橋本輝幸編『2000年代海外SF傑作選』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+M.U

 評論や最新海外SFの紹介で知られる新鋭、橋本輝幸による初のアンソロジイである(『2010年代ー』が続刊)。編者は英語だけでなく中国語も読めるので、本書には劉慈欣の作品も含まれている。しばらく途切れていたが、小川隆+山岸真編『八〇年代SF傑作選』(1992)や山岸真編『九〇年代SF傑作選』(2002)に続く、10年区切りの年代別海外SFアンソロジイの一環でもある。

 エレン・クレイジャズ:ミセス・ゼノンのパラドックス(2007)二人の女がカフェで語り合う。その内容には矛盾が混じり一貫性もないように見えて……。
 ハンヌ・ライアニエミ:懐かしき主人の声(2008)違法クローン作成容疑で南極の霊廟都市に収められたご主人を奪取しようと、飼い犬と猫が活躍する。
 ダリル・グレゴリイ:第二人称現在形(2005)ドラッグ・ゼンの中毒で「死んだ」少女の体には「別人」であるわたしがいる。両親は少女が蘇ったと喜ぶのだが。
 劉慈欣:地火(2000)古い炭鉱の町出身の主人公は、炭鉱をガス田に変貌させるプロジェクトのリーダーとなった。だが、大胆な実験の結果は予想を裏切る結果を招く。
 コリイ・ドクトロウ:シスアドが世界を支配するとき(2006)夜中にサーバーダウンの急報を受けてデータセンターに駆けつけた主人公は、そこに他のサーバーのシスアド(システム管理者)たちが詰めかけているのを知る。世界的な異変なのだった。
 チャールズ・ストロス:コールダー・ウォー(2000)冷戦下の時代、ソ連で密かに進むコンチェイ計画に動きが見られた。それがもし無制御で動き出せば世界は滅ぶ。
 N.K.ジェミシン:可能性はゼロじゃない(2009)なぜかニューヨークだけで、大当たりが偏在して起こっている。良いことだけじゃなく悪いことも。
 グレッグ・イーガン:暗黒整数(2007)数学的な公理が異なる宇宙が、この宇宙と重なって存在している。そこでは抽象的な数学の証明が他の宇宙への攻撃になるのだ。
 アレステア・レナルズ:ジーマ・ブルー(2005)惑星規模の芸術家が最後の作品を発表するという。主人公は単独インタビューに成功し、芸術家の秘密を知る。

 ニューウェーヴやサイバーパンク相当の大きなムーヴメントは、ゼロ年代には起こらなかった。すれ違う会話をしゃれた文体で魅せる「ミセス・ゼノンのパラドックス」や、電脳クローンを動物もので書いた「懐かしき主人の声」、21世紀のヴァーミリオン・サンズ「ジーマ・ブルー」は、複合化されたアイデアをいかに料理するかというテクニカルな面白さがある。一方、社会的には9.11事件(2001年)が起こり、世界同時テロの時代が訪れた。ニューヨークが舞台の「可能性はゼロじゃない」には、そういう得体の知れない不安感がバックにある。また、ネット社会の台頭が「シスアドが世界を支配するとき」の奇妙なアフター・ホロコーストもの、「暗黒整数」(「ルミナス」の続編)の情報戦争に姿を見せる。「コールダー・ウォー」も面白いが、これはもはや普遍的テーマなのでこの傑作選でなくてもよいと思う。

 本書の中では「地火」が異色だろう。1970年代の炭鉱が舞台で、書かれた1990年代末の中国は、2020年比10分の1の経済力しかない貧しい時代だ。日本で同等の(経済10分の1)時期は1950年代後半なのだから、他の欧米SFとは時間経過のスピードが異なる。科学技術がもたらす危険性や、未来に対する希望などに独特の思いが感じられる。(英米SFではなく)海外SFと称する限り、今後はこういう英米外の別の文化、別の時間軸にあるSFを取り入れていく必要があるだろう。

サム・J・ミラー『黒魚都市』早川書房

Blackfish City,2018(中村融訳)

カバーイラスト:浦上和久
カバーデザイン:川名潤

 著者は1979年生まれの米国作家。2013年にシャーリー・ジャクソン賞(短編)、2018年に最初のYA向け長編がアンドレ・ノートン賞、2019年に第2長編の本書がジョン・W・キャンベル記念賞を受賞するなど、各賞候補や年刊SF傑作選の常連でもある。ニューヨーク州生まれで、いまもニューヨークに住む。また、長年コミュニティ・オーガナイザーとして社会活動に携わっている

 百年ほどの未来、〈シス戦争〉と呼ばれるグローバル・ネットワークを崩壊させる戦争の結果、社会秩序は崩壊し国家も体をなさなくなっている。世界には区画モジュールをつなぎ合わせたグリッド・シティ(格子都市)があちこちに点在するが、クアヌークは北極圏の洋上に浮かぶ星形の形状をした人工都市だった。そこに、シャチにまたがり巨大なホッキョクグマを従え、特殊な共感能力を備えた女が姿を現す。

 クアヌークには明確な政府は存在しない。少数の政治家とAI群によって、最低限の秩序が守られているだけだ。リバタリアン的な自由国家に見えるが、実態は少数の富裕層が都市の株主として君臨し、政治家に強い影響力を及ぼす格差社会だ。AIDSを思わせる感染症ブレイクスも暗い影を落とす。

 物語は不自由のない富裕層の孫息子、政治家の配下で住民とのコミュニケーションに携わる若い女性、ゲーム的な格闘技ビーム・ファイト選手の男、都市内部を知り尽くしたメッセンジャーの少年、それにシャチに乗る女、政治家の女、富裕層の老人らが絡み合い複雑に展開する。

 アメリカは四分五裂になっている。クアヌークにはさまざまな人種がいて、その誰もがとっくに祖国を失った流民たちだ。著者は長年ニューヨークで社会活動をしてきた体験があり、人種や性別、民族、出身国による差別や、所得格差の問題を身をもって感じてきたと思われる。本書の中では、気候変動で人間と同じように生態系を追われ、絶滅の危機に瀕する野生動物と(文字通り)共棲する設定もでてくる。しかし、北極圏の過酷な人工都市は絶望の地獄ではない。最後に小さな希望が姿を見せてくれる。

マーガレット・アトウッド『誓願』早川書房

The Testaments,2019(鴻巣友季子訳)

装画:Noma Bar
装幀:早川書房デザイン室

 『侍女の物語』(1985)から34年ぶり(翻訳版では30年ぶり)に書かれた続編である。『侍女の物語』はHuluで2017年にドラマ化されエミー賞を受賞(第1シーズン)するなど高く評価された。その制作に著者自身が携わったこと、及び社会情勢の変化をトリガにして本作は書かれたという。2019年のブッカー賞受賞作でもある。

 前作から15年後、ギレアデ共和国の裏で暗躍する小母の一人は、熾烈な主導権争いの合間に一冊の手記を記している。そこには、この国を転覆しかねない隠匿された事実が書かれている。一方、有力な司令官の娘は共和国の良き妻になるための学校に通う。ただ自分の結婚の行方には不安を感じている。共和国の外、カナダにもう一人の娘がいた。不自由なく奔放に育つが、不幸な事件を経て両親の秘密を知ることになる。

 本書には3つの視点がある。一人は前作にも登場したリディア小母。今回はその小母の一人称で、共和国内部の状況が描かれる。公式な文書ではないため、感情表現が赤裸々であり、恐怖に満ちたギレアデ誕生期にも言及がある。上流階級の娘アグネスの視点では、下女・女中に相当する〈マーサ〉たちに囲まれた日常生活と、やがて〈妻〉になって決められた夫に嫁ぐ社会の仕組みが語られる。16歳の少女デイジーは外からの視点だ。女性を国外に脱出させるための地下鉄道(闇の逃走ルート)や、秘密組織〈メーデー〉の存在が明らかにされる。このような形で、ギレアデの支配する国家(旧アメリカの中・東部)に立体的なリアリティが与えられるのだ。

 35年前に書かれた『侍女の物語』では、徹底したディストピア社会が描かれていた。閉塞的で救いがなく厳格なギレアデ体制に抗する術もない、という暗い作品だ。この作品は1990年に一度映画化されているが「奇想天外な」SFホラー映画の扱いだった。当時は現実的な問題と捉えられなかったのだろう。しかし、2016年にトランプ政権が誕生すると、本書のデフォルメされたキリスト教原理主義の社会が、絶対に生まれないとは言えなくなった。作者は「歴史上や現実社会に存在しなかったものは一つも書いたことがない」という。本書の設定は、世界のどこかで行われた事実の組み合わせなのである。

 続編である本書には希望が描かれる。ギレアデは矛盾と腐敗を抱え、遠くない将来に瓦解するだろうと示唆される。破壊の原動力となるのは、本書に描かれた女性たちだ。正編のエピローグでは、百数十年後にカセットテープが発掘され〈侍女〉の日常が明らかになる。続編のエピローグはそれから2年後に、今度は〈小母〉の手記が発見されることになる。2つのお話は、そのようにしてリンクしていくのだ。

シェルドン・テイエルバウム&エマヌエル・ロテム編『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』竹書房

Zion`s Fiction:A Treasury of Israeli Speculative Literature,2018(中村融他訳)

デザイン:坂野公一(welle design)

 日本人にとって、ほぼ未知の国といえるイスラエルで書かれたSFの傑作選。ユダヤ系アメリカ人なら、SF関係でも著名人が多数いる。序文を書いたシルヴァーバーグをはじめ、アイザック・アシモフ、アルフレッド・ベスター、ハーラン・エリスン、ロバート・シェクリイらがそうだし、ヒューゴー賞で知られるアメリカSFの創始者ヒューゴー・ガーンズバックもユダヤ系だ。

 それなら、戦後に建てられた新興国イスラエルはどうだろう。中東の紛争地にある強権軍事国家で、男女共に兵役があり、隠れた核保有国らしいなど、非文化的なイメージしか伝わってこない。しかし、それは一面に過ぎるのだ。本書はアメリカで出版された英訳版の傑作選である(国語であるヘブライ語が多いが、ロシア移民の多くが使うロシア語、海外での英語発表作を含む)。ケン・リュウが中国SFを英訳して紹介したスタイルと同じといえる。

ラヴィ・ティドハー(1976-)「オレンジ畑の香り」(2011)かつてオレンジ畑だった宇宙港の見える旧市街で、主人公は中国移民だった父親や先祖の記憶を反芻する。
ガイル・ハエヴェン(1959-)「スロー族」(1999)成長が遅いことを特徴とするスロー族の保護区が廃止されることになった。その研究をテーマとしてきた主人公はうろたえる。
ケレン・ランズマン「アレキサンドリアを焼く」(2015)出現した異形の施設を、主人公たちはエイリアンの侵略とみなし破壊しようとしている。しかし姿をみせたのは人間で、ここは時間を超えた図書館なのだという。
ガイ・ハソン(1971-)「完璧な娘」(2005)アカデミーに新入生が入学する。厳しいカリキュラムがあり、6人のうち卒業まで残れるのは1人のみ。ここには、他人の心が読める生徒だけが集められるのだ。
ナヴァ・セメル(1954-2017)「星々の狩人」(2009)地上から星々の輝く夜空が失われる。主人公は夜が真っ暗になった後の世代で、かつての宇宙の写真を見て想像するだけだ。
ニル・ヤニヴ「信心者たち」(2007)神が出現したあと、戒律に反した人々は苛烈な罰を受けるようになった。主人公はそこから逃れ出ようあがき、不信心者たちと画策する。
エヤル・テレル(1968-)「可能性世界」(2003)ある作家が占い師のところにやってくる。自分が忌避した戦争にもし従軍していたら、どうなったかを占ってもらおうというのだ。
ロテム・バルヒン「鏡」(2007)友人の猫が死ぬ。どちらといえない事故の責任をなじる友人が煩わしく、主人公はもう一人の自分と入れ替わる。
モルデハイ・サソン(1953-2012)「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」(1984)エルサレムの古い保存地区を、知能化したネズミたちが占拠する。やがて、ネズミは主人公の祖母の家に現われ、ロボットを巻き込んで争いが始まる。
サヴィヨン・リーブレヒト(1948-)「夜の似合う場所」(2002)破滅が訪れてほとんどの人々は死んでしまう。局地的なものではなく、救助される兆しはない。親子でも夫婦でもない何人かは、辛うじて生活を維持していた。
エレナ・ゴメル「エルサレムの死神」(2017)主人公は奇妙な男と付き合うようになる。中東の熱気にさらされていない、体の冷たさが魅力だった。やがて男は自分の正体を明かすが。
ペサハ(パヴェル)・エマヌエル(1944-)「白いカーテン」(2007)妻を亡くした主人公が、一人の友人を訪ねる。友人は分岐した世界を継合する術をもっているからだ。
ヤエル・フルマン(1973-)「男の夢」(2006)男が誰かを夢に見ると、夢見られた女は強制的に部屋に引き寄せられる。たとえ起きて仕事中、運転中であったとしても。
グル・ショムロン「二分早く」(2003)立体ジグソーパズルを組み上げる世界パズル選手権に、少年たち3人組が挑戦する。しかし梱包されたパズルの箱は、ルールより二分早く届いてしまう。
ニタイ・ペレツ(1974-)「ろくでもない秋」(2005)サッカーの試合を見ていた主人公は、恋人から急に別れ話を切り出され動揺する。そのまま出勤もせず、銃砲店で拳銃を入手する。
シモン・アダフ(1972-)「立ち去らなくては」(2008)父親を亡くした母と、その子ども姉弟が叔母の家に住むことになった。そこには男の名前が書かれた箱がたくさんあり、さまざまなものが詰まっている。

 編者による詳細な「イスラエルSFの歴史について」によると、イスラエルにおけるSFは、戦争に明け暮れた1970年代以前(第4次中東戦争が終わるまで)には、翻訳を含めてほとんど存在しなかった。社会的風潮として、存在が許されなかったのだ。

 しかし、70年代半ばから翻訳SFが大量に紹介されはじめ、初のSF雑誌ファンタジア2000(1978-84)が誕生し、90年代にはファンダムが生まれた。イスラエルの人口は、2020年発表値でも900万人ほどしかない。読者が少なくマイナーな環境では、固定ファンの存在は大きな助けになる。収録作の発表年を見ても分かるが、作品の大半は21世紀になってから書かれたものだ。ヘブライ語のオリジナルSFの書き手が現われるには、それだけの時間が必要だったのである(SF先進国のソビエト/ロシア系移民作家は、ロシア語で書いた)。

 現在のイスラエルは、軍事・民生にかかわらずハイテク国家だ。過去から欧米メーカの開発拠点や研究所があったし、今では自前のベンチャー企業が増えてきた。中国でもそうだが、科学技術の広がりとSFの一般化とは相性が良い。加えて、イスラエルの背景には、ホロコーストの巨大な影がある。既に実体験者は減っているものの、その復活を予見・警戒する(宗教的なものを含む)ディストピアもの、黙示録的な終末もの、歴史改変ものを受け入れる素地があるという。本書の中短編でストレートにテーマが見えるものは少ないが、「夜の似合う場所」やテッド・チャン的な「信心者たち」などに特有の雰囲気がうかがえる。一方、「エルサレムの死神」「ろくでもない秋」「立ち去らなくては」は現代的なアーバンファンタジーであり、背景を知らなくても楽しめるだろう。

ジョディ・テイラー『歴史は不運の繰り返し』早川書房

Just One Damned Thing After Another,2013(田辺千幸訳)

カバーイラスト:朝倉めぐみ
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 著者は英国生まれ、20年間に及ぶ図書館員時代の経験を生かして本書を執筆、私家版電子書籍で出版すると記録的に売れ、後にプロ出版された紙版もベストセラーという、恵まれたデビュー作品になった。本書を含む《セント・メアリー歴史学研究所報告》は、短編を含めて30作近く書き継がれている人気シリーズである。英国アマゾンではベストセラーの常連だ。

 大学を卒業し歴史学の博士号を取得していた主人公だが、ある日恩師から、大学に併設された歴史学研究所に勤めてみないかという誘いを受ける。給料はともかく、仕事内容に不満はないはずだという。しかし、その門をくぐった先で目にしたものは、主人公の想像をはるかに超える、危険かつエキサイティングなタイムトラベルのプロジェクトだった。

 任務に就くための資格要件は厳しく、まず過酷な自然や社会環境に耐えるための肉体訓練が待っている。理論学習を含めて試験に合格できなければ、即座に馘首となる。合格して正規の歴史家となっても、派遣先から生還できるとは限らないらしい。定員には、なぜか常に欠員があるからだ。堅物でチームワークが苦手の主人公だが、ここではペアを組んだ同僚と仕事をせざるを得ない。

 大学の研究所がタイムマシンを擁して歴史研究を行うという設定では、古くはマイクル・クライトンの映画化もされた『タイムライン』(1999)などがあり、コニー・ウィリス《オックスフォード大学史学部》は、ずばり本書と同じテーマ設定といえる。頭は良いが要領が悪く人の機微が分からない主人公や、多重に繰り返されるすれ違いドラマなどよく似た雰囲気だ。

 しかし、それも冒頭のみで、後半に移ると研究所設立にかかわる秘密や陰謀、もどかしいロマンス(本書はロマンス小説でもある)や、登場人物が次々と殺される一難去ってまた一難(不運の繰り返し)的な展開が楽しめる。中世から第2次世界大戦までの時代考証に凝ったウィリスと比べると、本書は恐竜時代をメインにするなど歴史物としての視点はライトなようだ。

ピーター・トライアス『サイバー・ショーグン・レボリューション』早川書房


Cyber Shogun Revolution,2020(中原尚哉訳)
カバーイラスト:John Liberto
カバーデザイン:川名潤

 ピーター・トライアスによる《USJ三部作》完結編。第一部『ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパン』(2016)は星雲賞を受賞するなど日本での評価が高く、第二部『メカ・サムライ・エンパイア』(2018)の翻訳は原著のアメリカ出版に先行するほどの人気だった。本書も2020年3月に原著が出たばかりの最新刊である。これまでと同様、文庫版とSFシリーズ版が同時刊行されている。SFシリーズ版ではカラー口絵、番外編未完長編の一部、掌編、エッセイなどのボーナストラックが含まれる。

 2019年、日本に統治されたアメリカUSJで不穏な動きが生まれる。現在の総督が敵であるナチスと内通しているというのだ。秘密結社〈戦争の息子たち〉は軍内部にも浸透し、ついに決起する。しかし、政権交代もつかの間、今度は伝説の暗殺者ブラディマリーによる無差別テロ攻撃により、USJ国内は大混乱に陥っていく。

 主人公は陸軍の軍人で巨大ロボットメカの操縦士、特高警察のエージェントとともにブラディマリーの正体を追う。今回もさまざまなロボットメカが登場する。主人公が搭乗するのは敏捷なカタマリ級(口絵)で電磁銃が主要な武器、表紙に描かれた赤いシグマ號は巨大チェーンソーを振りかざすラスボスだ。

 前作の設定から20数年が経過、主要な登場人物は入れ替わっている。近い将来を予感させる前巻の終わり方からすると、ちょっと意外な展開だろう。結果的に、各巻は(一部を除いて)異なる物語なのだ。ディック『高い城の男』を意識した第一部、ナチスのバイオメカと戦う第二部、同じUSJのメカ同士が戦う第三部を通して読むと、各巻の独立性を重視する著者の考え方がよく分かる。爽快なロボットバトル小説であると同時に、「先軍国家USJ」の矛盾もまたむき出しになっていくのだ。三部作はこれで終わるが、狭間にはまだいくつものエピソードが隠されている。

 物語とは関係ないが、本書の中には、訳者を含め聞いたことのある日本人の名前(音のみ、漢字は意図的に変えてある)が複数出てくる。USJ紹介に貢献した、日本側関係者に対する感謝なのだろう。

メアリ・ロビネット・コワル『宇宙へ(上下)』早川書房

The Calculating Stars、2018(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力

 2006年にStrange Horizon誌でプロデビューした米国作家。2008年にキャンベル新人賞を受賞、初長編の《幻想の英国年代記》シリーズ『ミス・エルズワースと不機嫌な隣人』(2010)は既訳がある。本書を含め、ヒューゴー賞を3回受けるなど人気のある作家だ。もともとプロの人形使いで、オーディオブック(ジョン・スコルジーなど)の朗読を務めるなど、多彩な才能の持ち主でもある。『宇宙へ(そらへ)』は、アメリカの宇宙開発が早まった世界を描く改変歴史もの《レディ・アストロノート》の長編(シリーズ最初の作品は、SFマガジン2020年10月号に訳載される)。2019年のヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、サイドワイズ賞などを受賞した出世作だ。

 1952年、アメリカ東部の海上に巨大隕石が落下する。東海岸は衝撃波や地震、津波により壊滅、経済的な損失は計り知れない。だが、問題は衝突の際に吹き上げられた物質による、世界的な異常気象だった。このままいけば、地球全土が人類の居住に適さなくなる。すでにソビエトに先駆けて衛星打ち上げに成功していたアメリカは、さらに大規模な宇宙開発にシフトする。そのとき、決定的に不足するのは人材だった。

 主人公は元パイロットで数学の天才、国際航空宇宙機構IACの計算者だったのだが、宇宙飛行士を目指すことになる。第2次大戦のアメリカではWASPと呼ばれる女性飛行士の部隊が組織されティプトリーがWAACに参加していたことは有名)、航空機の輸送やテストパイロットなどで従軍した。物語ではまだ戦後7年目で、経験豊かなパイロットが多く残る時代だったのだ。

 アポロ時代でも、宇宙飛行士や管制官は白人男性、(地位の低い)計算者は黒人を含む女性と、役割は明確に分けられていた。計算者については映画「ドリーム」などで、また実現しなかった女性の宇宙飛行士についてはドキュメンタリー「マーキュリー13: 宇宙開発を支えた女性たち」などが詳しい。アップルTV+の「フォー・オール・マンカインド」は、もしアポロ時代にそれらが実現していたらというドラマだった。本書はさらに時代を20年巻き戻して、黒人の公民権運動すら不十分だった50年代に、同じ問題(と宇宙移民すら!)を提示するのだから大胆だろう。

 当時のコンピュータは、50年代末でようやくオールトランジスタ(ICやLSIはまだない)のIBM大型マシンができたころ(それ以前は真空管式だった)。信頼性もいまいちなら、即座にプログラムを変更するだけのフレキシビリティにも欠けていた。幸いにもロケットのテクノロジーや、宇宙植民のコンセプトなら既にある。人間の手計算に頼っても月や火星を目指すしかない、それが原題Calculating Starsの意味だ。

 『宇宙へ』は性による役割分担や、人種差別の問題を描いた現代的な小説であるだけでなく、古典的な宇宙開発ものを当時のテクノロジーで再現するという二重の挑戦を仕掛けた力作といえる。

アナリー・ニューイッツ『タイムラインの殺人者』早川書房

The Future of Another Timeline,2019(幹遙子訳)

カバーデザイン:川名潤

 著者は1969年生まれの米国作家、編集者、ジャーナリスト。ノンフィクションの著作も多く『次の大量絶滅を人類はどう超えるか:離散し、適応し、記憶せよ』(2013)は邦訳がある。先ごろ紹介された『空のあらゆる鳥を』のチャーリー・ジェーン・アンダースらと、SFブログサイトio9を立ち上げた創設者でもある。最初の長編がラムダ賞(多部門に渡る賞だが、SF・ファンタジイ・ホラー部門)を受賞、第2作目の本書もローカス賞の最終候補となっている。

 その世界には何億年も前から、時間旅行を可能にする〈マシン〉が存在する。何ものが作ったのかは分からないままだ。人類はその時々のテクノロジーを使って〈マシン〉を操作し、時間旅行を行ってきた。主人公たちは2022年から過去に戻って研究活動をしているが、それは表向きで密かに〈ハリエットの娘たち〉という歴史改変(編集)を工作するグループを作っている。

 〈ハリエットの娘たち〉とは、実在した奴隷解放運動家ハリエット・タブマン(リンク先は映画)に因んだグループだ。史実では当時(19世紀)女性参政権はないが、この歴史=タイムラインでハリエットは上院議員になっている。しかし、妊娠中絶禁止法があり女性の権利は未だに十分ではない。〈娘たち〉は権利を高めた新たなタイムラインを作るため活動しているのだ。その一方、制限を強めたい〈コムストック〉派の反動グループも暗躍する。

 物語の主な舞台は2022年、1992年(主人公が個人的に関係する、重要な事件があった時期)、1893年(コムストックによる権利制限が強められた時期)の3つ。歴史的背景を持つ女性の権利に関する物語の一方、主人公には隠された殺人という他人に打ち明けられない秘密があった。どういう副作用を生み出すか分からない歴史編集と、理由が何であれ殺人は許されるのか、という2つの葛藤が物語に奥行きを与えている。大きな(集団による)事件と個人的な事件が絡み合う展開は、盟友の書いた『空のあらゆる鳥を』と共鳴し合うものを感じる。

シオドラ・コス『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』早川書房

The Strange Case of the Alchemist`s Daughter,2017(鈴木潤・他訳)

カバーイラスト:シライシユウコ
カバーデザイン:川名潤

 著者は1968年ハンガリー生まれの米国作家。本書は最初の長編にあたり、2018年にローカス賞第1長編部門を受賞している。ヴィクトリア朝時代の英国(19世紀末)で、出自が「ふつう」ではない女たちが活躍する《アテナ・クラブの驚くべき冒険三部作》の第1部となる作品だ。

 長い介護の末、母を亡くしたメアリ・ジキルは、残された財産を調べるうちに慈善団体で暮らすハイドの娘の存在を知る。行方不明になったハイドはまだ生きているのか。メアリはシャーロック・ホームズやワトスンの助けを借りながら真相を追っていくが、その過程で〈錬金術師協会〉と称する怪しい科学者の団体が見え隠れする。また、協会に絡んだ科学者の娘が次々と登場し、メアリたちの仲間に加わっていく。

 スティーヴンソンのジキル博士とハイドの娘、ナサニエル・ホーソンのラパチーニ教授の娘、ウェルズのモロー博士の娘、シェリーのフランケンシュタイン博士の娘、それにジキル家のメイドや家政婦もオマケではなく主要登場人物となって出てくる(娘=血族とは限らない)。これらの人物は、オリジナル(それぞれの原典)で、どちらかといえば一方的に加害される側、弱い被害者だった。その点、本書では女性の役割が違う。女性だけの探偵チーム〈アテナ・クラブ〉を守り立てるため、容姿や性格までパワーアップされているのだ。

 本書がシャーロック・ホームズもののパスティーシュなのかというと、ちょっと違うように思える。主人公はあくまでもマリアたち、ホームズは19世紀の男社会の中で、彼女たちが自由に動けるよう手助けをする補助装置なのだ。また、メアリたちの物語を記述するのはモロー博士の娘、その文中にクラブメンバーの合いの手(ツッコミ)が挟まるメタ構造で書かれている。残念ながら物語は本書だけでは完結しない。〈錬金術師協会〉の秘密も含めて、次作へと送られている。すでに原著は2019年に完結済みなので、翻訳が待たれるところだ。

N・K・ジェミシン『第五の季節』東京創元社

The Fifth Season,2015(小野田和子訳)

カバーイラスト:K,Kanehira
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 3年連続ヒューゴー賞を受賞した《破壊された地球》の第1作目である。著者には『空の都の神々は』(2009)に始まる《十万王国》の邦訳があったが、三部作の最終刊(2011年刊)が翻訳されないまま、およそ8年間紹介のブランクが空いていた。ジェミシンはパピーゲート事件に関わるSFWA会長選挙で中心的な活動をするなど、熱心な反差別、フェミニストとしても知られる。

 その世界には5つめの季節があった。通常の四季とは別に不定期に訪れる〈季節〉では、巨大地震や大噴火などの天変地異が起こり、栄えていた文明がいくつも滅んでいった。しかし人々の中には、地覚と呼ばれる力で自然災害を未然に予知し、さらに変動を鎮める造山能力者オロジェンたちがいた。

 物語には2つの流れがある。1つは、息子を失った女が逃げ去る夫を追う物語。途中、奇妙な同行者たちと知り合う。もう1つは、オロジェンの能力を宿した娘が養成学校で成長し、やがて正規の任務に就いて活動する物語が語られる。姿を現す滅んだ文明の遺産や、オロジェンを管理する階級組織の仕組みなど、物語世界の詳細な背景が描かれている。

 近づきつつある次の破滅の季節(千年に一度くる)、火山灰が降る中のロードノベルでもあり、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』を思わせる部分もある。登場人物の多様性(〈守護者〉や〈強力〉などさまざまな能力者や、人の姿をしていても代謝がまったく異質な〈石喰い〉も登場)、二人称を交える語りの多様さもあり、著者の思想を反映した(といっても不自然さはない)壮大な異世界を現出させている。ある意味、現代の《ゲド戦記》なのかもしれない。