ケン・リュウ、藤井太洋ほか『七月七日』東京創元社

일곱 번째 달 일곱 번째 밤,2021(小西直子、古沢嘉通訳)

装画:日下明
装幀:長崎稜(next door design)

 今月には旧暦の七夕(8月22日)がくるので紹介する。本書の原典は、韓国Alma社で企画出版された韓国語のアンソロジイである。済州島の伝承を元にした韓国SF作家の7作品に、中国系作家2作品(どちらも原著は英語)と藤井太洋(日本語)をゲストとして加えたものだ。

 ではなぜ済州島なのか、なぜ中国や日本が関係するのか、そもそもなぜ七夕なのか。まず、済州島は12世紀まで独立国だった関係で、韓国本土と異なる独自の文化や伝承がある。海を介して大陸と近い関係で、中国文化の影響も大きかった。その点は、独立王国だった奄美や沖縄(琉球)などとも共通する。また、日本には織姫彦星の一般的な七夕伝説のほかに七夕の本地物語というものがあるが、これは済州島の伝承との関連が指摘されている。国際アンソロジイとした根拠はその辺りにもあるだろう。

 ケン・リュウ「七月七日」幼い妹に七夕のお話をしたあと、主人公はアメリカに留学する友と夜の街に出る。すると、カササギの群れが現れて2人を空へと導くのだ。
 レジーナ・カンユー・ワン(王侃瑜)「年の物語」眠りについてから久しい時間が流れたあと、怪物「年」は少年に召喚されて目覚めるが、街は見知らぬものとなっていた。
 ホン・ジウン「九十九の野獣が死んだら」銀河港のターミナルに野獣狩りのハンターがやってくる。老人と鋼鉄頭のコンビで、獲物を臭覚センサーを使って追跡するのだ。
 ナム・ユハ「巨人少女」済州島の高校生5人が宇宙船に拉致され、一見何事もなく戻ってくる。しかし、その体には異変が生じていた。急激に巨大化していくのだ。
 ナム・セオ「徐福が去った宇宙で」コレル星系の辺境で採鉱をしているコンビは、見知らぬ巨大な宇宙船と遭遇する。それは、チナイ星系から不老草を求めて飛来したという。
 藤井太洋「海を流れる川の先」サツ国の暴虐な兵が大軍で押し寄せてくる。しかし、備えを知らせようとする伝令舟に、サツ国の僧と称する男が同乗してくる。 
 クァク・ジェシク「……やっちまった!」済州島で開催される学会のあと、学会を主宰する先輩と共に島の最高峰漢拏山に登頂した主人公は不思議な体験をする。
 イ・ヨンイン「不毛の故郷」生命の豊かな惑星で、異星人は孤島の耽羅地区に保養地をもうけていたが、予想より早くそこに人間が到来した。
 ユン・ヨギョン「ソーシャル巫堂指数」ネット時代に対応するために、市民はICチップをインプラントされている。しかし、巫堂指数が高すぎる人間は異常者扱いされる。
 イ・ギョンヒ「紅真国大別相伝」翼を持って生まれたものは殺される。しかし神の造った子供は羽を密かに切り落とされ、生き残ることになる。

 明記はされていないが、ケン・リュウ以外は書下ろしか、本書が初出の作品だろう(日本初紹介作家も多数)。各作品には元となる伝承や歴史がある。七夕(中国)、架空の新年行事(中国)、九十九の谷の野獣伝説、巨人のおばあさんハルマンの伝説、徐福伝説、薩摩による琉球討伐(日本)、白鹿譚と山房山誕生の伝説、シャーマン神話、媽媽神(大別相)に関する伝説などなどだ。注記のないものはすべて済州島の伝承・伝説になる。

 ただし、それぞれの物語はずっと自由で、宇宙ものの「九十九の野獣が死んだら」「徐福が去った宇宙で」「不毛の故郷」、怪獣ものめいた「巨人少女」や、今風の近未来「ソーシャル巫堂指数」、主人公の孤独を軽妙に描く「……やっちまった!」など、ユーモアと哀感を込めて書かれたものが多い。巻末の「紅真国大別相伝」はファンタジーなのだが現代的な寓意が込められている。

マルセル・ティリー『時間への王手』松籟社

Échec au temps,1945(岩本和子訳)

装丁:安藤紫野(こゆるぎデザイン)

 マルセル・ティリーは、19世紀生まれのベルギー作家。著名なフランス語作家(同国ではオランダ語、ドイツ語の話者もいる)で、詩人、政治家でもあった。本書は大戦前の1938年に脱稿(出版は戦後の1945年)された、ワーテルローの戦いを舞台とする時間SFでもある(帯にタイムトラベルとあるものの、人が搭乗可能なタイムマシンは出てこない)。

 主人公は鉄鉱などを扱う商社のオーナー経営者だった。しかし父親の跡を継いだものの、経営はうまくいかず会社は徐々に傾いている。ある日主人公は海辺のリゾートに逃避、そこで過去の友人と再会し、風変わりな英国人物理学者を紹介される。画期的な「過去を観る装置」を開発しているが、資金不足に陥っているのだという。

 装置で過去を観るには、調整のための膨大な計算が必要になる。しかし、英国人はなぜかワーテルローだけに固執している。曾祖父の行動が原因で大英帝国はナポレオンに敗北、歴史改変ができれば家系の汚名返上になるだろう、と語るのだ。しかし、観るだけの装置では過去に干渉できない。一方、仕事をおざなりにし、資金援助を続ける主人公も追い詰められていく。

 日本ではワーテルローについて、名前はともかく戦いの推移までは知られていない。地図があると分かりやすいが、本書の中にはないので以下を参照に引用する。

wikipedia commonsより引用

 とはいえ、本書は「もし関ヶ原の戦いで西軍が勝ったら」などの改変歴史ものではないのだ。また、登場するのはある種のタイムカメラ(同様の作品にシャーレッド「努力」がある)で、ウェルズの「タイム・マシン」(1895)やアインシュタインの一般相対性理論(1916)を説明に取り込む(科学的な正確さはともかく)など、SF小説のスタイルに準拠しているものの、やはりテーマはアイデアの斬新さにはないのである。

 未来の破綻=破産が目に見えている主人公(フランス語話者のベルギー人)と、過去の汚名に偏執する英国人とを対照的に配し、お互いの複雑な葛藤を描き出した点に著者の書きたかったポイントはある。その点は、彼らの試みが終わったあと、明らかになるアイロニーに満ちた結末を見てもわかるだろう。

小田雅久仁『禍』新潮社

装画+ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

 前作の連作中編集『残月記』で、第43回吉川英治文学新人賞第43回日本SF大賞を受賞した著者による短編集である。小説新潮に掲載された7編からなるが、中・長編を得意とする著者らしく発表年には10年以上の幅がある。それぞれ日常ホラー的な導入部ながら、その後の展開は著者独特の超常的な幻想世界につながっていく。

 食書(2013)離婚し次作を書きあぐねる作家が、ショッピングモールの多目的トイレで本のページを食べている女を目撃する。
 耳もぐり(2011)非常勤講師を掛け持ちする男の恋人が失踪する。恋人の隣室に住む男は、その行方を知っていると仄めかす。
 喪色記(2022)主人公は人の視線が苦手でうつ状態に陥ることもあった。やがて、意識の彼方から「ざわめき」を頻繁に感じ「滅びの夢」を見るようになる。
 柔らかなところへ帰る(2014)小柄で生真面目な男は、バスで乗り合わせた豊満な女性に異様に惹かれるようになる。同席は偶然のはずだったが。
 農場(2014)転落する人生に暗澹としていた青年は、誘いを受けて田舎の農場での住込み仕事にありつく。そこには巨大な培養タンクがあった。
 髪禍(2017)過酷な仕事に耐え兼ね休職していた主人公に、昔知り合った男から電話がある。頭髪にまつわる新興宗教の儀式でサクラになれというのだ。
 裸婦と裸夫(2021)美術館で開かれる裸婦展を見に行こうとした男は、電車の中で突然裸になる中年の男性を目撃する。その現象は伝染するように広がっていく。

 主人公は孤独だ。少なくとも人生の成功者ではない。ダーク・ホラーならば、そうした脱落者たちが落ち込む先は底の底、より深い煉獄であったり出口なしの迷宮になるだろう。つまり、絶望しかない。だが、本書で描かれる世界はちょっと違う。物語や脳内に潜り込み、灰色の異形から逃れ、ふくよかな肉欲にはまり、奇怪な閉鎖農場で暮らし、髪が神となり、着物を脱ぎ捨てた人々は、最終的にある種のユートピアに至るのだ。発端(現実)と結末(超常世界)には大きな落差がある。一見救いがないように見えても、何らかの光がさしているところが、小田雅久仁流の異世界なのである。

 全7作品、ほとんどは100枚以内の短編で「農場」だけが中編になる。ただ、著者の持ち味を十分引き出すには、やはり中編以上が必要と思われる。読者として、あの執拗な文体で描かれる見知らぬ世界に浸りきりたいからだ。

日本SF作家クラブ編『AIとSF』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+Y.S

 日本SF作家クラブは作家以外にも門戸を開いているが、会長に博士号を持つ科学者が就任するケースは稀だった。第16代会長だった瀬名秀明も、作家としての実績を見込まれてのことだろう。その点では、第21代大澤博隆会長は人工知能を専門とする現役の科学者なので、テーマ「AIとSF」との親和性も良い。本書は5月に出たアンソロジイ第3弾目、全22編の書下ろし短編を収める。

 さて作品を紹介する前に、下記のリストをご覧いただきたい。既にAIは現場の実用ツールなので、使う人はこう考えておくべき、というAIリアリストの7か条である。
1.わからないのは当然、まずは基本を押さえよう
 (AI業界にはさまざまな派閥があり、専門用語を使って分かりにくい説明をする)
2.どのAIについて話しているかを見極めよう
 (いろんなレベルのAIがある)
3.将来どうなるか憂うのではなく、今どう使えるのかを考えよう
 (人類が滅びる!とか恐れるのはそのあと)
4.AIで何がしたいのか(期待値)を分かって使うこと
 (訳も分からず、やみくもに使うと嘘をつかれても気が付かない)
5.擬人化しない
 (どんなに人に似ているように思えても、相手は人間ではない)
6.政治的なものだと思っておく
 (今のAIの動向には政治的な動きが大きくかかわっている)
7.怖がるな
 (どんなに万能に思えても、所詮コード/プログラムなのだ)
 とはいえ、SF作家はリアリストばかりではないだろう。リアルをどう凌駕できたのか、という観点で読んでみた。

 長谷敏司「準備がいつまで経っても終わらない件」万博開催前に時代遅れとなったAI展示に、起死回生の逆転が図れるか。高山羽根子「没友」やりとりがAIアシスタントで代行され、旅がVRになったとき、連れ立つ友の意味とは。柞刈湯葉「Forget me, bot」V-Tuberに関するニセ情報を消し去る「AI忘れさせ屋」の正体。揚羽はな「形態学としての病理診断の終わり」診断AIの能力向上で、仕事を追われる病理診断医の葛藤。荻野目悠樹「シンジツ」AIによる犯罪データベースの調査により、死刑犯が冤罪であると指摘されたとき。人間六度「AIになったさやか」亡き恋人はAIによる声となってよみがえり、主人公の行動を左右する。品田 遊「ゴッド・ブレス・ユー」妻の死後に引きこもっていた男は、AIパートナーの妻を作り出す。粕谷知世「愛の人」少年の保護司をしている主人公は、メタバースの中でお婆さんの姿をしたAIと出会う。高野史緒「秘密」富豪の老婦人は、わけもなく次々とVRコンパニオンを変えていく。その理由を探るハッカーが知ったのは。福田和代「預言者の微笑」画期的なAIモデルが人類の終末を予言したため、抗議する群衆に追われることになる。安野貴博「シークレット・プロンプト」ニューラルネットワーク《ザ・モデル》により平穏が保たれた国で、なぜか中学生だけの誘拐事件が続発する。津久井五月「友愛決定境界」インプラントで能力を高めた警備会社の隊員は、移民地区の犯罪摘発時に敵味方決定境界の乱れを知覚する。斧田小夜「オルフェウスの子どもたち」自己再建システムの暴走による下町癌化災害から30年が経った。その人工知能を巡り投企派と破滅派が対立する。野﨑まど「智慧練糸」平安末期、最高権力者の後白河院から仏像千体製作の命を受けた仏師は、宋より入手した立方体に生成の呪文を唱える。麦原 遼「表情は人の為ならず」表情を読むことも表すことも困難な主人公は、それを補助してくれる「伴」のアドバイスに従っている。松崎有理「人類はシンギュラリティをいかに迎えるべきか」ついにシンギュラリティを迎えようとする近未来、世界一周をする謎の男の目的とは。菅 浩江「覚悟の一句」人間の心を知ろうとするAIと、それに対する人間の反応についての対話が続く。竹田人造「月下組討仏師」月が消えた世界で、仏像型兵器を互いに備えた二人の仏師の戦いが続く。十三不塔「チェインギャング」遠い未来、意識を持たない人間を使役するのは意識を持った道具、咒物なのだった。野尻抱介「セルたんクライシス」AIセルたんは人類を指導するようになった。その方がより良い結果になるからだ。飛 浩隆「作麼生の鑿」〈有害言説〉の嵐が吹き荒れ、世界が危機に陥った。仏師AIχ慶は、樹齢千年弱を経た榧の木から仏を掘り出そうとして10年沈黙する。円城 塔「土人形と動死体 If You were a Golem, I must be a Zombie」さまざまなマシンとゴーレムを使役する魔術師は、次に魂を利用するゴースト・マシンを提案して顰蹙を買う。

 22編の中で、AIモノ造りの立場で描かれた作品といえるのは「準備がいつまで経っても終わらない件」ぐらいしかない。シンギュラリティも議論の埒外なのか「人類はシンギュラリティをいかに迎えるべきか」くらい(それもストレートではない)。擬人化では「AIになったさやか」「ゴッド・ブレス・ユー」が典型的なアイデアであり、また「没友」や「覚悟の一句」はAIを借りて人間性を考察する作品になっている。

 もっとも多いのは、いまリアルな社会問題(あるいはそのデフォルメ)を描く作品である。「Forget me, bot」「形態学としての病理診断の終わり」「シンジツ」「愛の人」「秘密」「預言者の微笑」「シークレット・プロンプト」が含まれる。AIによる支配、失業、大衆の恐怖やパニックなど、これらは既に起こっているか、明日起こってもおかしくない事例である。別のテーマを強調するため、道具としてのAIに振った「友愛決定境界」「オルフェウスの子どもたち」「表情は人の為ならず」などもある。

 AIと相性がいいのか「智慧練糸」「月下組討仏師」「作麼生の鑿」では過去(仮想)/未来の仏師が登場する。『竜を駆る種族』(竜が人間を使役する)のような「チェインギャング」、珍しいAIユートピアSF(SF作家の書くAIものはたいていディストピア)の「セルたんクライシス」、『屍者の帝国』のAI版「土人形と動死体 If You were a Golem, I must be a Zombie」は、別解釈を加えたAI変格ものの代表になる。

 SF作家の想像力が、生成AIブームのインパクトを超えたかどうかは微妙だが(読み手による)、まえがきと解説に専門家の視点を挟むなど「あの2023年に書かれたAIについてのSF」として、歴史的な意義は十分あるだろう。

倉田タカシ『あなたは月面に倒れている』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:大河紀
装幀:岡本歌織(next door design)

 著者の作品としては、これまで第2回ハヤカワSFコンテストでの最終候補作『母になる、石の礫で』(2015)、書下ろし連作集『うなぎばか』(2018)、さらには共著『旅書簡集 ゆきあってしあさって』(2022)などがあったが、単独の短編集としては本書が初となる。

 二本の足で(2016)姿を見せなくなった友人の家を訪ねると、そこには人の形をしたロボット〈シリーウォーカー〉の群れが。
 トーキョーを食べて育った(2013)トーキョーに巨大ロボットが現れ、ビルを次々と喰っている。もう基地のまわりに建物はほとんど残っていない。
 おうち(2022)むかし住んでいた家に置かれたままの、大切なものを引き取りに行く。人がいない家にはたくさんの猫がいた。中には人並みに巨大なものもいて。
 再突入(2016)奏者、ピアノ、撮影するカメラが一体となって地球に落ちていく。再突入するまでの時間が芸術になるのだ。
 天国にも雨は降る(書下ろし)音響カーテンに仕切られた、複数人が住むシェアハウス。音は漏れてこないはずなのに、どこからか叫び声が聞こえてくる。
 夕暮にゆうくりなき声満ちて風(2010)地図と地球儀についての言葉が、曲線や螺旋を描き、メビウスの輪のように3次元に絡まりあう。
 あなたは月面に倒れている(2014)あなたは月面に倒れている、汗まみれの宇宙服で。状況が分からず混乱していると、頭の中に立て続けの質問が押し寄せてくる。
 生首(2018)となりの部屋とかドアの向こうで、どん、という音が聞こえる。生首が落ちた音なのだ。ただ、ともだちには見えないかもしれない。
 あかるかれエレクトロ(2017)駅のように見えるけど、鬼なのですよ。水のように見えるけれど、鬼なのですよ。タクシー運転手にはじまり、犬(実は亀)や自動販売機、たぬきが語りかけてくる。

 倉田タカシはtwitterでTLとまったく関係のないつぶやきを流していた(むしろ、twitter本来の使い方なのだが)。自由で唐突で、どこともつながるようでつながらない。そこを起点に物語が生まれてきた(「あとがき」)。「あなたは月面に倒れている」や「生首」には最初に言葉があるが、明確な筋書きはなく、奔放な連想だけでつながっていく。「あかるかれエレクトロ」は、泉鏡花の再話(Retold)なのだという。

 一方、「再突入」は人工知能学会とのコラボから生まれた中編である。藝術の大半をAIが担うようになった未来、人間の芸術家たらんと奇抜なパフォーマンスを演じる老巨匠と、冷めた若者とがかみ合わない対話を続ける。「天国にも雨は降る」では、情報を封じられたディストピア的な未来が描かれる。『うなぎばか』でもそうだが、社会問題を取り上げる筆致は、声高なアジテーションではなくソフトな語りかけである。

 「二本の足で」「トーキョーを食べて育った」「おうち」は、異形の未来風景に(現在に近い)若い主人公たちの会話を重ねたもの。これらはデビュー長編『母になる、石の礫で』に通じる作品だろう。作品世界のヴィジュアルが異質でも、今風に変換/翻訳されて読めてしまう不思議な書き方が著者の特徴だ。

キム・イファン/パク・エジン/パク・ハル/イ・ソヨン/チョン・ミョンソプ『蒸気駆動の男:朝鮮王朝スチームパンク年代記』早川書房

汽機人都老 기기인 도로,2021(吉良佳奈江訳)

カバーデザイン:川名潤

 もし、14世紀末からの李氏朝鮮の時代に蒸気機関がもたらされていたらどうなるか。本書はそれを共通設定として、5人の作家が短編を書き下ろしたアンソロジーである。大上段に構えた改変歴史ものではなく、登場人物にフォーカスするシェアードワールド(スチームパンク朝鮮年代記に基づく競作)的な要素を強く感じる内容だ。

 チョン・ミョンソプ「蒸気の獄」1544年、王(中宗)が亡くなり廟号を巡って宮廷内の保守派と改革派が対立する。改革派は蒸気の利用拡大を提唱する派閥だったが、25年前の蒸気の獄で粛清されたのだ。記録を記す史官の主人公は、その真相を探ろうとする。
 パク・エジン「君子の道」1537年、下級官吏の奴婢の子だった語り手は、宮廷の権臣が失脚するのに伴い運命が大きく変転する。しかし機工の腕を磨き、伝説の都老(トロ)と出会うことで驚くべき発明を成し遂げる。
 キム・イファン「朴氏夫人伝」1644年、主人公は伝奇叟(物語の語り売り)である。伝承を語るのが仕事で、創作したオリジナルの話をしてもあまり受けない。ある日都老と出会い、山中の鍛冶場に赴くよう勧められる。
 パク・ハル「魘魅蠱毒」1760年頃、獄死した呪術師は、蟲毒を隠し持っていたらしい。その流れ者の道士には子どもがいて、全く口をきかなかったが何かを伝えようとしているのだった。
 イ・ソヨン「知申事の蒸気」1799年、李祘(イ・サン)に仕える有能な部下、洪国栄(ホン・クギョン)は蒸気で動く汽機人である。記憶を持たない状態で発見され、現王と共に教育されたのだ。
 スチームパンク朝鮮年代表:1392年から1875年に至る仮想歴史年表。

 朝鮮王朝(李氏朝鮮)は1392年に高麗王朝に代わって成立、大韓帝国を経て大日本帝国に併合される1910年まで500年余り続いた朝鮮半島の統一王朝である。韓流歴史ドラマでもお馴染みながら、全貌までは知られていないだろう。その歴史では、守旧派改革派による内部抗争、中国の明や清王朝との軋轢、日本の秀吉による侵略、19世紀には欧米露日との駆け引きなど、さまざまな局面があった。本書の場合、最初期から都老と呼ばれる蒸気駆動の人間が見え隠れする。

 とはいえ、本書で描かれる世界は、従前からある西欧的/ヴィクトリア朝的なスチームパンクと全く異なっている。朝鮮王朝の史実を巧みに置き換え、背景に溶け込ませる手法をとる。複雑な宮廷内権力闘争を蒸気派と反蒸気派という視点で明確化し、暴力が横行する(人権のない)奴婢が解放の手段に蒸気機構を用い、あるいは汽機人=非人間に政治の冷徹さを重ねるなど、着眼点が一味違うのである。

 なお、このスチームパンク朝鮮年代記には、他にパク・エジンによる長編『명월비선가』(2022)もあるようだ。

ローラン・ビネ『文明交錯』東京創元社

Civilizations,2019(橘明美訳)

カバー肖像画:カール五世(右 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画)/アタワルパ(中央 ブルックリン美術館蔵)/フランシスコ・ピサロ(左 アマブル=ポール・クータン画)写真提供:Bridgeman,Alamy/PPS通信社
装丁:柳川貴代

 3月に出た本。著者は1972年生まれのフランス作家。日本では『HHhH』(2010)が、2014年の本屋大賞Twitter文学賞に選ばれるなど人気がある。既訳の作品は歴史的/文学的な要素を満載した「衒学ミステリ」ともいうべき蘊蓄の塊だった。アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞した本書も、史実とフィクションが絶妙に入り混じるSF/歴史改変小説になっている。

 アイルランドを追われた人々がアイスランド、グリーンランドを経て西進し、やがて北米にたどり着く。雷神トールを信奉する一族は、現地人に鉄の製造法や馬などの家畜を教えたが、同時に病気も伝えることになる。彼らはさらに南下、キューバにたどり着き、そこで捕らえられ神殿のある都市に連れていかれる。何世紀か後、コロンブスが島に上陸する。一行はここが黄金の国と信じていたが……。

 半世紀が過ぎ、南米インカ帝国では皇帝が亡くなった。その息子の兄と弟アタワルパとの仲は悪くついに戦争となる。弟は敗れて北へと敗走する。しかも地峡の先にも強力な敵がおり、退路は東の島々からさらに東の海へと変わる。わずか200名に減った手勢と共に。

 そして、リスボンに上陸したアタワルパは、少数の部下だけでスペインと神聖ローマ帝国の皇帝カール五世の略取に成功する! ピサロのインカ帝国征服を裏返した設定だ。「インカがスペインを征服したら」というありえない系の奇想だけなら、弱小国がアメリカを征服してしまうウィバリー『子鼠ニューヨークを侵略』(1955)など先行作品がある。しかし、本書には有無を言わせぬだけの、膨大な歴史上の裏付けがある。

 16世紀初頭のヨーロッパといえば、大航海時代/ルネサンス期を迎え繁栄を極めている、というイメージはあるが実態は大乱の時代だった。英仏百年戦争こそ終わっているものの、神聖ローマ帝国(ドイツ)を巡る帝位争いや農民一揆の頻発、まだ勢力を保つオスマントルコを含む諸国との合従連衡、腐敗した宗教界は私権争いに忙しく、カトリックとプロテスタントはお互い大量殺戮を繰り返すなど、正義も秩序もない。宗教裁判や異端審問があり、ユダヤ人やムーア人(イスラム教徒)への迫害は深く、リスボンは大地震(1531年に発生した地震と津波)から立ち直っておらず、ペストも根絶には程遠い。つまり、うまく立ち回れば征服も不可能ではないほど不安定なのだ。

 ビネはそういった細々とした史実(文献)を組み合わせ、アタワルパによる征服戦をノンフィクションのように描き出す。しかも、最後にはセルバンテス(『ドン・キホーテ』の著者)とエル・グレコ(マニエリスムの代表画家、作中では頑迷なイエズス会士)、モンテーニュ(フランスの哲学者)まで登場させて論争をさせる。それが中世ヨーロッパの(現在まで引き継がれた)矛盾を、(プロパガンタや願望充足ではなく)冷静に批評する内容となっているのだ。

 なお本書の原題は、30年以上の歴史がある文明シミュレーションゲームのシヴィライゼーションに由来する。

キム・ボヨン『どれほど似ているか』河出書房新社

얼마나 닮았는가,2020(斎藤真理子訳)

装幀:青い装幀室
装画:Seyoung Kwon

 著者はチャン・ガンミョンと同じ1975年生まれの、韓国を代表するSF作家のひとりである。評者が3年前に『わたしたちが光の速さで進めないなら』を紹介した際に、

ジェンダーや人種・社会階層・民族差別、貧富の差、LGBTなどのマイノリティーへの共感など、社会問題が関わっている。アレゴリーというより、もっと直截的にメッセージを届ける道具としてSFが使われている

と書いたのだが、そういう韓国SFの原点となった作家が本書のキム・ボヨンなのだ。

 ママには超能力がある(2012):あなたは「超能力がない人なんて、この世にいない」と返してくる。わたしはあなたの実母ではないけれど、ふたりの話はかみ合わない。
 0と1の間(2009):タイムマシンなんてありえない。でも、受験戦争に明け暮れる子供の母親は、0と1の間の量子状態からタイムマシンを作ったと称する女と出会う。
 赤ずきんのお嬢さん(2017):スーパーに入ってきたお客を見て誰もが驚愕する。それだけではない。買い物を済ませ街を歩いても、タクシーに乗っても人だかりができる。
 静かな時代(2016):ふつうなら立候補もできなかった人物が大統領に当選する。マインドネットが要因だった。世論を誘導してきた認知言語学者は、その経緯を振り返る。
 ニエンの来る日(2018):家族に会うために、主人公はニエンが現れ騒々しい駅に赴いた。ここから出る列車は、堯舜時代の科学魔術師が創ったのだ。
 この世でいちばん速い人(2015):超人〈稲妻〉は、圧縮された時間の中で自在に動くことができる。現場で人命救助すると〈英雄〉になるが〈悪党〉とは紙一重だ。
 鍾路のログズギャラリー(2018):〈稲妻〉がテロ犯として悪党認定される。超人は社会的に差別を受ける。主人公は能力が分かっていない〈未定〉なのだった。
 歩く、止まる、戻っていく(2020):家族があちらこちらのタイル(時間)に散在する。時間は流れるものではない、広がるものなのだ。
 どれほど似ているか(2017)
:土星の衛星タイタンに救助に向かう宇宙船で、緊急用の人間型義体が覚醒する。しかし、目的としていた重要情報が欠落していた。
 同じ重さ(2012):農業日記に挟まれた主人公の独白。自分はあたり前なのか、そうではないのか。

 「ニエンの来る日」は、中国WEBジンでケン・リュウ「宇宙の春」と同じ号に載った、春節を扱った作品。「この世で一番速い人」「鍾路のログズギャラリー」はDCのフラッシュをイメージする、ちょっと哀しいヒーローもの。他の作品は、血のつながらない親と子、過酷な受験戦争、男女の格差、繰り返される政変と選挙、さらにはアスペルゲンガーと、最初に引用した「直截的にメッセージを届ける道具」を反映している。メッセージは強引ではないので、抵抗感なく腑に落ちる。

 冒頭で明らかになるのだが、表題作の中編「どれほど似ているか」はAIの一人称小説である。しかし、この「どれほど」は「どれほど(AIは人間と)似ているか」という意味ではないのだ。AIは肉体を得たことで、論理的ではない意識が目覚める。宇宙船内では救助の進め方について意見が分かれている。一部の乗組員は肉体を得たAIを拒否、船長とも対立する。いったい何を恐れているのか。やがて、AIと人間の間よりも、もっと深い谷が明らかになる。

シーラン・ジェイ・ジャオ『鋼鉄紅女』早川書房

Iron Widow,2021(中原尚哉訳)

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 著者は中国生まれのカナダ人作家、コロナ絡みで職を失い本書を書いた。そのデビュー作がいきなりベストセラー、同時に始めたユーチューバーも登録者数53万人を集める。たまたまではなく、何らかのカリスマがあるのだろう。著者近影が牛のコスプレ(岩井志麻子を思わせる)なのは友人との約束の結果、また霊蛹機はアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」から着想を得たものという。

 華夏(ホワシア)国は、渾沌(フンドゥン)と呼ばれる機械生物による侵攻にさらされている。対する人類側も、霊蛹機(れいようき)と呼ばれる巨大戦闘機械(九尾狐+朱雀+白虎+玄武)を主力に擁して対抗する。機械のパイロットは男女一組だった。英雄となる男と、妾女(しょうじょ)と呼ばれる使い捨ての女、機械はその「気」(生気)をエネルギーにして動くのだ。

 まず主人公は英雄をしのぐパワーを有し、武則天と呼ばれるようになる。他にも独狐伽羅、馬秀英ら中国の歴史上の皇女たちの名前が出てくる。李世民、諸葛孔明、安禄山、朱元璋などなど、秦から明、清時代まで、背景も立場も異なる歴史上の人物名が順不同で登場する。もちろん著者も、史実とは関係がないと断っている。

 日本でもそうだが、中国はハイテクから安保まで何かにつけ注目される。それに伴って、中国もののフィクションも、英語では耳慣れない中国語の固有名詞、日本なら見慣れない漢語の多用(翻訳者の工夫もある)による異化効果で読者を引き付ける。

 巨大機械=ロボットは3段階の形態に変身する。そこにダリフラ風男女一組のパイロットが搭乗するのだが、男が女の気力を吸い取るという死の格差がある。ジェンダーに絡む、今風のテーマが重ねられているのだ。華夏世界自体にも、抜きがたい男女差別がある。その障害は、誰をも凌駕する主人公のスーパーパワーと、やはり今風の悩みを持つ友人たちの協力によって打破される。とはいえ、渾沌の正体、この世界の秘密などは明らかにならない。2024年刊行予定の続編に続くようだ(おそらく出版社との3部作契約があるのだろう)。

エディ・ロブソン『人類の知らない言葉』東京創元社

Drunk on All Your Strange New Words,2022(茂木健訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1978年生まれの英国作家。主に《ドクター・フー》などのTVドラマシリーズで、シナリオやノヴェライゼーションを手掛けてきた。これまで受賞歴はなかったが、本書は2023年の全米図書館協会RUSA賞のSF部門(ジャンル小説に与えられる賞で8つの部門から成る)に選ばれている。

 主人公はイングランド北部出身の通訳。通訳といっても、異星人と思念言語(テレパシー)で会話するという特殊能力が要求される。近未来、人類は異星文明ロジア(ロジ人)と外交関係を築いていた。彼らは言葉を介さず、テレパシーでコミュニケーションを取るのだ。しかし、文化担当官専属の通訳に就いていた主人公は、担当官が殺されるという重大事件に巻き込まれる。

 長時間通訳をすると飲酒の酩酊と脳が錯覚し、文字通り酔っぱらってしまう(原題Drunkの意味)。赴任地のニューヨークは防潮堤に囲まれ、過去の面影だけが残るテーマパークになっている。ロジ人はテレパシーで会話するが、アナログな文字を重要視しアナログな紙書籍を好む。ロジ語に翻訳された本は、地球側の主要輸出品になっている……という、設定は何とも皮肉っぽい。

 何しろ主人公は酔ってしまって、殺人時に何が起こったのか覚えていない(酔っぱらい科学者のギャロウェイ・ギャラガーみたい)。ロジ人に反感を持つ勢力は存在するので、主人公も一味ではないかと疑われる。物語は、近未来のニューヨークやイングランド北部(ハリファックス)の風俗を点描しながら手探りで進む。

 タイトルから連想される「非人類とのコミュニケーション」は主題ではない。本書は犯人捜しの(特殊設定)ミステリなのである。探偵は太り気味(そういう副作用もある)の通訳だが、八方塞がりな状況ながらしだいに真相に近づいていく。SFとしてのスケール感はやや足りないものの、主人公のユーモラスな語り口でまずまず楽しめる。