九段理江『東京都同情塔』新潮社

カバー写真:安藤瑠美「TOKYO NUDE」

 第170回芥川賞受賞作川上弘美が選考委員になって早や17年、円城塔が受賞して12年が過ぎ、高山羽根子からも3年半が過ぎているのだからSF的作品という意味では珍しくはない。むしろ並行世界の日本を舞台とし、生成AIを小道具に使った今風さが注目を集めた作品である。新潮2023年12月号に掲載された400枚を切る短い長編。

 その高層ビルは正式にはシンパシータワートーキョーと呼ばれる。しかし建築家の主人公は、言葉の意味を希釈するカタカナの羅列が気に入らない。やがて「東京都同情塔」と称するようになる。新宿御苑に建つタワーは、従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた属性の人:ホモ・ミゼラビリスを収容する施設なのだった。

 この世界の東京には、ザハ・ハディドが設計した優美で巨大な国立競技場がある。オリンピックは予定通り実施され、結果として疫病の蔓延を招いたらしい(具体的には書かれていない)。建築家はコンペで、ザハ・ハディドの競技場のある風景と一体化する案を出し採択される。東京のど真ん中に刑務所を立てることには、傲然と反対運動が巻き起こる。それでも、犯罪者への同情を説く幸福学者の主張が容れられる。何しろこれにより、日本は世界の倫理基準を超えるのだ。

 中年に差し掛かった有能な女性建築家は、たまたま入った高級ブランドショップで15歳年下の美青年スタッフに声をかける。二人は付き合い始めるのだが、青年は他人を傷つけることに異様に気を遣う。いまどきの若者はみんなそうなのか、それとも彼だけなのか。かみ合うようでかみ合わない二人を巡ってお話は進む。

 本文中にはAIとの会話が頻繁に出てくる。とはいえ、そこでChatGPTが使われたとしても、小説をAIに書かせたとまではいえないだろう(NHKとのインタビューによると、応答の1行目だけを生かしたらしい)。想像ではなく本物のAIを使うことで、丁寧ながら事実を淡々と語るAIの無感情さ、冷徹さが際立つ。AIは独特の自己検閲機能を持っている。これは、感情を表に出さず、誰も傷つけないというこの社会(われわれの社会でもある)の風潮を反映する。

 本書には、情報過多が読者を選ぶのではないかとの指摘がある。しかし、特異なシチュエーションは、過剰なほどの説明がないとむしろ一般読者に受け入れられない。これはSFで設定・状況を説明する際によく使われる手法なのだ。リアルさを担保する上で意味がある。「とてもエンターテインメント性が高い」という印象もそこからくるのだろう。対する純文系作品では、説明が少なく謎めいているほど評価が高まる傾向がある(たとえば、結末を明瞭に語らず断ち切る、とか)。

 本音をカタカナで覆い隠してしまう社会、心の中に検閲者を抱えた人々、きっと同情も本性ではない。物語は近い将来の波乱を匂わせて終わる。

酉島伝法『奏で手のヌフレツン』河出書房新社

装幀:川名潤

 アンソロジイ『NOVA+ バベル』(2014)に書き下ろされた同題の中編を、1000枚弱ある大部の長編としたものが本書。舞台設定や異形の登場人物などは引き継がれ、内容はさらに豊かに膨らんでいる。2部構成で親子4代に渡る(主にはジラァンゼとその子ヌフレツンの)家族の物語が語られる。

 ジラァンゼの親であるリナニツェは、聖人式を経て太陽の足身聖(そくしんひじり)となった。一家はもともと太陽を失った霜(そう)から叙(じょ)の聚楽(じゅらく)への移住者だった。不吉な存在と忌避されたが、聖人ともなれば逆に敬われる。ジラァンゼは親の仕事である煩悩蟹の解き手となった。ヌフレツンはジラァンゼの2人目の子である。同じく解き手になることを期待されていながら、本人は奏で手を夢見ていた。

著者のX(twitter)から引用(『NOVA+』掲載時の直筆挿絵)。

 この世界は球地(たまつち)と呼ばれる地上と球宙の空から成っている。球地は文字通り球の内側であり、空の中心には毬森(まりもり)と呼ばれる無重力の森が浮かぶ。なにより奇妙なのは太陽で、地面の黄道に沿って、4つの太陽が足身聖108人の「人力」で動くのだ。主人公たちも人類(ヒューマノイド)ではなく、成長は早く単性で子をはらみ、子どもは器官を再生させることさえできる。

 エイリアンやポストヒューマンなどを描いた作品でよく問題になるのは、その存在の擬人化の程度にある。どんなに奇怪な外見でも、中の人が見えてしまっては興ざめだ。かといって、共感が不可能なほど非人間化を進めると今度は物語が維持できない(読み続けることができなくなる)。酉島伝法は漢字を駆使した造語の氾濫で、その問題を克服している。暗い過去を持つ頑固おやじと跡継ぎの息子、家業を捨て自らの道を探す孫と(山田洋次風の)結構ベタな人間ドラマなのに、造語で形成された異世界のインパクトに幻惑されるのか、それほど違和感なく共感できるのだ。

僕の小説における造語は、映画でいう美術や特殊メイクみたいなものだと思います。(中略)ぴたっとはまったとたんに世界が広がったり、物語が転がりだしたりする

奇怪な幻想世界を支えるSF的思考 酉島伝法さん「奏で手のヌフレツン」インタビュー

と述べているが、その言葉の威力は小説の成り立ちをも左右している。物語の第1部はイメージ(上記挿絵参照)に圧倒される聖人式に始まり、二転三転するもう一つの聖人式に終わる。第2部は衰えゆく太陽を救うための(『指輪物語』を思わせる)旅が描かれる。また、本書は『零號琴』のような音楽SFでもある。前後編となる第1部・第2部で、それぞれ見せ場があって読者を飽きさせない。

 ところで、上記インタビューによると本書には最初から骨格となるSF設定があった。それは巻末の「起」の章を読めばわかるだろう。

矢野アロウ『ホライズン・ゲート 事象の狩人』/間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」早川書房

装画:たけもとあかる
装幀:坂野公一(welle design)

 第11回ハヤカワSFコンテストの大賞と特別賞受賞作である。著者の矢野アロウは1973年生まれ、間宮改衣(まみや・かい)は1992年生まれ。どちらも例年と比べれば短い作品になった。大賞作『ホライズン・ゲート』が360枚で短い長編、こちらは同じ宇宙SFの第7回優秀賞の『オーラリメイカー』300枚より少し長いくらい。特別賞作「ここはすべての夜明けまえ」は180枚、歴代の大賞/優秀賞/特別賞の中では、もっとも短い作品と思われる。これだけでは単行本にならないので、SFマガジン2024年2月号の巻頭に一挙掲載されている(書籍化は24年3月を予定)。

ホライズン・ゲート
 主人公は砂漠の狩猟の民ヒルギス人で、生来の銃の才能を見込まれホライズン・スケープの狙撃手となった。そこは、何ものかによって人工的に作られた巨大なブラックホール「ダーク・エイジ」を探査するための前哨基地だった。パメラ人のパートナーとペアになってそこに潜るのだ。だが、ダイブには危険が伴う。ネズミと呼ばれる未知の存在が干渉してくる。

 左右の脳を分離した狩猟民ヒルギス(祖神が宿る脳が独立している)や、前後に脳を分離し未来予知が可能な民パメラが登場する(テッド・チャン「あなたの人生の物語」の異星人のようでもある)。ただ意識のデジタル化とか脳内に別の人格が宿るとかの類型パターンには陥らず、あるいは(一部見られるものの)時間が混淆する映画「インターステラー」(ブラックホールの権威キップ・ソーンが監修)的な展開にもならない。むしろ宇宙のネズミを狩る猫「鼠と竜のゲーム」や、恋人との時間差が著しく開く「星の海に魂の帆をかけた女」といった、コードウェイナー・スミスの詩情(ロマン)を感じさせる。

ブラックホール周辺での特異な暮らしの様相がうまく描かれている。おぼろげに現れる謎の影の正体を解き明かし、人類の来歴との結びつきまで匂わせる匙加減がうまい。

小川一水

まず文章の、描写部分に詩的な表現があって、そこに惹かれた。(中略)文体や表現力など総合点で、大賞授与に異存はない。

神林長平

ラブロマンスで、ハードSFで、脳科学で、と、私の好きなものがたくさん入っていました。(中略)甘いだけではなく、最後まで主人公がちゃんと自立している点も素晴らしかった。

菅浩江

小林泰三「海を見る人」のスペースオペラ版ともいえるアイデアの豊富さと、後半の意外な展開の連打が素晴らしかった。

塩澤快浩(編集部)

 一方、昨年のような異論もあり、

超技術によるポストヒューマンな設定とあまりにも人間的な物語がバランスを欠いているように見えて、筆者は評価できなかった。

東浩紀

ここはすべての夜明けまえ
 22世紀、九州の田舎に住む主人公が自分の家族について語る。4人の兄弟だったが、最後は父親と自分だけが家に残る。その中で自身が融合手術を受ける理由が明らかになり、家族がばらばらになっていく過程が、甥との関係の顛末が、そしてまたこの世界がどうなっているのかが徐々に明らかになっていく。

 物語はひらがなを多用するモノローグ(語りではなく、ひらがなを多用した手書きの体裁をとる)に始まり、一人称ながらふつうの小説になる章を挟んで、再びモノローグに戻る。最初の章では家族の罪、2章目では社会の罪、最後は自身の罪が語られていると読める。ここで描かれるのは現在の風俗(ボーカロイドとかYouTubeとか将棋AIとか)、(肉体的精神的)DV、倫理感を欠いた自死の風潮、生身を棄てる融合手術、地球環境汚染といくつもあるが、あくまで個人の視点に絞られる点が今風だろう。

筆者が最高点をつけたのは、本作がジェンダーや性暴力の問題に向かい合った作品であり、今回の候補作のなかでもっとも心に響いたからである。

東浩紀

この人は科学についてあまり関心がない。(中略)その辺りの吞み込めなさを感じさせつつも、ひたすら主人公の語りで話を引きずっていく力がある。

小川一水

内容と表現方法が見事に一致している作品として高く評価する。(中略)旧態依然としたSF界を刷新していく作品になればいいと思い、推した。期待の度合いは大賞と遜色ない。

神林長平

文芸としての端正さと真摯さに圧倒された。ただ、なぜか漂う「物足りなさ」がSFとしての弱さなのか、私の読み手としての感性の鈍さなのか、最後まで判断がつかなかった。

塩澤快浩(編集部)

こちらも異論がある。

他の選考委員の方々と、一番評価が異なる作品でした。一人称饒舌体ともいえる文章で、しかも時系列が混乱していて、読むのが苦しかったです。

菅浩江

 図らずも、恋人が老化していくのに自分は変化しない(その裏返し)、という設定で2作品は共通する。しかし、似ていると思う人は少ないだろう。『ホライズン・ゲート』の舞台が日常から隔絶した遠い宇宙、もう一方の「ここはすべての夜明けまえ」はデフォルメされた現在の日本だからである。主人公も対照的で、前者は故郷を失った少数民族でありながら未来志向を忘れず、後者は内省的で自己の闇に沈み込んでいく(菅浩江は「自分の中に似たようなものがあるゆえに、新味が感じられない」とするが、例えば「夜陰譚」などを読むと分かる)。そこに共感を抱けるかが評価の分かれ目となる。とはいえ、両作とも簡潔さは良いとしても、語りつくされたと言えず短かすぎる。それぞれの世界をもう少し読みたいものだ。

小田雅久仁、粕谷知世、西崎憲,、日野俊太郎、南條竹則、冴崎伸、北野勇作、石野晶、大塚已愛、久保寺健彦、森青花、斉藤直子、三國青葉、柿村将彦、藤田雅矢、堀川アサコ、勝山海百合、関俊介『万象3』惑星と口笛ブックス

表紙デザイン:井村恭一

 『万象』(2018)、『万象ふたたび』(2021)に続く、日本ファンタジーノベル大賞受賞者によるオリジナル・アンソロジー第3弾。どの巻も1000枚前後のボリュームを誇る。今回は1200枚弱と、歴代最高を謳う。まとめ人(編者)あとがきを読むと「猫」「記憶」「怪獣」「3」「登下校」「世界」「字数」など、緩やかな縛りをお題・テーマとしているようだ。また、作品の題字と著者名は、各著者による自筆または自作(グラフィック)になっている。

 小田雅久仁「旅路」目が覚めると豪華なホテルの部屋で、見知らぬ女が横に寝ている。そして手首にはボタンが付いた黒い機械が巻き付いていた。
 粕谷知世「いき・かえり」田舎に住む小学1年生の女の子は、毎日集団登下校で農道を往復する。その途中で、いじめっ子が嫌がらせをするのだが。
 西崎憲「影機」死のうとした私を救ったのは、詩人でもあるロボットの成功者だった。人と同じ権利を持っているのだ。
 日野俊太郎「鬼街」いくさが続くと決まって鬼街が現れる。鬼の遊女がいて、戦いに疲れた男たちをもてなすのだ。そこに醜い男と身なりのいい若者がやってくる。
 南條竹則「温泉叙景」宿が一つしかない秘湯、微温湯温泉を知ったのは大学院生の頃だった。そこには二匹の猫がいて、懐いた一匹にマタタビを与えたことがある。
 冴崎伸「空想の現実~ミャンマーの沼/ぼくと博士の楽しい日常〔裏の目薬〕の巻」ミャンマーでのリアルな求人の旅/怪しい館に住む美麗な科学者による驚異の発明品。
 北野勇作「『クラゲ怪獣クゲラ対未亡人セクシーくノ一 昼下がりの密室』未使用テイク集」 奥様はくノ一、テトラポットではなくテトラポッド、クラゲならぬ怪獣クゲラ。
 石野晶「死人花」死者が埋葬された後、死人花がひそかに咲く。それには死者の幸福な記憶が凝集されているのだ。
 大塚已愛「せみごゑ」浜辺で倒れていた男は、自分の名前だけしか思い出せない。しかも、出会った少女は謎めいた言葉を告げて立ち去ってしまう。
 久保寺健彦「立ち入り禁止」登校班の同じ小学生たちは、よく刑事と泥棒ゲームで遊んだ。ただ、年長の女の子だけはいつも捕まらない。
 森青花「ちゃとらのチャトラン」「ねこのいい」チャトランはいつもぽーっとしている。近所にいるいろいろな猫たちといつも仲良くしたいと思っている。
 斉藤直子「大地は沸かした牛乳に」リモートワークが続く日常で、ネットを監視する主人公は先輩社員と掛け合いをしながらトラブルと対峙する。
 三國青葉「ばっくれ大悟婆難剣 冬虹」代筆屋でかろうじて生活する浪人の主人公は、雪の降る日に仇討ちを企てる少年を止める。家族にまつわる理由があるようだった。
 柿村将彦「反省文」読もうともしない教師宛の反省文で、登校時に遭遇した波乱万丈の事件を字数制限に合わせて綴る。
 藤田雅矢「ブランコ」公園で猫に餌をやった帰り、くねくねした路地の奥で郵便ボックスを改造した植木置きを見つける。そこに並ぶ鉢には何か意味があるようだった。
 堀川アサコ「3つの生け簀」古いアパートに越してきた主人公は、そこが「生け簀」であるという匿名の警告文を受け取る。どういう意味なのだろう。
 勝山海百合「紫には灰を」地球外の荷物が届いたと知らせが入る。それは異星に赴任した小学校の同級生からの紫草なのだった。
 関俊介「サナギ世界」主人公は幼体でまだ成体のように飛べなかった。それでも数えきれない仲間とともに跳躍しながら群れを追うのだ。彼らは黒いバッタだった。

 登下校ものでは「いき・かえり」「ぼくと博士の楽しい日常〔裏の目薬〕の巻」「立ち入り禁止」「反省文」「紫には灰を」などがある。記憶の「旅路」「死人花」「せみごゑ」、猫だと「温泉叙景」「ちゃとらのチャトラン」「ブランコ」、世界となると「旅路」「大地は沸かした牛乳に」(ネット世界)「サナギ世界」などか。怪獣(的なものを含め)は「鬼街」「『クラゲ怪獣クゲラ対未亡人セクシーくノ一 昼下がりの密室』未使用テイク集」。3は「3つの生贄」「ばっくれ大悟婆難剣 冬虹」(霜月三日の事件)だが、「サナギ世界」(主人公は第三齢)や、猫と字数を含む「反省文」のようにお題を複合的に組み合わせたものもある。同じお題の場合、よく似たテイストになっている。

 悪い意味ではないが、プロ作家の集まりであるのに同人誌的な雰囲気を感じる。同じ賞の出身者であるという仲間意識と、同じ自由な幻視者である(対象となるファンタジイの範囲が広い)という誇りがそう見せるのかもしれない。

 関俊介「サナギ世界」は短い長編(350枚、ノヴェラ相当)クラスの作品で、第24回優秀賞だった『絶対服従者 ワーカー』を思わせる。同作は昆虫(アリやハチ)たちが擬人化された物語だった。今回その昆虫は、未来の人類が昆虫に似せて派生・変態した姿なのだと説明される(なので、擬人化は間違ってはいない)。彼らは大群を作って飛蝗となるバッタの性質を残している。ただ、バッタはサナギにはならない(不完全変態)。なぜこの世界がサナギと呼ばれるのかが物語の主題となる。

なかむらあゆみ編『巣 徳島SFアンソロジー』あゆみ書房

装画:津田周平
デザイン:アドレナリンデザイン

 Kaguya Books(VGプラス)の一環として出版されたアンソロジー。同叢書は出版社を問わず、横断的に本(主にはアンソロジーやコレクションなどの作品集)を企画する形態をとるようだ。本書の編者なかむらあゆみ第4回阿波しらさぎ文学賞を受賞、賞金であゆみ書房を立ち上げて女性作家による文藝同人誌『巣』などを出している。今回はKaguya Books側からの働きかけを受け、徳島に所縁のある作家(男女を問わず)を集めたものという。徳島県内を除けば書店での取扱いは限られるが、通販(上記書影のリンクを参照)での入手が可能だ。

 前川朋子「新たなる旋回」(前後編から成る、徳島のどこかを切り取った5枚の写真)。田丸まひる「まるまる」(詩)幼稚園児が集めた隕石のダンゴムシがどんどん増えていく。小山田浩子「なかみ」部屋の整理に明け暮れるトモちゃんは、僕には見覚えのない鹿模様のポーチを見つけ出す。久保訓子「川面」手でつまめる小さな夫と共に、スーパーのチラシに惹かれて車で外出する。田中槐「三月のP」三階の窓を叩く光は宇宙人のような存在で、わたしの考えていることを理解している。高田友季子「飾り房」寺の総代と称する見知らぬ人からお参りを促された主人公は、猛暑の日に荒れ果てた墓にたどり着く。竹内紘子「セントローレンスの涙」ホームレスのネコと共に山でキャンプする男は、人形を連れたもう一人の男と出会う。なかむらあゆみ「ぼくはラジオリポーター」休業中だったかつての人気リポーターが、少年と共にふわふわおばさんの謎を追う。吉村萬壱「アウァの泥沼」全身から気力が抜けてしまう症状に苦しむ男と父親は、孤島にある泥沼に効能があると聞く。

 グラビア風に配された前川朋子による写真、寄稿作家による座談会や、田中槐によるお酒の写真と由来の説明もあるなど、雑誌風の構成になっていて読みやすい(判型もA5サイズ)。阿波しらさぎ文学賞の審査委員でもある小山田浩子(段落を一切設けない流れるような文体)、吉村萬壱(主人公のシチュエーションが異様で、その解決もまた異様)が目に留まるが、他の作家もそれぞれに実績を積んだ書き手で読み応えがある。

 テーマは徳島SFだが、そのSFを「S=そっと/F=ふみはずす」と定義している。「S=少し/F=不思議」と似ているが、そう思う/感じるだけでなく、実際に踏み外すという「行動」に含めるところがユニークだ。そっとふみはずした結果はとてもゆるやかに顕れるが、そこは現実から離れたもうひとつの徳島なのだろう。

筒井康隆『カーテンコール』新潮社

装画:とり・みき
装幀:新潮社装幀室

 最後の小説集とされる。著者はインタビューのなかで「「信じません!」と言っているのは、担当者だけ(笑)みんな、そろそろ死ぬんじゃないか?と思っている。売れているのは、それもあると思いますよ」とうそぶく。2年前に出た『ジャックポット』が実験的な小説集だったのに対して、本書は「エンタメでまとめてみた」ものという(といっても、発表媒体は、ほとんどがエンタメ系の小説誌ではない)。2020年から23年に書かれた、全部で25編の掌編小説を収める。なお、今後もエッセイや文学賞の選考委員は続けるとのこと。

 深夜便:酔った主人公と知人との会話の果て、花魁櫛(『ジャックポット』所収)、白蛇姫:白い蛇を友とする少女と父親の碌でもない替え歌、川のほとり(『ジャックポット』所収)、官邸前:総理と番記者のやけくその会話、本質:常務は女性部長の会議要約に頼り切る、:人里に下りてきた熊の撃退法、お時さん:森の中にあるはずのない赤提灯が見える、楽屋控:映画出演する作家に助監督が執拗な嫌がらせをする、夢工房:老人ホームの老人たちが語りだす夢、美食禍:旧石器時代の古代人に美食を教えた結果、夜は更けゆく:兄と妹との会話の微妙な間合い、お咲の人生:幼いころからぼくを守ってくれた女中のお咲、宵興行:新宿お玉が20年ぶりに舞台に立つ、離婚熱:家庭裁判所で離婚調停委員に理由を申し立てる、武装市民:何かの襲来に備え町の入り口でライフルを構える男たち、手を振る娘:窓を開くたびに手を振ってくれる娘、夜来香:敗戦直前の上海娼館での最後の夜、コロナ追分:コロナにまつわる事件の数々を洒落のめす、塩昆布まだか:老夫婦のまったくかみ合わない会話、横恋慕:変わった疑似餌でなんと人魚が釣れる、文士と夜警:結末に苦しむ作家が通う小料理屋、プレイバック:入院中の作家と見舞客たち、カーテンコール:作家や俳優が一言ずつ語り作者が感想を差しはさむ、附・山号寺号:4文字から17文字まで増殖する「さん」と「じ」から成る一文。

 どれも数ページの掌編にも拘わらず、このままで過不足がなく完結している。言語遊戯的な要素はあるものの、複雑な構造とか前衛的な描写はない。しかし、書かれたよりも遥かに長い(ちょっと古風な)物語を読んだような気分になる。といっても、長編や短編の一部を切り出した形ではなく、もちろんあらすじでもない。バラード流のコンデンスト・ノヴェルとは違うが、著者のテクニックを詰め込んだ高度に濃縮された小説といえる。

 中では「プレイバック」が終幕をイメージした作品だ。入院する著者の前に「時かけ」の少女や唯野教授など物語の登場人物が次々訪れ、あげく現在視点での批評や批判に対して言及する。最後には亡くなったSF作家たちまで登場する。淀川長治に終わる「カーテンコール」は、著者が青春時代に見た映画に対するオマージュに満ちている。

 ところで「プレイバック」に出てくる小松左京は「おれの『日本沈没』のたった三十枚のパロディで儲けやがって」と言うのだが、これを評者は現場で聞いたことがある(他でも言ったのかもしれないが)。京都で開かれた日本SF大会で『日本沈没』が星雲賞の長編部門を、「日本以外全部沈没」が短編部門を受賞した挨拶のときのことだった。「9年かかった長編の、たった30枚のパロディで(同じ)賞を貰いやがって」。当時の星雲賞は、出版界での権威も作家間での名誉もまだないファンの人気投票に過ぎなかった。小松の発言は軽い冗談なのである。だが、この一言は著者の記憶に強く残ったのだ。

久永実木彦『わたしたちの怪獣』東京創元社

装画:鈴木康士
装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 5月に出た本。久永実木彦には《日本SF大賞において「短篇で最終候補」「雑誌掲載のみで単行本化されていない作品が最終候補」という、ふたつの〈史上初〉が大きな話題となった》(井上雅彦)という、いささか分かりにくい(本人の責任ではないが)紹介文がある。第42回日本SF大賞で「七十四秒の旋律と孤独」が、第43回では本書の表題作「わたしたちの怪獣」が最終候補に挙がったことを指す(どちらも候補となった時点では単行本化されていなかった)。とはいえ、これは偶然ではないだろう。少なくとも、一定以上の支持者がいるからこそだ。

 わたしたちの怪獣(2022)妹が父を殺してしまった。わたしは死体を古ぼけたセダンのトランクに積み、怪獣が蹂躙する都心に向けて埼玉から車を走らせる。
 ぴぴぴ・ぴっぴぴ(2019)隔離された郊外のタイムマシン施設で単調な非正規労働に就くぼくは、改変前の違法な動画をアップし続ける投稿者に魅せられる。
 夜の安らぎ* 中学生の頃、学友の血を盗んで舐めたことが忘れられない主人公は、病院で出会った男が吸血鬼であると思い込む。
『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観ながら* ふと入った映画館で伝説のカルト映画が上演される。ところが衝撃音とともに上映は中断、外では不穏な動きが。
*:本誌初出

 一連の作品には〈パイプス〉と呼ばれるYouTube風のSNSや、人気配信者の奈良坂ダニエルなど共通するアイテムも登場するが、世界設定が同じというわけではない。ただ、ネット炎上とDVで家庭崩壊した高校生、幼いころ父を亡くし仲間から軽んじられる男、両親がおらずイジメを受けている高校生、母子家庭で育ちパワハラに切れた会社員と、主人公たちは家庭環境に問題(少なくとも幸福だとは思っていない)を抱えている。行動の動機も、事件や事象(怪獣の出現、タイムトラベル、吸血鬼、ゾンビ様の怪物)の異様さより、あくまで個人的な(ありそうな)トラウマに起因している。それが、異常設定にもかかわらず、登場人物たちに共感を感じさせる理由だろう。

 それにしても『アタック・オブ・ザ・キラートマト』(1978)を詳細にアップデートした巻末作には感心する。この映画は、公開当初からB級を下回る意図的なZ級(と呼んだかどうかは覚えていないが)カルト映画として有名だった。今なら、リアルなゾンビ映画としてハマる設定なのかもしれない。いやまあ、キラートマトはそもそもロメロ版元祖ゾンビのオマージュともいえるが。

宮澤伊織『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:めばち
装幀:伸童舎

 Genesis等のアンソロジイと紙魚の手帖に掲載された《ときときチャンネル》をまとめた短編集である。シリアスなSFアクション《神々の歩法》や、アニメ化もされたホラー色の強い《裏世界ピクニック》と違って、こちらはライト感覚のSFバカ噺風連作となっている。

#1【宇宙飲んでみた】(2019)まずカップの中に宇宙が入っている、これを飲んでみる。まがいものではなく、汲んできた超臨界流体の宇宙なのだ。
#2【時間飼ってみた】(2021)同居人の部屋の中からパタパタと何かが走る音がする。カメラを持ってドアをあけると、そこには結晶化した時間が…。
#3【家の外なくしてみた】(2022)外ロケをしてみることにした。そこで家バレしないためにカメラにスクランブラーを付けてみると、なぜか外が外ではなくなってしまう。
#4【近所の異世界散歩してみた】(2023)前回の失敗からスクランブラーを改良して、外のスーパーまで行ってみる。すると、実際の近所とは違うものが映っている。
#5【エキゾチック物質雑談してみた】(2023)通販で「わけありエキゾチック物質詰め合わせ六種」が届く。物性が異なる物質とはいったい何か、しかもわけあり。
#6【登録者数完全破壊してみた】(2023)登録者500人を目指してエンドレス配信を決意、でも細々とした発明品の紹介ではなかなか増えない。それならいっそのこと。

 配信初心者(YouTuberとは書かれていない)の主人公が同居人のマッドサイエンティストと共に、登録者数1000人を目指してチャレンジするという設定。同居人は天才科学者なのだが、その発明の源はインターネット3と呼ばれる超次元ネットからの断片的な情報なのだ。インターネット3は今あるインターネットやWeb3.0とも全く異なるもので、バビロニア・ウェーブ(堀晃)とかへびつかい座ホットライン(ジョン・ヴァーリイ)のような超文明が創った情報ネットに近い。確かにそれなら何でも可能になるだろう。

 時空の非局所性、光円錐と非因果領域、ミンコフスキー時空、ホログラフィックな宇宙のザッピング、量子もつれ、最後にはグレッグ・イーガンの塵理論(『順列都市』)まで出てくる。とはいえ、難しい理屈が書いてあるわけではなく、抽象的な概念をさらりと流し、会話だけの流れですいすい読めるお話になっている。そしてまた主人公と科学者(どちらも女性)の関係(なぜ同居しているのかなど)や出自(どこに住んでいて何をしているのか)など、「個人情報」はほぼ書かれていない。まさにネット時代のホラ話、バカ話/噺(オチはないがコント的な結末)の世界が楽しめて良い。

青島もうじき『私は命の縷々々々々々』星海社/『破壊された遊園地のエスキース』anon press

Illustration:シライシユウコ
Book Design:コバヤシタケシ
Font Direction:紺野慎一+三本絵里

 青島もうじきは、樋口恭介編『異常論文』(2021)でデビューした後、『聖体拝受: 人肉食百合アンソロジー』『京新星爆発: 京都破壊SFアンソロジー』といった電子書籍のアンソロジーや、『大阪SFアンソロジー:OSAKA2045』にも作品を寄せている。本書は著者の初長編である(9月刊)。併せてanon pressから出た電子書籍の初短編集『破壊された遊園地のエスキース』(3月刊)も読んでみた。

 全寮制学園の中等部から高等部に進級したばかりの主人公は、水族館のエビ水槽の前で三年生の先輩と出会い、どこか惹かれるものを感じる。主人公に向かって「同類だ」と告げたからだ。話を聞くうちに、先輩が手にする『流体倫理の認識論的操作』という一冊の本が気になった。

 物語はふつうのJK百合小説のように読める。だが、この世界はふつうではない「倫理的生活環模倣技術」に支配されている。その倫理によると、人間には絶滅しない義務がある。哺乳類どころかあらゆる生物の生殖方法が模倣され、選択的に導入されている。ヒトを増やすためだ。例えば、エビのように雌雄が生殖時に決定する仕組みまで。

 また全寮制の生徒たちがまとう「思弁服」は、着たものの精神的な成長に合わせて変化していく。これだけの生物的社会的大変化があるので、少なくとも酉島伝法『皆勤の徒』的な変容は起こって当然と思える。けれども、難解な独自の(主に哲学的な)タームを繰り出しながら、描かれるのはあくまでもJKたちの全寮制学園もので、社会風俗も現代と大きく違わない。

 これは、倉田タカシ『母になる、石の礫で』(生身の人体と全く異なるもの同士が、今風のラフな会話をする)のように、そう写るだけで実体は違うのかもしれない。人類と生命、生殖と人権や社会規範などの大きなテーマを、衒学的ながらミニマムなJKの生活に縮退させる試みが面白い(セカイとはつながらずあくまで個人で終わる)。


 anon pressはアノン株式会社の出版レーベルで、樋口恭介がChief Sci-Fi Officerを務めている。『破壊された遊園地のエスキース』はその一冊である。

 ロプノールとしての島(2022)彷徨える湖ロプノールのように、デジタル情報の欠落によって生まれるヌル島の存在。
 ラフノー小伝(2022)ドイツ人の学者ラフノーは疑似科学を専門とする科学史家だった。あるとき、月光の差すカフェテラスで天啓を得る。
 森林完全(Treeing-complete)(2021)私とあなたが生まれたのは、島全体がコンピュータとなっているT島の仮想森林だった。
 〈胞示院掩庭・三断面〉評(書下し)京都洛北にある胞示院の石庭には沢垂石がある。この石は隕石だったが、据えられるまでの数奇な由来があった。
 ほ/た/る/び/の/な/み(書下し)蛍の点滅が増幅され人身事故が発生する。あなたを含めた女性たちが犯人とされるが。
 履歴「砂粒(Un-UncannyValley)」(2021)高校三年生になってから、私は図書館司書の沼瀬さんに興味を抱く。あなたは一緒にその話を聞く。
 破壊された遊園地のエスキース(書下し)小学校以来の友人は「世界中に散らばっている」という。荒れ果てた中庭はグリッチアートを表現するのだ。
 此岸にて(2021)彼岸花の咲く斜面の小屋で心中した二人、その片割れの双子の姉は最期を知ろうとする。
 サロゲート(2023)暗函民俗学の研究者は、AI創作のため失われつつある小説家をフィールドワークの対象にしている。

 著者の特徴は、さまざまな概念をコラージュすることで生まれる未知の光景だ。一文、あるいは一節については意味が通る(実在の概念、架空の概念を含む)ものの、その組み合わせはおよそ常人の理解を超えている。この「超理解」をどう解釈するかで評価も変わる。中では「〈胞示院掩庭・三断面〉評」が面白いが、人によっては過剰(あるいは過少)と感じるかもしれない。『異常論文』からデビューしたという出自が、このスタイルに影響しているのだろう。

林譲治『コスタ・コンコルディア 工作艦明石の孤独・外伝』早川書房

Cover Illustartion=Rey-Hori
Cover Design=岩郷重力+Y.S

 8月に出た本。本年完結した著者の《工作艦明石の孤独》(全4巻)の第3巻に、「コスタ・コンコルディア」という章がある。ある星系の惑星軌道上で、130年前のものと思われる植民船コスタ・コンコルディアが発見されるというエピソードだ。結末にも関わる謎なので詳細はシリーズ本編を読んでいただくとして、本書はさらに後の時代を描いた独立編である(登場人物の重複もない)。

 小さなM型恒星を巡る惑星シドンは気候が厳しく、200万ほどの人口しかない辺境の植民星である。ただ、そこにはタイムワープにより3000年前に漂着した先住民がいた。新たな植民者たちは、先住者を既に文明を失った野蛮人として差別的に扱ってきた。そこで、過去の文明観を一新する発見が報告される。現地の弁務官は、統治機構への影響を考慮し調停官の派遣を要請する。

 調停官は先住民の科学者と共に調査を進める。伝説に過ぎなかった過去が明らかになれば、先住者の地位も見直されることになる。しかし、植民者たちの現地自治政府や、守旧派の議会とは思惑が交錯する。先住者にも、長年の同化政策を否定する発見に拒否反応を示す一派がいるのだ。

 入植する3000年も前から生きる先住者は、植民者から見て異星人とも等しい民と映るだろう。牧眞司は本書を「文化人類学的な視座」を持つ作品としている。同様に、中村融はかつて眉村卓『司政官 全短編』(2008)を、ル=グィンやビショップの諸作と並ぶ「異星文化人類学SF」と評した。《司政官》と本書には、異文化との共存という共通のテーマがあるのだ。さらに、植民星を統治する弁務官やエージェントAIを唯一の部下とする調停官は、ロボット官僚(人間の部下はいない)を率いる司政官を思わせる。どちらも地球圏(人類圏)の権威や圧倒的な武力を背景に植民星を統治するが、かえって反乱を引き起こすこともある。

 眉村卓はその葛藤を司政官の内面を描くことで表現した(司政官は孤独な存在である。味方はロボットだけで、人間的な苦しみを共有できる相手ではない)。一方、林譲治の場合はもう少しテクノクラート(=技術官僚)寄りの視点で描く。問題を切り分け、技術的に収拾するまでの思考プロセスが物語になっている(従って、個人の苦悩は顕著には表れない)。その点は、谷甲州《航空宇宙軍史》に登場する軍人のふるまいに近いように思われる。