
カバーデザイン:albireo
カバーイラスト:八木宇気
中国広州生まれで英国在住の倪 雪婷(ニー・シュエティン)が編纂し、自ら英訳したアンソロジイ。つまりもともとは英語の作品集なのだが、日本語版は原文の提供を受けて中国語から直接翻訳されたものである。(日本では独自のアンソロジイが出ているとはいえ)序文で夏笳が「科幻(中国SF)は『三体』だけじゃない」と書いているように、紹介が劉慈欣に偏ってきたのは否めない。質・量ともに充実してきた中国SFの全貌は、英語圏/日本語圏を問わずまだ捕らえきれていないのだ。それだけに、間口の広い作品集が求められる。編者は80年代以降のSFを幅広く渉猟し(結果的にだが)収録作家の出身地、男女の割合(ほぼ同数)や作家のキャリア(50年代生まれからZ世代まで)、テーマなど、偏りが少ない選択ができたという。ケン・リュウや立原透耶ともまた違う、アンソロジスト倪雪婷がどんな作品をセレクトしたのか興味が沸く。
顧適「最後のアーカイブ」人生がアーカイブされ、好きなだけやり直しができる未来。うまくいかなければ、何度でも巻き戻しが出来るのだが。
韓松「宇宙墓碑」宇宙開拓の時代はもう過去のものとなった。主人公は、かつての開発された星に残る宇宙飛行士たちの墓碑に強く惹かれる。
念語「九死一生」戦争への自然人参加が禁じられた時代、しかし主人公はロボットだけで警護された基地へと侵入する任務に就いている。成功確率は9分の1だった。
王晋康「アダムの回帰」200年を経て星間宇宙船が帰還、だが冷凍睡眠で過ごした乗組員には重大な心理的障碍が生じていた。生き残ったのは科学顧問ただ一人だった。
趙海虹「一九三七年に集まって」時空実験室から過去に戻ると、そこは1937年12月の南京だった。だが、死体が転がる市内で目覚めた主人公は記憶が混乱している。
糖匪「博物館の心」私は、将来博物館を完成させる子どもを見守っている。地球人には見えない未来も、私にとっては既に起こったことだった。
馬伯庸「大衝運」2年に一度の火星衝のとき、地球への帰省のため大移動が起こる。しかし、火星中から集まる大群衆に対して宇宙船のチケットには限りがあった。
呉霜「真珠の耳飾りの少女」両親の夫婦げんかの原因は、父が描いた清楚な女性の肖像画だった。娘は騒動で傷んだ絵を修復しようとする。
阿缺「彼岸花」ゾンビになった主人公の傷口がむずがゆい。何かが生えようとしているらしい。何年も前に、ウィルスの猛威で人類の多くはゾンビと化したのだ。
宝樹「恩赦実験」終身刑が確定した囚人は死刑を望んだが、代わりにある医薬品の人体実験を提案される。強い副作用さえ乗り切れば自由が約束されるという。
王侃瑜「月見潮」二重惑星のもう一方からやってきた研究者に惹かれた主人公と、手渡された繊細な贈り物に秘められた思いのてんまつ。
江波「宇宙の果ての本屋」太陽系60億冊の本を揃えた本屋は、巨大な宇宙船となって宇宙を旅する。やがて、各星系から集まってきた本屋は一大船団となる。
善し悪しはともかく(加速主義者のせいで否定的な見解が目に付くが)、SFは科学の世紀の産物だった。それは中国SFでも同様で、国の改革開放政策による工業化/科学技術優先の波とSFの発展とには相関関係がある。ただ、科学技術は共通でも、中国と欧米とでは背景になる文化が同じではない。
編者のイントロダクションで、「欧米で「うんざりするほど使い古された」定番のサブジャンルやテーマが現代科幻でも登場する」とあり、日本でもアイデアSFとしての古さに否定的な意見がある。しかし、同じアイデア(人生のリセット、コピー人格、時間旅行、ゾンビ、不老不死など)でも、登場人物の感性や行動、あるいは結末自体に意外性を感じることがある。「最後のアーカイブ」のミニマムさ、表題作「宇宙墓碑」の宇宙スケールと個人との対比、カオスを描く「大衝運」の不思議な諦観、「彼岸花」のアイロニー、ベタな恋愛ものの「月見潮」、「宇宙の果ての本屋」でなぜ本屋が宇宙を飛ぶのか、などなどだ。
これらはなかなか理解できなかったが、中国(東アジア全般)の「神話にラグナロクもハルマゲドンもない」世界観があり、終末戦争とか黙示録=アポカリプス、果てはシンギュラリティ(AIによる黙示録)などが欧米ほど根本(SFのベース)にないのなら、むしろ必然的な流れかも知れない。観点が違うと判れば新しい読み方も可能になるだろう。そう考えれば、本書の面白さも新鮮さを伴って見えてくる。
- 『宇宙の果ての本屋』評者のレビュー