森見登美彦『四畳半タイムマシンブルース』角川書店

装丁:鈴木久美
装画:中村佑介

 著者の初期作『四畳半神話体系』(2005)のキャラ設定と、上田誠の戯曲「サマータイムマシン・ブルース」(2001)の基本アイデアがコラボしたオリジナル小説(ノベライゼーションではない)。上田誠は『ペンギン・ハイウェイ』などで森見アニメ作品の脚本を書いてきた仲でもある。二人の対談を読むと、それぞれの続編というより番外編といった趣が強いようだ。

 高温多湿でむせかえる京都の8月、下鴨にある倒壊寸前の下宿アパートで唯一クーラーがあった主人公の部屋で、リモコンが壊れるという惨事が発生する。治る見込みもない中、25年後から突然ドラえもん型タイムマシンが出現する。これを使って昨日に行けば、壊れる前のリモコンが回収できるのではないか。下宿に集う個性豊かな面々は、それぞれの思惑で暗躍を開始する。

 タイムパラドクスといっても、(原案を含め)貧乏大学生を主人公にした史上最低・ミニマムなパラドクスである。本書の場合「バック・トゥー・ザ・フューチャー」型の単線の時間概念(決定論的で、過去も未来も既に決まっている)なので、過去の改変はそのまま未来に影響する。しかし決定しているものを覆すと、宇宙が崩壊するかもしれない。この設定は本書のキャラと親和性がとても高く「サマータイムマシン・ブルース」は、もともとこの下宿アパートを舞台に書かれていたのではないかと錯覚するほどだ。

 とはいえ、本書は15年前(原著の奥付に準拠)の『四畳半神話体系』から何も変わっていないように思える。時は流れておらず、主人公たちは昔の姿のまま京都にある貧乏下宿に封じ込められている。最後に未来を暗示させるタネ明かしもあるが、これはドラえもんに敬意を表したものかも知れない。

大森望編『ベストSF2020』竹書房

カバーデザイン:坂野公一(welle design)
カバーイラスト:Kotakan

 東京創元社版の《年刊日本SF傑作選》は、日本SF大賞の特別賞を受賞するなど高い評価を受けながらも昨年で終了、今年からは大森望単独編集による竹書房版《ベストSF》に形を変えて引き継がれることになった。メリルからドゾアへと(名称が)変わっただけでなく、編集方針もより年刊傑作選の原点に立ち返ったものに改められている。

“初心に戻って、一年間のベスト短編を十本前後選ぶ”という方針を立てた。作品の長さや個人短編集収録の有無などの事情は斟酌せず、とにかく大森がベストだと思うものを候補に挙げ、最終的に、各版元および著者から許諾が得られた十一編をこの『ベストSF2020』に収録している。

編者序文より

 円城塔「歌束」歌束とは、歌を固めたもの。湯をかけると、ばらばらの文字になり、またそれが新たな歌を生み出していく。
 岸本佐知子「年金生活」衰退した社会に住む老夫婦の年金は、どんどん先へと繰り延べされる。ある日、突然年金が支給されると通知がくるが。
 オキシタケヒコ「平林君と魚の裔」銀河の古参種族の中で、奇跡的に成功した地球人の星間行商人は、なぜか全くやる気のない主人公を乗員に採用する。
 草上仁「トビンメの木陰」かつて隆盛を誇った帝国の首都はすでに面影をなくし、見知らぬ紫の実を付けた大木が影を投げかけるだけだった。
 高山羽根子「あざらしが丘」捕鯨を再開したものの、捕鯨文化復活にはほど遠い。人気を盛り上げるためアイドルグループによる捕鯨ショーが企画される。
 片瀬二郎「ミサイルマン」外国人労働者だった青年が無断欠勤する。青年の故国ではクーデターが発生し大統領が政権を追われたという。
 石川宗生「恥辱」世界が沈もうとしているらしい。動物たちは人間たちと力を合わせて巨大な方舟を建造するが、思いもかけない条件を告げられる。
 空木春宵「地獄を縫い取る」小児性愛の摘発のため作られたAIをめぐる物語に、室町時代の地獄太夫の物語が重なり合いさらなる地獄が姿を見せる。
 草野原々「断φ圧縮」精神の治療のために、医師は患者に世界を指し示す。その世界はカルノーサイクルでできており、圧縮されれば正気になっていく。
 陸秋槎「色のない緑」機械創作が普及した近未来、主人公は高校時代からの友人が自殺したと聞く。死の原因を探るうちに、却下されたある論文の存在が浮かび上がる。
 飛浩隆「鎭子」同じ発音の名前(しずこ)を持つ2人の主人公が、リアルの東京とフィクションの泡洲(あわず)で共鳴しあう。

 版元了解が取れず収録を断念した、伴名練「ひかりより早く、ゆるやかに」は筆頭に収めるべき作品だったという(編集後記に経緯が書かれている。ちなみに、この作品の影のモチーフは京アニ事件である)。年金、捕鯨、外国人労働者、仮想の小児性愛、機械翻訳(創作)と、時代を反映するキーワード(2019年に「事件」があったもの)が含まれているのは年刊傑作選らしい。契機のニュース自体は忘れられても、普遍的なテーマになるものばかりだ。

 常連の円城塔、復活した草上仁、少し変化球を投げた飛浩隆、手慣れた岸本佐知子やオキシタケヒコは安定のレベル。あえて問題作に挑んだ高山羽根子と片瀬二郎、残酷描写が際立つ石川宗生と空木春宵、これをハードSFと呼ぶのはどうかと思う草野原々と、『ノックス・マシン』のスタイルを踏襲した陸秋槎も印象に残る。

 なお、本書の「二〇一九年の日本SF概況」で拙著『機械の精神分析医』が、「2019年度短編SF推薦作リスト」(約30作)に同書収録の「マカオ」が挙げられている。アマゾンサイトの他、こちらの下側(3冊中の最下段)にも詳細があります。興味を惹かれた方はぜひお読みください。

高山羽根子『首里の馬』新潮社

装画:MIDOR!
装幀:新潮社装幀室

 第163回芥川賞受賞作。新潮2020年3月号に掲載された250枚ほどの、短めの長編/長中編で、著者のこれまでの作品の中では最長のもの。本格的な長編は、東京創元社から9月に出版される予定だ。

小説の中で起こることすべてに言えるんですが、『あるかな、ないかな、いやギリギリあるかもな。自分の身にだって起こり得るぞ』というラインを探ってあれこれ考えたりはしますね。

『首里の馬』芥川賞受賞インタビュー 文春オンライン

 主人公は十代の頃から、沖縄の首里近くにある私設の資料館を訪れるようになった。今ではそこで資料整理の作業をしている。一般公開されているわけでもなく、収蔵品も老いた館主があちこちから集めてきた雑多な品物ばかりだ。お金にならないそんな作業とは別に、主人公は奇妙な仕事をしていた。それは自分一人だけしか居ない事務所から、パソコンを使って世界のどこかにいる誰かにクイズを出すというものだった。

 著者インタビューでもあるように、たしかに本書で起こる出来事はどれも「ありえない」ものではない。不登校だった主人公は人嫌い故に、誰も居ない資料館に入り浸り、ひたすら朽ちていく資料のアーカイブ作業(スマホの写真に収める)をしている。対面業務のない声だけの(人件費の安い地域に作られた)コールセンターに勤め、センターがなくなるとリモートクイズ出題者にたどり着く。この最後まで至ると、もはや「ない」世界に踏み込んでいる。「ありえるもの」から「はみ出たもの」を少しずつ積み重ねれば、あり得ない世界が見えてくる。この手法は著者独特のものだろう。

 リモートで話す相手も孤独な存在である。緑色の目をしたコーカソイドの青年、大きな目をした東欧系の女性、もう一人は中東か中央アジア系の青年だが不穏な話をする。彼らとの会話はなぜかすべて日本語で、謎めいたクイズの後に短時間の雑談を交わす。

 最後に馬が登場する。台風が過ぎた日の朝、狭い自宅の庭に中型の馬が寝ているのだ。一体どこから迷い込んだのか。正体がつかめないまま、いつしか主人公は馬と一体となった生活を送る。馬は館主の生まれ変わりのようでもあるが、何を象徴する存在なのかは分からないままだ。

 とはいえ、本書は著者の一連の作品と同様、説明不足と思わせる部分はない。すべてに解決があったわけではないのに、バランスの不安定さをむしろ魅力に感じさせるのが高山羽根子の作風なのだ。

伴名練編『日本SFの臨界点[恋愛篇][怪奇篇]』早川書房

COVER ILLUSTRATION:れおえん
COVER DESIGH:BALCOLONY

『[恋愛篇]死んだ恋人からの手紙』と『[怪奇篇]ちまみれ家族』の2冊からなるアンソロジイで、全20編を収める。アンソロジイの場合、何らかのテーマ(制約条件)が科されているのがふつうだ。年度別、年代別の傑作選とか、発表年ごとに一人(SF作家クラブ所属作家)一作品だけを集めた『日本SF短篇50』などもある。本書の方針については、編者があとがきでこう記している。

 だからこそ、私は別の時代、たとえば八〇年代の半ばごろから二〇〇六年(《年刊日本SF傑作選》以前)までに多くの短篇を書いた作家の作品を少しでも再発掘したい。この時期は〈SFマガジン〉に何作も掲載されているのに本になっていないとか、〈SFアドベンチャー〉〈SFJapan〉に新人として登場し短篇を量産したのにそれきりというケースが多い。ラノベ誌や〈獅子王〉〈グリフォン〉なんて雑誌もあった。SFが今ほどには注目されていなかったタイミングゆえ正当な評価を浴びにくかった作品に、改めて光を当てたい。

[怪奇篇]編者あとがきより

中井紀夫(1952-)死んだ恋人からの手紙(1989)亜空間通信を経る兵士からの手紙は、時間順序が崩れシャッフルされて届く。
藤田雅矢(1961-)奇跡の石(1999)東欧のとある村に住む、超能力者の姉妹がくれた不思議な石の秘密とは。
和田毅(草上仁 1959-)生まれくる者、死にゆく者(1999)生まれてくる子どもが5年ほどかけて実在化する一方、老人はしだいに希薄化していく。
大樹連司(前島賢 1982-)劇画・セカイ系(2011)編集者からラブコメを要求されながらまったく書けない作家には、同棲する恋人にも明らかにできない秘密があった。
高野史緒(1966-)G線上のアリア(1996)電話が発展しつつある近世ヨーロッパで、一人のカストラートがその大きな可能性を予見する。
扇智史(1978-)アトラクタの奏でる音楽(2013)ストリートミュージシャンの主人公に、工学部の学生から研究テーマへの協力要請が持ちかけられる。二人は意気投合するが、研究は意外な波紋を引き起こしていく。
小田雅久仁(1974-)人生、信号待ち(2014)2つの交通信号の間に閉じ込められた主人公は、そこから抜け出せないまま、時間が変容していくことを知る。
円城塔(1972-)ムーンシャイン(2009)双子の少女と主人公が、百億基の塔の街に住む物語だが、数学の群論に始まり、数学的共感覚、そして数学的命題ムーンシャインに至る物語でもある。
新城カズマ(-)月を買った御婦人(2005)
別の歴史が流れるメキシコ帝国では、莫大な財産を持つ侯爵令嬢の前に5人の求婚者が現われる。その条件は月を捧げることだった。

中島らも(1952-2004)DECO−CHIN(2004)自分の仕事に疑問を感じるサブカル雑誌の編集者は、ライブハウスに登場した異能のバンドに取り憑かれてしまう。
山本弘(1956-)怪奇フラクタル男(1996)かつての教え子から呼び出された数学教授は、奇怪な病に罹る父親の症状に驚く。
田中哲弥(1963-)大阪ヌル計画(1999)大阪ならではの事故を抑えるため開発された「ヌル」は、もともと想定していなかった恐るべき効果を生み出す。
岡崎弘明(1960-)ぎゅうぎゅう(1997)人がぎゅうぎゅうに立ち尽くすほど溢れた世界で、主人公ははるかな西に向かおうとするが。
中田永一(乙一、山白朝子などの別名義あり 1978-)地球に磔にされた男(2016)ある日自動車が空から落ちてくる。その事件を契機に、恩人である老人宅を訪れた男は、時間旅行ができる装置を偶然入手する。
光波耀子(1924-2008)黄金珊瑚(1961)治安維持局に奇妙な事件が持ち込まれる。高校の実験室で作られたケミカルガーデンで、黄金に輝く珊瑚状の物体が生まれたというのだ。
津原泰水(1964-)ちまみれ家族(2002)その家族は生理的に出血しやすく、家中が血と血痕にまみれていた。
中原涼(1957-2013)笑う宇宙(1980)宇宙船に乗り組む家族たちは、しかし旅の目的からお互いの関係まですべてを疑い合い、何が真実かを言い争っている。
森岡浩之(1962-)A Boy Meets A Girl(1999)羽根を広げ恒星間を渡っていく少年は、星間物質を食べながら成長していく。やがて、別の恒星系に住む少女の存在を知る。
谷口裕貴(1971-)貂の女伯爵、万年城を攻略す(2006)遠い未来、知能化された動物の奴隷となった人間たちは、亀と戦う最終決戦で状況を逆転させるため一計を案じる。
石黒達昌(1961-)雪女(2000)戦前の北海道で発見された少女は、極端な低体温症だった。その正体を探るべく、一人の軍医は詳細な調査を進める。

[恋愛篇]中井紀夫は、文字通りの内容で先行作品としても読ませる。扇智史や短編集の少ない新城カズマは、確かに本でまとめるべきだろう。[怪奇篇]では田中哲弥、岡崎弘明や谷口裕貴、故人となった光波耀子、中原涼らの再評価が望まれる。

 現役で活躍中の作家も何人か含まれ、趣旨に反するように思えるが、あえて選ばれた理由はそれぞれの作品のまえがきに明記されている。長いまえがきが入っているのは、本書のもう一つの特徴である。評者の世代では、解説に作者の経歴と書誌の情報を記すことが当たり前だった。それを手がかりに次の作品を探せるからだ。今は確かにネットで何でも分かるし、情報部分のまったくない解説も多い。しかし、それで持続的な読書意欲が高まるかどうかは別だろう。次につながるように意図的に並べられた情報と、ネットにある不規則・羅列(でたらめ)では印象が大きく異なる。読者だけでなく、編集者宛の売り込みメッセージがあるのも、伴名練の尋常ではない熱意が感じられて面白い。

アナリー・ニューイッツ『タイムラインの殺人者』早川書房

The Future of Another Timeline,2019(幹遙子訳)

カバーデザイン:川名潤

 著者は1969年生まれの米国作家、編集者、ジャーナリスト。ノンフィクションの著作も多く『次の大量絶滅を人類はどう超えるか:離散し、適応し、記憶せよ』(2013)は邦訳がある。先ごろ紹介された『空のあらゆる鳥を』のチャーリー・ジェーン・アンダースらと、SFブログサイトio9を立ち上げた創設者でもある。最初の長編がラムダ賞(多部門に渡る賞だが、SF・ファンタジイ・ホラー部門)を受賞、第2作目の本書もローカス賞の最終候補となっている。

 その世界には何億年も前から、時間旅行を可能にする〈マシン〉が存在する。何ものが作ったのかは分からないままだ。人類はその時々のテクノロジーを使って〈マシン〉を操作し、時間旅行を行ってきた。主人公たちは2022年から過去に戻って研究活動をしているが、それは表向きで密かに〈ハリエットの娘たち〉という歴史改変(編集)を工作するグループを作っている。

 〈ハリエットの娘たち〉とは、実在した奴隷解放運動家ハリエット・タブマン(リンク先は映画)に因んだグループだ。史実では当時(19世紀)女性参政権はないが、この歴史=タイムラインでハリエットは上院議員になっている。しかし、妊娠中絶禁止法があり女性の権利は未だに十分ではない。〈娘たち〉は権利を高めた新たなタイムラインを作るため活動しているのだ。その一方、制限を強めたい〈コムストック〉派の反動グループも暗躍する。

 物語の主な舞台は2022年、1992年(主人公が個人的に関係する、重要な事件があった時期)、1893年(コムストックによる権利制限が強められた時期)の3つ。歴史的背景を持つ女性の権利に関する物語の一方、主人公には隠された殺人という他人に打ち明けられない秘密があった。どういう副作用を生み出すか分からない歴史編集と、理由が何であれ殺人は許されるのか、という2つの葛藤が物語に奥行きを与えている。大きな(集団による)事件と個人的な事件が絡み合う展開は、盟友の書いた『空のあらゆる鳥を』と共鳴し合うものを感じる。

シオドラ・コス『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』早川書房

The Strange Case of the Alchemist`s Daughter,2017(鈴木潤・他訳)

カバーイラスト:シライシユウコ
カバーデザイン:川名潤

 著者は1968年ハンガリー生まれの米国作家。本書は最初の長編にあたり、2018年にローカス賞第1長編部門を受賞している。ヴィクトリア朝時代の英国(19世紀末)で、出自が「ふつう」ではない女たちが活躍する《アテナ・クラブの驚くべき冒険三部作》の第1部となる作品だ。

 長い介護の末、母を亡くしたメアリ・ジキルは、残された財産を調べるうちに慈善団体で暮らすハイドの娘の存在を知る。行方不明になったハイドはまだ生きているのか。メアリはシャーロック・ホームズやワトスンの助けを借りながら真相を追っていくが、その過程で〈錬金術師協会〉と称する怪しい科学者の団体が見え隠れする。また、協会に絡んだ科学者の娘が次々と登場し、メアリたちの仲間に加わっていく。

 スティーヴンソンのジキル博士とハイドの娘、ナサニエル・ホーソンのラパチーニ教授の娘、ウェルズのモロー博士の娘、シェリーのフランケンシュタイン博士の娘、それにジキル家のメイドや家政婦もオマケではなく主要登場人物となって出てくる(娘=血族とは限らない)。これらの人物は、オリジナル(それぞれの原典)で、どちらかといえば一方的に加害される側、弱い被害者だった。その点、本書では女性の役割が違う。女性だけの探偵チーム〈アテナ・クラブ〉を守り立てるため、容姿や性格までパワーアップされているのだ。

 本書がシャーロック・ホームズもののパスティーシュなのかというと、ちょっと違うように思える。主人公はあくまでもマリアたち、ホームズは19世紀の男社会の中で、彼女たちが自由に動けるよう手助けをする補助装置なのだ。また、メアリたちの物語を記述するのはモロー博士の娘、その文中にクラブメンバーの合いの手(ツッコミ)が挟まるメタ構造で書かれている。残念ながら物語は本書だけでは完結しない。〈錬金術師協会〉の秘密も含めて、次作へと送られている。すでに原著は2019年に完結済みなので、翻訳が待たれるところだ。

大野万紀「デジタルな時代のランドスケープ」『猫の王』解説

  以下は『猫の王』巻末に収録した、大野万紀解説を全文掲載したものです。

 本書は岡本俊弥の、Amazon(オンデマンド)、kindleで出版される3冊目の短編集である。1998年からインターネットで公開している大野万紀のオンライン・ファンジン「THATTA ONLINE」に掲載された作品の中から、2016年から2019年の9編が収録されている。

 ぼく、大野万紀と岡本俊弥のつき合いはもう半世紀近くになる。同じ大学のSF研に、彼は一年後輩として入って来たのだ。
 当初から彼は目立っていた。眼光鋭く、歯に衣を着せぬ物言いをし、実は「寺方民倶」のペンネーム(というかラジオネーム?)でMBSの深夜放送、眉村卓さんがパーソナリティをやっていた〈チャチャヤング〉にショートショートを投稿していたとカミングアウトする。みんな素人ばかりのSF研で、おお、プロだ(プロじゃないけど)と注目を浴びることになる。
 どちらかといえば翻訳や評論が主流だったSF研の中で、本格的な創作に軸足のある彼は異色であり、貴重な才能だったのだ。
 その年の大学祭でうちのSF研も何かやろうということになり、みんなで古本を売ったりしたのだが、彼は一人でタロット占いを始めた。聞くところによるとその占いは情け容赦なく、占ってもらった女子大生がみんな動揺しながら半泣きになって出てきたという。
 SF研で作る会誌は、まだ謄写版印刷の時代で、版下は手書きだった。会員が分担してガリ切りをやっていたのだが、彼の担当部分は正直いってかなりのくせ字であり、読むのに苦労した。タイプオフセット印刷の時代になって、彼が評価の高い多くのファンジンを作り出していったのはそれへの反動だったのかも知れない。
 筒井康隆さんの「ネオNULL」創刊に関わり、その編集をまかされたり、SF大会のスタッフをしたり、そしてSF雑誌に書評を執筆したりするようになったりと、その後の彼の活躍についてはインターネットに公開されているので、そちらを参照されたい

 彼の作品の特色は、その静かでほの暗い色調と、工学部出身で大手電機メーカーの研究所に勤めていた経験を生かした、科学的・技術的、あるいは職業的にリアルで確かな描写、そしてそれが突然、あり得ないような異界へと転調していくところにあるだろう。そしてちょうどグレッグ・イーガンやテッド・チャンなど、現代の最先端の作家の作品に見られるように、現実と仮想、人間の意識とその見る世界とが、相互にずれ合い、重なり合い、干渉し合う、そんなデジタルな時代のランドスケープを描いていくところにあるといえるだろう。

 第1短篇集『機械の精神分析医』はそんな作風が良く現れた作品集だった。たとえシンギュラリティは起こらなくても、人工知能(AI)はわれわれの生活の隅々にまで入り込んでくる。そんな近未来社会の「日常」はどんな姿をしているのだろうか。リアルに構築されたハードSF的な未来像から、ふいに幻想的ともいえるぞっとするような情景が浮かび上がってくる。

 第2短篇集『二〇三八年から来た兵士』は「異世界」がテーマの作品集であり、過去のSF作品を思わせるタイトルが示すように、作者のSFファンとしてのキャリアが前面に出ている。そこでは並行世界や改変歴史、破滅後の世界など、SFでおなじみのテーマが扱われているが、そんな世界に放り込まれた登場人物たちの運命はやはり重く、暗いものとなる。

 本書『猫の王』ではそれらに加え、人間の内部に潜む「獣性」にも焦点が当てられている。それはデジタルで論理的な「意識」の背後にある、生き物としてのベースラインであり、言語化されない叫び声なのである。

 収録作について。

「猫の王」THATTA ONLINE 2016年7月号
 猫の集会を見たことがあるだろうか。ぼくは会社からの帰宅途中、何度か見たことがある。猫たちは何をするでもなく、ただ集まってじっと佇んでいる。主人公は公園で拾った猫の子を飼うことになるのだが、その子こそ「猫の王」だったのだろうか……。
 日常の中の「少し不思議」を描きつつ、遙か遠い過去から連なる人間と猫の関係性を幻視するシーンが美しい。

「円周率」THATTA ONLINE 2017年8月号
 ハードディスクがSSDになり、さらにDNAメモリに置き換わっていく未来。主人公は臨床試験に応募し、DNAメモリのチップを体内に注入される。それにはデータとして円周率が記録されているという話だったのだが……。
 アイデアこそSFでありがちなものだが、この作品のリアリティには作者の専門分野での知識や経験が反映されているのではないだろうか。

「狩り」THATTA ONLINE 2016年11月号
 小学四年生の主人公は彼が心を惹かれる同級生の女の子に白い尻尾があるのを知る。彼にしか見えない尻尾だ。そして中学生のときも、高校生のときも、彼は尻尾のある女性(たち?)に出会い、心を惑わされ、翻弄される。だがそれはどこまでが現実だったのか……。
 人の中にある獣。人の意識が見る世界が現実とは限らないのであれば、その中にいる獣の見る世界はどうなのだろう。

「血の味」THATTA ONLINE 2017年6月号
 遺伝子操作により作られた植物性の人工肉。人口増加により食糧問題が重要になった世界で、その普及は何をもたらすのか……。
 味覚、とりわけ肉の旨みなどというものは、言語的ではなくまさに獣の感性によって判断されるものなのだろう。最新のバイオ技術によりそれが再現されるとき、パラメータからはみ出した部分に何があるのか。作者は仕事でインドに行っていたこともあり、そこでの現実もこの作品には取り込まれているようである。またこれは静かな「復讐」の物語でもある。

「匣」THATTA ONLINE 2017年5月号
 古い住宅地に建つ窓の無い匣のような建物。そこは年老いたコレクターが数え切れないほどの本を集めた書庫だった。役所から来た二人はその迷宮にさ迷い込んでいく……。
 ホラーめいているが、この建物は実在する(ただし現実には地下階はなく、作品はあくまでフィクションだが)。そしてこのコレクターもまた……。それを見てみたいという奇特な方は、こちらを参照のこと。

「決定論」THATTA ONLINE 2018年3月号
 過去から未来へ流れる時間線は一本だけで、その中で起こる全ての事象はあらかじめ決定している。そんな決定論の世界で、人間の自意識は脳内へ〈宇宙線――天の声〉が届くことによって生じるという実験が行われた。主人公はその実験の被験者となるが……。
 あたかもテッド・チャンを思い起こすような作品だが、主人公にとって自由意志の問題は最初の方であっさりと決着しており、むしろこの時間線がどのようにして確定しているのかを知ることが重要となる。もちろん現実の物理学とは異なるが、その思考実験は大変面白い。

「罠」THATTA ONLINE 2018年8月号(「トラップ」を改題)
 家を出ていつもの駅に向かう途中、彼女は見えない壁に阻まれる。彼女以外の誰にも存在しない壁。だがどうしても通り抜けることができない。彼女は自宅から半径一キロの範囲に閉じ込められてしまったのだ。罠。だがその壁に一つの扉があった。その向こうで彼女が知ったのは……。
 アイデアよりもストーリーを重視したという作品である。ごく普通の日常生活が異質なものによって変容する。後半はカート・ヴォネガット作品へのオマージュとなっているが、より現代SF的な味付けがされている。

「時の養成所」THATTA ONLINE 2019年12月号
 遥か遠い未来。〈養成所〉では正しい時間線の乱れを正すための官吏が養成されている。教官に指導され、過去へと向かった一人の官吏は、自分の行っている行為に疑問をいだく……。
 眉村卓「養成所教官」へのオマージュ作品である。SFのテーマとしてはタイムパトロールものといえるが、だが彼らが守ろうとしている時間線とは……。養成所の荒涼とした風景が象徴するように、物語には苦い味わいがある。

「死の遊戯」THATTA ONLINE 2019年5月号・6月号(「闘技場」を改題)
 仮想空間で、機械を操り、互いに破壊し合う戦争ゲーム。そのプレイヤーとしてスカウトされたプロのゲームアスリートだった男は、ゲーム内であり得ないものを見る……。
 原稿用紙にして百枚以上、本書で一番長い作品であり、また非常に複雑な構成をもった作品である。仮想世界の中に構築された仮想世界、その仮想世界の時間軸が交錯し、さらにAIのバグが互いの整合性を破壊する。そしてこの作品はまた、《機械の精神分析医》の一編となっているのだ。

酉島伝法『オクトローグ 酉島伝法作品集成』早川書房

装幀:水戸部功

 著者の第2作品集(著作としても3冊目)で、書下ろしを含め8作品を収める。内訳もSFマガジンなど各種雑誌(5作)アンソロジイ(2作)とさまざまだが、その分、舞台が異形世界で(ほぼ)一貫していた前作までと比べて読みやすいのが特徴といえる。

 環刑錮(2014)親殺しの罪で収監された男は、四肢を失う環刑錮に処せられる。金星の蟲(2014)刷版会社に勤務する主人公は、日常に忙殺されるうちに異界へと転落していく。痕の祀り(2015)顕現体同士の激しい戦闘の後、破壊された町と残された残骸を処理する加賀特掃会の活躍(「ウルトラマン」とのコラボ作品)。橡(2015)月面の魂匣に存在する人格が地球に帰還する。しかし人の姿になった彼らは容易には日常を取り戻せない。ブロッコリー神殿(2016)海に浮かぶ孚蓋樹の森は、ブロッコリーに似た外観を持つ生命の坩堝だった。そこに宇宙船が降下し生物相の調査を開始する。堕天の塔(2017)月面に複数存在する超構造体の発掘に携わるチームが、作業塔の一部もろとも大陥穽に転落する(「BLAME!」とのコラボ作品)。彗星狩り(2017)散開星団(小惑星や彗星)に棲む若い異形の生き物たちが体験すること。クリプトプラズム(書下ろし)街を模した宇宙船がオーロラに似た物質に遭遇する。そこから見つかった生命の痕跡は、培養され再び往年の姿を再現するのだが。

 読みやすいといっても、本書の物語の主人公は(元人間を含め)ほとんど人ではない。蚯蚓のような姿と化した受刑者、しだいに非人間へと変容する零落れたデザイナー、デジタルの存在、異形の森の生命、機械生命、コピー人格などである。設定上の制約があるコラボ作品でも、ふつうに見える人間は、ネットに接続されたものや異質の世界に同化した人々なので、我々とは明らかに違う感性を持つ。

 けれど、非人間にもかかわらず、読んでいくうちに登場人物に対する共感が生まれる。漢字を多用する独特の名詞表現から、初読者にはハードルが高いとされる酉島伝法だが、本書の場合は収録順に難易度が上がる順化対応設計である。冒頭から読んでいくうちに馴染めるだろう。

立原透耶編『時のきざはし 現代中華SF傑作選』新紀元社

装画:鈴木康士
装丁:鈴木久美

 台湾、中国本土を含む17人の作品を収めた、立原透耶編のアンソロジイである。中国語からの翻訳紹介で実績のある編者が、日本読者のためにまとめた現代中華圏SFを網羅する470ページ余に及ぶ大部のハードカバーだ。任冬梅(中国社会科学院の研究者)による詳細な解説付き。

江波(1978生)太陽に別れを告げる日(2016)深宇宙での訓練を終えた最終日に、彼らが学んだ母船が失われる。宇宙に取り残された訓練生たちは決断を迫られる。
何夕(1971)異域(1999)地球の食糧危機を一気に解決した農場で、生産停止の異常事態が発生する。原因を探るため、巨大化した作物が茂る農場に特殊部隊が潜入する。
糖匪(1978)鯨座を見た人(2015)宇宙飛行士となった女の父親は大道芸人だった。しかし、生前評価されなかった父親には、不思議な能力があった。
昼温(1995)沈黙の音節(2017)幼い頃から顎に障害のあった主人公は、音響研究所での研究から、やがて未知の音節の存在を知ることとなる。
陸秋槎(1988)「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」(2019)19世紀から20世紀にかけて、オーストリア、ドイツで活動したあるSF作家の不思議な生涯。
陳楸帆(1981)勝利のV(2016)オリンピックが仮想空間で行われることになった。主催者は電脳空間上にオリンポス山を造り会場とする。
王晋康(1948)七重のSHELL(1997)人を完全にヴァーチャル世界に移行させるスーツSHELLを着ると、現実とヴァーチャルの区別は失われる。
黄海(1943)宇宙八景瘋者戯(2016)火星の衛星を改造した宇宙船が行方不明になる。宇宙センターはマイクロ宇宙船による救出を画策する。
梁清散(1982)済南の大凧(2018)百年前の爆発事故を調べていた主人公は、19世紀末から名前が残るある技術者の存在を知る。技術者は有人の大凧を造っていた。
凌晨(1971)プラチナの結婚指輪(2007)ダイアモンドを加工する会社に勤める男は、両親の希望を受け、星際婚姻仲介センターの紹介で異星の花嫁を迎えることにする。
双翅目(1987)超過出産ゲリラ(2017)チョウチンクラゲに似たエイリアンたちは異常に殖え、難民となって街に溢れた。
韓松(1965)地下鉄の驚くべき変容(2003)通勤客で満員の地下鉄が止まらない。駅も見えず、目的地を失ったまま疾走を続ける。やがて乗客たちは変容を始める。
吴霜(1986)人骨笛(2017)主人公は物理学者の実験で時間旅行するが、目的地はいつも五胡十六国時代だった。
潘海天(1975)餓塔(2003)シャトルが不時着し、生存者たちは宗教団体の入植地を目指す。しかしそこは無人で、得体の知れない塔があるばかりだった。
飛氘(1983)ものがたるロボット(2005)王の求めに応じて造られた物語ロボットは、だれも聞いたことのないお話を創造しひたすら語り続けた。
靚霊(1992)落言(2018)宇宙船が立ち寄った落言星には、ほとんど動きを見せない落言人たちがいた。惑星は冷たく、彼らが何を食べて生きているかは不明だった。
滕野(1994)時のきざはし(2017)漢帝国の皇帝のもとを訪れた女の要求は、その功績に反して理解し難いものだった。なぜそんなことを希望するのか。

 作者の生年と作品の発表年を併記した。生年だけを見ても、1940年代2人(このうち黄海は台湾作家)、60年代(劉慈欣の世代)1人、70年代5人、80年代6人、90年代(SFマガジンが提唱する第7世代に相当する)3人と、中国現代SFの全世代を網羅しておりバランスが良い。また、6名は女性である。

 テーマ的には「太陽に別れを告げる日」を初めとする宇宙ものが多く、また清朝末期を描く「済南の大凧」、標題作「時のきざはし」のように中国の歴史に時間旅行者をからめた、日本にはないタイプの作品が印象に残る。トラディショナルなアイデアSF「沈黙の音節」、寓話風の「ものがたるロボット」、スラップステックな不条理SF「地下鉄の驚くべき変容」(ラファティ風?)、風刺の効いた「勝利のV」など、編者の意図通り多様に読める点が面白い。

 作品によっては、長すぎるあるいは短すぎる(説明不足)と感じる部分もあるが、バックグラウンド(常識、SFに対する理解)の差もあるので、中国読者の受け止め方と差異が生じるのは不思議ではない。作者自身の未来(宇宙)、または過去(中国の歴史)に対する視線も注目すべき点だろう。

劉 慈欣『三体II 黒暗森林(上下)』早川書房

三体II 黒暗森林,2008(大森望、立原透耶、上原かおり、泊功訳)

装画:富安健一郎、装幀:早川書房デザイン室

 『三体』からおよそ1年ぶりに三部作の第2作目『黒暗森林』が出た。翻訳SF小説として異例の注目を浴び、一般読者にも広く受け入れられた『三体』だが、よりスケールアップした続編がどういう展開を見せるかが注目だ。

 人類に絶望した科学者のメッセージを受け、4光年彼方にある三体文明は地球への侵略艦隊派遣を決行する。到着はおよそ400年後と推定された。そこで人類は国連の上位に位置する惑星防衛理事会を設置、全地球で防衛を図ろうとするが、各国の利害の衝突から思惑通りの進捗は見られない。最大の障害は三体世界が送り込んできた智子(ソフォン)の存在だった。基礎科学の進歩が妨害され、400年を費やしてもテクノロジーのブレークスルーは望めないのだ。そこで、智子を欺く存在「面壁人」が選任される。

 智子は地球のあらゆる情報をスパイするが、心の中までは見通せない。面壁人はある種のトリックスターであり、誰もが考えつかない奇抜な発想で対抗策を実行しようとする。それに対して、三体文明の信奉者たちETOは破壁人(面壁人の企みを見破る者)で反撃する。この物語の主人公は4人目の面壁者だ。夢想家でおよそ何の取り得もない平凡な学者だが、なぜか絶大な権力を持つエリートメンバーに選ばれてしまう。

 物語では、現在と200年後の未来が描かれる。彼我の科学技術レベルの格差から絶望に転落した現在と、なぜか楽観的な雰囲気に支配された中間地点の未来が対比される。前作にも増して、本書の中にはさまざまな要素が詰め込まれている。《銀英伝》(本文中にも言及がある)を思わせる宇宙艦隊による会戦、まったく異質な文明とのファーストコンタクト、そして、フェルミのパラドクスに対する斬新で大胆な解釈が大ネタとなる。個々のアイデア自体は古典的であるが、ここまで予想不可能な展開とした作品は世界的にも類例がないだろう。

 原著が出版された2008年は、11月にオバマ大統領が当選し、9月にリーマンショックによる世界経済の混乱が起こった年だ。中国では北京オリンピックが開催され、その一方、四川大地震が起こるなど大事件が頻発した年でもある。GDPは現在の3分の1程度で、まだ日本と同じくらいだった。物語から明日への希望と現在の不安がないまぜとなった、時代の雰囲気を感じとることもできる。
(註:オバマ大統領が就任したのは2009年です)