マイクル・クライトン ダニエル・H・ウィルソン『アンドロメダ病原体-変異-(上下)』早川書房

The Andromeda Evolution,2019(酒井昭伸訳)

扉デザイン:早川書房装幀室

 8年前の『マイクロワールド』(2011)はクライトンによる下書きを元にした合作といえる作品だったが、本書は『アンドロメダ病原体』(1969)の続編をダニエル・H・ウィルソンが単独で書いた完全な新作である。

 世界を震撼させたアンドロメダ病原体事件から半世紀が経過した。その真相は世間から隠されていたが、高層の大気中に拡散変異したアンドロメダ微粒子について、アメリカを始めとする各国は莫大な予算を投じて研究を続けていた。何の成果も得られない日々が過ぎる中で、ある日アマゾンの奥地に異変が発生する。調査のために、精鋭メンバーからなる科学者チームが直ちに派遣された。彼らがそこで見たものは……。

 5人の科学者、物語が始まってから終わるまでが5日間、秘密計画の名前がワイルドファイア、報告書スタイルで書かれた小説と、前作を踏襲・引用した部分も多い。しかし、舞台はアリゾナの田舎町やネバダの秘密基地から、アマゾンと宇宙ステーションISSとに大きくスケールアップしている。科学者メンバーも、リーダーでインド出身の天才ナノテク科学者、フィールドワークに長けたケニアのベテラン地質学者、同じくフィールドワークの専門家で中国の軍人かつ元宇宙飛行士、急遽参加したジェレミー・ストーン博士(前作の登場人物)の息子でロボット工学者、そしてISSのアンドロメダ専門家かつ宇宙飛行士と、バリエーション豊かになっている。

 物語の展開は、前作が未知の病原体の正体を探り、感染爆発を防ごうとする閉所恐怖症的なサスペンスだったのに比べると、よりSF的で宇宙サイズのテーマに変化(変異?)している。そういう意味では、いま世間を騒がすパンデミック騒動とは一線を画す内容である(原著発表当時は兆候もなかったので、当然と言えば当然)。国際社会のパワーバランス(半世紀前の米ソ時代では考えられなかった米中対立)や社会問題(前作では科学者は全員男で白人、今回は過半数が女性やアジア・アフリカ人、社会的弱者)をはらんではいるが、そういう「現在」を反映した今風のSFエンタメ小説として楽しめる。

チャーリー・ジェーン・アンダース『空のあらゆる鳥を』東京創元社

All the Birds in the Sky、2016(市田泉訳)

装画:丸紅茜
装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 著者は、SFブログ/オンラインマガジンの老舗io9(現在はGizmodoと1つになっている)創設者の一人で元編集長。中短編を中心とした著作が百編近くあり、2012年には中編がヒューゴー賞を受賞している。本書は初長編ながら、ネビュラ賞、ローカス賞(ファンタジイ長編部門)、クロフォード賞(IAFAファンタジイ賞)を受賞するなど高評価を得たものだ。現代を舞台に、ファンタジイとSF要素を巧みに組み合わせている。

 少女がいた。少女は、鳥たちが何を言っているのか聞き分けることができた。そして、迷い込んだ森の中で不思議な巨木にたどり着き、答えのない問いかけを受ける。少年がいた。コンピュータが得意な天才ハッカーで、2秒間だけのタイムマシンを密かに発明する。しかし、小柄で変わり者だったため、学校ではひどい虐めを受けていた。ある日学校に奇妙なカウンセラーが着任し、2人の将来は別々の方向に引き裂かれていく。

 少女は魔法使い(超常現象を扱う)、少年は天才科学者なのだが、2人とも家庭ではまったく理解されない。少女の両親は姉の言いなりで、妹である少女の希望を聞いてくれないし、少年の両親はお互い仲が悪く、少年とも進路を巡って対立している。2人は家を出て大人になり、地球環境を保全しようとする超能力者グループと、地球を捨てなければ人類は滅ぶと考える科学者グループとに属し、やがて激しく抗争する関係となる。

 一見「魔法(古いもの)対科学(新しいもの)」という昔ながらのテーマに思えるが、舞台が現代ということで、さまざまな社会問題との関連がつけられている。親から見れば、天才少年は引きこもりの問題児だし、魔法少女も要領のよい姉と比べて友人も少なく将来が不安だ。大人になってからはさらに深刻さは増す。少女は自然環境の破壊者に対し暴力で報復する過激派、一方の少年も独善的な倫理観で動く秘密プロジェクトに加担する。ある意味、親が恐れた通りになるのである。

 その一方、本書は、幼い頃に惹かれ合った少年と少女の、別れと再会の物語でもある。夢のようだった田舎時代の記憶が、破滅に近づいた世界の中で再びよみがえり、新たな意味を2人に与えるのだ。

ケン・リュウ編『月の光 現代中国SFアンソロジー』早川書房

Broken Stars : Contemporary Chinese Science Fiction in Translation ,2019(大森望・中原尚哉・他訳)

カバーイラスト:牧野千穂
カバーデザイン:川名潤

 一昨年出た『折りたたみ北京』(2016)に続くケン・リュウ編の中国SFアンソロジイである。前作の倍(14人)の作家を集め、幅を広げたのが特徴となっている。それに伴い、作品数も13編から16編と読みごたえを増した。

 夏笳「おやすみなさい、メランコリー」(2015)アラン・チューリングは自作の機械クリストファーと紙テープを介して会話を行っていた。だが、死後見つかったテープは暗号化されており、何が書かれていたか分からない。
 張冉「晋陽の雪」(2014)十世紀の五代十国時代、北漢の都晋陽は宗の大軍に包囲されていた。だが都には奇妙な発明品を造り出す魯王爺がおり、その新兵器により辛うじて持ちこたえていた。
 糖匪「壊れた星」(2016)1998年、大学入試を控えた女子高生の主人公は一人の少年と出会う。彼女は父親と二人暮らしなのだが、青白い女が夢の中に現れ話しかけてくる。
 韓松「潜水艇」(2014)長江には大小さまざまな潜水艇が停泊している。そこには出稼ぎ農民たちが住んでいるのだ。「サリンジャーと朝鮮人」(2016)宇宙観測者の干渉により北朝鮮がアメリカを、世界を征服する。北朝鮮で尊敬される作家サリンジャーは隠棲していたが、その家の前に報道陣が押し寄せる。
 程婧波「さかさまの空」(2004)雨城はある種のドーム都市で水晶天に囲まれ、天まで届く巨大な噴水を擁する海もある。主人公は天の外へと至ろうとする。
 宝樹「金色昔日」(2015)主人公は幼いころにあったオリンピックの記憶を思い出す。成長とともに世界は変化する。SARSの蔓延やアメリカ軍の中東撤退があり、中国では土地が暴落して急激に貧しくなっていく。ただ、幼なじみの少女との関係は続いていく。
 郝景芳「正月列車」(2017)旧正月の帰省客を乗せた新型列車が行方不明になる。開発者はその原理を説明するのだが。
 飛氘「ほら吹きロボット」(2014)嘘つきの王様から自分を超える嘘つきになれと命じられたロボットは、世界を巡り史上最大のほら話を探す。
 劉慈欣「月の光」(2009)エネルギー政策に携わる主人公のもとに、ある夜、電話がかかってくる。それは未来の自分で、将来の地球の命運を左右する情報を与えてくれるというのだ。
 吴霜「宇宙の果てのレストラン――臘八粥」(2014)宇宙の果てにあるレストランでは、来客が語るさまざまなお話が代価となる。臘八節の夜、地球人の作家が訪れる。その男の才能には、奇妙な由来があるのだった。
 馬伯庸「始皇帝の休日」(2010)国家統一に疲れた始皇帝は、休日にゲームで気晴らしをしようとする。百家が拝謁し、自分のゲームこそ面白いと売り込みをかける。
 顧適「鏡」(2013)指導教官の科学者は、主人公を透視能力者だという一人の少女と引き合わせる。少女とは初めて会うのだが、なぜか自分を知っているそぶりを見せる。
 王侃瑜「ブレインボックス」(2019)死の寸前の5分間だけを記録するブレインボックスは、記録された記憶を他人に移植することを可能にする。男は死んだ恋人の記憶を再生する。
 陳楸帆「開光」(2015)仏僧に祝福された男は、冴えないスマホアプリのマーケティング職に就くが、あるきっかけから大ヒットを掴むことになる。「未来病史」(2012)これから未来に流行する奇怪なできごと、iPad依存、病気の美学、多重人格、時間感覚の乱れなどを次々と紹介する。
 この他に、王侃瑜、宋明煒、飛氘らによる中国SFに関するエッセイを収録する。

  「おやすみなさい、メランコリー」は、チューリングの謎とロボットに囲まれて生きる主人公とが並列に置かれたお話だ。夏笳は『折りたたみ北京』でも3作が紹介されているが、マイノリティ、弱者に対する共感がテーマとなる。「晋陽の雪」はある種の異世界転生もの、「壊れた星」は現代的な家族の抱える暴力の問題、「潜水艇」「サリンジャーと朝鮮人」は政治風刺に見えるが、幻想側に寄せた奇想小説でもある。「金色昔日」「鏡」はどちらも変格的な時間もの。アイデア自体のユニークさよりも、描く対象が独特だろう。表題作「月の光」は、劉慈欣らしいアイデアの畳みかけが面白い。「始皇帝の休日」はアメリカより日本の読者と相性がよさそうだ。巻末の『荒潮』陳楸帆の作品は恐ろしく皮肉が効いている。

 中国のなろう系/SNS系エンタメ作品から現代文学的な奇想小説まで、前作『折りたたみ北京』と比べてもより幅広い。現代中国文学の紹介では、体制批判を匂わせる作品が選好されやすいが、それが一般読者に好まれているわけではない。かといって、金庸のような武侠小説ばかりとなるとこれも偏っている。そういう点から、本書は中国におけるエンタメ小説の立ち位置が(すべてではないものの)うかがえて面白い。底本は英訳アンソロジイなので、アメリカの読者に受け入れやすいセレクトになっているとは思うが、英米SFを読みなれた日本読者向けでもある。

ユーン・ハ・リー『ナインフォックスの覚醒』東京創元社

Ninefox Gambit,2016(赤尾秀子訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者のユーン・ハ・リーは1979年生まれの韓国系アメリカ作家。高校までは韓国と米国を行き来しながら生活し、コーネル大学で数学、スタンフォード大学では中等(中学・高校)数学教育で修士の学位を得ている。SF作家としてのデビューは1999年、以降これまでに70作以上の短編と本書を含む4冊の長編などを発表してきた。本書は《六連合》シリーズの第1作目であり、ローカス賞第1長編部門賞を受賞している。

 遠い未来の宇宙に六つの属から成る〈六連合〉に支配された星間国家があった。そこでは 数学的に設計された〈暦法〉が定められ、物理法則をも超越する高度なエキゾチック技術が働くのだ。主人公は数学に秀でた兵士だったが、異端勢力により奪われた都市要塞・尖針砦の奪還を命じられる。しかも、過去に反逆者として裁かれた将官の意識だけを伴い、艦隊群を統べる司令官に就くことになるのだ。

 エキゾチック技術は科学というより魔法的な技術で、そういう意味では本書はハードSFではない。ミリタリーSF+ファンタジイといった趣がある。一介の士官が急に司令官になるギャップと、心に宿った反逆者/英雄でもある元大将との駆け引きが本書の面白さだろう。

 著者はトランスジェンダーの作家であり、韓国とアメリカ両者の文化で生活してきた。本書では性別に関する描写はほとんど存在せず、東洋(韓国の文化)が異星の文明とシームレスに混じり合っている。オリエンタリズムや、ジェンダーの差異をことさら強調するつもりはないようだ。

 数学を専門に学んだ著者ではあるが、本書が数学SFなのかというとそうではない。数学は暦法を表現するレトリックのような扱いで、かつてのルディ・ラッカーや麦原遼ほども用語は出てこず、難解さを心配する必要もないだろう。ところで、表題のナインフォックスとは九尾のキツネのこと。元大将の出身属を表す紋章である。

 

ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー『フライデー・ブラック』駒草出版

Black,2018(押野素子訳)

写真:松岡一哲
装幀:佐々木暁

 著者は1991年生まれのアメリカ作家、両親はガーナ移民だったという。本書はデビュー短編集なのだが、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに挙がるなど高評価を得た。

 「フィンケルスティーン5」黒人の子供5人をチェーンソーで殺した白人男が無罪になる。そのあとに、黒人による無差別な復讐がはじまる。「母の言葉」貧しかった時代に、母がよく口にした言葉とは。「旧時代<ジ・エラ>」長期/短期大戦を経た社会では、誰もが本音でしかしゃべらなくなる。「ラーク・ストリート」彼女が堕胎ピルを呑むと、双子の胎児が彼の前に現れて罵りだす。「病院にて」異形の神と取引した作家志望の男が、人で溢れる病院に父親を連れていく。「ジマー・ランド」そのテーマパークは、プレイヤーが役者を撃ち殺すアトラクションを売り物にしている。「フライデー・ブラック」ブラック・フライデーの当日、モールには狂人化したお客が殺到する。「ライオンと蜘蛛」父が行方不明になった。主人公は過酷な荷下ろしのバイトに就くが。「ライト・スピッター──光を吐く者」友人のいない大学生が、銃で見知らぬ女子学生を撃って自殺する。しかし、そのまま二人は霊体へと変化する。「アイスキングが伝授する「ジャケットの売り方」」モールの販売主任がお客に弄する売上の極意。「小売業界で生きる秘訣」わずかにできるスペイン語を頼りに、ヒスパニックの女性と会話する女性店員。「閃光を越えて」核戦争が起こり人々は時間ループに閉じ込められる。しかも記憶は消えず蓄積されるのだ。

 冒頭の作品では、陪審員裁判での人種差別を根底に置きながら、際限のない暴力へと落ちると見せてわずかな希望を残す。その他にも、所得/医療格差、ポリティカル・コレクトネス、銃社会、移民問題などアメリカの現実が鏤められている。とはいえ、それらは背景であって、まずは特異な奇想小説として楽しむべきだろう。自由に本音が語られたらどうなるか、いくらでも人が撃てたら楽しいのか、バーゲンに殺到する人々がゾンビだったら、地獄のような時間ループに巻き込まれたら、などなどである。

 『十二月の十日』などで知られるベストセラー作家ジョージ・ソーンダーズが、大学院創作研究科での恩師だったという。著者にはソーンダーズほどの職業経験はないと思われるが、モールの販売員を主人公にした話には、恩師の影響があるのかもしれない。SF的な奇想小説が多いのは、近年紹介される短編作家に共通する特徴だろう。

ヴィクター・ラヴァル『ブラック・トムのバラード 』東宣出版

装画:中村幸子
装幀:塙浩孝

The Ballad of Black Tom,2016(藤井光訳)

 著者は1972年生まれ、母親がウガンダ出身なのでアフリカ系アメリカ人作家である。コーネル大学、コロンビア大学大学院で学び作家を志すのだが、文学の中にホラー要素を紛れ込ませるという作風をとる。作品数は多くないが、世界幻想文学大賞、ブラム・ストーカー賞を受賞するなど高評価を得ている。本書は2017年のシャーリー・ジャクソン賞(ノヴェラ部門)、英国幻想文学大賞(同部門)受賞作。

 1924年、ニューヨークのハーレムに住む主人公は、ギター弾きの真似事をしながら怪しげな取り引きで生きていた。ある日、ブルックリンの金持ち白人から思いもしない大金を提示され、自宅のパーティで演奏するよう依頼を受ける。金持ちの周辺には、粗暴な探偵や独自の調査をする刑事が出没する。邸宅は近隣の住人からも恐れられているようだった。彼はその中で、恐るべき光景を目撃する。

 本書(中編小説)にはベースとなった小説がある。ラヴクラフト「レッド・フックの恐怖」(1925)である。訳者解説にあるように「レッド・フック」はクトゥルーものではないが、ある種の黒魔術もの。刑事マロウン、金持ちの隠者ロバート・サイダム、レッド・フックにある邪教の巣窟などが本書と共通する。ラヴクラフトは一時期ニューヨークのレッド・フック地区に住み、その周辺に集まる外国からの移民の姿を見ていた。不遇だった境遇のせいもあるが、十把一絡げの黒人や、イタリア人、クルド人(邪教の徒)などへの嫌悪感は今日的には物議をかもす。

 世界幻想文学大賞のトロフィーは、1975年以来ラヴクラフトの胸像だった。しかし、作品を含む人種差別的な姿勢が問題となり、2017年に別のデザインに変更された。ただ著者は、少年時代にキング、シャーリイ・ジャクスン、クライヴ・バーカーと並んでラヴクラフトを偏愛していたのである。真相がわかった後も、愛憎交錯する中で単純に排斥したりはせず、自分なりにラヴクラフトを語り直そうとする。本書には、黒人の主人公が登場する。ハーレムとブルックリンのように、黒人と白人の居住地が明確に分離された、20世紀初頭のニューヨークはある意味生々しい。そこにラップ由来の「至上のアルファベット」を交え、邪教も外国の宗教ではなく深海底の〈眠れる王〉を崇めるものとして描き出す。

 世界共通のパブリックドメインともいえるラヴクラフト/クトゥルーは、単純に扱ってももはや新味や恐怖感などは得られない。古い価値観も時代にはそぐわなくなった。とはいえ、こういった形でのリニューアルならば、21世紀のラヴクラフトとして支持されるだろう。