あるいは何かが足りないと感じる身体不一致を訴える人々が現れる。ローラは後者だった。
 ブレスシャドー(2019)プレスシャドーでは呼気に含まれる匂いの粒子で会話をする。しかし、蘇生したプロトタイプの人類には相容れない方法だった。
 古の協約(2020)遠い昔に植民された惑星ベラータに、遠く地球からの探査船が到着する。だが、親しくなった乗組員は、古くから続く風習に干渉しようとする。
 認知空間(2019)共同体には認知空間と呼ばれる巨大な記憶施設がある。人々は自身の知覚と一体のものと見做している。ただ、身体的な制限から利用できない者もいた。
 キャビン方程式(2020)天才物理学者だった姉から、妹宛に奇妙な依頼が届く。おかしな噂がささやかれるデパート屋上の観覧車に乗れというのだ。

 SF専門誌今日のSFに載った「認知空間」以外はすべて文芸誌/一般向け掲載作だが、何れもSF小説になっている。視覚が別のものに変わり、体に不一致を感じ、匂いが言葉になる。さらに踏み込んで環境と寿命や、認知の拡張の意味、時間感覚の伸張までが語られる。ふつうの人(多数派)と感覚が異なる少数派または個人との、相互理解(その可能性)を描いた作品が多い。当然のことながら、これらは現代の身体的な障害や性自認に伴う差別にも関係するだろう。

 ただ、本書で描かれるのは単純な弱者と強者の関係ではない。場合によっては覚醒者と無自覚な守旧派のように逆転するし、治療や説得ができないことから思わぬ結果につながる。そういう意味で、現代の社会テーマが背景に透ける第1短編集よりも、さらに普遍化され重みを増した作品集といえる。

キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』パーソナルメディア

The Ministry for the Future,2020(瀬尾具美子訳、山田純 科学・経済監修)

Designed by SD2

 キム・スタンリー・ロビンスンが3年前に発表した、106の章から成る1500枚余(2段組み600頁)に及ぶ長編である。バラク・オバマが2020年のベストに選びビル・ゲイツが推奨したことでも話題になった。ただ、解説で坂村健(翻訳出版を推した)が触れている通り、日本では注目されず棚上げ状態だった。理系+文系の両方を理解するセンスが要求される小説であり、ジャンルSF以外で受け入れる読者が少ない=商業的に難しいと思われたからだという。

 ごく近未来のインドで大熱波が発生、地域の大規模停電と重なって2000万人もの犠牲者を伴う惨事が起こる。インドではそれを契機に既存の政治勢力は力を失い、全く新しい超党派の環境派政権が誕生、その対極に炭素排出を暴力で阻止しようとする過激派も現れる。一方、国連では気候変動に取り組む新たな組織「未来省」が活動を開始する。

 物語は大熱波を生き残ったPTSDに苦しむ男と、未来省のリーダーである女を主人公に、世界の人々や事件を点描しながら進んでいく。未来省の置かれたスイスのチューリヒ(著者は一時期滞在していた)や、アルプスの光景が印象的だ。南極を含む世界各地と、さまざまな人々の活動も含まれる。中高年の男と女は、ある事件を契機に知り合うものの恋人同士とはならない。しかし、距離を置きながら終生惹かれあう。

 本書の中では、炭素増加に伴う環境破壊、貧富の格差(南北間、国家間、国内、組織内)克服、民主主義のあり方、新自由主義の弊害、MMTやモンドラゴン、炭素税(ペナルティ)とカーボンコイン(インセンティブ)などが論じられる。既存の政治経済システムだけでは破局的な環境問題に対処できないと主張する。もちろん、書かれている内容すべてが正しいとは言えない。さまざまな意見が出てくるだろう。けれど、それこそが著者の意図することでもある。スルーではなく、反論でもよいから考えるべきなのだ。またコロナ、ウクライナ前に書かれた本書の現在の立ち位置については、ロビンスン自身がこの講演(2023年4月)で語っている。

 本書以前の最新翻訳は、6年前の《火星三部作》完結編『ブルー・マーズ』(1996)になるが、もっと新しい『2312太陽系動乱』(2012)が2014年に先行翻訳されている。こちらも、政治経済システムについての刺激的な提案を含む意欲作だった。

ジェフリー・フォード『最後の三角形』東京創元社

The Last Triangle and Oyher Stories,2023(谷垣暁美訳)

装画:浅野信二
装丁:柳川貴代

 2018年末に出た『言葉人形』に続く、谷垣暁美による日本オリジナルの傑作選である。今回は主にSFやミステリなど、ジャンル小説分野の作品から14編を選んだという。著者はもともとSF系媒体に作品発表をしてきており、例えば「アイスクリーム帝国」は原著がオンラインのSci Fiction(2005年終刊)に、翻訳がSFマガジンに(ネビュラ賞ノヴェレット部門受賞作として)掲載されているので、違和感のない選定といえるだろう。

 アイスクリーム帝国(2003)匂いが音に変わり感触は声になった。生まれつき「共感覚」を持っていた主人公は、ある日同じ能力の女性と知り合う。
 マルシュージアンのゾンビ(2003)研究休暇中の大学教授は、自宅の前で元心理学者だと称する老人と出会う。その男は娘に自筆のゾンビの絵を贈ってくれる。
 トレンティーノさんの息子(2000)ロングアイランド湾で貝を獲る漁民たちの間で、不吉なうわさが広がる。海で行方不明になった若い漁師を見かけたというのだ。
 タイムマニア(2015)主人公は5歳から恐ろしい悪夢に悩まされるようになった。ただ、タイムを淹れたハーブ茶を飲めばなんとかしのげる。
 恐怖譚(2013)エミリーが目覚めると、屋敷には誰もおらず時計は止まっている。家の外では、見知らぬ男が馬車へと迎え入れようとする。自分はいったいどうなったのか。
 本棚遠征隊(2018)薬のせいで頭がおかしくなった冬の夜、本棚の登頂を試みる微小な妖精たちの姿を見た。彼らは犠牲をいとわず、さまざまな本を足場に登っていく。
 最後の三角形(2011)ヤク中のホームレス男は、とある老婦人から調査の仕事を請け負う。地図上の三角形の頂点にあたる場所で、秘密の赤いしるしを探せというのだ。
 ナイト・ウィスキー(2006)山奥の片田舎にある辺鄙な村で〈酔っ払いの収穫〉の助手を務めることになった若者の体験。
 星椋鳥(ほしむくどり)の群翔(2017)のどかで美しい都市〈結び目〉には、凄惨な連続殺人事件という未解決の汚点があった。専任警部は被害者の娘と周辺を疑う。
 ダルサリー(2008)スーパーミニチュア版ヒト細胞から生まれた微小な人々は、ガラスの牛乳瓶の中にドーム都市ダルサリーを建設した。
 エクソスケルトン・タウン(2001)古い地球映画を偏愛する異星人と交易するため、地球人は映画スターとそっくりのエクソスキンをまとう。
 ロボット将軍の第七の表情(2008)対ハーヴィング戦争の英雄であるロボット将軍には、7つあるいは8つの表情があったとされる。
 ばらばらになった運命機械(2008)老宇宙飛行士がかつて異星で手に入れた部品は、機械の一部分であるらしかった。
 イーリン=オク年代記(2004)海辺の砂浜に作られた砂の城には、指の先ほどの大きさの妖精が住むことがある。波で城が崩れ去るまでがその生涯だった。

 「アイスクリーム帝国」の共感覚、ジャック・ヴァンスを思わせるエキゾチックな宇宙譚「エクソスケルトン・タウン」や「ばらばらになった運命機械」、ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」のような「ダルサリー」や、皮肉なロボット兵器「ロボット将軍の第七の表情」などを読むと、確かにクラシックなSFの感触がある。

 とはいえ、「星椋鳥の群翔」や表題作「最後の三角形」は猟奇ミステリ、残りの多くはホラーと分類しても、あくまで奇想の切り口がそう見えるだけで、一般的なジャンル小説とは一味違うものだ。これは物語の方向性が、エンタメ的な事件の真相や動機の解明にないからだろう。オープンエンドとかではなく結末はあるものの、「なぜ」は謎のままなのだ。そこはジェフリー・フォードらしいといえる。

 中では「本棚遠征隊」「イーリン=オク年代記」に出てくる微小な妖精たち(という意味では「ダルサリー」も含む)が作者のお気に入りのようで面白い。なお「恐怖譚」に出てくるエミリーとはエミリー・ディキンスンのこと。

武石勝義『神獣夢望伝』(新潮社)

装画:zunko
装幀:新潮社装幀室

 6月に出た本。日本ファンタジーノベル大賞2023受賞作。著者は1972年生まれ、これまでカクヨムなどネット上で作品を発表してきた。銀河系を舞台にした壮大なSF長編などもある。本書は三国志風の架空世界を舞台としたファンタジイである。

 辺鄙な村に武勇に優れた守人の青年、観るものすべてを魅了する祭踊姫の娘、異世界の夢を繰り返し見る少年がいた。しかし都の太上神官が村に巡行したとき、娘は都にある夢望宮に仕えるよう命じられる。娘が忘れられない青年は軍務に就き、少年は神官になるべく都に赴くが、折しも均衡を保っていた国家間で軋轢が高まろうとしていた。

 恩田陸「(『キングダム』的な)既視感が強いものの、いちばんきちんとドラマになっていて、読み応えがあった。登場人物もそれぞれくっきりとした存在感があり、人間臭いところも魅力的」、森見登美彦「とにかく面白く読ませるという点で、本作は他の候補作から抜きんでていた。簡潔な描写やエピソードの積み重ねがうまくて、登場人物が生き生きしている」、ヤマザキマリ「作中に登場する女性たちはみな一筋縄ではない生命力と繫殖欲を備えており、若い表現者の想像力だけではなかなか描けない強烈な女性像も印象深かった」。

 選考委員の評価はおおむね高く、最終候補作中トップのリーダビリティだったようだ。その一方、主人公=少年の行動(希求する方向性)が途中で切り替わってしまうこと、物語を支えるポジティブな存在の不在が課題とされる。

 なぜ「神獣夢望」なのかというと、世界は夢望宮の地下に眠る神獣(どのような姿なのかは分からない)の夢だからだ。眠りから覚めると消失してしまう。少年には(おぼろげながら)同様の能力があるらしく、現世の命運を担っているようでもある。となれば、世界を救済する英雄への変貌がエンタメ的には望まれるが、著者はむしろシリアスな下降方向(アンチクライマックス)へと持っていく。その是非は読み手の好みにもよる。

 評者は、夢にメタフィクション(物語中の物語)的な意味を持たせるのかと思った。こういう複数の可能性を暗示させるのも著者の才覚なのだろう。

正井編『大阪SFアンソロジー OSAKA2045』/井上彼方編『京都SFアンソロジー ここに浮かぶ景色』社会評論社

装画・装幀:谷脇栗太

 VGプラス合同会社が編集し、Kaguya Planetレーベル(発売元:社会評論社)で出すアンソロジイの第2弾(OSAKA2045)と第3弾(ここに浮かぶ景色)である。大阪と京都にちなむSFという、地域をテーマとしたご当地作品集。実在の都市名を冠するアンソロジイは、文学ならともかくSFではあまり見かけない。著者はかぐやSFコンテストの入選者を中心に、地域在住だったり生地だったりの所縁ある作家たち、それぞれ大阪10人+1人/京都8人から成る。

OSAKA2045
 北野勇作「バンパクの思い出」20年前なのか75年前なのか、混在する2つのバンパクの思い出が余談を交えながら語られる。玖馬巌「みをつくしの人形遣いたち」夢洲にある万博跡地の科学館で、コミュニケーターを務める主人公と先輩や館長、AIの目指すものとは。青島もうじき「アリビーナに曰く」70年万博が持続され75年を経た世界で、瓦礫から生まれたアリビーナは月を目指す。玄月「チルドボックス」先の万博の年生まれの老人と、後の万博生まれの若者が同居する靭公園近くのマンション。中山奈々「Think of All the Great Things」10編のSF俳句が映し出す十三(じゅうそう)の人々の生きざま。宗方涼「秋の夜長に赤福を供える」絶えようとする伝統の菊人形を守る、枚方市に住む祖父親子3代の奮闘記。牧野修「復讐は何も生まない」IRの失敗、南海トラフ地震による水没を経て荒野と化した夢洲で、荒んだ会話を交わす2人の女は待ち受ける男たちと対決する。正井「みほちゃんを見に行く」主人公の伯母にあたるみほちゃんは寂れた地域に住む。スキルがあるのに定職につかず独り身のみほちゃんは、なぜそんな生き方を選んだのか。藤崎ほつま「かつて公園と呼ばれたサウダーヂ」バーチャル空間の中では、好きな時代の長居公園を選ぶことができる。それは亡くなった叔父の足跡を再現する旅でもある。紅坂紫「アンダンテ」活動への資金援助を絶たれ、インディー音楽が廃れた大阪で、かつて街を棄てたバンド3人組がコンサートを開こうとする。蜂本みさ「せんねんまんねん」(先行発売特典)2045年、堺の小学生が発信した音声メッセージは、同じ大阪の見知らぬ誰かからの返信をもらう。

ここに浮かぶ景色
 千葉集「京都は存在しない」1945年、京都は黒い柱に覆われ失われる。それ以来、存在したはずの京都を見てきたようなエッセイが流行する。暴力と破滅の運び手「ピアニスト」美術館に展示された〈仮相〉は人の考えを読んで形を変える。ポーランドから招聘したピアニストは展示を気に入り、思わぬ希望を出してくる。鈴木無音「聖地と呼ばれる町で」丹後半島の北辺、映画の聖地とされる町で民宿を営む主人公と、親父の仕事を検証する映画監督の息子との交流。野咲タラ「おしゃべりな池」京都市南部の巨椋池跡は、今は広大な農地になっている。そこで一人暮らしをする祖父は昔あった蓮池の話をする。溝渕久美子「第二回京都西陣エクストリーム軒先駐車大会」西陣を盛り上げようとイベントが計画される。ミリ未満の隙間で決まる軒先駐車の極限技を競うのだ。自動運転なら容易いが、もちろんマニュアルのみである。麦原遼「立看の儀」年に一度、京都大学跡地で立看の儀が開かれる。保存会があり、手造り感を残しつつ伝統に則った意匠を駆使した制作が行われる。主人公は新人で、初めて図案を任される。藤田雅矢「シダーローズの時間」京都府立植物園、夏休みに写生のため訪れた主人公は、そこで季節外れのチューリップと、今はもうないはずのドーム型温室の赤屋根を見る。織戸久貴「春と灰」京都府南部の相楽郡にある国会図書館関西館、その辺り一帯はもはや〈禁足地〉と呼ばれ封鎖されている。本があるからだ。

 同様の趣旨で編まれたアンソロジイだが、集まった作品のトーンはずいぶん異なっている。大阪編のキーワードは「荒野」だろう。文字通り物理的な不毛の地であったり、精神的文化的な荒野が描かれる。中には若干の光があるものの、万博の暗黒面(これが多い)や文化が失われた未来など、おおむね閉塞感漂うディストピアなのだ。中では「アリビーナに曰く」「チルドボックス」「かつて公園と呼ばれたサウダーヂ」などが印象に残る。テーマをナナメから切る北野勇作、牧野修はさすがの快作というか怪作。

 対して京都編は、これは編者の意図もあり、ありふれた「歴史と伝統」ではなく、北の丹後半島から南の相楽郡まで幅広いモチーフが多い。巨椋池SFは初めて見るし、かつて森見登美彦も在籍した国会図書館関西館(自動倉庫を備えた最新設備がある)など、あまり知られていない案件もあって多彩だ。大阪編とは対照的に「文化」に焦点が当たっているのが特徴である。植物の専門家である藤田雅矢による「シダーローズの時間」(著者には植物園ものの作品が複数ある)、また「第二回京都西陣エクストリーム軒先駐車大会」「立看の儀」がユーモアあふれる奇妙な文化を創造する試みで面白い。

ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』竹書房

Tik-Tok,1983(鯨井久志訳)

イラストレーション:GAS
デザイン:坂野公一(welle design)

 人を喰った(長すぎる)邦題ではあるが、内容相応、著者らしいともいえる。本書はカルト作家スラデックの書いたロボットものの長編である。スラデックの作風はSFでも文学でもない独特のもので、一部読者に人気はあっても賞には恵まれなかった。本書は唯一、英国SF協会賞(1983年)を受賞した作品である(スラデックは当時英国在住だった)。

 とある金持ちの家で使われていた家庭用ロボットのチク・タクは、ペンキ塗りをしていた際にインスピレーションを得て壁画を描く。主人は気に入らなかったが、ロボットの絵は評判を生み高値で売れるようになる。チク・タクは有名になった。しかし、このロボットは倫理を規定する「アシモフ回路」が正常に働いていないのだ。

 7年前に翻訳が出た『ロデリック』(1980)もロボットが主人公だった。成長していく無垢なロボットのお話である。本書のチク・タクは既に大人で、自身の利益のためにはどんな手段も厭わない。葛藤がないので、ノワール(悪人)というよりサイコパスに近いといえる。ロボットサイコパスなのである。

 一方、この物語の社会では、ロボットは道具というより「奴隷」扱いである。道具だと人の手を煩わせる。奴隷ならぞんざいに命令しさえすればよい。知能があっても差別は当たり前と思っている傲慢な人間を、倫理感を欠いたロボットが出し抜くのだ。書かれた当時は寓意に過ぎなかったろうが、AIが急成長する今の時代では妙にリアルである。

 スラデックは、『黒い霊気』(1974)、『黒いアリス』(1968)、『見えないグリーン』(1977)、『スラデック言語遊戯短編集』(1977)と1970~80年代にかけて翻訳されてきた。このあたりは変格ホラー/変革ミステリに分類される作品である(今なら奇想小説だろう)。前評判に反して、SF作家という印象は薄かった。90年代になってから『遊星よりの昆虫軍X』(1989)が紹介され、日本で編まれた短編集『蒸気駆動の少年』(2008)でようやくその全貌が窺えるようになる。スラデックのSFは代表作が『ロデリック』とされる。本書はそれをひっくり返したような面白さがある。長さも半分ほどで軽快に読める。

 ところで、訳者の鯨井久志は京大SF研出身者(京大生ではなかったようだが)としては、大森望世代以降30年ぶりにプロ出版を果たした翻訳家。

新馬場新『沈没船で眠りたい』双葉社

装画:かもみら
装幀:AFTERGLOW Inc.

 著者は1993年生まれ。2020年第3回文芸社文庫NEO小説大賞を受賞した『月曜日が、死んだ。』でデビュー。2022年『サマータイム・アイスバーグ』で第16回小学館ライトノベル大賞優秀賞を受賞、SFネタが界隈で話題を呼んだ。一般読者向け書下ろし作品である本書でもそれは継承されている。テーマに強く関わる生成AI Chat GPT4なども作中の素材として取り入れたという。

 2044年、前年末にAIの打ちこわしを叫ぶネオ・ラッダイト運動が過激化、自爆テロが発生する。同じ日に、事件の首謀者と交流のあった女子大生が機械を抱いて海に落ちた。女性は救助されたが、テロとの関連を糺す刑事の取り調べに応じようともしない。なぜ運動に肩入れしたのか、ヒューマノイド=機械と心中まがいを企てた理由は何なのか。

 20年後の近未来は、今日を敷衍したディストピア社会である。多くの仕事はAI=ロボットに代替され、失業率は高止まっている。医療技術は飛躍的に伸び、BMIを用いる再生医療も進歩した。ただし、それが使えるのは富裕層だけだ。

 主人公の女子大生は鼻梁に大きな傷がある。整形できない家庭事情もあり、自己否定感に苦しめられていた。ところが意外な友を得る。何事にも消極的・冷笑的な主人公に対し友人は積極的で明るい。2人は育ちや身分(家族の社会的地位)考え方も異なる。著者はこの2人の関係をシスターフッド=女性同士の絆とする。対称的な友情を、フェミニズム的な連携に準えたのだろう。物語は友人の秘密を巡り、次第に暗転していく。

 著者は本書のテーマを「どこまで取り替えられたら、それはそれでなくなるか」とし、影響を受けた作品にイーガン「ぼくになることを」(『祈りの海』所収)を挙げる(インタビュー記事参照)。前者はSFの定番テーマ、新訳が出たバドリスの古典『誰?』(1958)もそうだ。後者は、イーガンならではの精緻さで考察された前者の派生形だろう。そこに生成AI社会に対するラッダイトや、格差社会が生んだシスターフッドなど今様のテーマを絡め、リニューアル/アップデートを企図した内容に仕上げている。

劉慈欣『超新星紀元』早川書房

超新星纪元,2003(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:富安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 20年前、ベストセラー作家となる前の劉慈欣が最初に出版した長編が本書である。『三体0』より《三体》との関連性は薄く(さすがに『三体マイナス1』とも書けず)翻訳では後回しにされてしまったが、それでも作品の発想は著者らしい。初稿は1989年なので、原点はさらに14年もさかのぼる(2003年版は第5稿のようだ)。

 地球から8光年の距離に、質量が太陽の67倍にも及ぶ「死星」があった。本来なら夜空に存在感を見せつけたはずの明るい星だったが、星間物質の雲に遮られ、つかの間のヘリウム・フラッシュによる光以外知られることはなかった。しかし、5億年に及ぶ星の生涯は爆発により突然終わりを告げる。強大な死のエネルギーを伴う光は8光年を超え、夜空にマイナス27等級の輝きを放った。

 超新星爆発から1か月ほど過ぎた9月、卒業したばかりの小学生が各地から集められ、15日間にわたる野外ゲームが開催される。それは国家の合従連衡をシミュレーションするもので、新国家の指導者を見定める試験でもあった。大人たちが退場し、当時12歳以下の子どもたちに権限を委譲するというのだ。降り注いだエネルギー粒子により大人たちの染色体は修復不能、もはや命は1年余りしか残されていなかった。

 世界は子どもだけのものとなる。しかし、大人の秩序から解き放たれた子ども世界は、異様な変容をみせる。なんとか秩序を保とうとする慣性時代、欲望を隠そうとしないキャンディタウン時代を過ぎると、やがて南極を舞台とする超新星戦争と呼ばれる狂乱が。

 本文中でも言及されるように、ゴールディング『蠅の王』(1954)を思わせる。確かに子どもたちだけによる「国家」が描かれる点はよく似ている。ここでゴールディングは、人間=大人の中に潜む蛮性を子どもで象徴しようとした。対して劉慈欣は、子どもの倫理観は大人とは全く異なるものとする。すべては遊びであり、命さえも遊びの代償なのだ。大人のカリカチュアではないのである。そういう意味から考えると、命を課した残虐なゲームすらためらわない本書の子どもたちこそ、三体文明の異星人に近いのかもしれない(つまり『三体マイナス1』?)。